性規範の未来
近親相姦は犯罪ではありません。
ただ3親等以内の婚姻が許されていないだけです。
ただ、未成年の子女に対する性行為は、虐待とみなされる可能性があります。
正常な社会規範(性規範を含む)を、子供に内面化させるべく努力するのは大人の義務であって、これに反する行為は虐待行為に当たります。
世間のスタンダードな価値観はこの建て前の元に動いていて、これはこれで意義あることだと思います。
一方的に子供の性を搾取する、非道な鬼畜親といったものも実際多く存在しているからです。
「家庭」は非道な性的搾取の発生する「戦場」でもありえます。
それを社会や国家が介入する必要は、避けがたいものでしょう。
一方で、現在の家庭には、「引きこもり」現象が、「外部メディアにむき出しにさらけ出される」現象と、同時に発生するようになっています。
「近親性愛」というのは、一人でひきこもるのではなく、「二人」でひきこもる現象と呼ぶことができるかもしれません。
「外部」にもとめられるべき「性愛」が、「内部」で発散されようとしています。
これに「外部メディア」が刺激を与えていることはいうまでもありません。
性的刺激と、「近親性愛」を許容する価値観の双方です。
もし、「社会」の側が、「近親性愛」を問題視し、対策を講じようとするならば、短期的には「外部メディア」の取締りを企図するでしょうが、おそらくこれは失敗します。
それよりも、「外部性愛」に対するハードルを下げることで結果として「近親性愛」を減らす方向性が有効でしょう。
これには「性愛幇助」的な社会環境や労働環境など、さらには教育が必要になるでしょう。
社会のメジャーな価値観が「近親性愛」を肯定する可能性はあるでしょうか。
歴史を見る限り、原理的にはありえないことはなさそうです。
社会条件の変容が周知されていき、世代交代が進んでいけばそうなる未来が訪れる可能性はあると思います。
「同性婚」を認める風潮が海外で広がっています。
それが認められるなら、意外にハードルは低いかもしれません。
婚姻と性愛は別次元で考えた方がいいかもしれません。
表立っての婚姻制度においては認められないまでも、実質黙認・容認されていく可能性というのもあります。
内縁の夫婦関係を営み、私生児として子供を戸籍登録すれば、あとは本人とそれを取り巻く周囲の問題に過ぎません。
タブー意識が薄まれば、この路線は充分現実味が出てくるでしょう。
以上、「近親性愛」について、真面目に可能性を検討してみましたが、これは「近親性愛」を容認したり推奨する意図があるわけではありません。
ただ社会状況の変貌に伴い、「近親性愛」が自然発生する可能性が高まっていることから、不当な差別や混乱を避けるための基礎的考察が不可避と考えた次第です。
ぼく自身は、「外部性愛」の活性化を提言します。
来るべき変化を先取りすることをあせる必要はありませんが、すでに起きてしまっている変化に対しては冷静に対応していく必要があります。
冷静さと寛容を全ての人に期待します。