Action.14 怪獣を愛する少年
少し不思議な夢を見た。
俯瞰のようで、主観のような。全部がフワフワした夢だ。
温かい母の膝の上に座る幼い自分。
テレビに映る、ヒーローを観ている母の顔を、振り向きぎみに眺めている。
画面に向けられた瞳の輝きは、わたしには絶対に向けられない色をしていて……。
「ねぇお母さん、お母さんは、ヒーローさんが好き?」
だからその質問の始まりは、少し嫉妬に近いものがあったのかも。
「うん! 沙月はあんまり、好きじゃない?」
テレビ画面から目を離してこちらを見ると、返事と同時にそんな事を聞いてきた。
その時のわたしが、あまり楽しい表情をしてなかったからかもしれない。
少し考えてから、小さく首を傾げた。「わかんない」という意思表示。
「お母さんは、ヒーローさんを好きな人が、好きなの?」
うわ、面倒くさい子どもだな、って。
この夢を見ている私は、そんな醒めたことを思ったり。
「ううん、違うよ」
そう言ってから、言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。
「お母さんがヒーローを好きなのはね、本当に大切なものを守るんだっていう、気持ちを教えてくれるから。観ているみんなをね、『頑張れー!』って、応援してくれているの」
言葉の意味は、よく分かっていなかった。
だって、戦うのは、頑張っているのヒーローで、だから応援しなくちゃいけないのは、わたし達の方なんじゃないの? って。
幼いわたしはそのモヤモヤを、上手く言葉には出来なかった。
「お母さんの一番大切な人はね……沙月。あなたが私の宝物。でも、沙月はね、お母さんと一緒じゃなくてもいいの。だって、みんな違うんだもん」
母は後ろからわたしをギュッと抱きしめて
「沙月の好きなものはなに?」
そう言った。
さっきから難しい事ばっかりなお話。
でもこの質問への回答はすごく簡単だったから、これには自信満々に答えられた。
「お母さん! ……あっ、あとね。保育園でね、ふみちゃんと一緒に遊ぶの!」
「……そっか。うん、じゃあその気持ち、いっぱい大事にしなくちゃね! 沙月がもっと大きくなったら、もっとたくさん、好きな事ができるから」
「うん!」
わたしは大きく頷いた。
「沙月の好きなものは、沙月じゃなくちゃ見つけられないの、それがあなたを作ってくれる。だから、忘れないでね。何かを好きって思える事は、それだけですごく素敵なの。なにがあっても……そんな自分を、信じてあげて」
その意味はまた理解出来なくて、わたしは再び首を傾げた。
長く語ってしまった事に気づいた母も「ごめんなさい、難しかったね」って苦笑い。
「今日はこの後、お出かけしよっか? 沙月はどこか行きたいところある?」
「公園いく! ガラガラーッ‼︎ てなるすべり台乗りたいっ!」
高まった声量とテンションのままに母の膝から飛び出して、わたしの後頭部は母のあごへと直撃した。
二人して痛みに言葉をなくし、それぞれ頭と下あごを手で押さえる。
「痛ったぁ……。こぉら、そんなに慌てないの」
「……ッ、ッ」
いまだ涙目のわたしは、ズキズキする頭を押さえながら何度か頷いた。公園は近所にあり、歩けば二十分もかからない。特に準備もしないまま、母娘は玄関から家を出た。
――夢を見ている私の意識は、誰も居なくなったリビングに残っていた。
もしこの夢が、私の記憶から作られたものだとしたら、この視点は有り得ない。
なら、この夢はなんなんだろう。
こんな会話、覚えてない。子供が覚えておくには、今の話はややこしすぎる。
なんだかこれは、記憶じゃなくて。撮影された記録みたい。
■
「う。うぅん……」
《おはようございます、沙月》
「おはよ、ベル……ふぁぁ」
珍しい事に、今日の目覚めはヒーローソングでもサントラでもなかった。
つまりは早起きしちゃった訳だ。
また、お母さんの夢を見た気がする。
だけどどんな夢だったのかは、やっぱりハッキリしなくておぼろげ。
まあ、夢って大体そんな感じだけどね。
今日は日曜日、まだヒーロータイムには余裕があるけどどうしようかな?
なんて考えているうちに、ぬくい布団に再び意識を持って行かれそうになる……うん、もう一回寝ようかな。二度寝って、なんでこんなに心地良いんだろう……。
《沙月、今日でちょうど一週間。ヴォイドの侵略はありませんでした。恐らくはあれが同時に送り込める限界なのだと推測します。侵略に必要な『門』の維持が出来なくなったのでしょう》
「ん……」
《以前沙月より話があった、ヴォイドの出現地へいち早く移動する為の手段。『グラーネ』の製作は順調ですが、未だ完成には至っていません》
「んん……」
《次の侵略までの周期を一つの目安として、『グラーネ』製作に使用する魔力を増量する事を提案します》
「……ん、そうだね。いいんじゃないかな」
《では、スヴェルギアの装甲転換について――》
うん、やっぱり起きますか。
私は今度こそ意識を覚まして、ベッドから足を下ろした。
朝の準備を終え、朝食を軽く食パンで済ませてから、テレビのスイッチをオンにする。
女性アナウンサーが真っ赤な花束を手に持って、笑顔をこちらに向けていた。
〔――の日と言えばこちら。カーネーションですが、皆さん知っていましたか? カーネーションの花言葉、実は色によって違うんです! そこで今日の特集は――〕
ああ、そっか……今日は。
〔皆さんも今日、母の日に、日頃の感謝を伝えてみませんか?〕
《沙月、どうかしましたか》
「ううん。別に、なんでもないよ」
だからか、今日、文香を美術館に誘ったのにやんわり断られちゃったのは。
そんなに気にする事じゃないんだけどな。
正直この日をどう扱えばいいのか、未だに距離感……? がわからない。
気持ちを切り替える為にグッと伸びをし、今日の予定を考える。
「んー。今日はとりあえず、部屋の掃除をしよっかな。その後でさ、ベル。ニチアサ観てから私と一緒にお散歩しない?」
いい天気だし、あんまり部屋に居るのもね。
今日はスーパーに買い出しにも行かなくちゃだし、のんびり外をブラブラするのもいいかなって。
《確か、テストが近いのでは》
「それはまあ、ね。あれ……ね。大丈夫!」
《でしたら私は構いません》
「よしっ! それなら早速掃除から始めましょう」
《今からですか。ヒーローが始まるのではないですか》
「多分、間に合うんじゃないかなー。普段使ってる部屋でもないし」
そんなこんなで、私の休日は幕を開けた。
■
諸々を終えて散歩に出た私達だったけど、元よりルートはノープラン。とりあえず、普段通る通学路とは逆方向へ歩き出した。
「いやー、今週はマスカレイダーが熱かったよね!」
話数的にこれからなシキレンジャーとチユプリに比べて、マスカレイダーはもう中盤、見せ場の話も多くなるんだ! なんて話をしながらぶらついていると、遠目に見覚えのある風景が入ってきた。
「あ、あの公園」
そこは昔、よくお母さんや、たまに文香と遊びに来ていた公園だった。そういえば高校生になって戻って来てからは、全然見かけてなかったな。
学校の方向も、普段通うスーパーとかコンビニも、全部反対側だし……こんなに近いのに、すごく久しぶり。
《どうかしましたか》
「うん。ここで昔よく遊んでたんだ。前はもっと色々あったはずなんだけど」
私の記憶が正しければ、長いローラーを滑るすべり台やジャングルジムとか、もっと多彩な遊具があったはず。それらは姿を消してしまって、ブランコと小さなすべり台、それから砂場だけ。
「撤去されたのかなー、だいぶスッキリしちゃってる」
私が帰って来た頃にはもう、こんな風になってたのかな、少しさみしい。やっぱり思い出はいくつかあったから。
公園の中まで足を踏み入れて、一通りぐるりと見回した。
そして、ブランコがひとつ、キィキィと音を立てて揺れている事に気がついた。
男の子が一人乗っている。
新一年生かどうかってくらいの幼い少年。
俯いた顔は、グッと何かに耐えているみたいだった。
「あの子……」
《知り合いですか》
「ううん。違うけど……泣いてる?」
辺りに他の人は見当たらない。
親御さんはいないのかな、一人で出歩くにはまだ小さすぎるでしょ? 私は男の子の方に歩き始めた、さすがに放ってはおけないよね。
「こんにちはっ」
声をかけられた男の子は私に全く気付いてなかったみたいで、ビクッと身を震わせた後、こっちを見た。
「……こんにちは」
答えてまたすぐ目を伏せる。
でも、一応は返事をしてくれた事にホッとした。
「となり、使ってもいいかな?」
男の子はなにも言わない。
それを肯定だと受け取って、隣のブランコに腰を下ろす。少し強引な自覚はあるけど、この方が話しやすいししょうがない。
「お姉さんはね、沙月って名前なんだ。君のお名前も教えてもらえないかな?」
「……ヒロヤ」
「ヒロヤ君かー、いい名前だね。ヒロヤ君はさ、いくつ? どうして一人でここにいるの? お父さんとかお母さんは?」
「…………」
う、気まずい。そもそも質問責めが良くなかった……しまったなぁ。
そもそも、初対面の小さい子を相手にどう振る舞うのがいいんだろ。先週も男の子と話す機会はあったけど、今回みたいな一対一じゃなかったし。
弟の居る、クラスメイトの小野田さんとかだったら上手く話が出来るのかな?
――いやいやダメダメ。年上として、もっとしっかりしなくっちゃ!
《沙月。彼が握り込んでいるもの、どこか見覚えがありませんか》
「え?」
ベルの声に釣られてヒロヤ君の手を見ると、確かにブランコの鎖を掴む手に、何かが握り込まれている。
親指サイズ(大)のフィギュア。
尻尾の形しか見えないけど。
「ね、ヒロヤ君。それって『ザウルゴーン』だよね。『ウルティマ・ガイ』に出てくる」
それまでずっと素っ気なかったヒロヤ君が、ピクリとその単語に反応する。
――『ウルティマ・ガイ』
それは土曜の朝放送している巨大ヒーロー作品の名前であり、そのままヒーロー自身の名前でもある。
ニチアサに並ぶこの国の代表的なヒーローシリーズで、ビルよりも大きい巨人のヒーローだ。
ヒロヤ君が持っていたのは、そのウルティマ・ガイに登場する怪獣だった。
「好きなの? ウルティマ・ガイ。私はね、好きなんだー」
まさかの私的ドンピシャな話題に、思わず話を振っていた。
「……えすぜっと」
「ん?」
ヒロヤ君から返って来た言葉は、イエスでもノーでもなかった。
「これ、ザウルゴーンSZだよ。パルゥパ星人に、かいぞうされた強いヤツ」
そして手に持ったフィギュアをずいっ、とこっちに見せてくれる。それは確かに身体の一部が機械化された『改造巨獣・ザウルゴーンSZ』だった。
「詳しいんだね」
「うん。ウルティマ・ガイよりかっこいいんだよ!」
「へぇ〜、そうなんだ!」
……なるほど、怪獣が彼にとっての本命だったんだ。
少し元気が出たように見えたヒロヤ君、だけどまたすぐにシュンとうなだれてしまった。
「どうしたの?」
「今日、遊んでたら、みんな変なのっていうんだ。怪獣が好きなんておかしいって」
「……」
……なるほど、それで落ち込んでたんだ。
実際のところ、『ウルティマ・ガイ』シリーズに出てくる怪獣は人気が高い。
長い歴史の中で着ぐるみや設定のマイナーチェンジを繰り返しながら、ヒーローであるウルティマ・ガイと共に親しまれて来たし、怪獣メインの企画もたくさんあるくらい。
必ずしも敵じゃなかったりと個性も豊か。
もちろん侵略者だったりもするけど、それも含めて『ひとつの生命』として、怪獣が好きでも全然変じゃないし、人によってはヒーローよりも魅力的に感じたって不思議だなんて思わない。
でも、それは私が大きくなって、色んな考え方を知ることが、調べる事が出来たから解る事。
もっと小さい頃の自分にとっては、周りの人が全てだった。もしその周り人達が、たまたま「変だ」って言う人しか居なかったら……。
「このザウルゴーンSZ、もらったんだ。いらないから、あげるって……」
「そっか」
自分が子どもの頃の事を思い出した。
私が保育園に来た頃、文香は眼鏡の事でよく男の子達にからかわれていた。
もちろんからかわれるような事じゃない、だけど偶然、その組で眼鏡の子が一人だけだった……それだけの事。
それだけで、ひとつの世界が出来上がっちゃう。
今日会ったばかりの子の環境を、わかった気になるつもりはないけど……どうしても、その時の事がダブってしまった。
文香へのからかいはすぐに収まった。多分、理由はないんだと思う。時間が解決する事、なのかもしれない。
「私もね、ザウルゴーン好きだよ。背中のトゲトゲがカッコいいよね!」
「SZ。……こっからね、電気が出るんだよ」
それからはしばらく、怪獣についてのお話をした。
ヒロヤ君はすごく怪獣について詳しくて、白状すると、途中から私は普通に楽しくおしゃべりしていた。
ウルティマ・ガイが嫌いな訳じゃないし、悪い怪獣がやっつけられちゃうのは、しょうがないとも思ってる事。
ザウルゴーンの改造はシリーズによって設定が全然違う事や、SZを省略したら怒る事。
それにザウルゴーン以外の好きな怪獣。
厄介な能力を持っているよりも、力持ちな怪獣が好きだって事も話してるうちに分かってきた。
やがて陽が空の一番高いところに達するまで、そのお話は続いた。
「ふぅ、いっぱいお話しちゃったな」
「……ぼく、もう帰らなきゃ」
ヒロヤ君はそう言って、ブランコから立ち上がった。
「そっか、お家はどこなの?」
「あっち」
すっと指差して家の方向を教えてくれる。
みんなと遊んでから、どうやって一人で公園に来たのか、どうして家に帰らなかったのか。
その理由はもう聞かなくていいと思っていた。
帰りたいって思ったなら、それでいいかなって。
「じゃあおねえさんと一緒の道だ。ね、ヒロヤ君、私も途中まで一緒に帰っていい?」
《いいえ。帰るのであれば、そちらは真逆の方向です》
「いいよ!」
無視する事になってしまって、ベルには少し申し訳ない。弁明は後でするとして、私もブランコから立ち上がり、ヒロヤ君に手を差し出した。
「じゃ、行こっか」
コクリと頷いたヒロヤ君は、私の手に気づかなかったのか、くるりと身体を回して公園の出口に駆け出した。
「おねえさん、こっちー」
「あ、走っちゃダメだよ! 外、道路だから気をつけて!」
私も小走りで後を追う。
それからの帰り道も怪獣についてのお話をした。
結局、私に出来た事はそれだけだったけど、ちょっとは元気になってくれたみたいで嬉しかった。
最初、昔と変わってしまった公園を見た時は少し悲しかったけど、結果的にはここに来て良かったなって思えていた。
「おねえさん、またお話しようね! バイバイ!」
「うん、またね! でも、もう一人でお外に行っちゃダメだよ?」
別れ際の挨拶。
今日、公園を通ったのは偶然で。
そもそもヒロヤ君くらいの歳の子が一人で外を出歩くような事、あっちゃいけないと思う。
私は返事をしながらも、そんな機会はないかもしれないと思っていた。
■
二日後の火曜日、『奴ら』は再びこの世界への侵略を始めた。
前回の襲撃から九日、それが最大戦力を送り込んだ後のインターバルだと判明した。
無人となった教室から、私は窓の外を見る。
坂の上にある学校からは、広がる街並みをずっと遠くに見る事が出来た。
街の中に、真っ黒い山が生えている。
周囲の民家の三倍以上大きい。その型はずんぐりと丸っこい、まさしく小高い山のよう。
「な、な、何、あれ⁉︎ あんな大きい……あれ、ヴォイドなの⁉︎」
《あれは、恐らく無形の粘体。ですがあれほどの大きさは未確認です》
「そんな……! じゃあどれだけ強いのかもわからないって事? スヴェルギアで戦えるの⁉︎」
あんなのはもう、怪獣だ。
鎧でどうこう出来る相手には見えなかった。
混乱する私に反して、ベルはあくまでも冷静に対応する。
《説明は、移動しながらがいいでしょう。世界から、取り残された人がいます》
「え、うそ。そんな……」
《人数は五名、全て一箇所に集まっているようです。ショゴスは機動性が極めて低い、ですが急いだ方がよろしいかと》
――迷っている時間はない!
「……わかった! 行こう!」
《では、起動呪文を》
私は魔力の鎧を身に纏い、窓を叩き割って飛び降りる。
向かう先、助けを待っている人が、まさか出会ったばかりの少年だとは、その時は思いもしなかった。
作中に登場する架空のヒーロー作品「マスカレイダー」シリーズ。各ヒーローは「レイダー〇〇」と呼称されていますが、これは敵役と力の源が同じである、という皮肉的な意味合いがあります。
説明するつもりはなかったんですが、まさか現行作品に「レイダー」が登場するとは……汗