正規品、ドラッグストア
ハンナの不思議な能力を怜に説明するのは骨が折れた。わたしの身体の骨が折れたことは無いから変な表現ではあると思うけれど、何度も繰り返される「なんで?」「どうして?」を押し留めつつ偉い人の前で「プレゼン」を行うレベルの慎重さで言葉を選びながら相手を納得させてゆこうとしても、結局完全に納得した表情を見せてくれないのだ。
「見てよ!ハンナ、タッチ」
ハンナに夢の中で教えた「芸」についても怜は「へぇー」と一応の感心は示してくれたけれどすぐに、
「でも猫も教えれば芸はできるって言ってたよ」
とこれも決め手にならない。そこで痺れを切らしてしまったわたしは怜に向かって叫ぶ。
「じゃあどうやったら信じてくれるの?」
最近では一番感情的になったその言葉を後で振り返ってみると、なんだか喧嘩しているみたいで恥ずかしい。冷静に考えた方が良かったと思う。案の定怜は引き気味に、
「そんなことわたしに言われても…」
と困り顔になっていた。それから続けて申し訳なさそうに言う。
「わたしだって香純の言うことを信じていないわけじゃないんだよ。でも、そんな漫画みたいなことを急に信じろと言われても、わたしの認識の中では難しいんだよ」
その声のトーンで怜が本心で言っている言葉だと伝わり、わたしとしてもそれ以上の強要はできなくなる。
「わかった。でもこの家には何の仕掛けもしてない。それだけは信じて」
「うん。それは実はわたしも信じているんだ。そもそも香純が確認できたとしてもコンビニまで行っている間だけだし、それ以降はずっとわたし見てたし。念のためコンビニまでの距離を地図アプリで調べてみるけれど、、、この距離であの短い時間で帰ってきたのならアリバイは成立しているよ」
「なによ、『アリバイ』って」
「こう見えてわたしは真面目に考える時には真面目に考えるんだよ。そうじゃなきゃ今の仕事とか任されてないだろうし」
「まあそうだね」
一言で言えばわたしと怜の「性格の違い」なのだろうと思う。学生の時もしっかり者に思われる怜と、至って凡人のように思われてきたわたしの関係では、怜の意見の方が優先されてしまう。でも何か大変なことが起こった時にも動じないわたしと、急に頼りなくなる瞬間のある怜でもある。
「すぐには無理かもしれないけれど、証拠が揃えば香純の言うことも信じれるようになるかも知れない」
怜はそう言って、ハンナになんらかの実験をしてみることを提案した。具体的にどういう実験がいいのかはすぐには思い付かないようで、
「まあ焦ることはないよ。今度来るときまでには何か浮かんでいるかも」
とこの話題は一旦切り上げとなった。その時わたしはある事を彼女に伝えなければならないと感じた。
「怜、一つだけいい?」
「何?」
「いくら親友だと言っても、ハンナに勝手におやつをあげるのはダメだよ!」
「あ…それはごめん」
イタズラ好きの怜はこうやって時々わたしに叱られ、そして謝る。
☆☆☆☆☆☆☆☆
正午前、怜が帰ってからやや手持ち無沙汰になったので、ソファーでゴロゴロしながらハンナを抱き抱える。ハンナは抵抗はしないもののあまり喜んだ様子には見えず、ときどきわたしの顔を見て目で何かを訴えているようにも見えた。
「ハンナ、怜からもらったおやつ美味しかったの?」
夢の中では類似品ではなくていわゆる「正規品」が美味しかったと言っていたハンナだけれど、そう言われてしまうとハンナに与えるものについてももう少しハンナの意見を取り入れた方がいいのかもと感じ始る。そもそも普通の猫だったら、食べっぷりとか、食後の満足げな様子から「この商品が良さそう」と判断するものだけれど、ハンナは自分で伝えることができる。僅かに見える違いでも、そのメリットを考慮すると実はかなり大きい違いなのではないだろうか。なんとなく手元に財布を寄せて中身を確かめてみる。
「買ってきてあげようか?」
そうハンナに向かって囁くと、
みゃー
と鳴いた。わたしの言葉の意味が分かっているわけではないと思うけれど、わたしが何かをしてあげようとしていることは雰囲気で伝わっているようにも感じる。よし、っとハンナを解放して自分は立ち上がりそのままドラッグストアに出かけることにした。
外に出て陽を浴びるとかなり心地よい。ほとんど散歩する気持ちでゆったり歩き始め、各所で開花の便りもある桜を探すように視線を彷徨わせる。こうしている間にも春は近づいていて、怜のように新生活に向けて準備を始めている人もこの街にはきっといるはずで、知らず知らずわたしの心もワクワクし始めていることに気付く。なんとなく新しいことが起こりそうな予感があった。
日用品を購入しているドラッグストア。キャットフードなどが並んでいるコーナーを探して移動して、そこに目的の「正規品」を見つけて立ち止まる。
<とりあえず一袋かな>
何本入っているかとか味の違いでパッケージの種類が結構あってこれが悩みどころ。怜に見せてもらったのは赤色だったのを思い出して、とりあえず同じものをフックから取り出す。その後自分用の「ドリンク」や「おやつ」もそこで買ってしまおうと思ってコーナーを移動した時だった。
「え…?」
そのときは瞬時に気付いた。ドリンク用の冷蔵庫の前で少し屈んで何かに手を伸ばしていた誰か。その人の横顔は、どこかで見たことのあるものだった。その人はそのまま栄養ドリンクのようなものを数本手に取って移動し始める。その正面に立っていたわたしとすれ違った時、
「あれ?」
とその男の人は声を出した。わたしは慌てて、
「あの、もしかして桜の前でお会いした方ですか?」
そう訊ねる。
「そうですよね。僕もそうだと思ったんです」
にこやかに微笑むその人はその日いかにも普段着というジャージ姿で、どちらかというとちょっと疲れたような表情にも見えた。




