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夕顔殿始末  作者: 自嘲亭
1/14

その1

 今は昔…。

 そのころは、いくさ続きの世の中でした。

 とある場所に、一軒の百姓家がありました。

 そこには、実直を絵にかいたような男と、その娘が暮らしておりました。

 男の名は権三(ごんざ)といい、娘の名は千代といいました。

 権三には女房がおりましたが、先年、また起きた何度目かのいくさのために、命を落としたのでありました。

 その時、家も焼かれてしまいました。

 それまで権三は家を、川に近い、水回りの良いところに建てていたのですが、以来懲りて、森の中の、表からは家があるとはわからぬひっそりとした場所に、移り住みました。

 とはいえ、いくさのなくなる気配などなく、権三にはいったい誰と誰が何のために争っているのかなど皆目見当もつかぬのでしたが、ともあれ、いくさはなくならないのでした。

 ただ幸いなことに、森の中に移した家は、女房を亡くした時以来、再び襲われることはありませんでした。

 でもいくさはなくならないし、それはいつもすぐそばに押し寄せてくるのでした。

 おかげで、権三と千代は、いくさの気配というものに、ひどく敏感になりました。

 山の向こうのときの声、地をかすかに震わす、荒ぶる足音、あるいは蹄の音…。

 そういったものが聞こえると、権三と千代は、たちまち森の中に作った穴倉の中に逃げ込むのでした。

 穴倉は落ち葉や枯れ枝をまんべんなくまぶした蓋をすると、そこに穴倉があることなど、外からではまったく分からなくなるのでした。

 権三と千代はそこに、家を建て直して以来こつこつ貯め込んできた金やモノを、しまい込んでいました。

 いつ家が焼けてもよいようにとの、用心のためでした。

 しかし、毎日の衣食住のために必要なものは、家に置かねばなりません。

 穴倉の中に逃げ込んでいる間、権三は家が無事か、気が気ではありませんでした。

 権三は穴倉にいる間も、底へのはしごにへばりついて、せっかく閉めた蓋をうっすら開けて、家の様子をうかがっているのでした。

「おとっつぁん、そんなことをしていては危ないわ」

 千代は云うのですが、権三は家の様子をうかがうのをやめません。

 千代は、歳は十四、もうすぐ十五になろうとしていました。

 母に似て美しい娘なのでしたが、父親の命で、顔を汚し、髪もぼさぼさにしていました。

 なりも、男のなりでした。

「なまじ女らしく、身綺麗にしていたから、おっかさんはあんな目に遭っちまった。だからおまえは、身綺麗になどせんでええ。そうすれば、いざという時にも、ひどい目に遭わんですむ」

 権三は云うのでした。

 権三の女房、すなわち千代の母の死にざまは、ひどいものでした。

 その時彼女は、軽く熱があったので、野良仕事を休み、家で臥せっていたのでした。

 権三と、まだ幼かった千代が、野良仕事に出ていました。

 荒々しい蹄の音に気付いた時は、遅かったのでした。

 権三は、千代を抱えて森に逃げ込むのが、精一杯でした。

 女房のことは心配でしたが、それ以上に千代の命のほうが大事だと、権三は自分に言い訳しました。

 本当を云えば、権三は怖くて怖くて、仕方なかったのです。

 しかしやがて、きな臭いにおいが漂ってきました。

 山火事かと、はじめは思いましたが、森に火の気配はありません。

 ようやく権三は、千代を抱えて、森を出ました。

 権三は、自分の家が紅蓮の炎を上げて燃えているのを見ました。

 落ち武者なのか、野盗なのか、わかりませんが、そういった連中の姿は見えませんでした。

 権三は千代を抱えたまま、恐る恐る、燃えさかる自分の家へと、近づいてゆきました。

 権三はハタと足を止めました。

 家の外に、何か白いものがぼうっと、浮かび上がっているように見えました。

 それは、裸に剥かれ、胸を一刺しにされて息絶えている、己の女房でした。

 その身体には、明らかに男によって凌辱された痕が、ありありと残っていました。

 権三は地に突っ伏して泣きました。

 それまで、このあたりは平和でした。

 いくさなどというものは山の向こうの遠い場所の話だと、権三は思っていましたし、女房だってそう思っていました。

 だから、油断していたのです。

 権三はひとしきり泣くと、女房をねんごろに埋葬しました。

 幼い千代も泣きました。

 しかしその泣きっぷりは、権三よりはよほど静かでした。

 幼いゆえに死の意味が分からないのかと、権三は思いました。

 だけど、女房を埋葬した後、千代は母を恋しがるようなことは一言も云いませんでした。

 千代は、父親を困らせまいと、静かに悲しみに耐えていたのでした。

 権三は、千代を一人前に、無事に育て上げることが、自分が女房に託された使命だと思うようになりました。

 そういう幾年かを、この親子はひっそりと、過ごして来たのでした。


 再びまた、荒ぶる蹄の音が、遠くに聞こえて来ました。

 野良仕事をしていた権三と千代は、慌てて森の中の穴倉へと、逃げ込みました。

 だけど権三はまた、穴倉の蓋をそっと開けて、家の様子をうかがうのでした。

 いつもなら、結局のところ何も起きず、荒ぶる気配はいつの間にか遠ざかり、権三と娘はやれやれと穴倉を出て、ほっと胸をなでおろすのが常でした。

 しかし、この日は様子が違いました。

 荒ぶる蹄の音は、遠ざかるどころか、ますます近づいてきます。

 穴倉の中にもその音がとどろき、壁がわずかに崩れるほどでした。

「おとっつぁん、危ない。早く蓋を閉めて」

 千代は云うのでしたが、権三は蓋を閉めません。

 恐ろしさで身体が固まっているのと、幾分かの好奇心のために、蓋を持ち上げた手が、動かないのです。

 蹄の音は、ごく間近に、近づいてくるようでした。

 千代は思わず、自分の耳を塞ぎました。

 権三は、蓋を薄く開けたまま、固唾を呑んで表を凝視しています。

 その視界に、急に荒々しく、馬が一頭駆け込んで来て、止まりました。

 そして、そこから何かが飛び降りて来たのです。

 その瞬間、権三は蓋を閉じてしまいました。

 穴倉の中は全くの闇となり、何も聞こえなくなりました。

 権三も千代も、闇の中で押し黙っておりました。

 やがて、千代が恐る恐る尋ねます。

「何があったの…?」

「しいっ。声が大きい」権三はたしなめると、より小声で続けました。「侍だ。馬から飛び降りて、家の方に歩いて行った」

 それからややおいて、権三は付け加えました。

「家に金目のものは…もうなかったはずだが…ほかに何かあったかな」

「昨日のおまんまの残りがまだ…。それに、甕に味噌や漬物や…」

 千代が答えました。

 権三は再び、薄く蓋を開けました。

「おい」権三は表を見たまま、小声で云います。「そこに、薙刀(なぎなた)があるだろう。それを貸せ」

「えっ」千代は驚きました。「おとっつぁん、どうするつもりなの?」

「何、様子を見てくるだけだ。丸腰じゃあ不用心だから、薙刀を持ってゆくのよ」

「おとっつぁん、危ないわ。やめてちょうだい」

「うちン中荒らされるのを、黙って見てられるか。心配なら、お前も来い。もう一本薙刀があるだろう」

 千代は、いつも臆病な権三がなぜ急にこうも蛮勇をふるう気になったのか、まったく訳が分からず、オロオロするばかりでした。

 何故この穴倉に薙刀なんぞがあるかというと、それは、野山に山菜を摘みに行ったりしますと、行き倒れた侍の屍などというものが、結構多く転がっていたりするのです。

 女房が亡くなってからこの方、この辺りでもそういった屍は、割と多く見るようになっていたのです。

 その侍の持つ刀やら薙刀なんぞを、権三と千代は、持ち帰ってこの穴倉にしまい込んでいたのです。

 いざという時の用心のためもありましたが、そのうち売るつもりも、権三にはあったのでした。

 刀や薙刀、それに鎧兜は良い金になると、権三は死んだ女房から聞かされていました。

 ただどこでどうやって売ってよいのか、権三にはわかりませんでした。

 そこのところをちゃんと詳しく聞く前に、女房が死んでしまったからです。 

 だから、今のところはそういった武具を闇雲に貯め込んでいるだけでありました。

 それが急に、役立つ時が来たのでした。

 しかし実のところ権三自身も、なんで自分が急にこんな蛮勇をふるう気になったのか、よくわかってはいませんでした。

 刀や薙刀がたくさん…といっても合わせて十本程度でしたが…あるので、自分が強くなったような気がしていたのかもしれません。

 そして…。

 権三はオロオロしている千代に、さらに云いました。

「侍は、腰に刀一本しか差してなかった。薙刀は見ての通り長い。遠くからでも、侍を刺すことが出来る。おまえがもう一本持ってくりゃ、こっちは二本だ。数が勝る」

 千代は首を横に振ります。

「そんな…。だって相手は侍だよ。強いんだよ。薙刀なんて持ったことねえ私らが、上手く出来るわけがないよ。数の話じゃないよ」

「まだ侍を本当に刺すとは云ってねえ」権三はたしなめます。「様子を見るだけだ」

「なんでだよう」千代は泣き顔です。「家が焼き払われてもいいようにって、この穴倉を作ったんじゃないか。その侍がどっか行くまで、おとなしくここでじっとしてようよ」

「馬鹿云え。その間にも、あの侍は家の中を好き勝手に荒らしまわって、俺らが精魂込めて作ったおまんまを、食い散らかしてるんだ。そんなの、我慢出来るものか」

「だって…」

 さらに云い募ろうとする千代に、はしごからおりた権三の右手が激しく飛びました。

 蓋が閉まったので真っ暗になった穴倉の中に、パン! と頬を打つ音だけが響きました。

「親の云うことに逆らうな」

 権三は云い、手探りで穴倉の壁に立てかけてある薙刀を取りました。

 権三は穴倉の蓋をそうっと開け、そろそろと顔を表に出しました。

 とたんに、表にいた馬が、興奮して騒ぎ出しました。

「ヒエッ!」

 権三は驚いて梯子を踏み外し、穴倉の底に転げ落ちました。

「痛エエッ」

 権三は床に転がっているのですが、蓋は開いたままです。

 薙刀が妙な具合に梯子に引っかかって、蓋のつっかえ棒になってしまっているのです。

 千代は、とっさに権三のことはほっておいて、もう一本穴倉の壁に立てかけてある薙刀を、手に取っていました。

「おとっつぁん、静かに」

 千代は小さく短く厳しく、権三に云います。

 千代は固唾を呑んで、開いた穴倉の口を見つめます。

 ぬうっと影が、そこに現れました。

「やあっ」

 気合の入った一声とともに、千代は構えた薙刀を上へと突き出しました。

「ぐわっ…」

 男の呻きとも、叫びともつかぬ声が聞こえ、影は穴倉の口から消えました。

 千代が呆然としていたのは、一瞬でした。

 千代は薙刀を手に、梯子を駆け上がり、表に出ました。

「ぬうううっ…」

 甲冑姿の侍が一人、倒れてのたうち回っていました。

 口から血を吹いています。

 首を、手で押さえています。

 そこからも血が噴き出しています。

 侍が、千代を見ました。

 若い侍でした。

 その侍のまなざしを、千代はその後二度と忘れられませんでした。

 そこには、驚きと怒りと憎しみと悲しみが、入り混じっていました。

「千代、何をしている。とどめを刺さんか」

 千代が振り向くと、穴倉の口から権三が顔を出していました。

 千代はまた侍のほうに向き直りました。

 千代は、ためらいました。

 人など殺したことありませんから、当たり前です。

 すると、よたよたと、腰をさすりながら権三が千代の横に立ちました。

 その手には刀が握られています。

「これではもう助からぬ」権三は云いました。「いっそ一思いにとどめを刺してやったほうが良い」

 権三は刀を抜きましたが、そんなことを云うくせに、その手は震えているのでした。

「わしは、だめじゃ」権三は情けない声で云いました。「上手く出来ぬ」

 その間にも、侍はのたうち回り続けています。

 もはや目はうつろであり、声は出ず、妙なところから漏れる息のような音がするばかりです。

 千代は、目の前が真っ白になっていました。

 ただもう、このおぞましい光景が止むことだけが今の願いでした。

 千代は薙刀を侍に向け、また「やあっ」と気合の入った一声とともに、突き立てました。

 その刃先はざっくりと、侍の喉笛深くに突き入っていました。

 侍はもはやピクリとさえも動きませんでした。

 一陣の風が、ざあっと吹き抜け、樹々を揺らし落ち葉を舞い上がらせ、そして穴倉の蓋をバタン! と乱暴に閉めました。

 その音に権三と千代は、飛び上がりました。 

   

 

 

 

 

  

  

 

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