日本における近親相姦
神話時代はさておきます。
日本の古代社会では、兄妹間の結婚は、母親が異なる兄妹間であればOKでした。
これは、当時子供は母方で養育されるのが普通であったため、異母兄妹は、実質別の家に属していたからです。
その頃は、血族間の婚姻に関するルールは相当ゆるいものでした。
たとえば天武天皇は、兄である天智天皇の娘を4人も娶っています。
(その一人が持統天皇です)
律令制度が整備されて、中国文化の影響もあってか、このような内婚制的性格は、支配階級にあっては氏族間の連携を重視する外婚制的性格に取って代わられていくようです。
しかし広く民衆一般はどうであったでしょうか。
山間部の狭隘な部落においては、外部との交流をほとんど持たない閉鎖的な風習を持つところが数多くありました。
このようなところでは全てのメンバーが血族関係にあり、その成員間で濃厚な血のやり取りを重ねていたとも考えられます。
このような場合、今でいう「近親相姦」タブーというのは、ほとんど意味がないことです。
部族内の序列において害がないことが担保されれば、本当に近い間柄であっても夫婦関係になることはあったでしょう。
明治や、場合によっては高度成長の頃まで、このような閉鎖的部落は存在していたようです。
これを「おぞましい因習」呼ばわりするのは、外部の身勝手な視点です。
あるいは、山間部の僻地以外にも同様の閉鎖性を持つ「共同体」は存在したかもしれません。
あるいは、普通の「家」に囲まれたさなかにも、そのような特殊な「家」が紛れ込む状況といったものも、思いのほか多く発生していた可能性もあります。
日本人にとって「近親相姦」というのは、意外に身近に転がっていた可能性があります。
誰もが口をつぐみ、隠し、なかったことにしていったけれど、そのような罪と恥の記憶をぼくらは隠したまま、「日本の美しい伝統」をでっち上げているのかもしれません。
それが生々しい記憶であったうちは、明るく「近親相姦」をファンタジーとして楽しむことはできなかったでしょう。
いやポルノ作品においては、怖いもの見たさで、かつて感じたリアリティを追体験したいという動機が結構あったと思います。
しかし、近年はその傾向は相当薄らいでいます。
あっけらかんと「近親性愛」を楽しむ作品が、年ごとに増えてきています。