Eddie Arterton
「イラっ……シャイマセェ!」
凄まじいドイツ訛りである。それは最早挨拶というよりも、戦車から撃ち放たれた号砲。初めてこの店を利用した当時のエディ・アータートンは大層驚愕したものだ。今となってはもう慣れた。
知らずに来店するお客様は大抵、自動ドアを通過する前に踵を返すことになるだろう。要因は彼の声量に留まらず、人間離れした風貌も大いに関係しているとエディは推察する。
見る限りこの名物店員の身長は3mを超えているし、鉄板の如き胸板と、甲胄と見紛うほどの肩幅は、彼の左胸に張り付いた名札の存在感を物の見事に消失させている。
目を凝らして紙切れを覗き見れば、そこには可憐なポップ体でBenjaminと記されていた。
しかしながら、たった今入店した男はベンヤミンの迫力に一切動じる事なく、真っ直ぐにエディの元へと歩み寄っていく。
「ジュンイチ・サイトウです」
男は威嚇する猛獣の如く、低く重々しい声調で名乗った。
彼は座席に腰を下ろそうとはせず、胸ポケットから一枚の名刺を取り出しテーブルの上を滑走させる。
氷上のチェスを想起させる緩急をつけて、それはエディの視界の中へと放り込まれた。
[Sven Shijima]
名刺に記された綴りは、たった今彼が名乗ったものとは明らかに異なっている。
「君か……待っていたよ。シジマさんから聞いていた通り、肝が座っているね。私はエディ・アータートン。『VEINS』だ」
エディは顔を上げ、ジュンイチに向けて右手を差し出した。
ジュンイチはエディと握手を交わしながら小首を傾げる。VEINSという名称に聞き覚えが無かったからだ。
ジュンイチの様子を察し、エディは淡々と説明を始めた。
「ああ、VEINSっていうのは、私が勝手に名付けたんだ。スヴェン・シジマを心臓とするなら、我々情報のパイプ役は、静脈のようなものだ……君もいずれ理解する」
「なるほど。イメージは出来ます」
ジュンイチは頷きながら返答する。
「ならばよろしい……君だけが立つ必要はないだろう? 座っていいよ」
エディに促され、ジュンイチはようやく座席に腰を下ろした。
『Sumida ward(墨田区)』の各地に点在するファストフード店のうち、エディ・アータートンが待ち合わせ場所にこの店舗を選んだ理由は、特に無い。
敢えて挙げるとするならば、ベンヤミンは分量の見極めが酷く不得手であるということ。
「偶にポテトが倍増されて出て来る。それも定価で」
エディは手元のポテトを頬張りながらそう言った。
「そう……なんですか」
ジュンイチの表情はピクリとも変化しない一方で、彼の声色には僅かながら動揺が表れている。
エディは炭酸ジュースで口内のポテトを流し込むと、テーブルに肘をつき、殊更に真剣な眼差しを作り出した。
「はっきり言うとね、君も私も、既に後戻り出来ないところまで浸かっているんだ。これは危険が伴う仕事であり、君はその覚悟をして私の前に現れた。そういう前提で話を進める」
「ええ。構いません」
ジュンイチの返答を聞いたエディは一瞬、彼と目を合わせる。
良い意味でも悪い意味でも、若さを感じさせない目付きをしていると、エディはそう感じた。
「前職の知識を元に思い付く限りの事をしている。囮捜査の要領で薬を買い漁ったんだ。勘違いしないでくれよ。私は使っていないし興味もないし、サツに見せるほど間抜けじゃない。もっとも、経験というのは嵌められる側の話なんだがね」
エディは携帯端末をテーブルに置くと、保存された写真をスクロールし、適当な箇所で動作を止める。彼は画面を指差して続けた。
「小型のカメラを頭部に組み込んである。違法の『HBRS(Human body remodeling surgery)』だ。高かったよ、まさしく法外だね。いいか、内緒だぞ……眉毛でレンズを隠している。こいつで汚い面を撮ってやった」
エディは違法薬物の売人を盗撮し端末にデータを移していた、と言いたいのだろう。しかし、ジュンイチが見る限り、エディの携帯端末に表示されている画像は、どう見ても卑猥な類のそれであった。
ジュンイチは視線を使い、「貴方のプライバシーに危機が迫っている」という事をエディに伝える。
「……」
「……」
二人はマリアナ海溝の底に沈んだ。
地平線の彼方よりも水面は高く、故に何処までも脱し難い沈黙であった。
意を決し、先に切り出したのはジュンイチだ。
「非表示設定を、お勧めします」
「……そうしておきます」
エディは携帯端末を手に取り、なにやら操作を行ってから端末をテーブルに置き直した。今度ばかりは正しい画像が表示されている。
「話が逸れてすまない。片っ端から連中を撮ってリスト化してある。映りはあまり良くないが、私が似顔絵を描くより遥かにマシだろう。何処で売買が行われているのかも調べた。君の管轄は、Kanto central college(関東中央大学)とその周辺という事になるが、私のリストにお友達が紛れていないか確認をしてくれ。今データを送信する」
「分かりました」
端末の操作を終えた二人は、互いに顔を突き合わせる。
「重要な情報はまだある。シジマさんが出所を探っている代物の俗称を掴んだんだが……『Sacred offerings』」
エディは声を潜めるようにして言う。
「聖なる供物……」
ジュンイチは復唱する。
「その通り。ふざけたネーミングセンスだが、あちらの界隈ではそう呼ばれているらしい。実は、以前『Junkie』を……なんというかこう……お茶に誘った。指を通したのはコップの取っ手じゃなくて、メリケンサックだったんだけど」
エディは直ぐ側でテーブルの片付けを始めたベンヤミンを一瞥する。
「今度は俺も同席させて下さい」
ジュンイチは真顔でジョークを挟む。彼としては、状況に即したカモフラージュのつもりであった。
「ははは!馬鹿言えよ」
エディも真顔で返す。
「いいか、真面目な話だぞ。結論から言うとな、ビンゴだった」
ベンヤミンが離れて行くのを確認しながら、得意げな笑みを浮かべてエディは言った。
「というと……?」
「供物を摂っていたのさ。僅かだが、身辺情報も手に入れる事が出来た。そいつは急に人が変わったとかどうとか……お陰で、服用者の特徴が見えてきている」
「売人の特定は……?」
「それがな……一番お熱い瞬間に自害しちゃって……いや、語弊があるな。自分の意思かどうかは定かじゃない。とにかく、いきなり死んだんだ。独りでにね。いいかい、私にそんな趣味はないんだよ。お話するのは楽しかったが……」
「死体はどうなりました」
「何もする必要は無かったと言うべきかな。知ってる?深海魚って、水圧の低い場所にあげられると、全身がブヨブヨした感じになるんだけど……アレの口に空気入れを突っ込んで、グリップをピストンさせりゃ、そりゃもうきっと、見事にポーンッ!って……いや、何でもない。忘れてくれ」
エディは手元で細かなジェスチャーをしながら説明を行っていたのだが、自分の発言で気分を悪くしたのか、途中で顔を埋めてしまった。
「魔術ですか」
ジュンイチは上半身を前に押し出しながら問いかける。
「だろうな……シジマさんの見立ては多分当たっている。あれは、裏に何かが居る。それも、ただ金儲けしてるだけの輩じゃない」
「逸脱した連中を相手取るのはこれが初めてじゃない。見るべきものは見てきました」
ジュンイチの口調は非常に冷静沈着なものであった。
見るべきものという表現に、エディは反応する。
「見るべきものね……君、東刑務所に服役していたんだってね?シジマさんが評価するのも頷ける。君は確かに適任かもな」
「喜ぶべきですか?」
「私の前では誇っていい。ただ、一般常識的に言えば、今の君は『Living dead』だな」
「自覚はあります。これ以上ないお言葉ですよ……ただ、膂力を取り戻したからには、生前の埋め合わせをしたいんです。俺は徘徊するだけの腐肉の塊ではありません」
ジュンイチは目を細めた。エディの言葉は彼にとっても的を得ていたものであったが、ただ単に墓場を右往左往するだけの存在では無く、墓から這い出るからにはそれ相応の理由があると言いたげだった。
「分かる。皆まで言わなくともわかるよ。今の君はギラギラしてる。腐臭なんか気にならないくらいだ」
エディはジュンイチの発言に理解を示す。言うなれば、出自は違えどエディも半ば『Living dead (リビングデッド)』であり、今では同族という事になる。
彼は手首の根元を指差しながら、話題を元に戻そうとする。
「奴らの話に戻そう。外観的特徴として確認出来たこと……個人差はあるだろうから一概には言えないが、主な傾向としてだ。奴ら、まだ人間のうちに、頻繁に自傷を行う傾向があるらしい。そりゃ、体に変異の兆候が見られたら誰だって元に戻そうとするさな」
ジュンイチは黙々と、端末のメモに内容を書き残していく。
「それと、お茶してる間に『Junkie』が上の空でずーっと呟いていたんだが、giving wings……giving wings……って。何だと思う? 私にはよく分からなかったよ」
「変異を意味している?」
ジュンイチはそう言いながら、端末にgiving wingsと記す。
「安直だが、そう取るべきか? ……私が知っていることはこんなもんかな。あと、君も分かっていると思うが、念の為おさらいしておく。怪しげな輩に手を出すのならば、変異する前に先手を打つんだぞ。下手をすれば手に負えなくなる。ただ殺されて済むならまだ弔う余地はあるが……どうやらそうじゃないみたいでね。君が文字通りリビングデッドになって、私の自宅の前で待ち伏せだー、なんてまっぴら御免だよ」
「心得ています」
「よし、なら良い。連絡先を交換しておこう。何か新たに分かった事があれば共有してくれ」
エディとジュンイチは互いに端末を操作する。その間に、エディは更に注意事項を付け加えた。
「そうだ。もう一つ忠告させてくれ。警察の奴らをあまりアテにするなよ。中には彼の静脈も紛れているんだが、全員が善良な市民の味方って訳じゃないそうだ。FBIが頻繁に捜査に加わり初めて、余計胡散臭い事になってる。落し物探しくらいなら構わないが、この手の案件じゃそもそも役に立つか怪しいもんだ」
「ええ。既に、嫌という程学んだ事です」
「そうか、そうだよな……余計なお世話だったね」
用が済んだと判断したジュンイチは席を立ち、エディに対して会釈をする。エディも適当に挨拶を返すと、ジュンイチは滑らかな足取りで店を後にした。
エディは残りの品を娘への土産としてテイクアウトすべく、ベンヤミンに紙袋を用意してもらう。
「ありがとう」
ウェットティッシュで手先を拭ったエディは、自身のオールバックヘアーを撫で付けながら踵を返した。
「お待ち下さい」
その時、ドスの効いたドイツ訛りの声がエディを呼び止める。厳かな巨体がカウンターを跨ぎ、ゆっくりとエディの下へと接近して行く。
「何用ですか?」
エディは警戒した。普段のベンヤミンとは、何処か雰囲気が違う。
「……キャンペーン商品、渡し忘れてました」
「ああ、ありがとう。ま、要らないんだけど」
「ただし、箱は必ず! ……解体して下さい」
唐突に、ベンヤミンは高圧的な様子で指示を出す。
「……? そ、そうか。そうかそうか。わかったよ。必ずそうする」
エディは変形人形が入った箱を受け取ると、そそくさと店を後にした。
(なんだなんだ?)
人混みを避けながら近場のベンチに座り、エディは早速キャンペーン商品とやらを開封した。
中にはCMで見たことのあるプラスチック製の人形と、折り畳まれた取り扱い説明書。パッと見た限りでは特に異常は見当たらない。
続けて説明書を開いた途端、エディの膝上に小さな袋が落下する。
「付属の『ラムネキャンディー』……」
袋のラベルをエディは読み上げた。
ベンヤミンが「箱を解体しろ」と言っていた事が気に掛かり、エディはふと、紙箱の底面を見上げる。
「これは……ベンヤミンの文字か?」
そこには[Do not eat]と、荒々しい筆跡で記されていた。
エディは人混みの隙間から視線を通し、ガラス越しにベンヤミンを見る。
心なしか、ベンヤミンもこちら側を見返しているような気がした。
(あいつ地獄耳だったのか?それとも……)
「確かに、形や方法は一つじゃない。目的も……薬の類も同様だ。魔術やら何やらが加われば尚更……その手のルートを抑えているとすれば、幾らでも……これは、調べてみるしかないな」
//to be continued……