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夕顔殿始末  作者: 自嘲亭
5/14

その5

 生田左近は怪訝な顔をしました。

「何だ」

 すると、それまで奥でぶるぶる震えながらこの様子を見守っていた権三が、千代の云わんとすることを察し、突然金切り声で叫びました。

「千代、黙っているのだ」

「おとっつぁんこそ黙っていて」

 千代は権三を怒鳴りつけました。

 そして千代は、生田左近に云いました。

「一郎重光様は、その庭先に眠っておいでです」

 生田左近はポカンとした顔をして、千代の顔を見つめました。

 穴のあくほど見つめる、とはまさにこのことでした。

 しかし千代は、構わず続けます。

「でも私は、一郎重光様のお顔を知りません。だから、そこに埋まっている方が本当にそうなのか、実はわからないのです。ですから、生田様にご検分を、お願いしたいのです」

 生田左近は、かぶりをぶるぶるっと、二三回振ってから云いました。

「そなたは何を、云っているのだ」

「これは、三郎介様にも申し上げていないことなのです」

 千代は云いながら、ちらりと、奥でまだ震えている権三の方を見やりました。


 権三には、その千代の目が青白い炎を発しているかのように、見えたのでした。

 戸口から漏れる月の光が、そのように見せたのかも知れません。

 どうあれ、権三は己が娘のそのまなざしに、これまでになく、ゾッとしたのでした。

 次の瞬間、千代はそこにくずおれ、よよと泣き始めたのでした。

「おとっつぁんを、お許し下さいまし」千代は泣きながら云いました。「盗人と勘違いして、おとっつぁんがそのお侍様を、やっつけてしまったのです」

 権三は顎が外れるほどに驚きました。

 が、よよと泣き伏す真似をする千代がまたもちらりとこちらを見やるのでした。

 その凍ったまなざしに、権三までもが凍り付いたように、一言も何も、云えなくなってしまいました。

 それから千代は、ことの次第を、早口に一気に、生田左近に話して聞かせてしまいました。

 ただし、実際には千代の所業である、侍をやっつけてしまったくだりは、すべて権三の所業に置き換えられたのでしたが。


「ぐぬう…」

 話をなかば無理やり聞かせられた生田左近は、そう呻いたきり黙り込んでしまいました。

「本当は、今日三郎介様がいらした時に、云ってしまうつもりでした」千代は泣きながら続けます。「でも、話せなかったのです。このことはもう死ぬまで誰にも云うまいと、思っていました。そこに生田様、あなたが来られたのです。覚悟は出来ております。おとっつぁんに代わって、私がどういう罰でもお受けします。正直、三郎介様への未練はありますが、ご存分に御成敗下さりませ」

「見上げた心掛けだ」生田左近は云いました。「だがその侍を討ったのはそなたではなく、そなたの父だ。いくらなんでも、そなたを討つわけにはいかん。それに、そなたの云う通り、そこに埋まっているという侍が、一郎重次様であるという証拠はないぞ」

「それならば、刀と甲冑がございます」

 千代が云うと、生田左近は「何?」と云って眉をひそめました。

 千代は再び、それについて説明しました。

 これについては、千代は何の嘘偽りもなく、ありのままを申し立てました。

 奥で震え続けている権三は、もはや生きた心地もありませんでした。

 千代の話を聞き終えた生田左近は、奥に呼ばわりました。

「おやじ、出て来るのだ。ただし、刀はそこに置いて来い」


 千代が恐ろしいまなざしで見やりながら、手招きします。

 権三はいやいやをするようにかぶりを横に振るのですが、千代はそれを認めず、恐ろしいまなざしと表情で、これまたかぶりを横に振るのでした。

 そして、容赦なく手招きをするのでした。

 権三にはそれが、地獄からの使者の手招きであるようにしか、思えませんでした。

 ようやく権三は、そこに刀を置いて、よろよろと、戸口の方へ立って行きました。

 千代の手招きに応じた、というより、千代の手先から伸びた見えぬ糸にからめとられ、手繰り寄せられたかのようでした。

「このおやじが討ったというのか」権三を見た生田左近は、呆れたような声を出しました。「震えておるではないか。これでよく侍など討てたものだな」

 権三は何も云えませんでした。

 目の前のひげを蓄えた立派な中年の侍も恐ろしかったのですが、背後に感じる千代の気配の方が、もっと恐ろしかったのです。

 それに、権三は刀を置いてきてしまいましたが、千代はまだその手に短刀を持っているのです。

 生田左近は権三と千代を、値踏みするようなまなざしで見比べておりましたが、やがて云いました。

「その刀と甲冑とやらを、持って参れ。うむ、いやそれは千代、そなたが行くのだ。あ、その短刀はわしが預かる」

 千代は生田左近に短刀を渡すと、新たに掘った穴倉の方に行きました。

「ほう…。あんなところにあんな仕掛けがあるのか」生田左近は面白そうに眺めながら云い、そして権三の方に向き直って訊きました。「あれはおやじ、おまえが考えたのか」

「へ、へえ…」

 権三は震え声で答えます。

「ふむ。いかにもおまえが考えそうな仕掛けだな」称賛とも嘲りとも取れる口調で、左近は云うのでした。「だがおやじ、本当にその侍はおまえがやったのか。わしにはどうも、おまえにその度胸があったようには思えぬがな。おまえのあの娘なら、むしろ不思議はないが。どうなのだ」

 左近が含み笑い気味に訊くのに対し、権三は額に脂汗を浮かべて、震えながら黙っています。

 権三はごくりと生唾を呑み、やがて、蚊の鳴くような細いかすれ声で、云いました。

 権三にとって、その返事は一生一代の、決断でありました。

「そ、そのお侍は、わ、わしが…」

「まあどっちでもよいわ」左近は権三の返事を遮りました。「おお、戻って来たな。それか。うむ…」

 左近の顔つきが変わったのがわかりました。

 千代が手にした大小の刀をひったくった左近は、それにためつすがめつ、入念に見入るのでした。

 千代は甲冑も担いできていました。

 千代が地面に下ろしたその甲冑を、次いで左近はこれまた入念に検分するのでした。

「ううむ」左近は呻りました。「間違いない。確かにこれらは一郎重次様が刀と、甲冑である」

 生田左近はギロリと、権三と千代を睨み据えつつ、向き直りました。

「一郎様が葬られておるのは、どの辺だ」

 権三と千代が、同時に同じ方を指さしました。

「いまわしはおやじに、確かにやったのはおまえで間違いないかと訊いた」左近は気味の悪い声で云うのでした。「間違いないのだな」

 千代はうなずき、権三も震えながら、やや遅れて、うなずきました。

 左近が、刀の束に手を掛けて云いました。

「ここでおまえたちを討って、この刀や甲冑と共におまえたちの首を届け出れば、わしの手柄になる」

「ひいっ」

 権三は悲鳴を上げ、千代の袖にすがり付きました。

 しかし千代は、キッと生田左近を見つめたままでした。

「しかし」左近は続けます。「千代、何故わしにこの話をしたのだ。黙っておればそのまま済んだ話ではないか。おまえは、わしが三郎介様の配下の者と聞いて、それで話をしたのであろう。わしがもし、萩の方様の手の者であったら、話はしなかったであろう。どうだ」

 千代は、すぐには答えませんでした。

 息をつめて、じっと生田左近の顔を見据えています。

「確かに」千代はようやく、口を開きました。「私どもにとっては、黙っていればよい話ではありました。しかし、生田様にとっては、それでは困る話ではありませぬか」

 今度は、生田左近が黙って千代の顔を見据えています。

 やがて、左近は押し殺した声で云いました。

「何が云いたい」

「生田様は、私どもの首とその刀や甲冑を、本当にお持ち帰りになるおつもりですか」千代は云います。「私には、そうは思えません」

 権三はもうすっかり蒼ざめてしまい、震えることすら出来ずに、千代の袖をギュウッと握ったままでした。

 左近が云いました。

「そなたは先程、手討になる覚悟だと、云ったではないか」

「今でもそうです」千代は悪びれずに答えます。「しかしそれでは、それだけで終わってしまいますまいか。命が惜しくて申しているのではありません。三郎介様が跡目をお継ぎになるのに、それではとても足りぬと、私には思えてなりませぬ」

「どういうことだ」

 左近は刀の束に手を掛けたままでした。

「もし生田様が私どもの首と刀や甲冑を持ち帰ったとして、それを殿様や、萩の方様がお信じなさいますでしょうか。生田様が、いえ、もしかすると三郎介様が、私どもに罪をなすり付けて首を討ったのだと思われるやもしれません。実は一郎重次様をお討ちになられたのは、生田様か、三郎介様なのだと、思われるやもしれません」

 権三は千代の袖を必死に引っ張るのですが、しかし権三はもう生きている心地は全くなくて、自分でも何をしているのか、よくわかっていませんでした。

 生田左近は、黙って千代を見据えたままです。

「でも」千代は続けます。「こんなことは、私ごときが云うまでもなく、生田様はとっくにお考えのことと思います。…お聞きしたいのは、その上で、生田様がどうなさるおつもりなのか…ということです」

 生田左近の目は、すでに冷たく据わっていました。

 それにめげず、千代はさらに続けました。

「何故私がこのように云うのか…。それは…実は、私はややこを孕んでいるのです」


 生田左近は、またポカンとした顔になりました。

「な、何だと」これまでの沈着さが嘘のように、左近はうろたえ始めました。「何故それを先に云わぬ。そ、それは若様のお子か」

「他に父親はおりませぬ」

「バカな」左近は怒鳴りました。「何ということだ。間違えてそなたを斬ってしまうやも知れねぬところであった。そういう大事なことは、先に云うのだ。それを、手討になっても良いなどと。バカも休み休み申せ。そんなこと、もってのほかだわい」

「しかしそれはそれで、本心でございましたゆえ…」

「ああ、そんなことはどうでも良い」左近は刀の束から手を離すと、破顔一笑へと表情を急激に変えました。「そういうことなら、話は全く別じゃ。実を云えば、そなたの申したことは、その通り、わしにもわかってはいたが、それからどう手立てを打ったものか、考えあぐねておった。そなたの顔を見ながら、どうしたものか考えておったのだ。しかしだ。そうとなれば、これはもう、なるようにならねばならない。なるようになる、ではない。そうせねばならない。わしも、そなたも、それからおやじ殿も、覚悟せねばならない。うむ、そう、覚悟だ。せっかくいくさが終わったところだが、場合によっては、またひといくさ、せねばならぬかもだのう」

 生田左近が一人で興奮してあらぬ方へ叫んでいる陰で、権三は千代の袖を引きました。

「何?」

 千代が小声で囁きます。

「わしも驚いたぞ」権三も小声で云います。「本当に、孕んだのか」

「しいっ」

 千代は指を唇に当て、ニヤッと短く笑いました。

 権三は呆れて、千代の顔をまじまじと見やりました。

 千代は権三には構わず、左近に呼びかけます。

「またいくさになりますのか」

「それはわからぬ。場合によっては、だ。すべては殿がどのようにお考えになられるか、にかかっておる」

「それと…萩の方様がどう出られるか」

「そうだ」

「私どもは、どうなりますのですか」

「悪いようにはせぬ」左近は云いました。「いや、若様の子を孕んでいるのであれば、しかるべき形を取らねばならぬ」

「しかるべき形とは」

「きちんと婚礼をせねばならぬ。しかし…百姓の娘というのはちとまずい。それに、正室を迎えぬうちに側室がいたのでは、これもまずい。そうだな、どうしたものか…」

「それは…お侍の家の者でないと、三郎介様のお嫁様になれぬ、ということですか」

「そういうことだ」

「ならば、私がお侍様の家の娘になれば良いのですね。…生田様には、女のお子様はおいでですか」

 生田左近は、呆れたようにまじまじと、千代の顔を見やりました。

 権三も、同じく千代の顔を見やっておりました。

「千代、そなた、何を考えておるのだ」

 左近が云いました。

「生田様こそ、お考えが浮かばれたのでございましょう」

 千代が云いました。 

  





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