Action.15 思わぬ再会
急いで現場にたどり着き、町の中で見た怪物は、学校から見下ろしていた時よりもはるかに圧倒的な存在に見えた。
黒いお饅頭みたいな形って言えばかわいく聞こえるけど、それが家三つ分くらいの高さもあれば話は別。ただただ威圧的にずりずりと蠢いている。
速度は人の歩行くらい? ベルが言った機動性が低いってこういう事かな。この次元に残されてしまった人達はもっと遠くに居るみたいで、そこは少し安心した。
今、一番気になるのは町が全く壊されていない事、周囲は普通の住宅街、当然家が建ち並んでいる。あれだけの巨体が進めば、通った場所なんて全部バラバラになってなきゃおかしいはず。
にもかかわらず、人ひとり居ない事を除けば静かな町はいつものままだ。
民家の屋根を飛び渡りながら徐々に近づき、巨大なヴォイド、ショゴスとの距離がギアの〈接続〉で約五十メートルだと把握した頃に、その理由がわかった。
「なに……あのヴォイド。家が、すり抜けてる?」
ショゴスはゆっくり動いている。そして建物や電柱などに触れるたび、それらはとぷん、と体内に沈んでしまっていた。それで壊れたり折れたりする事はなく、黒ずんだ半透明の体内で形を保っている。
《ショゴスは粘体――流体と固体の中間の性質を持っています。その為、あのような状態になっているのです》
「ねんたい?」
ピンと来ていない私に、ベルが補足をしてくれる。
《『シキレンジャー』、第六話に登場した『アメイバン』を想像して頂ければ問題ありません》
「なるほどね……」
水あめみたいな身体のヴォイド……。
でもそれならどう対処すればいいんだろう? シキレンジャーじゃ、ブルーが氷漬けにする事で撃破していたけど。
「普通の攻撃は効かないのかな、魔力を込めた一撃でも?」
《魔力は通じます、むしろ問題はあの巨体。沙月は前回の戦いで、ディープワンズの頭部を撃ち抜いた時の事を覚えているでしょうか》
「うん、覚えてるよ。すぐに再生しちゃったやつだよね」
魔力銃を始めて使った時だ。
《ヴォイドには核が存在しません。それはショゴスも同じ事。撃破するには、単純に体積が多過ぎるのです》
「それは、リーサルギアでも足りないの?」
《決着兵装はスヴェルギア最大の一撃ですが一点集中型。あのサイズの場合、貫通してしまい決定打になりません――あれほどの規模の個体は、想定されていませんでした》
「うーん……」
必殺技ドカン、じゃ片付かない。
それどころか打つ手なし、って事?
いや、地道にあれを削っていくとか……。でも、私達にはタイムリミットもあるのに。
――どうすればいいの……。焦ってしまう。
《沙月、残された人のうち一人が動き始めました》
「……わかった。じゃあまずは、回り込みながらその人達とヴォイドの間に割って入ろう」
その後どうするのかは、わからない。あの山みたいな怪物の正面に立つなんて考えただけでもゾッとするけど……やってみるしかない。
……ん? うち、一人?
《急ぎましょう。その人物は、ショゴスの元へと向かっているようです》
「な……え? ――えぇっ‼︎」
その人いったいなに考えてるの⁉︎
■
急がなくっちゃいけなくたって、不用意に刺激するのは更にマズい。予定通りに迂回しながらショゴスの進行方向へ先回りして地面へと降りた。
住宅街を挟んだ道路は平坦に伸びていて、三百メートルほど先のショゴスもしっかりと見えている。
その動きは相変わらず重たいけれど、アレがこの道に沿って移動している事は確実だった。
何故なら。
――タッタッタッタッ……。
地面を蹴る音が背後から聞こえてくる。振り返ると、息を切らして駆けてくる、一人の少年の姿があった。ショゴスはこの子を狙っている――そして私は、その子の事を知っていた。
「はっ……はっ……」
「はい、ストップ! ヒロヤ君、この先は危ないから行っちゃダメだよ‼︎」
その少年は、つい先日公園で会ったばかりの男の子……怪獣好きのヒロヤ君だった。
なんでこの子が、って気持ちはあるけど……。状況的にそれを確かめる時間はない。
私は彼の目の前に立ち、その肩をゆっくり掴む。まさか私が目に入っていなかったのか、びっくりしたように顔を上げると、ヒロヤ君はこちらをキッと睨みつけてきた。
「おねえさん誰⁉︎ じゃましないでよ! ぼく、アイツとおはなししに行くんだからっ!」
「だ、誰って……」
認識阻害だ。
……顔や声を見ても聞いても、誰も今の私を『白宮沙月』と認識しない。本来は、ヴォイドから担い手を守る為の機能、なんだけど。
「――はなしてっ!」
「あっ⁉︎」
ほんの一瞬、気を取られてしまった私の手を振り解き、ヒロヤ君は再び走り出した。
「待ってっ‼︎」
「おねえさんも怪獣なんか好きになるなって言うんでしょ⁉︎」
「怪獣……? い、言わないよ! 私は――」
想定外の問いかけに対し、呼び止める言葉をとっさに考えながら後を追う。
とはいえ脚力の差は歴然、追い付くのは一瞬だ。
大丈夫。多少強引にでもあの子を捕まえて、一旦安全な所まで連れて行く。
そんな思考を巡らせていると、
《沙月、上です。ショゴスが来ます》
「上?」
ベルの声。
その意味を理解するより先に、反射的に上を見上げる。
空には黒い球体があった。
最初は小さな点だったソレが、グングンとその大きさを増していく……こっちに向かってきてるんだ! ハッキリ認識した大きさは子供を完全に包んでしまえるほど。放物線を描いて迫る球体の落下する先は――!
「危ないっ‼︎」
魔力流動を脚部装甲に集中、刻まれた溝に魔力の光が満ちていく。光は足元から私自身を照らすほど強くなり――。地面を蹴り上げ宙へ跳ぶ。
先を走っていたヒロヤ君を軽々飛び越え、空中で黒い球体を迎え撃つ!
「はあぁぁぁっ‼︎」
水色の光を放つ右拳をそのど真ん中へと叩き込むと、そのまま水面を叩く音と同時に沈み込む。
――そして、パァンッ‼︎ と。
破裂音と共に球体は飛び散った。
……よしっ! なんとか凌ぐ事は出来た!
地面に降り立ち、同時にいつからか止まっていた息を吐き出した。
一拍を置いて再び跳んで、民家の屋根へと着地する。首を回して後ろを見ると、ヒロヤ君は呆然とした顔で地面にへたり込んでしまっていた。
――良かった。大きな怪我は無いみたい。
……なるほど、粘体。確かに今の感触は水を叩いたものに似ている。ただしあの速度なら、充分人を傷つける事が出来る威力だ。
あれでヒロヤ君を捕らえる事が目的?
だけど、最初の戦いの時マサル君が気絶していた事を考えると、そのまま生命を奪っても気にも止めないのかもしれない……。
「あ……あ……」
「早く逃げて!」
考えるのは後にしないと!
ヒロヤ君に声をかけてから正面を向き直す。
気に掛かかるけど、まずはこの攻撃を仕掛けてきたショゴスの様子を確かめなくちゃいけない。
ショゴスは、先ほどまでの饅頭のような形から変化していた。
まるで丸い形を維持するのに疲れたと言わんばかりにどろりと溶けて広がっている。全長はさっきの半分くらい? 膨らみ始めた丸餅みたい。
その身体が、ブルリと大きく動いた。
黒く半透明な全身の動きを見極めるのは難しい。けどそれは一定の動作だったから、なんとかこの目に捉えられた。
身体の最外周から、波打ち中央へ押し寄せる。例えるのなら、水の波紋の逆再生。
それを二回、繰り返し――――。
――――ドォォンッ‼︎
聞こえたのはまるで大砲の発射音――距離を思えば轟音だ――そして、ショゴスの中心から黒い点が飛び出した。
まさに砲弾。さっきもああやって打ち出したんだ……!
「あれ、自分を千切って飛ばしているの⁉︎」
《いわゆる『心臓部』を持たず、その上粘体であるショゴス独自の攻撃手段。スヴェルギアにデータはありませんでしたが――。あの黒い球体は、分裂した『小型のショゴス』そのものです》
「そんな、メチャクチャだよ……」
なんて生き物離れした戦い方。
ショゴスは一つの巨大な怪物であると同時に、小さな個体の群れでもある……って事でしょう? 前回までの敵、ディープワンズとは比べ物にならない厄介さだ。
「――くっ!」
とにかく屋根から飛び上がり、飛来するショゴスを今度は蹴りつけて迎撃する。
――成功! 球体は細かな霧へと散っていく。
これでも少しずつショゴスを削っている事にはなるんだろうけど、それじゃあまりにも終わりが見えない。
攻撃のタネは分かっても対抗策がない。もっと近づくにしても、まずはあの子を安全な場所に連れて行かないと。
地面に降りた私は、恐怖でまだ動けていない様子のヒロヤ君へと駆け寄った。
「大丈夫? すぐにここから離れようっ! さ、私に捕まって」
「あ、ぁ……」
差し出した鋼で覆われた手を、ヒロヤ君は呆けたみたいに眺めて、それから震える手を伸ばしてくれた。
ぐっと引き寄せ抱き上げる。
「よし、走るよ。口をしっかり閉じててね」
私の肩に顎を置くような位置で抱えられたヒロヤ君は、無言でコクリと頷いてくれた。
すぐにショゴスの反対方向へ走り出す。
ぐんと加速。
この次元に取り残された人はあと四人、ベルの話だと全員一箇所に固まっているみたい。
そこへ一度合流しよう――――!
■
ショゴスとの距離を引き離し、更なる追撃がないと判断してから少しずつ走る速度を緩めていく。このくらいなら、舌を噛む事はないかな。
「ねぇ、ヒロヤ君。なんであの怪物に近づいたりしたの? 大ケガしちゃう所だったんだよ?」
気になっていた事を聞いてみる。けど、しばらく待ってみても返事はない。
……無理もないかも。この子からしてみれば私だって、突然現れた謎の鎧を着た人だしね。
「じゃあ、ヒロヤ君がどこからここまで走って来たのか、教えもらえないかな」
「……がっこう……」
「そっか。 それじゃあ今から一回そこに戻るね。学校に残ってたの、ヒロヤ君だけじゃないんでしょ? みんな心配してると思うな」
「……おねがいします」
質問を変えてみたら上手くいった。
忘れてしまいそうになるけど、なんたって今日は平日の午前中、その答えは予想通りのものだった。
やっぱり、ここまで来た理由が言いたくないんだ。
――『怪獣』……。
日曜日の会話を思い返す。周りに自分の「好き」を理解してくれる友達がいないと落ち込んでいたヒロヤ君。
……出来れば、もっとちゃんと話を聞いてあげたい。
だけど、時間がない。侵攻からはもう三十分近く経っている。
そして何より、無事切り抜けられたとして……この次元で起きた出来事は、私以外、誰も思い出す事はない。
私が勝利をする限り、常識外の怪物など居ないと記憶は擦り合わされる。
それがこの世界の防衛措置。
――つまり、私がなにかを伝えた所で意味はない。
…………。
そう考えてから、胸のどこかに隙間が空いてしまったような感覚に気が付いて。
私は頭を振って、必死にその感覚を意識から締め出した。
ヒロヤ君が、少しびっくりたように私の顔を見ている。慌てて「ごめんね、なんでもないよ」と弁解してから、学校に残っている人達の様子など、少しずつ質問を重ねていく。
――そうだよ、人の命がかかっている。私が、守らなくちゃいけないんだ。
だからこんなこと思うなんて……ダメ。
誰も私の事に気が付かなくても。この戦いを覚えていないとしても。
私のしているこの戦いが、寂しいものなんてそんな事……。