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其の参

 編笠(あみがさ)を被った一人の旅人が村の門をくぐりました。

「ごめんください」と、彼は一軒ずつ家を訪ねては挨拶をしますが、

いくら回れど家々は全て(もぬけ)(から)閑散(かんさん)としていました。

(かまど)()べられた薪は新しく、釜は具々(ぐつぐつ)と蓋を押し上げ煮え(たぎ)りながらも、

そこには村人の姿はおろか、動く者の気配は微塵も感じられないのです。

 ふと、焦げた匂いと共に、北東の方角から煙が上がるのが見えました。

どうやら家屋が燃えているようで火の勢いは凄まじいものでした。

 これは山賊あるいは落ち武者の仕業に違いない。

旅人は腹をくくると村の目抜き通りまで走り、そしてすぐ足を止めました。

 見れば奥の高台にある茅葺(かやぶ)き屋根の家が烈火(れっか)の如く炎上しているのは勿論、

そこに至るまでの(みち)は紅葉の葉を散りばめたように鮮やかな紅に染まり、

斬り刻まれ挽肉(ミンチ)となった(たぬき)たちの死屍累々(ししるいるい)が、

(とお)りを埋め尽くさんばかりに転がっているではありませんか。

 旅人はここに来るまでの道中、合戦場の跡や取り潰された城跡、

山賊に襲われた村々など過酷な場面を度々(たびたび)目の当たりにしてきましたが、

この村の、この道の光景は、それらに引けを取らない凄惨さでありました。

 そこら中から漂ってくる死臭に戦慄(わなな)きながらも旅人は手を合わせ、

鼻を()まみつつ(しかばね)たちを(また)いで燃える家屋へと歩を進めました。


 大通りの真ん中に、屍に混ざって(うさぎ)が一匹、

地面に突き刺した脇差(わきざし)(みね)を背もたれにして、

滝のように止めどなく火の粉を降らす家屋の方を向いて胡座(あぐら)をかいていました。

 ひどく草臥(くたび)れた様子で身体の端々の毛を黒く焦がしていましたが、

そのなだらかな肩口は緩やかに上下していました。

「うさぎ、お前がやったのか?」旅人は兎の背中へ言葉を投げかけました。

兎は返事をする気力も無いのか耳を顔の前にダランと垂れ下げておりました。

「全部、お前が斬ったのだな?」

旅人は、戸口から轟々と炎を噴く家屋の中に人影を見た気がしました。

「な、なんなのだ、アレは……」

複数の人影かと思っていたそれは結合し、(あや)しく(うご)めく巨大な肉塊でした。

泥団子のようなそれからは無数の手足が伸び、苦しむように()がいています。

「おい、うさぎ、あれは何だ?」

「狸にございます」兎は力無く答えました。

「斬っても斬っても止まらんので、火をつけました」

兎は立ち上がって振り返ると、足下の脇差を旅人の足もとへ放り投げました。

そして身体を伏せて頭を地面に付けると、人間でいう土下座の姿勢をとりました。

「どうかその刀で、(わたくし)めにトドメを…」

「なに?」旅人は顔をしかめました。

「仇討ちなれど、多くの者どもの命を奪ったことは事実。

 私めもこの場に果てて、幕引きとさせて頂きたいのです」

旅人は、兎が喋ったことには然程(さほど)も驚くことなく、

寄越(よこ)された脇差を拾うと繁々(しげしげ)と眺め出しました。

血糊と刃こぼれで汚れ数多(あまた)亀裂(ヒビ)が入り、無用(むよう)長物(ちょうぶつ)も同然でした。

「儂ぁ介錯(かいしゃく)なぞ出来んし、ましてや、する気も無い」

旅人は脇差を兎の頭の前に置くと、被っていた編笠を取り、

その下にある、炎に(だいだい)色に照らされた綺麗な坊主頭(ぼうずあたま)を露わにしました。

生憎(あいにく)、兎の肉も食えんのだ」彼は僧侶であったのです。

彼は(そで)から数珠(じゅず)を取り出すと、その場で念仏(ねんぶつ)を唱えはじめました。

「出来ることといえば、これくらいのものよ」


 いよいよ屋根を支えていた柱や(はり)が熱に耐えられなくなったようで、

家屋は落雷さながら地面を激しく震わせて倒壊しました。

さらに炎は風に乗り、村に建ち並ぶ家々(いえいえ)全てを飲み込みました。

「これはいかん。いかんぞッ」

僧侶は兎の首根っこを掴むと、彼を抱えて村の外へと走り出しました。

しかし炎は、周囲を落ち葉と春の芽吹(めぶ)きに備える裸の木々に囲まれながらも、

不思議と村の外周を囲む(さく)から外へ燃え広がることはありませんでした。

 炎の中、狸たちの身体は湯気に煽られる鰹節(かつおぶす)のように踊り出すと、

瞬く間に下半身から崩れ去り、灰となって空へと霧散(むさん)していきました。

「これぞ業火(ごうか)というものか…」村の門の正面に(たたず)む僧侶は呟きました。

村を丸ごと焼き尽くした炎が、とぐろを巻き、曇天(どんてん)の空を昇っていく様子を、

一人と一匹は、しばらく茫然(ぼうぜん)と眺めていました。


 やがて僧侶は語り始めました。


「……かつて『烙吽(らくうん)』と呼ばれる霊獣(れいじゅう)がおってな。

 人語を理解し、万物に変化(へんげ)する神通力(じんつうりき)の持ち主であった。

 だが、その賢さゆえに(よこしま)煩悩(ぼんのう)に取り憑かれたそれは、

 神仏(しんぶつ)(かた)って人を(あざむ)こうとしたために天罰を受け、

 哀れな畜生(ちくしょう)の姿に変えられて俗世(ぞくせ)へ堕とされたという。

 天界を追われた烙吽(らくうん)は、やがて誰にも知らぬ極東(きょくとう)へと落ち延び、

 かの地にて人や獣を籠絡(ろうらく)しては暴利(ぼうり)(むさぼ)っているらしい…」


「なんです、それ?」兎は、横に座る僧侶を見上げました。

「ちぃとばかり思い出してな」僧侶は苦笑いをして自身の坊主頭を撫でました。

「なに。所詮はただの御伽噺(おとぎばなし)よ」

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