花魄姫 1-1
それぞれ役割のある三人による、ちょっとした非日常です
昼休み、 教室の窓際でパンをかじっていた薫が、
「あっ」
少し驚くと、対面の美咲が怪訝な顔をする。
「また?」
「左肩に一匹」
と呟く。
美咲からは広子の小さな肩には何も見えないが、彼女はアクセサリーで飾られた学生鞄に手を伸ばし、クシャクシャになった紙を一枚取り出す。
「破」
美咲は呟いて、紙を左肩に貼ると紙は青白い炎を出して燃えた。
「もう平気」
ふぅーっと息を吐いて安心した薫は頷き、美咲も溜め息を漏らす。
「今月多くない? 今日だけでもう二十匹越えるんじゃない? 癪だけどパパに助っ人頼もうか?」
「そうしてもらえると助かる」
「新しい百鬼夜行が来てるのかもね」
「見覚えのない奴も多いしな。よし、今夜辺り広子の家に泊まるか」
言って、薫の顔がにやけた。こういうときの彼女はすこぶる残念な表情をする。
美咲は下心見え見えじゃんと思ったが、肝心の広子は二人分はありそうな弁当にご執心らしい。
薫から視線を移して、広子の方を向いた美咲は何かに気づいた。
「ねぇ広子、こっち向いて」
「・・・・んん?」
箸を口に入れたまま止まる広子。唇の端に米粒がついていて、美咲はあははっと笑いながら米粒をすくう。
「ごちそうさま~」
口に入れて、美咲は悪戯っぽく笑った。
広子もつられて無邪気にあーっと笑い、も~っとポカポカ友人の胸を叩く。
薫はその二人のやり取りを、羨ましそう見つめ、親指の爪を噛んだ。
そんなとき。
「おぉ~い! たのも~!」
開いた窓の向こうから、芝居がかった老人の大声がする。
不機嫌そうな顔で薫だけが振り向いた。楽しそうにじゃれあってる広子や美咲、教室の中でそれぞれグループを組んで食事をするクラスメイトたちは気づいていない。
青空の中に、黄色い雲が宙に浮いる。その上には能楽で使われる妖怪に類する者を現す怪士の面を被り、鹿のような角を二本生やす人物が座禅を組んでいた。
面を被っているが、僅かに覗く瞳の色は血のように真っ赤だ。雲よりも白い髪をオカッパにし、耳より少し上の側頭部にそれぞれ角が生えている。
「いや~、いやはや、はやはやはや」
声は上機嫌で、雲はまっすぐ三人の方へ近寄って来た。
薫は表情を強張らせ、呑気にいちゃついてる幼馴染み二人の方を向く。
「美咲、用意して」
「あはははっ・・・・え?」
「変なのが来てるっ、窓の向こうからっ」
周りの生徒に怪しまれないよう声を押さえて伝える。
だが、美咲は緊張感が薄かった。マジでっとこぼして、名残惜しそうに広子から離れる。
「・・・・んとに鬱陶しい」
とぼやきつつ、鞄に手を突っ込んで呪符を三枚取り出して一枚を窓に貼り、
「結」
と唱えた。
呪符から流れ出た光が窓全体を覆う。
陰陽道で言うところの結界と呼ばれる術で、魔に属する者の侵入を防ぐ効果がある。これにより怪士の面を被った者は侵入が出来なくなり、窓の前で雲を止める。
「おほ~、これはこれは!」
「よし、これでオッケー」
満足そうに頷く美咲は、代々続く陰陽師の元継承者だ。彼女は術技だけなら、平安時代の大陰陽師に匹敵すると言われていた。
しかし美咲には致命的な欠点がある、彼女には悪霊や妖怪などの存在を見たり会話することが出来る、見鬼の力をまったく持たないことだ。
これがなければ、いくら術を極めても意味がない。
その点、薫にはその才能があった。それもここ百年のうちで最も優れているとされる。
だから彼女だけ怪士の面の者を発見できたが、その反面陰陽道に関する一切の才能はまったく持ち合わせていないのだった。
美咲の父からも、鍛えても意味がないと太鼓判を押されたことがある。
それを知ってから知らずか、怪士の面の者は、薫の方を向いて話しかけた。
「ほっほ、どうか話を聞いてはくれないだろうか、見鬼の娘」
「薫、何か言ってたりする?」
「話を聞いてくれと」
眉を寄せて、薫は警戒を解こうとしない。
何かあれば、すぐにでも広子を連れて逃げる準備と決意は出来ている。
ただ当の広子は食べ終えた弁当箱に手を合わせ、満足そうに微笑んでから二人の様子に気づいて、呑気に首を傾げた。
「二人とも、何かあったの?」
「妖怪が窓の向こうにいる」
「ウチらが何とかすっから」
「そうなんだ。でも、二人が危ないときはすぐに言ってね? 私もお弁当箱ぶん投げて戦うから!」
中身がほとんどなくなっている大きな弁当箱を抱えて、広子は顔にむうっと気合いを入れる。
けれど、二人はおかしそうに噴き出した。
「いや、それは無理だろうな」
「そうそうっ。絶対後でお腹空いてきゅーきゅー鳴ってるよ」
「もー! 馬鹿にしないでよ!」
広子は子供っぽくムキになって反論するが、表情は二人のように笑っている。
ちょっと面白かった、お陰で少しリラックス出来た。
薫と美咲の二人は、怪士の面の者が狙っているのは広子だと考えている。それには理由があった。
広子には、妖怪を惹きつける魔縁という特別な力がある。時代によっては妖怪の総大将になった者もいるが、多くの場合は喰い殺されるのが常だ。
先ほど広子の肩にいたのはそうして惹かれた妖怪の一種、そして窓の外にいるのも恐らく惹きつけられた妖怪だろう。
怪士の面は言った。
「某は、白詰池の主にして龍神であらせられる花魄姫様に仕えし家臣、名を山本五郎左衛門と申しまする。この三日、貴女方に我が手下を幾人も送り込み、お力を拝見させていただいた」
何だって、と薫は眉を寄せる。つまり、最近寄って来ていた妖怪のほとんどはこいつの部下だったのか。
警戒心は高まるが、そういう反応に対しても構わず、
「貴女方に、我が主、花魄姫様に謁見していただきたい。なぁに、ただ世間話をするだけで構いませぬ。姫は長年引きこもっております故、話し相手を求めておりまする。退屈は人であろうと妖怪であろうと病のように辛きもの、どうか姫の病を治すと思ってお力をお貸し願えぬだろうか?」
怪士の面が深々と頭を垂れる。
花魄姫とやらがどのような妖怪かは知らないが、この山本五郎左衛門はそれなりに力があると思って良いだろう。
頼みである、ただ世間話をする、にしても単純にそれだけではない気がする。断れば報復の可能性は考えられる、妖怪だからという理由以外に、百鬼夜行の長から受けた話を断ると嫌がらせが頻発したことが実際にあった。
しかし今回の場合は、仮に受けたとして最大限の警戒と対応は必要だ。胡散臭い上に、妖怪たちの主の元に赴くわけだから。
「美咲」
「ん?」
薫は五郎左衛門が言ったことを伝えると、彼女は表情を変えて動揺する。
「花魄姫ってこの辺りの妖怪の大元締めじゃん、んでその山本五郎左衛門は江戸時代とかの本に載ってた有名な妖怪なんよ。うぇーマジでか、どうしよやっぱパパに頼まない?」
陰陽師の家系だけあって詳しく、その分驚異であることを良く知っていた。
薫も流石に不安を隠しきれない。
そこに。
「あいや、待たれい待たれい」
五郎左衛門が言葉を入れてくる。
彼は、慌てる子供を落ち着かせるような口調で、語りかけてきた。
「某、平太郎との誓いゆえ人を試すことはあれど、進んで苦しめるようなことはなさいませぬ。ただ貴女方の人となりを拝見し、その上で、是非ともお頼み申し上げたいことがあったまででございまする。然るに、貴女方から配下を送りつけていたことで恨まれることは重々承知しております。もしも某の頼みをお聞きなさいますなら、某と五千の手下の命を差し上げる覚悟はございます」
彼は穏やかに言い終わると、恭しく平伏して見せた。
驚いたのは自分達の命を差し出すという、時代劇の中でしか聞かないような時代錯誤な台詞。
つい呆気に取られ、薫は行動がワンテンポ遅れながらも、
「ちょっと待て美咲」
慌ててスマホで連絡を取ろうとする美咲を制止する。
大袈裟に言うのではなく、さらりと言ってのける部分に信憑性を感じた。
「話に乗ってみて構わないと思う」
「マ、マジで? マジで言ってんの?」
「ああ」
動揺を隠さない美咲に、薫はしっかりと頷いて見せる。
五郎左衛門は、かたじけない、と再度頭を下げた。
これまで妖怪から何かを頼まれることは何度かあり、例えば高熊山のワロドン、製花通りの兵六、岩川の弥五郎などがいる。皆この辺りでは名の知れた百鬼夜行の頭領で、彼らの頼みを聞いてからというもの、広子に近寄る妖怪はかなり減った。
この辺りの大元締めということは、広子の安心を得るために大いに必要なのではないか。
「話をするだけなら構わない、と私は思う。美咲は?」
「う~ん、まあね~。広子が無事ならウチも超嬉しいってか、けっこう悪くはなくないって思うな。でも妖怪を百パー信用はしないから」
「それで十分、広子はどう思う?」
美咲は、いつの間にか食べ終えている弁当箱を鞄に戻す広子に訊ねた。
彼女たちが決めても、魔縁を持つのは広子だ。彼女がうんと言わなければ意味がない。
二人の話を聞いていた広子は、そうだねと前置きを入れてから、鞄から出したおやつの板チョコをかじると、
「みんなが良いなら良いよ。でも二人が危ない目に遭うなら、絶対断ってね? 絶対だよ?」
珍しく真剣な表情をして、またチョコをかじる。
二人は広子の珍しい凛々しさに胸をときめかせつつ、五郎左衛門の方を向く。
「おや」
山本五郎左衛門は嬉しげな様子だった。あまり騒ぐと他のクラスメイトに注目されるので、美咲はノートにピンクのマジックペンでわかったと書いて見せた。
「かたじけない、まことにかたじけない」
深々と頭を垂れ、それでは何時がよろしいか、と訊ねる。
今日は金曜日。
土日は休みで、来週の月曜日は振替休日で学校はない。
だから明日の朝に美咲の家の前に迎えに来い、と薫がノートに書き足す。
美咲の家の前ならそう簡単に悪さもできず、怪しい動きを見せたらすぐ祓えるように。
「よろしいでしょう、ではまた後日に迎えに参上いたします」
と告げて、雲の向こうに消えていった。