現代日本の家族関係
「家」というもののあり方は、近代以降大きく変化し続けてきました。
大家族から核家族に変わり、現代日本の基本的倫理観はこの核家族のイデオロギーになっています。
しかし、近年「核家族」も、変容しつつあります。
現在の「家族」はもはや、「核家族」とすら呼び得ない別種のものに変化してしまっているのかもしれません。
「家族」というのは、「外部」から閉じられた一つの共同体でした。
しかし、「現在の家族」においては、この閉鎖性がかなり曖昧になっています。
インターネットやスマホの普及は、メンバー各人が勝手に「外部」と接続することを可能にしています。
かつての「核家族」は、お茶の間に集合してみんなで同じテレビ番組を儀式のごとく眺めたりしたものですが、もはやこのような習俗も廃れ気味です。
話題も関心もばらばらになってしまいました。
それでも、人はつながりをもとめるものです。
「外部」にあっては容易に満足し得ない、「濃密」な人間関係をどこかで求めてしまいます。
それは「性」的なものを多分に含んでいるものです。
ここで「近親性愛」というものがあらためてクローズアップされる必然性があります。
それは、かつてタブーであった社会的条件がもはや失われた状況なのかもしれません。
罪悪感というのは、それをなすことが不自然であると感じるから生じるものであって、「外部」に属するメディアで「近親性愛」がさんざん実行されていて、「内部」においても「家族」意識が稀薄で「二人」意識のみが濃厚であれば、自然に、何の抵抗もなく、行為にいたったとして不思議はないように思います。
かつての道徳観は壊れかけ、新たなものに再編成される端境期にあるのではないかという思いが年々強まってきています。