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(旧)Laid‐back  作者: アバディーン・アンガス
序章 Downfall.
2/15

Red hunter

 ――交通事故から約一年後――



 初老の男は黒い頭髪を7:3の割合で左右に隔つ。高い金をかけて増毛手術を施した割には、センスが無いのか、あるいは有効的な活用方法を知らないだけなのか、第三者からの外観的評価は以前と大して変わらない。


 どうにも金遣いの荒い男であるが、その根底には、"人間の動力において、金銭欲に勝るものは無い"という彼なりの倫理思想に基づいている。だからこそ、この男は欲望の赴くがままに財産を浪費するし、他者も同様の行動基準で動き、動かす事が出来ると考えていた。


 ある程度賢明であれば自ずと気がつく事であろうが、少なくとも金で買えないものがある。他者からの信頼や愛情でさえ金で手に入れることが出来るならば、投票制度やら民主主義なんぞは成立し得ない。自由の国に住まう一国民でありながら、この男はその点を大いに履き違えていた。


 バスローブに着替えた男は高級なリラックスチェアに深々と座り込み、横幅の広い防護ガラスから都市の光輝を見下ろしつつ、片手に持ったワイングラスを傾ける。

「君もどうかね、一口」

 そう言って男は、ダブルベットの上で横たわる女性にグラスを差し出す。しかし返事は無い。女性の首筋には生々しい注射の痕。男は特に気に留める事はなく、再度グラスを口に運んだ。


 問題なのは、両者の合意のもとで現在の状況に至るわけでは無いということ。同じ職場の若い女でさえ、金を払えば一夜を共にすると男は考えていた。実際、そうではなかったのだが。


「こんばんは、Mr.オルグレン。私もワインは好きだ」

「⁉︎」

 男の背後から、聞き覚えのない肉声。彼は機敏な動作で振り返る。


「…………っなんだ、お前は」


「初めまして。名乗るほどの者でもありませんが、俗にはこう呼ばれております……『Red hunter(赤き狩人)』」

 声の正体、それはブルーのフォーマルスーツを着こなす長身の男であった。


 赤き狩人と名乗る男はスラックスのポケットに手を入れ、片足に重心を乗せた姿勢で佇んでいる。

 オルグレンが見る限り、赤き狩人の年齢は大よそ30代前半といったところであった。

 整った容姿を引き立てるブロンズヘアーはうっすらと赤みがかっており、冷徹な瞳は金色に輝いている。


「何処から入った⁈」

「蛇の通り道、と言えば伝わりますか?」

 事実、この得体の知れない狩人の侵入経路はエアダクトであった。


「馬鹿を抜かすな……『Red hunter?』聞いたこともない。色々と問い詰めてやりたいところだが、手短に済ませてやろう。用件を言え」

「蒔いた種は刈り取らねばならないのですよ。あなたはよくご存知だと思いますが」

「雇われか?誰に遣わされた!」

 如何せん、オルグレンには思い当たる節が多過ぎた。法に背いた事は一度ではないし、その都度釣り銭が付いてきたと考えれば優に二十は超える。

「名を明かす許可は得ていません。ただ、貴方との対面を心待ちにしていると、そう仰っておいでだ」

「殺す気か?」

「それは私ではなく、クライアントが決める事」


「お……ぉoh……bbb」


 突如、悍ましき呻き声が室内を覆う。明らかにそれは人間のものではない。

 赤き狩人とオルグレンは声のする方向、つまり、ベッドの方を向く。


 声を上げていたのは、先程まで意識を失っていた筈の女性であった。

 異変は醜悪な発声に留まらず、彼女の身体には目に見えて奇妙な変化が生じ始める。


 女性は唐突に海老反りの姿勢を取り、不自然にも腹部を突き上げた。それから首がぐるりと一回転し、二人の顔を見据える。

 女性が瞬く度に眼球から血が溢れ出し、それは流れ落ちる訳ではなく、頬を滴り、首を伝い、露となった胸元で円状に象形文字を描き始める。

「あの女性には何を?」

 狩人は、極めて冷静な声色で問いかけた。

「投与した……Holy water giving wings…………」

「わかるように言いなさい」

「催淫効果のある覚醒剤と聞いていた…………」


 狩人は冷笑する。蔑む意をこれっぽっちも隠そうとはしない彼の眼差しを見たオルグレンは、生まれて初めて己の過ちを悟った。

「貴方は本当に愚かな人だ」

〈BBBEBE〉

 女性を中心とした半径4mほどの空間が、陽炎の如く捻じ曲がる。

 続けて、彼女の付近に設置されていた物体はズシリと浮かび上がり、宙に浮いたまま静止した。女性が乗っているベッドも同様である。彼女は傾いた足場の事など意に介さず、マットレスに対して垂直に膝立ちを行う。


 攻撃の予兆を感じ取った狩人は低く身構え、臨戦態勢を取った。彼の臀部が膨れ上がり、装着しているスラックスは隆起しながら変形していく。いや、正体を露わにしたと言うべきだろう。


 それは、尾になった。


 異名に違わぬ赤き肉体は、陽炎をまとう程の赤熱を帯びている。スーツの繊維によって形成されていた細部の編み目は、尾の根元から鱗状に変質しているようだった。


「o…………OOOOO!!!!」

 鼓膜を突き刺す金切り声。見えない撃鉄に打たれ、飛来するランプ、引き出し、イス、その他諸々の物体。それらは狩人を目掛け、高速で突進していく。対して、狩人の尾はしなやかに助走を付けた。

 〈Swish〉

 直後、空を切る音と共に尾は半月状に歪む。そして、原型を失った。

 〈Crack!!!〉

 尾は弾丸の如き衝撃音と速度でもって、周囲一帯を薙ぎ払う。彼の全身を包み込む軌跡の残像はドーム状に広がっていく。


 飛来した物体は粉々に砕け散った。尾は滑らかに伸縮し、あるべき姿へと戻っていく。


 女性を象った怪物は宙に浮いたベットに掴みかかり、蹲る。

「oooOOOOO」

 ビキビキと音を立てて彼女の足は膨れ上がった。膝から下の様相は、まるで獰猛な雄牛のそれだ。

「理性が伴っていない……それは自由とは言わない」

 狩人の声が行き届く事は無かった。


 眼前の怪物は後脚に込めた力を解き放つ。迫りくる弾丸を前にして狩人は冷静さを失わない。

 腰を抜かした獲物を脇に抱え上げると、立ち上がる勢いを利用し後方へ飛び退く。先に強化ガラスを突き破ったのは狩人の背面であった。


 伸縮した尾は高層マンションの壁面に突き刺さり、狩人の全身を引き上げる。


 勢いを殺すものはなく、女の姿をした怪物は宙を舞う。重力に身を委ね、異形の存在は夜の街並みに沈んでいった。

「可哀想に……」

 抑揚のない口調で狩人は言う。彼は壁面に足を付け、女の行く先を見ようとする。

「この化け物どもが……」

 オルグレンは震えた声で言い放った。

「フフ……よく言えたものだ」

 直後、肉の引きちぎる音と共に激痛が迸り、オルグレンの左耳から感覚が消え失せた。

「グァアア!!」

「クライアントは、吸い殻入れの代わりに貴方の眼を使いたいと仰っていた。この程度、問題はありますまい」

 狩人は獲物を口に咥え、ネオンの陰に姿を消す。


 後に、高層マンションと辺り一帯は警察による捜査が行われた。しかし、女性の遺体は発見されなかった。


 これが、S()a()c()r()e()d() o()f()f()e()r()i()n()g()s()にまつわる犯罪で初めて公となった事件である。もっとも、名称を口に出来る人間は大抵日陰者だ。

 しかしながら、宙を舞う異形の目撃者が二人だけとは限らない。


 狩人はオルグレンを愚かだと罵った。ならば、自ら進んで異形の存在に近付こうとする者達を、彼はなんと罵倒すべきだろうか。


 〜


「ooo……お、oo」

 血塗れになりながら、怪物は裏路地を突き進んで行く。自らの意思で体を動かす事は出来ない。だが、事の顛末はわかる。

 怪物は、かつて自分が何者だったのかもよく分かっている。

 痛覚、記憶、知性、感情など、人間としての要素だけが生半可に取り残されていた。


 突如、怪物は背後に気配を感じる。

 彼女はゆっくりと腰から上を回転させ、振り向いた。


 背後に佇む存在、それは人間のようにも見えたが、違う。何故か、明らかに違うと彼女には分かる。シルエットは人間の姿に限りなく近い。しかし、その姿はまやかしであった。


 「こちらへ来い」と、脳裏に指令が下る。抗う術はない。

「大人しくしなさい」

 異端の存在が笑みを浮かべてそう言うと、怪物に覆い被さるように、シルエットが肥大化していく――


 ――――――――――――――――


「貴方には、為すべきことがあるの……パンドラって、聞いたことある?」

「パンドラ……?」

 まどろむ暇もありはせず、ジュンイチの意識を引き戻したのは白い肌、白い頭髪、紅い瞳をした少女だった。

「パンドラを使えば、お父さんにだって会える……会いたい、よね?」

「君は、一体……」

 夕焼けの如く仄かに赤みがった空間には、地平線の彼方まで揺らぎのない湖面が続いている。

 湖底が盛り上がる事で形成された極々狭い小島の上で、ジュンイチと少女は向かい合い、立ち尽くす。

 小島には一本の大木がある。

 少女は幹に寄りかかると、おもむろにジュンイチを手招きした。

「しがらみから解き放たれて、自由になれるの。でもね、貴方を陥れた人達も……パンドラを求めてる」

「なに……?」

「私……知ってるよ……貴方のてbbbzzzziiiiiyyy」


 少女が淡紅色の唇を閉じた瞬間、ジュンイチの視界にノイズが走った。

 少女の顔が左右に歪む。音声は粉々に断絶し、正確に聞き取る事は困難を極めた。


「待て……お前は何を言いたいんだっ!」

 体が勢い良く持ち上がり、日光が目頭を突き刺したところでようやく、ジュンイチは自分自身が現実に引き戻された事に気が付く。

 先のやり取りは紛れもなく幻だった。既に、同じ光景を数え切れないほど夢の中で目にしている。


(釈放されてから、これで何度目だ……)

 洗面台に向かったジュンイチは棚を開け、睡眠薬と精神安定剤の残量を確認する。

 服用を開始してから発作は少なくなった。しかし、睡眠薬は明らかに効き目が薄い。床に付けば大抵、服役中の惨事を鮮明に再現した悪夢、或いは少女との会話が始まる。

 ジュンイチはここ最近まともに眠る事が出来ていない。

(しばらくは持つ……しかし、このまま服用を続ける事は果たして賢明だろうか)

 睡眠不足は思考の回転を妨げる。気分を変えるべく、ジュンイチはシャワーと洗顔を手早く済ませ、倦怠感に足を取られながらも外出の準備を進めた。

〈jug jug ―jug ―jug jug jug〉

 彼が適当な衣服を身に付け始めたその時、エレキギターの音色が軽快なリズムを刻み始める。再生機器はジュンイチの携帯端末である。


 ジュンイチは手に取った端末を耳に充てがい、何者かと通話を始める。

「もしもし。おはようございます、シジマさん……仕事の話ですね。協力者の名は、エディ・アータートンですか……分かりました。ええ、約束通り。それと、分割払いの件ですが、一度目の振込は済ませてあります……特にこれといって異変はまだ。大丈夫です。既に、元に戻る事は出来ないと自覚しています……ええ、それではまた」

 通信を切断したジュンイチはリジッドデニムのポケットに携帯端末をしまい込むと、レザージャケットに両腕を通し、ショルダーバックを力強く持ち上げた。

「違法薬物の調査か……確かに、御誂え向きかもな」

 独り言を口にしながら玄関扉を開け放つジュンイチ。途端に、彼の全身は暖かな空気に包まれていく。

 空を見上げれば、雲の隙間からご機嫌な様子のお天道様が顔を覗かせていた。


 仰々しいまでに清々しく、そして痛ましい程に忌憚の無い陽光は、まるで殊更に爽やかな笑みを浮かべる詐欺師の如く、ジュンイチの悲運な行く末を皮肉っていた。


//to be continued……

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