2話 追跡
マジックミラー越しに観える男の様子は実に楽観的なものだった。
見知らぬ一般人に犯行を阻止された挙句、仲間にすら見捨てられ敢えなく逮捕されたとは思えないほど悠々とした態度をしている。少なくとも、バーナード・アルガーン刑事にはそう見えた。
パイプ椅子に浅く腰を下ろし、背もたれに最大限寄りかかった姿勢で取調室に座る男の名はバリー・ハートレイ。
強盗の常習犯であり、2年前のネオポリス銀行強盗事件で唯一逃亡に成功した男。当時逮捕されたバリーの共犯者は、殊勝な事に彼の名前も顔も明かそうとはしなかった。故に、現在まで行方をくらます事に成功していたのである。
取調室から出てきたギルバート・ダルトリーが、渋い顔をしながらバーナードに近付く。ギルバートはブロンドにも近い茶髪を撫でながら言った。
「収穫はありませんでした。逃亡した共犯者については……ただ、家族思いで悪い奴じゃないんだと、その一点張りです」
「下らんな」
バーナードは口早にそう返す。
「あと……課長の髪、どれくらい伸ばしたらそうなるんだって言ってましたね」
「あぁ?」
バーナードが片眉を吊り上げながらギルバートを睨みつける。
「……いや、俺が言ったんじゃなくて、バリーっす。睨む相手はバリー・ハートレイですよ」
腰まで伸びたボサボサの長髪はこの男にとって願掛けの意味を成しており、同時にトレードマークでもあった。特別な理由が無い限り、バーナードはこの髪を束ねようとすらしない。
会話の最中、二人のやり取りは短いノックの音によって遮られる。
「失礼します」
取調べ2号室に入室してきたのは、書類を挟めたクリップボードを片手に握るアニー・キャンベルだった。
アニーは肩に付く程度の長さをした黒髪を耳にかける。すると、前髪に隠れていた右眼の眼帯が露わとなる。それは彼女のトレードマークでもあった。
「今回の事件で、バリー・ハートレイの逮捕に貢献したジュンイチ・サイトウについてですが、報告したい事が」
「話してくれ」
バーナードは手近な椅子に座り、アニーの方を向く。アニーがバーナードに近付くと、ギルバートはそそくさとその場から退き、道を開ける。
「ジュンイチ・サイトウは現在Kanto central college(関東中央大学)に通う大学生。学歴や素行について調査したところ特に問題無いとの報告を受けましたが、興味深い事に、彼には逮捕歴がありました」
「何をやらかした」
「交通事故を起こしています。また、少女を轢殺した容疑がかけられていましたが、それを否認。弁護士の証言により検死の結果が意図的に伏せられていたという事実が明らかとなって、裁判で勝訴。Central east prison(中央東刑務所)を釈放されています」
「東か……」
バーナードの顔付きが険しくなる。
中央東刑務所についてはあまり良くない噂、というよりは逸話が多い。中央東刑務所の受刑者が結託して暴動を起こし、日本州駐在のFBIが出動したという事件は記憶に新しい。更にはその事件が起こる以前から、出所した者の大半が廃人同然の状態になっているとか、所内では発狂して自害する者が後を絶たない等、気味の悪い話題ならば幾らでも思い当たる。
「暴動には?」
「ええ、豚が喚き暴れた時期と重なりますが、ジュンイチ・サイトウは関与していなかったそうです。なにせ生きていますし」
机に手を付いて寄りかかりながら、隣で話を聞いていたギルバートは哀れむような表情をして言う。
「可哀想に」
「更に面白い情報がありまして」
構わずアニーは続ける。
「彼の弁護人を務めた弁護士について……名前がアドリエル・マーキュリー」
「!!」
バーナードが目を見開く。
「不審死したアドリエル・マーキュリーの遺体を例の男が発見し、我々が捜査したのは丁度3ヶ月前でしょうか……ジュンイチ・サイトウが釈放されたのは、捜査開始より二週間程前になります」
「関与していると見たか」
バーナードは、眼帯で隠されたアニーの右眼を見つめてそう言った。
「ええ。私はそう思います」
「……良くやったアニー。ったく、厄介な事を……アイツ、何を考えていやがる」
舌を鳴らすバーナードに、ギルバートが付け加えるように言う。
「スヴェン・シジマさんでしたよね」
「言うまでも無い。学生にまで付け入るとは、全く食えない野郎だ……鼻からわかっちゃいたが」
「どう動きましょう?」
アニーがそう問うと、バーナードは取調室の中で何度も座り方を変えては呑気に欠伸をしているバリーを見やる。
「先ずはこっちを片付けないとな……」
――――――――――――――――
取り調べを終えたジュンイチ・サイトウは自宅の扉を開ける。
ジュンイチは比較的新築の3階建てアパートを住居としており、彼の部屋は二階の下り階段に最も近い位置にある。
玄関を上がればユニットバスが間近にあり、同じ部屋に最低限の水周りやキッチンが寄せ集まるような形で設置され、合間に佇む仕切扉の奥には7畳程度の広さをした居間がある。
必然的と言うべきか、家具は必要最低限の物しか見当たらず閑散とした印象を受ける。ジュンイチにとっては狭く広くといった程度が快適であり、現状はこれで満足であった。
ジュンイチは冷蔵庫から炭酸飲料の缶ジュースを取り出しつつ、送迎中にセシリア・アリンガム刑事と行った会話の内容を思い起こす。
〜
「後頭部の傷は大丈夫?」
信号に捕まった際、ふと覗いたバックミラーにジュンイチの姿が映り込みセシリアは何気なく声をかけた。
俯いていたジュンイチはそそくさと顔を上げながら返答する。
「平気です」
「そう、なら良かった。それにしても今回の件、見事な手際だったそうじゃない?」
「いいや、そんなことは……運があったんです。あの席に座っていたのが他の誰かなら、もっと上手くやれていたのかもしれない……」
ジュンイチの声には緊張と後悔が滲み出ていた。元より重低音の如く聞き取り難い声が、後半は刃こぼれした出刃包丁のように掠れていた為、会話を続けるのは非常に難儀な事であった。しかし、セシリアは辛うじてそれを聞き取ることに成功する。
「逃した事、気にしてる?」
「はい……」
「本来は私達の仕事よ。貴方が気負う必要は無いわ」
信号が青に切り替わる。セシリアはアクセルを踏み込んだ。心なしか、発する言葉にも力が加わる。
「たとえ運が良くても、行動に伴うかどうかはその人次第。簡単に出来ることじゃないのよ。貴方は勇敢だったと思うわ。誇っていい」
「……ありがとうございます」
ジュンイチは僅かに間を置いて返答した。どんな言葉を返すべきか迷ったのだ。
たじろぎ気味のジュンイチを他所に、セシリアは茶化すような口調で続ける。
「銃を持った強盗に、なんの躊躇もなくバタフライナイフ一本で抵抗して、手早く凶器を取り上げたうえに、コーヒーをお見舞いするだなんてね?本当に、普通じゃ出来ないわよ」
セシリアは微笑を含めながら冗談めかして付け加える。
「ジュンイチ君、あなた素質あるわよこの仕事」
今まで余所見をする事なく、正面を向きながら会話をしていたセシリアだったが、この一瞬だけはジュンイチに目を合わせた。
ジュンイチも目線を返しつつ、低く重たい声で弱々しい返答をする。
「そう、ですかね」
〜
「普通じゃない、か……」
ボソボソと一人呟いては、味付けの無い炭酸飲料を喉に流し込む。
缶をテーブルに置いたジュンイチはおもむろにバタフライナイフを取り出し、器用に手元で回転させながら連絡を待つ。
暇を持て余す一方で娯楽を嗜むような気分にはなれず、自ずとジュンイチは物思いに耽る。
ジュンイチはセシリア・アリンガム刑事の躊躇無く、という表現が気掛かりでならなかった。セシリアがジュンイチの行動を詳細まで把握していたのは、目撃者からの証言があったからだろう。それ以上の情報源はない筈である。
ましてや自覚があるのだから尚更癪に触る。自分の中にあった筈の何かが欠落しているという実感。今回の一件でその事実が浮き彫りとなった事がこの上なく不愉快だった。
白い菊の花弁をむしり取るように思案を巡らしていた最中、ナイフの切っ先が指を掠めた。その瞬間、服役中の経験が脳裏をよぎる。その凄惨さと来たら、ナイフを突き立てる程度の行動に躊躇がなくなるというのは、至極当然の道理のようにも思えて来る。
手元が狂い、バタフライナイフの回転が安定感を失う。勢いに乗ってガラステーブルの上を踊り出すナイフはその表面に傷をつけたかと思うと、自嘲的な様子で床に転げ落ち、バタバタと地団駄を踏んでその動きを止めた。
ジュンイチは眉間を強く抑えて目を瞑る。
「くそったれ……駄目だ」
目元と眉間に深い溝が浮かび上がり、ジュンイチは固まったように暫し静止する。
目を開ける事が出来たのはそのまま数分が経過してからだった。
深呼吸を行い、バタフライナイフが吹き飛んだ先へと体を伸ばす。
その時、充電中の携帯端末が着信音を鳴らした。端末の画面には[Sven Shijima]と表示されている。
受信したデータのタイトルは[逃走経路予想図]。
付け加えられていたメッセージにはこう書かれていた。
「3件も留守電が入っていたから、大体の自体は把握した。今立て込んでいるから俺は動けない。こいつを頼りに捜索してくれ。ジャミング装置が機能を失っている可能性もあるからGPSも使うと良い。くれぐれも無茶はするなよ」
ジュンイチは例のバタフライナイフをレザージャケットのポケットに放り込み、有事に備えて机の引き出しからM1911と拳銃所持許可証を持ち出すと、風を切るような勢いで自室を飛び出した。
〜
歪な弧を描くネオンが形取っているのはTaninaka ginza shopping street(谷中銀座商店街)の文字。戦後開拓の恩恵を受ける以前の姿を知る者は、口を揃えてこう言う。面影は跡形もなく消え去ったと。
眩い街灯に時間の感覚を狂わされた人々は未だ表通りを練り歩く。
疎らに蠢く大衆に紛れ、レザージャケットを着た大柄な男が一人、同じ順路で同じ通りを徘徊していた。
道行くサラリーマンに声をかければ、目配せされる程度で相手にはされない。
男が行う「怪しい人物を見なかったか」という問いかけは、まさしく彼自身に跳ね返って来るものであった。無論、自覚はある。
男は手近なベンチに座り込み、ゆっくりと項垂れて深呼吸をする。
レザージャケットの男はジュンイチ・サイトウである。
彼が握る携帯端末は道案内の役割を担っているようであり、地図上には四つのばつ印が付けられていた。
得た情報を元に四箇所の予測地点を巡ったという事になるが、GPS信号は一度も検知出来ていない。
電池の消耗が激しい為、起動時間を必要最小限に抑えてあるのも関係しているのだろうか、という考えがジュンイチの脳裏によぎる。
半ばダメ元であったが、彼は此度もGPS信号受信機能を起動した。するとどうか、携帯端末は今までに無い反応を見せる。
「!」
端末がGPSの信号を受信し、発信源の位置を示す表示が画面上に現れたのだ。
跳ねるように立ち上がったジュンイチは、忙しない足取りで表示された地点へと向かう。
導かれるがままに歩みを進めて行き着いたのは、裏路地の入り口である。
見事に街灯の照射範囲から免れており、目視だけで存在に気が付くことは困難であっただろう。そこから立ち入る者を追い払うかのような、鼻に付く鉄錆と水垢の匂いが漂ってくる。
構わず突き進んで行くと、配管で覆われた細道に突き当たった。それらはネズミに食い荒らされた蛇の亡骸の如き様相で足元を這いずり回っている。
携帯端末の懐中電灯機能を頼りにそこを通り抜けた途端、足場が一段、いや、目一杯足を伸ばしても足先が付かない程大きな空間に出る。
辺りを照らす事で明らかとなった光景により、この不可解な臭いも納得のいくものに変わっていった。
建物と建物の隙間に、6畳程度の広さをした空間が存在している。まるで人工的にアスファルトが抉られたかのような痕跡があり、ここにもかつて足の踏み場があったのだろうと推測できる。
見下ろした先には細い足場と、足場に沿うように伸びた下水路のようなものが見えた。水路には幾らか水が張っている。
案の定、GPS機能はこの先で間違いないと言い張って聞かない。
「灯台下暗しというやつだな……こいつの誤作動じゃないことを祈る」
少なからず抵抗感はある。しかし、今更四の五の言っている場合ではない。
ジュンイチは勇んで足を踏み入れた。そこが文字通りの魔窟とも知らずに
//to be continued……