補論3 「社会化」の機能とその失敗
近親相姦タブーの根源的発生とは区別されますが、いったんそういう社会的規範が確立したとすると、その規範を子供たちがいかにして内面化していくか、つまりは「社会化」がいかに行われるかということが問われてきます。
ここではその社会化の場を4種類あげて考えてみることにします。
日本の伝統社会では、「地域共同体」が子供の社会化において大きな役割を果たしてきました。
親は子供に深刻なコミットをあまり行わず、子供は地域の同年齢集団の中でさまざまな価値を学び取っていきます。
どのような相手が、性的な「対象」としてふさわしいのかを、周囲の「欲望」のあり方の中から自然と学び取っていくのです。
ここでは、タブー、禁忌といったマイナスの条件付けよりも、好ましい美質といったプラスの条件付けが卓越しているように思われます。
近代化が進むにつれ、「親」の役割が肥大していきます。
「地域共同体」が無力化していき、「親」の責任ばかりが重くなるのです。
ここでは、「欲望」のありかたを適切に学ぶのは困難になってくるので、とりあえず「禁止」という形で抑制させていかざるを得ません。
最終的には親が結婚相手を決めてくるという形に収まりがちです。
「地域共同体」の無力化と併行して、あるいはその原因として、「公的」領域の肥大が行われます。
学校や、小説・テレビ等のマスメディアが、子供の社会化において大きな影響を持ちます。
学校においては、「性」的価値は極力回避され、「公民」としてふさわしい「人間」的諸価値を体得することを求められます。
マスメディアは、学校が回避した諸欲望を取り扱っていきますが、社会的に「美質」と思われる価値への賛美と、社会的「悪」の排除を求められています。
ここでは「恋愛」イデオロギーが、世界の中心に躍り出てきます。
近年インターネットの普及によって、第4の社会化の場が誕生しました。
「ネット」環境においては、「公的」な価値が軽視、ないし無視されます。
あらゆるアブノーマルな「性癖」が、子供の社会化(?)にダイレクトに関わってきます。
社会的規範は相対化を免れず、自然秩序と親和性の高い規範のみが生き残っていくのではないかと考えられます。
近親相姦タブーに関して、上のそれぞれで「社会化」に失敗する条件を考えてみます。
「地域共同体」の場合、そもそも「共同体」が存在しない、または機能していない場合、失敗する可能性は高くなります。
たとえば同年齢集団を形成できないほど人口が少ない場合、あるいは「村八分」などで共同体から排除されている場合などです。
「近代家族」の場合は、片親であったり、両親が共働きで不在であったりするケースが問題になります。
家族がそれぞれの役割を理解し、そこからはみ出さずに演じ続けることができなければ、破綻しやすくなります。
父親が仕事にかまけて不在がちの場合の「母子癒着」なども起こりがちです。
「恋愛」イデオロギーは、「近代家族」の補完物です。
子供の関心を、公的・社会的な領域に振り向けることで、「家族」内の軋轢を回避します。
ここでは近親相姦タブーは、関心のベクトルからいって「強化」されるばかりになります。
タブーの強化は、反動的にそこの潜在的関心を強めている可能性があります。
「ネット」は、あらゆる規範を相対化する方向に働きます。
かつてタブーであったものに対して、過度の関心が向けられる可能性があります。
「自然な欲求」としての「近親性愛」ではなく、「人工的な欲求」としての「近親相姦」がまず主テーマになります。
そして時間を経るに伴い、それもフラットになっていくと考えられます。