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夕顔殿始末  作者: 自嘲亭
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その6

 生田左近は引き上げました。

 すると、夜明け前に、一人の侍がやって来ました。

 左近よりは若いが三郎介よりは年長なこの侍は、堀源之丞(ほりげんのじょう)といいました。

 左近の手の者でした。

 これは、左近と決めた手はずに従ってのことでした。

 千代は早速、侍が埋めてあるところを自分が掘り返すと云ったのですが、左近は目をむいて叱りました。

「身重の女子が、そんなことをしてはならん。手の者を寄越すゆえ、その者に任せよ」

 こうして、堀源之丞がやって来たのでした。

 源之丞は目の鋭い、無口な侍でした。

 余計なことは云わずに、千代に対して目礼だけすると、早速もろ肌脱いで、黙々と、侍が埋まっていると千代が指示した場所に、鍬をふるい始めました。

 千代と権三は、内心不安を抱えたまま、この様子を黙って見ておりました。

 もはや後戻りは出来ぬ…。

 千代は内心の不安を確信に変えようと、必死に試みておりました。

 

 一方、腰を痛めている権三はそもそも役に立たないのですが、この左近と千代のたくらみに、あまり乗り気な様子ではありませんでした。

(こんなやり方がうまくいくとは思えねえ…)

 権三は思うのですが、それを千代に云い出す勇気がありませんでした。

 もしこんなことを口にすれば、またあの恐ろしいまなざしで、キッとにらみつけるに違いありません。

 いや、それどころではありません。

 今は、あの生田左近に、庭先で鍬をふるい続ける堀源之丞がいるのです。

(もし下手な事を口走れば、わしは…)

 そんな風に考えるだけで、もう権三は、立っている気力さえ、失せてしまうのでした。


 千代の方は、そんな権三を構う風もなく、息を詰めて、穴を掘る堀源之丞を、見つめています。

 そもそもこの掘り返しは、生田左近の指示によるものでした。

「こうなっては、刀と甲冑だけでは弱い」左近は云いました。「亡骸(なきがら)を見せれば、殿も萩の方様も、ぐうの音も出まい」

「しかし、申しあげたとおり、一郎様はお腹を召されたのではありません」

 千代が心配げに云うと、左近はニヤッと笑いました。

「心配には及ばぬ。野盗にやられたのを、見つけた村人がねんごろに葬った。それをわしが聞き出し、掘り返したことにすればよい。逆に刀と甲冑は、野盗に盗られたことにして、始末しよう。そうだ、亡骸を掘り出した代わりに、刀と甲冑を埋めてしまうのだ。ついでに、オヤジが貯め込んだという武具も、穴倉ごと埋めてしまうのだな。もしそんなものが見つかれば、厄介だ」

「亡骸を見つけた村人というのは…?」

「少々の金子(きんす)を渡せば、その役を引き受ける奴などいくらでもいるわ」左近は笑いました。「千代、そなたのおやじ殿だって、自らのことでなければ、頼めばホイホイと引き受けたであろう。違うか、おやじ殿」

 権三は身を縮めて首を垂れるばかりで、何も云いませんでした。

「上手くいくでしょうか…?」

 千代が不安げに云うと、左近は真顔になりました。

「今さら何を云う」左近の口調は厳しいものでした。「もはや、疑問など抱いてはならぬ。そのような疑問は、必ず顔に出る。そして行動を鈍らせる。一刻の猶予もならぬのだ。絶対に上手くいかせ、そなたは若様の奥方にならねばならぬ。そなたは、そのことだけを考え、そのための最善の行動をとらねばならぬ。迷っているヒマなどない。わかったか」

「はい」

 千代は答えました。

 答えましたが、いまだ若干の不安が残っています。

 でもそれが何に対する不安なのか、千代は自分でもよくわからないのでした。

 そして、それがわからないのが、千代には何とももどかしかったのです。

 そして千代は、そのもどかしい気分のまま、堀源之丞が穴を掘るのを見つめているのです。

 三郎介は、二三日はここへは来ないはずでした。

 左近が三郎介を狩りに誘い出す手筈になっているのです。

 その間に、穴を掘り返さねばなりません。

 源之丞は、一言も何も云わず、土を掘って掘って掘りまくります。

 源之丞のたくましい筋肉が躍動し、汗がにじみ伝わるのを、千代は見つめておりました。

 それを見ていると、不思議と千代の中から不安やもどかしさが、消えて行きました。

 昼時になり、千代は冷たい水や握り飯を勧めましたが、

「結構」

 源之丞はそう云って断るのでした。

 結局千代も、飯も食わず、水も飲みませんでした。

 権三は震えつつ、それを家の中から見守るばかりでした。

 そうして、丸一日、堀源之丞は穴を掘り続けました。

 夕闇迫る頃、あの侍の骸に、たどり着いたのでした。

 

 侍の亡骸は、一部がすでに傷み始めていましたが、しかし思った以上に状態が良いものでした。

「うむう」堀源之丞は呻きました。「間違いなく、一郎重次様…」

 源之丞は骸に対し手を合わせると、千代に云いました。

「拙者、左近様にこの旨お伝えするため、一旦城に戻ります」

 そして、あれだけの労働の後にもかかわらず、源之丞は駆け足で立ち去ったのでした。

 源之丞がいなくなると、千代は急に侘しさが立ち込めて来たように感じられました。

 あたりはすっかり夜の闇に包まれました。

 その時です。

「ヒエエッ…」

 権三が頓狂な声を上げました。

「どうしたの」

 千代は驚いて権三に声を掛けました。

 権三が尻餅ついて、ガタガタ震えていました。

「で、で、で、出たァ…ッッッ…」

 権三が、掘り返された穴の方を指さしています。

 千代はそちらを見ましたが、何も見えません。

「どうしたのさ」

「みッ、見えねえのか、あれが」

「だから何が」

「しゃ、しゃぶらい…」権三は舌がもつれて上手く喋れません。「あ、あのしゃぶ…侍が、た、立って、て、手招きしてるゥ…。の、喉から血ィ流して、口からも血ィ流して、う、恨めしげにこっち見てるゥッ…」

 もう一度千代は目を凝らしましたが、やはり何も見えません。

「気味の悪い、か、影みてえなのがついてらあ…」

 権三は訳の分からぬことも叫びます。

 千代は気味が悪いというより、腹が立ってイライラしました。

 千代はそちらに立って行き、さっきまで源之丞が使っていた鍬を、ブンブン振り回しました。

「あッ、き、消えたッ…」

 権三は素っ頓狂な声で云いました。

「おとっつぁん、ビクビクしてるから、そんなものが見えるんだ」千代は云い放ちます。「気持ちをしっかり持って、堂々としてりゃあ、そんなもん、向こうから逃げてくよ」  

 と、そこに、落ち葉を踏んでくる足音が聞こえました。

 それは一人のものではなく、複数聞こえるのでした。

 千代は身構えました。

 闇の中から現れたのは、生田左近でした。

 左近の背後にほかに二人の侍、さらに貧しい身なりの男が一人、従っていました。

 侍の一人は堀源之丞で、もう一人は新参の者でした。

 貧しい身なりの男は荷車を引いていました。

「安心せよ」左近は笑って云いました。「これらはみなわしの手の者だ」

 しかし、堀源之丞は相変わらず千代に対してニコリとする訳でもなく、冷たい無表情のままでした。

 もう一人の侍も同じでした。

 一方、貧しい身なりの男は、権三同様実直そうではありますが、その目には狡猾な打算が光っているのでした。

 これが左近の云う「金子を渡せばその役を引き受けるヤツ」なのだと千代はすぐ了解しました。

「うむ。間違いなく、一郎重次様である」

 骸を一目見るなり、生田左近は云いました。

 二人の侍もうなずきました。

 骸は荷車に乗せられました。

「骸は今宵、城に持ち込む」左近は云いました。「善は急げというからな。とにかくことは早く進めるのが肝要だ。そうなると、若様は忙しくなるゆえ、当分ここには来れない。それは我慢せよ。念のため、ここにはわしの手の者を置いておく。もしや誰かがそなたのことを嗅ぎつけて、良からぬ企みを図らんとも限らんからな。そうだな、源之丞、おまえがここを守るのだ」

「ハッ」

 堀源之丞は頭を下げました。

 骸を乗せた荷車は、貧しい身なりの男が引き、それに生田左近ともう一人が付き従い、城に向かいました。

 あとには千代と権三と、堀源之丞が残りました。

 早速源之丞は、生田左近の命に従い、骸を掘り返した後の穴に、権三が貯め込んだ武具をすべて投げ込み、埋め直す作業に取り掛かりました。

 源之丞はその作業に、またも黙々と、従事するのでした。


 一方、城には、一郎重次の骸が運び込まれておりました。

 当然のことながら、城は蜂の巣をつついたような、大騒ぎになりました。

 生田左近は、主君若月弾正重光と正室萩の方の前で、堂々と朗々と、嘘偽りのことの次第を、顔色一つ変えることなく、述べ立てたのでした。

 支城にいた三郎介も呼び出され、急遽駆けつけました。

 荷車を引いてきた貧しい身なりの男もまた、左近に云い含められた偽りのことの次第を、もっともらしく、伝えました。

「うむう」弾正重光は、苦虫を噛みつぶしたような顔で云いました。「我が嫡男が、そのような不名誉な最期を遂げたとは…。左近、このことを知っているのは?」

「私どもと、この者だけでございます」

 左近はいけしゃあしゃあと云うのでした。

「嘘です」弾正重光の隣で、正室萩の方が金切り声を上げました。「これは、きっと何かのはかりごとです。あの子が、武勇に優れたあの子が、そのような無様な死に方をするはずがありません」

「しかし、この話は筋が通っておる」弾正重光は云いました。「一郎が一人で馬に乗って落ち延びたのは、多くの者が見ておる。すでにその時点で、わしは一郎を見切っておったのだ。何故城とともに討ち果てぬか。おめおめと生き延びようとするその心根が、すでにわしの跡継ぎにあるまじき振る舞いだ」

「あの子は、若月の血を絶やしてはならぬという、強い義務感を持っていたのです」

 萩の方は云い募ります。

「うるさいわ」弾正重光は怒鳴り付けました。「おまえがそのようにしつけるから、そんな不甲斐ない息子に育ったのよ。若月の血を絶やさぬと云うなら、三郎介がおるわ」

 すると、萩の方は憎しみに燃え上がったまなざしで、末席に控えていた三郎介を、キッと睨み据えたのでした。

「皆の者、よいか」弾正重光は云いました。「一郎が死んだことはともかく、無様な死を遂げたことは、決して他言無用ぞ。そのような話が今後わしの耳に漏れ聞こえようものなら、きっとその話をしたものを探し出して、首を刎ねてくれようぞ」

「しかし」左近は冷静に云いました。「一郎様が城を一人で逃れられたことは、すでに広く知れ渡ってしまっておりますが」

「ううむ」弾正重光は呻りました。「そうであったわ」

「では、お腹を召されたことになさいませ」左近が云いました。「一郎重次様は、落ち延びる中途出会った味方の者の介錯により、お腹を召されたのです」

「何を云っておるのだ、左近」

 弾正重光が怪訝な顔をしますと、左近は一郎重光の骸に近付き、「御免」と云いました。

 次の瞬間、萩の方が「ヒイッ」と悲鳴を上げました。

 左近が刀を抜き、一郎の骸の腹に、それを突き立てたのです。

 左近は悪びれる風もなく、一郎の腹を真一文字に裂きました。

 一郎の腹から腐った臓物がダラダラと流れ出て、あたりに鼻もつぶれるような悪臭が漂いました。

 左近は動ずる風もなく、骸の腹から抜いた刀を、今度は「エイッ」と振り下ろしました。

「ウウッ…」

 男たちも、どよめきました。

 一郎重次の首が、胴から離れてころころと転がりました。

「この生田左近、確かに一郎重次様のご介錯、致し仕りました」

 左近は頭を下げました。


 夜も更けたころです。

 堀源之丞は穴を半ば埋め終わっていました。

 そこに、生田左近ともう一人の侍が、荷車を引いて戻って来ました。

 荷車には、出発のときと同じく、筵をかぶせた骸が乗っていました。

 とっさに千代は、企みが失敗したのだと思いました。

 しかしそれにしては、左近の態度が不気味なまでに落ち着いています。

 筵が取られると、そこに乗っていたのは、あの、貧しい身なりの男でした。

 肩から真一文字に斬られて、息絶えていました。

「こやつ、殿からわずかばかりの礼金をもらい、ホクホク顔であった」左近は笑いながら云いました。「で、こやつが城から出たところで、人目につかぬところでバッサリと、な。こやつには悪いが今回の企みには、これ以上は邪魔なのでな。で、ついでだ。こやつもここに埋めてしまうことにしたのだ」

「で、ことは上手くいったのですか」

 千代が訊くと、左近は得意げに髭を撫で、「当たり前だ。むしろ、上手くゆきすぎたほどだ」と云いました。

 千代はホッとしましたが、権三は蒼ざめ、震え上がるばかりでした。 


  

 

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