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夕顔殿始末  作者: 自嘲亭
13/14

その13

 堀源之丞の家は、ひっそりとして、まるで人の気配と云うものが、感じられないのでした。

「御免」

 生田左近は表から声を掛けましたが、返事はありません。

「わしだ。生田左近だ。堀源之丞、おらぬのか」

 なおも、返事はありません。

 左近は庭先に回りました。

 戸という戸が、すべてぴったりと、閉め切られています。

「源之丞、おらぬのか。わしだ。左近だ。お主に用があって参った」

 左近が庭先で呼ばわりますと、戸がガタガタっと音を立て、スルスルッと開きました。

 暗い中から、ぬうっと、堀源之丞が顔を出しました。

 その瞬間、左近は思わずゾッとしました。

 堀源之丞は真っ青な顔色をして、すっかりやつれ切り、身体も痩せていました。

 たかが数日で尋常でない瘦せ方です。

 しかし、それよりも左近をゾッとさせたのは、源之丞の目付きでした。

 黄ばみ、血走り、やたらギラついているそのまなざしこそ、尋常ではありませんでした。

 一瞬はたじろいだ左近でしたが、気を取り直し、云いました。

「源之丞、具合はどうだ」

「これは、左近様」源之丞は気味悪くニヤリと笑うのでした。「御覧の通りでございます」

「実は、お主の力を借りたいことが起きてのう。養生しておるところを悪いが」

「いいえ」源之丞の声は、やたら大きく、明朗なのでした。「私めにお役に立つことあらば、なんなりとおっしゃって下さい」

 そう云って、源之丞はまたニヤリと笑うのでした。

 その、姿にそぐわぬやたら快活な声と不気味な笑みに、左近はまたゾッとしました。

「さあ、左近様」源之丞はニヤリと笑ったまま、云うのでした。「男所帯のむさ苦しい陋屋ではございますが、お上がりください」

 左近の心の隅にわずかなためらいが起きましたが、左近はそれを打ち消しました。

 病でこれほど痩せてやつれておる者に、何を恐れておる。

 自分をそう励まし、左近は庭先から源之丞の家に入りました。

 家の中は、すえた臭いに満ちていました。

 思わず、左近は袖口で鼻を覆いました。

「しかし、なぜこのように昼日中から、戸をすべて閉め切っておるのだ…」

 左近が云いかけると、突然背後で「キエエエエエエ~ッ」という、この世ならぬ、つんざくような、耳を覆いたくなるような叫びが、上がったのでした。

 続いて、陰惨な怒鳴り声が云いました。

「出たな、幽霊ども。今日こそ貴様ら、斬り伏せてくれるわ」

 左近が振り返ると、そこに刀を抜いて突っ立っている、源之丞がいました。

 一目で、もはや尋常ではない状態になっていることがわかりました。

「ま、待て」左近は叫びました。「源之丞、落ち着くのだ」

 しかしそれが、左近がこの世で発した、最後の言葉でありました。

「キエエエエエエ~ッ」

 奇声とともに源之丞は刀を左近に向けて、一閃しました。

 スパーンと、鮮やかに、左近の首が宙を舞い、天井にぶつかって床の上に落ちました。

 その首を、源之丞は蹴飛ばしました。

 左近の首はコロコロと庭に転げ落ちました。

 左近の立派な口髭を蓄えた首には、唖然とした表情が貼りついておりました。

「ギャーッハハハハハハハハハハハハハ…」

 源之丞は戸を蹴り倒すと、そのまま庭へ、そして町中へと、刀を振り回しながら、躍り出ました。

 そして、道行く者を、次々と、バッタバッタと斬り倒しながら、なおも奇声を上げ続けました。

「キエエエエエエ~ッ」

 源之丞の姿は、彼方へと…本城の方へと、向かって行くのでした。


 支城から本城への道筋には、死屍累々の有様となりました。

 この時、堀源之丞の刃に斃れた者の数は、数十名とも数百名とも云われ、ハッキリした数はわかりません。

 通常、こんな数の人を斬れば、刀は血脂(ちあぶら)にまみれ、刃こぼれもして、ひどく斬りにくくなるものです。

 しかし源之丞の刀はそんなことはまるでないかのように、出会う人出会う人を片っ端から斬って斬って斬りまくっていったのでした。

 本城の城下に入っても、源之丞の凶行は止まず、それどころか、ますますひどくなってゆきました。

 城下は、恐慌状態に陥りました。

 源之丞を取り押さえようと本城の侍が駆け付けたのですが、それもまたバッタバッタと次々に源之丞に斬り斃されてしまうのでした。

 そしてついに、源之丞は本城に躍り込んだのです。

 本城では、源之丞に矢を射かけました。

 しかし源之丞はそれも、刀を一閃して斬り払ってしまうのでした。

 源之丞は、不死身であるかの如くでした。

 源之丞は、まるで何か魔神のようなものに加護されているかのようでありました。

 いや、源之丞が、その魔神であるようにさえ、見えたのでした。

 この時、源之丞の背後に一郎重次の姿を見た、と云う者もいました。

 それも、複数いました。

 ことの真偽はわかりません。

 と云うのも、それを口にした者はことごとく、その直後に源之丞の刃に討ち取られてしまったからです。 その叫びを聞き、運良く生き延びた者が、後の世にそれを伝えました。

 とにかく源之丞は、本城の本丸へと突入したのでした。


「お屋形様、危のうございます。お逃げ下さいませ」

 衛藤修理が若月弾正に、もごもごと云いました。

「バカを申せ」弾正は一喝しました。「これまで敵に対して一歩も引いたことのないわしが、何故たかが一人に対して逃げ隠れせねばならぬ。わしが自ら成敗してくれるわ。槍をもて!」

 弾正は、傍らの千代に云いました。

「夕顔、おまえは逃げよ」

 弾正はさらに衛藤修理に命じました。

「修理、夕顔を安全なところに逃すのだ」

「はあっ」修理はかしこまりました。「では、夕顔殿、この爺が案内しますゆえ、ついて来て下さいませ」

 千代は衛藤修理について去り、弾正の手には槍が渡されました。

 弾正は騒乱の場へと向かいました。

 

 城の本丸に入ってからも、堀源之丞は無双でした。

 斬りかかっても、弓を射かけても、槍を突き出しても、源之丞はすべてそれを、手にした刀一本で斬り払ってしまうのでした。

 超人的な技でした。

 背後から襲おうが、上や下から狙おうが、同じことでした。

 ついには、誰も源之丞と戦おうとしなくなりました。

 皆、刀や槍や弓を持ったまま、源之丞を遠巻きにするばかりです。

 源之丞は、黄ばんで血走った眼をギラつかせ、不敵…というより不気味な笑みを浮かべています。

「ええい、皆、下がれ!」弾正は一喝して、その中に割って入りました。「わしがこの不埒な狼藉者を、成敗してくれるわ」

 弾正は槍をぐるんぐるんと振り回しました。

 そのため、遠巻きにしていた家臣たちはますます飛び退いたのでした。

「貴様、三郎介の家臣であったな。…名は…何であったか。名乗れ」

 しかし、源之丞はニヤニヤ笑いを続けるばかりで答えません。

「無礼者!」弾正は源之丞を一喝します。「名乗らぬか!」

 源之丞は相変わらず答えません。

「貴様、何故このような乱心に及んだのか」

 弾正は云いましたが、これにも源之丞は答えません。

「ええい、もはや問答は無用。この若月弾正、こやつを一撃にて、討ち取ってくれるわ」

 弾正は再び槍を大きく振りました。

 その途端、弾正も、遠巻きにしていた家臣たちも、一斉に「あ」と云いました。

 弾正の槍の先が、勢い余って天井板に突き刺さってしまったのです。

「キエエエエエエ~ッ」

 源之丞が、奇声とともに弾正に躍りかかりました。

 源之丞の刀が、一閃しました。

 若月弾正の首が、スパーンと飛んで、天井に当たって床にドスッ、と落ちました。

 その途端、源之丞は、ハッと我に返りました。

「せ、拙者、一体ここで何を…」

 源之丞は目の前に転がる弾正の首と、首を斬られ盛大に血を吹きながら倒れ込む弾正の胴体を、呆然と見やっておりました。

「こ、これは、お、お屋形様、一体、何があったと…」

 しかし、そんな源之丞の叫びは、「うおーっ」という、叫びとも呻きともつかぬ声を上げながら、一斉に躍りかかってくる家臣どもの前に、かき消されました。

 そして、堀源之丞の身体は元がどうであったかわからぬほど滅茶苦茶に、斬り苛まれたのでした。


 一方、千代は、曲がった腰をさすりつつひょこひょこ行く衛藤修理のあとをついて行っていました。

 と、修理は突然立ち止まり、「ここでございます」と云い、廊下の壁をグイ、と押しました。

 すると、廊下の壁が開きました。

 そこに、下への階段がありました。

「まあ、こんなところに階段があるなんて、知りませんでした」

「いざと云う時のためのものでございますよ」

 修理はそう云って、階段を下りてゆきます。

 千代も続きました。

 そこからは、ひたすらに階段を下り続けました。

 一度も人に会うことはありませんでした。

 やがて…。

 薄暗い穴倉のようなところへと、たどり着きました。

 その下には、もう階段はありませんでした。

 その代わり、横穴がありました。

 横穴の向こうに、うっすら光が見えました。

「あそこから、城の外に出られるのです」

 修理は、その横穴に入って行きます。

「足元にお気を付けくだされ」

 修理は云いました。

 その横穴の、半ばほどまで来た時です。

 突然背後で、バターンという、大きな物音がしました。

「ひいっ」思わず千代は悲鳴を上げました。「一体何です」

「この穴の入口を閉じたのですよ」修理はもごもご云います。「その狼藉者とやらが、入って来れぬように、閉めさせたのです」

「そうですか」千代はホッとして云いました。「それにしても、一体どんなやつでしょう、その狼藉者とやらは」

「はあて」

 修理はそう云っただけで、またひょこひょこ先を行くのでした。

 やがて、光の射すところへ来ました。

 そこは、空井戸の底でした。

 高梯子が一本、立て掛けられていました。

「この爺が先に上って、外が安全か、確かめて参りまする」

 そう云うと、修理はこれまでの動きが嘘のように、するすると梯子を登って行ってしまったのでした。

 あまりの敏捷さに呆気に取られていた千代でしたが、ハッと気付きました。

 慌てて、梯子に取りすがりましたが、すると、上から大きな石が投げ落とされてきたのです。 

 千代がひるんで梯子から手を離すと、たちまち梯子は引き上げられてしまいました。

 千代はなおも梯子に取りすがろうとしましたが、無駄でした。

「衛藤殿、何をなさるのです」

 千代は叫びました。

 すると、衛藤修理が上からのぞき込み、云いました。

「夕顔殿、そなたは我が若月家の御為にはならぬ。悪いが、このままここで死んでもらう」

 そしてさらに、大きな石が投げ込まれてくるのでした。

「何をなさるのです」千代は声を限りに叫びました。「私は…お屋形様のお子を、身ごもっておるのですよ」

「だったらなおさらじゃ」修理は云いながらせっせと石を、次々投げ込みます。「余計、そんな子は若月の御為にならぬ。その子には気の毒だが、これもお家のためじゃ」

「せ、殺生な…」

「そんなところにおると、石で頭を打って死にますぞ」修理は飄々と云うのでした。「穴倉に入っておれば、せめてその美しい顔に傷はつくまい。まあ、夢を見ていたと思うのじゃな。どうせ、穴倉で始まった夢じゃ。穴倉で終わるのも一興じゃよ」

 何故そんなことを衛藤修理が知っているのか…などという疑問を、千代は口にすることはありませんでした。

 そんなことより、千代は降ってくる石にたまらず、修理の云う通り、穴倉の方に避難せざるを得なかったのです。

 そしてそれが、この世に千代が姿を見せた、最後でした。


  

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