花魄姫 4-1
声が、愛しい人の声が聞こえた。
「広子!」
「え、きゃあっ?」
美咲を背負っていた薫が、突然血相を変えて走り出した。頬や背中にじんわり流れていた汗が跳ねて、後から後から汗が噴き出る。
急に早くなって驚いた、慌てて美咲はしがみつ力を強くした。
「どっ、どうしたの薫っ?」
「広子の声がしたっ、近いぞ!」
「ええっ?」
それマジッ、と言い終わる前に薫はスピードを上げた。女の子を背負っているにも関わらずその足は早い。
「ちょっ、早いって薫!」
「おい妖怪がいるぞっ、んんっ?」
「どうしたのっ?」
「様子がおかしいっ・・・・あれは、池か?」
「池っ? それって白なんとかっ?」
「恐らくなっ、奴等池の方を見てるっ。もしかしたらっ、いやっ、あれは広子だ!」
薫は見つけたらしい。ちょうど、山姥と天女の脇をくぐるように、駆け抜けた。
「広子!」
汗まみれになって叫んだ。呑気に六個目のおにぎりを食べていた広子は、大きく開けかけた口を閉じ、幼馴染み二人の姿を見て、
「薫ちゃんっ、みーちゃん!」
おにぎりを出していた紙の取り皿に置いて、駆け寄る。少しの間離れただけだったのに、長いこと離ればなれになっていた気分だ。
三人は抱き合うというよりも、ほとんどぶつかり合うようにして一緒になり、再会を喜ぶ。
「うわっ、凄い汗っ。みーちゃんどうしたのその足!」
「良かったっ、本当に良かったっ」
「あはは・・・・ちょっと転んでね。あぁ、そんな顔しないでっ、けっこー平気だからさ」
「そうなの? あ、私その荷物持つ、よ・・・・」
鞄を受け取ると、自分が買った鞄がなかった。
不思議な顔をする広子に、申し訳なさそうに美咲は謝罪する。
「あー、ごめん。なくしちゃって」
「そうなんだ、でもいいの。みーちゃんたちが無事なら」
気丈に笑みを浮かべた。バッグなんてまた買えばいいからと、幼馴染みの髪を撫でてやり、
「それよりお腹空いてない?」
弁当を置いている方に案内する。すると真っ先に薫がに厳しい表情を浮かべた。
強い力で広子の手首を握り、
「美咲」
「うん」
頷いた美咲が、呪符を取り出す。
怪訝な顔をする広子を背中に隠し、美咲は言った。
「おい、そこの妖怪!」
「薫ちゃんっ」
広子は止めようとするが、とっくに食事の手を止めて、警戒心を全身からほとばしらせている花魄姫は、誇り高く堂々と胸を張る。
「無礼者っ、俺様の領地で俺様より偉そうにするなぞ、百年早いわ!」
怒気を露にすると、風が吹いた。
先ほど感じた妖怪の気配を伴う風。
森が騒がしくなる。妖怪たちの気配が一斉に強くなり、改めて、ここが人外魔境の地であると感じさせる。
しかし。
「いやはやほや」
どこかで聞いた声が、風を遮った。
美咲の鞄から、例の妖怪の伝言板とも呼ばれる巻物がひとりでに宙に浮いて、ちょうど真ん中の位置で止まる。
花魄姫が首を傾げた。
「お主は五郎左衛門?」
「左様でございます」
ポンッ、と音を出して煙が出る。現れたのは、三人を呼び寄せた張本人、山本五郎左衛門だった。
「お前っ」
薫が積もり積もった怒りを叫ぶ。
お前今までどこにいたっ、と続けたかったのだが疲れもあってそこまで言葉が出ない。
代わりに美咲が言う。
「えっ、もしかして山本五郎左衛門っ? ちょっとあんた今までどこいってたのっ!」
こっちは足をくじいたんだけどっ、と怪我をした方の足を見せて抗議も付け加えた。
五郎左衛門は笑いながら、それは貴女が勝手に転んだことですよ、と気にも止めてない。こういう所は妖怪らしいと言える。
幸い美咲には聞こえない。薫は呼吸を整えるのに必死で言葉を伝えなかったが、この場合は伝えなくて良かっただろう。
「そこをどけ五郎左衛門っ」
花魄姫が凄む。
けれど、五郎左衛門はいやはやほやと笑ってこれを受け流すと、
「主様、この者たちが例の」
顔の、妖士の面は三人の方を向けて、頭を深々と下げる。
花魄姫が、怪訝な顔をする。本当かと首を傾げた。
「つきましては、どうでしょう腹も空いたことですし、この者たちが持参した弁当を食べながら話をするというのは。きっと楽しいものになるかと存じます」
五郎左衛門はそう提案すると、それを聞いた薫は混乱する。
「どうしたの、薫ちゃん?」
広子が訊ねる。
「いや、私たちを呼びつけた妖怪が出てきて、飯を食いたいって言ってるんだ」
「ああっ、それ良いねっ。私もね、さっきまで妖怪さんと食べてたんだよ!」
ねっ、妖怪さんっ。と、弁当を置いている方向に向かって同意を求める。
姿も声もわからないけれど、多分そこにいるだろうという当てずっぽだった。花魄姫もまさか声を掛けられると思ってなかったようで、
「うっ」
頬を真っ赤にして呻き、
「な、馴れ馴れしくするな人間!」
慌てて顔を逸らして、わめく。
そういう様子を見た薫は少し悩む。
これまでの妖怪のように、広子を狙っているのではないのか。だから二人の目を盗んで広子を拐ったのでは、と。
しかし解せない点もあるにはある。
広子が目的なら、自分達を連れてくる必要はないし、連れてたとしてももっと妨害をするべきではないのか。わざわざ方向を伝えたり、妖怪の伝言板の巻物に化けたり、そもそも妖怪たちに敵意がないのはなぜ?
目的が見えない。結論を急ぐべきではないと感じている。
薫は溜め息を漏らし、
「・・・・私もお腹が空いたから、広子の弁当食べたいな」
「本当っ?」
美咲が驚くが、広子ははいはいっと手を挙げる。彼女がそうしたいなら、そうするしかない。美咲は観念して、
「ウチもウチも!」
「では、ご一緒してくだされ姫」
「むぅ・・・・うん」
口ごもりながら同意する。
素直な反応を見た五郎左衛門は、意外そうにおやおやと、言葉を漏らした。
これはこれは大変面白いことでござまいますね。
そういう表情を仮面の下で浮かべていた。