Dead Start―デッド・スタート―
「父さんが……倒れたって?」
ジュンイチ・サイトウは言葉を失った。脳裏に幾つかの単語が浮かび上がりはするものの、発声に至る間も無く沈下していく。余りにも予期せぬ出来事に、ジュンイチの思考能力は著しく低下していた。
通話相手であるカオリ・グリンデマンの悲痛な言葉が木霊する。
(意識不明……7発の銃弾……このまま息を引き取る可能性……)
「今すぐ、向かいます……!」
カオリが返答をする間も無く、ジュンイチは通信を切断する。
携帯端末をしまい込んだ彼はバイクのハンドルを握ると共にエンジン音を轟かせた。
(間に合ってくれ……!)
ジュンイチは先刻までツーリングを満喫していた自分自身を呪う。
長閑に彼を包み込んでいた筈の山林は風貌を一変させ、今では強風雨と共にジュンイチを嘲笑っている。
『秋山渓谷』から『関東中央医大病院』まで、甘く見積もっても3時間半はかかる。無意識のうちに、ジュンイチは幾度もアクセルを捻り、ギアをシフトアップさせていた。
降りしきる雨粒がヘルメットのシールドを打ち付け、ことごとく視界を歪めては一目散に逃げ去って行く。同時に、猛々しい降雨はタイヤを掬い上げ、操舵性をも著しく低下させている。しかし、今のジュンイチにはそれらの要素を複合的に鑑みる冷静さが備わっていない。
心中に焚き上がる焦燥感は轟々とエンジンを駆動させ、車輪は回転数を上げ続けていく。
緩やかなカーブに差し掛かったとしても速度を下げる事はせず、ギリギリ通過できる程度のコースを描き、バイクは加速を続けた。
「……ッ!」
その時だった。湾曲した視界の一端に、『白い人影』が映り込む。
容姿はボヤけて判別出来ないものの、シルエットからして、それは紛れもなく人間だった。
たった今、バイクはカーブを曲がり切った直後。体勢は傾いており、コースを変える事は困難を極めた。速度は上がり始め、そして上がり続けている。雨が摩擦抵抗を緩和させている事もあって、到底ブレーキが間に合うような距離ではない。
ジュンイチが咄嗟に導き出した唯一の回避手段は、『ガードレールに車体をぶつける』という捨て身の行動だった。
運が良ければ、バイクは動きを停め、人身事故は回避できるし、当たり所が良ければ運転は続行出来るかもしれない。
しかし、残酷にも、現実は違った結末をジュンイチにもたらしたのだった。
ガードレールに激突したバイクは前輪共々ボディを押し潰され、物体が急停止した事によるエネルギーが加わり後輪が大きく浮上する。
ジュンイチの身体は、崖外へと放り出されてしまった。
生い茂る木々や舗装された岸壁に体を打ち付けられ、ありとあらゆる激痛が全身を駆け巡る。
回転する視界の最中、ほんの一瞬、何かが落ちてくるのが見えた。
ジュンイチの意識は混濁し、やがて視界は動きを止める。
辛うじて、頭上から落下してくる物体を彼は視認する。
それは、ジュンイチが搭乗していたバイクと、『白い人影』だった。
〈CRASH!!〉
ここで一生を終えていれば、ジュンイチにとっては楽な人生だったのかもしれない。しかし、重なり合った偶然が、途方も無い因果の繋がりが、強い人間の意思が、彼の死を先延ばしにする。
何らかの超常的力でもって、バイクの落下地点には少しばかり変化が生じていた。よって、ジュンイチが押し潰されるという事態は辛うじて起こり得なかった。
「ありがとう……でも、これで最後……もう少し、足掻くつもり……大丈夫……私の意思は消えない……だから、ずっと一緒だよ」
『白い人影』の正体、それは、白い肌、白い頭髪、白いワンピースドレスに身を包んだ先天性白皮症の少女であった。
破損したシールドの隙間を通り、少女の左手がそっとジュンイチの頬に触れる。
彼女の瞳が真紅の光沢を帯びると、青白い稲妻が少女の指先に疾った。
これは、ジュンイチ・サイトウが奇妙な因果の渦中へと身を投じる引き金となった出来事である。
『交通事故』は、彼を取り巻く歪な運命の序章、その始まりに過ぎない――
//to be continued……