できない
「できない」
とそんな風に感じた。高校生のわたしには扱うことができないテーマについて論述を求められた時だ。忘れもしない小論文の模試。幾つか選択肢のある中の『国際社会で日本がどうあるべきかについて』というテーマで論文を書き始めたとき、率直にわたしは『自分には意見がない』と感じてしまった。でもそれは本当にどうでもいいというわけではなくて、わたしには述べる資格がないという怯えのようなものだったのかも知れない。言葉には責任が伴う。学校でもネットリテラシーについて散々教えられてきたけれど、自分の発言には責任を持たなければならないのが社会のルールだとしたら、それだけ慎重にならなければいけないとも思う。
わたしのような存在が、メッセージを発する事は許されているのだろうか。むしろ発しなければいけないのだろうか。わたしがその時『模試』という審査で文章にすることの出来るその意見は、社会の中で一体何になるのだろうか。書く前から疑問だらけで、書けないと思った。その本音を、言葉にするわけにも行かなかった。拙い言葉遣いで書いたその論文の評価は芳しくなかった事だけは覚えている。
陸さんの使っている某SNSにわたしが登録しなった理由を挙げれば、社会の中で自分の意見が目に付くところにあってもらいたくない気持ちがあったからだ。主に写真をうまく加工して、そこに短めのコメントを添えさえすれば「いいね」を結構もらうことの出来る別の文化の方が何となく自分には合うと感じていて、実際そこでの失敗らしい失敗は今のところない。ときどき変なDMが届く事以外は。リアルとネットの社会の区別があまりない時代で、段々とテレビでもネットの意見を参照して番組が作られて、
<世の中にはそういう風に感じる人がいるんだなぁ>
とありきたりの感想を抱いたり、自分なりに問題と感じていた事が取り上げられると何となくスーッとするのは本当だと思う。素朴過ぎる感想でも確かにそれは実感があるし、社会はそういう意見を求めている面もあるんじゃないだろうか。でもある程度以上はわたしには扱えないテーマになってしまう。
できない。
もっと上手に説明してくれる人は世界にいる。上手に説明できないことは悪いことではないと思う。それでも負い目のようなものはある。陸さんの投稿をつぶさに辿ってみた時、純粋にクリエイターとして作品を発表する場としてツールを利用している様子が窺えた。たぶんバランス感覚に優れた人で、本当は何かメッセージを発したいと思うこともあるのだろうけれど、基本的には体験した物事についての素朴な感想や同業者の作品の共有などに留めていて自然と好感が持たれるタイプ。そんな陸さんが、ある社会的な問題についてだけ…それは動物愛護に関するものだったのだけれどはっきりと意見を述べていて、ちょっとだけ意外に感じた。意見自体は動物を飼っている人からすれば当然の感覚を述べたもので、極論にはなっていない。それでも、そのアカウントで述べるという事は彼にとってはとても大事な事だったのだと思うし、わたしも共感しかない。
「ふぅ…」
思わず天井を仰いで一息。夕食後に真面目に考える時間が長かったせいか、ハンナがソファーの縁にじっと座ってこちらを見つめている事にも気付かなかった。
「ハンナ、こっちおいで」
そうやって手招きしてみてもハンナがやってこないのは経験的に知っていた。ハンナはわたしの様子がいつもと違うと離れてその様子を観察する癖があるのだ。わたしの方から近寄って、頭から背中の方に撫でてあげることで目を瞑って満足そうな表情を見せてくれた。
「ハンナ。どうあなたはどう思いますか?」
わざとらしくハンナにインタビューしている体で話しかけてみる。当然夢の中ではないから喋ってはくれないし、たとえ夢の中だとしてもその問いは彼女にとって意味不明なものだろう。黒く長い毛並とぴーんと上に伸びた尻尾の様子はただただ可愛らしく、その様子だけで全てが許されるといった感じ。動物好きと思われる陸さんにもハンナの存在を教えたら良いのかも知れないと思ったのはその時だった。ソファーの縁に座ったままの姿をパシャッと写真に収めて、少しだけトリミングしてアプリを起動させる。
『【ハンナ】という名前の女の子です。猫はお好きですか?』
陸さんが話していた『作業の時間』という言葉が念頭にあったので期待はしていなかったのだけれどその時は即座に反応があって、
『可愛い!香純さん猫飼っていらしたんですね!羨ましいです』
というかなり喰い気味な返事。猫で釣るつもりはなかったのだけれど、そのまま猫トークが始まってしまった。陸さんは猫は飼った事はないけれど普段から猫動画ばかり見ている人らしく、猫を見るとインスピレーションが湧くとのこと。確かに彼の作品にはときどき猫が登場している。ハンナの事を詳しく説明すると、
『へえ〜!去年からなんですか!何だか表情がとても幸せそうです』
と何だか褒めてもらっているような感じ。嬉しくなってしまって別な写真も何枚か送ってしまった。その日のやり取りの中で印象的だったのは、
『猫は与えてくれるんです。どうかすると人間だけの世界になってしまう中で、思わぬものを見せてくれるような気がします。猫がどういう事を考えているかを想像しながら表情を見るのが好きです』
というメッセージ。ハンナのあの能力のこともあって、後半の部分になんと返事をしたらいいのか迷ったけれどこの時はなんとなく浮かんだ言葉があった。
『わたしのこと、見守ってくれているように感じる時があります』
本当は逆の筈なのに、ハンナに感じる安心感はまるでそういうものだったとその時わたしは気付いた。伝わったかどうかは分からないけれど、
『なんかいいですね』
という返事と「いいね」のマークがついた。その日はとてもリラックスした気分で眠りにつけたと思う。
そして、ここで終わりじゃないのがわたし達の生活。
気付くとわたしは大学時代によく通っていたファミレスでゼミで一緒だった人と会話をしていた。何の会話をしているかはよく分からないけれど、たぶん卒論のテーマについてだったと思う。論文が苦手なわたしでも、卒業させてもらうには何かテーマを決めて書き上げなければならない。流石に大学生ともなれば考えることは考えるし、問題意識も出てくる。きっと真面目な表情で語っていたに違いないけれど、
「お姉ちゃん、また変な顔だよ」
という某女性声優の声が聞こえた。薄々感づいてはいたけれど懐かしかったからもうちょっとこのシーンに浸っていたいなどと思っていたり。
『ハンナ。さっきも『変な顔』って思いながらソファーで見てたの?』
「お姉ちゃんは最近変な顔になる」
そう答えた夢の中のハンナもわたしの席の後部の縁に座ってこちらを見ていた。やっぱり器用に口を動かして、
「あの人また来るの?」
と訊ねるハンナ。「あの人」はわたし達の会話の中では怜のことなので「明日くる予定だよ」と伝えた。
「ふーん。じゃあまた貰えるかな?」
『貰えるってまさか…アレ?』
「あの人いい匂いだから好き」
おそらくは正規品のアレを怜から貰えると思っているらしい。怜が『いい匂い』なのはわたしも認める。というか、異様にいい匂いを漂わせるからタチが悪い。などとよく分からないことを意識したまま一度目覚めた。ハンナが胸元にいることを確かめたのち、再び眠って、そこからは全体的にぼんやりした情景の世界を見ていたような気がする。
確かにハンナはわたしをよく見ている。




