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孤独者対応・随時ダウンロード型 インターネット小説介護  作者: OufPuf介護福祉研究所
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愛される道理

心やさしい、美白な29才、マヨ。尽くしすぎるのがいけない?それとも。。。

挿絵(By みてみん)



今日は来ないのかな。



ここに座って、二時間が経過しようとしている。



満開に開いたソメイヨシノの花びらは、冷たい雨つぶに打たれていた。



時おり、風に乗ったしずくが、ホームまで運ばれてくる。



待合室のガラスのかこいの中では待たないで、ソメイヨシノが見えるホームのはし。マヨはベンチに掛けて、無数と開いて雨に打たせつつある一本の大木に目をやった .........



サトヤマ ママヨ。



少し難しく書けば、



郷山 眞萬世。



みんなは、



マヨ、とか、



マヨちゃん、と。



本当は、自分でも「真代」ぐらいが良かった。「眞萬世」とは、お父さんがつけた。



何を思って、そんなゴッツい名前をくれたのか。ききたくても、ききようがない。



生まれてすぐに、名付け親のお父さんは蒸発した。たぶん、女の人と。



おばあちゃんが事件を思い出しているときは、決まって情けない顔になっている。



自慢するようだけれど、おばあちゃんの面倒は、ほぼ自分が見ている。



お母さんはスーパーの店長が忙しいし、兄貴は身勝手にも一人暮らしを始めたと思ったら、とたんに同棲する相手を作った。



88才になると米寿と言うんだとか。おばあちゃんは今や要介護5。認知症も重くなる一方で、まあ、介護保険のチャンピオン級利用者だと思う。



自分だって働いているから、ヘルパーには来てもらっている。けれど、何といっても一番介護してるのはこの私だ。



ヤスダ君、すっぽかすつもりだろうか。



雨ふりの日に二時間も。年上の女に寒い思いをさせて。



普通、ありえない話だ。



でも、ヤスダ君には前科がある。



今みたいな事は何度か経験している私なのだ。去年のクリスマスの日、三時間以上も待たせた挙句のドタキャン。



仕方がないと許している。ヤスダ君も、ある意味介護がいるのだから。



ヤスダ君は障害者手帳の持ち主だ。



グループホームでは、そう噂している。



グループホームというのは、おばあちゃんと同じ、ボケたお爺さんとお婆さんが、グループになって肩を寄せ合いながら暮らす、寮みたいなとこ。自分もヤスダ君も、そこで働いている。お爺さん達お婆さん達をお世話するかかりだ。



もっとも、日頃からヤスダ君を噂するのは、ボケたお爺さん達お婆さん達ではない。



そうではなくて、彼は少し変わっているから精神障害者保健福祉手帳を持っているんだって!と言い言いするのは、口さがない職員であるおじさん達おばさん達だ。



つまり、ヤスダ君の同僚であり、自分の同僚でもあるところの、お世話がかりをするおじさんおばさん連中が、愛するヤスダ君のことをそんなふうに言っているのだ。



。。。そんなふうに言っているのだけれど、やっぱり本当であるらしい .........



彼と一緒に働いているグループホーム。全部で18人のボケ老人が暮らす。



たまに死んじゃって、そんな時にはすぐに次のボケ老人が替わりで入ってくる。ここ一年のうち、四人ばかり顔ぶれが新しくなった。



ボケなんて言うと、お年寄り差別につながる言葉だと怒りだす人がいるけれど。差別する気持ちはサラサラない。



自分でも今風に、「認知症」、と言ってみはするものの、なにかピッタリ来ない。要介護5のおばあちゃんは、最近「認知症」が悪くなった結果、ボケた。うちでは、お母さんだっておばあちゃんだってそう言って嘆いている。



去年の1月、タウンワークに出ていた求人に応募して、面接に行った。ホーム長を務める井澤という、ケアマネを持っているとかいう人に向かって、おばあちゃんの話をしたら、「明日から来れる?」と、その場で採用された。



「郷山さん、ここに来たら、ボケという言葉は禁止用語だからね。それだけは絶対ね」とこれだけは厳重に注意された。



だから、勤務中は認知症と言うようにしている。言うようにしているけれども、それは、どうしても「認知症」と言わなければならない場合。だって、本人が聞いている前で、「認知症」と言って良いはずがないではないか。



そこが、他のおじさん職員おばさん職員の気に食わない点だ。



「このオトーチャン、認知が入ってるんだから、そんなこと言ったって駄目!分かるわけないだろ?」と、おじさん職員。



「ユキエさん、なんか認知がひどくなったよねええ。いつからだっけ、今みたいに認知っちゃったの」と、おばさん職員。



同じ流れで、「ヤスダ君は精神障害者保健福祉手帳を持ってるんでしょ?セーシンなんだって」と噂しているのだ。セーシンではなく、ちゃんと精神障害者と言えないものだろうか。自分は「認知」などと、変なように単語を短くするのが嫌いだ。



むろん、大事な利用者様であるお爺さんお婆さんを「ボケ」と指さす自分でもないから、井澤ホーム長の注意は余計だった。「ボケ」の語を使用するのは、当該老人の聞いていない所に限っている。



精神障害であるらしいヤスダ君は通称『シャローム組』といっている一階に、自分は通称『ホサナ組』といっている二階に、二人は別れて配属されている。



一階には9名のボケ老人。二階にも9名のボケ老人。あわせて18名がグループ生活している。



『認知症対応型共同生活介護 高齢者グループホーム アガペの楽園』



長たらしい看板を出した職場は、キリスト教の牧師様が社長なんだとか。井澤ホーム長も信者さんに違いなく、お爺さんお婆さんにまじって食事する時は、箸を取る前に必ず目を閉じてお祈りするし、そういえば面接の日に伺ったホーム長室の書棚には、聖書が見えた。



いろいろ変わった名称は、おそらくキリストと関係があるのだろう。



そういうキリスト施設のくせに、働いている職員がなっていないだらけなのは、就職した初日より不満だった。



なっていないのは職員ばかりでなく、宗教宗教した井澤にしてからが、態度がでかい。



なんぼボケているとは言え、三十歳も四十歳も年長の利用者様を相手にタメ口はないであろう。ヘルパー二級しか持たない私だって、それぐらいは理解しているのに。



おばあちゃんを介護しなけらばならないようになって、知識と技術の不足を補おうとN学館でやっているヘルパー二級講座を受けに通ったものだけれども、一日目の座学、劈頭第一に教わったのは:



「利用者様はみな人生の大先輩です。馴れ馴れしい友達口調は絶対にいけません。実習先の施設にはN学館の受講生として行くわけですから、くれぐれも気をつけてください。まして、チャン付けで呼ぶのなどは言語道断です」と。あれでホーム長だろうか。



井澤は悪い人でない。決して悪くはない。むしろ、いい人だ。おばさん特有の態度のでかさだけは癪だけれども、それさえ目をつぶるなら、非常に良い人だと認める。



なんせ、こみいった事情を持つ私のワガママを容れてくれながら雇っているのだし。



ほかの職員は月に数回、18時間ぶっ通しでする地獄の夜勤をやらされる。



でも、私はおばあちゃんの介護があるからと、免除してもらっている。



そればかりではない。通常、介護職員という職種は、毎日がバラバラ。早番、日勤、遅番、夜勤、と、日によって出勤の時間が違う。その為に体をこわす羽目になって、辞めてゆく人間が多いからこそ、自分のような者が即日採用になったようなわけでもある。



なのに、自分は9時から18時までの「日勤のみ」との約束で入っている。



夜勤をやらないのは自分と、あとはヤスダ君。そのヤスダ君でさえ、早番から遅番までは、様々やらされるのに。



日勤のみの、メッチャ規則的な働き方だから、思った時にこうやってデートの待ち合わせでも何でもできるのに。



だからホーム長は良い人だ。



逆ギレしているのは自分のほうなのかもしれない。つまらない考えを繰り返している私がいけないのだろうか。



とうとう来るものが来たという感じだ。そのうち言われるだろう、言われるだろう。自分でも分かっていた。就職して半年ぐらいから、いつもホーム長が私を見る目。



分かっている。面接の時からクギを刺された事項なのだから仕方がない。



「郷山さん。是非働いてもらいたいのよ?是非あなたには来てもらいたいと思うんだけど、、、」井澤ホーム長は切り出したっけ。



「うちとしてもこういう事はなかなか言いにくいんだけど。郷山さんね?ちょっと太り過ぎ。介護をやりたいんなら、まずは自己管理だよ?」



働きはじめて間もなく、健康診断で計った163センチの身長に対して104キロだった体重は、今では反対に10キロほど増えている .........



ところで、彼女とヤスダ君に内緒で、読者だけにはお伝えする気の毒な事実がある。



それは何かといえば、陰でヤスダ君をあれこれ噂する先輩職員について腹を立てるマヨ。だが自分にしろ、先輩達の標的たるを免れないのである。



イチノジョウ。



近ごろ人気者で上記のごときをシコ名とする力士がいるという。そして、聞いていない所に限って、そうアダ名しているらしい。



「おい、イチノジョウどこ行った?」「201号室の北島さんのオムツ交換、イチノジョウさんに早くしてと言って!」と、こんなふうに。



なぜまたこれが気の毒かなら、もしも仮に体重を半分に出来たその日には、きっと美人の仲間に入れられるであろう、生まれもった器量をマヨは備えているからで。



肌が抜けるように白い。実に惜しい逸材といっていいのだ。



証拠に、去年のホワイトデーあたりだったか、ある朝、電車を降りる時に、秋城という、一階で働くおばさん職員に声を掛けられて、ホームまで歩いたことがあった。



横断歩道の信号を待つあいだ、ぎゅっと二の腕を掴みざま、マヨちゃん絶対モテると思うよ、頑張って痩せてごらん、と、もみもみされたので顔をしかめた。だからあながち筆者一人の贔屓目ではないと考えたい。



おっと、そうではない。どうも筆者としたことが、とんだウソを書いたかもしれない。



去年のホワイトデーと言ったらアガペの楽園に就職して間もない頃で、「マヨちゃん」といってくれる者はなかったろう。



みんな「ヤマちゃん」、でなければ、「ママちゃん」、というふうに呼んでいたはずなので。中学校から大学まで、ずっと「ヤマちゃん」と「ママちゃん」だった。



本人はこれが嫌でたまらず、お願いだから「マヨちゃん」にしてええ!!と同級生に哀願するのを常とした。悪いけれども、筆者などは「ヤマちゃん」だったか「ママちゃん」だったか、あるいは「マヨちゃん」だったか、今でも混乱する。



(バリエーションで「ヤマっしー」「ママちん」等等もあったようだけれども、わずらわしいから以上で省略する。大事なのは、いかにして現在の「マヨちゃん」と呼ばせるに至ったか、だ。)



マヨちゃん、と楽園でなった裏には、ヤスダ君の尽力がある。



勤めてふた月み月も過ぎてみると、引っ込み思案で友人の少ないマヨでも段々とフレンドリーな話をするお爺さんお婆さんが出来、仕事に行く毎日が励みになった。



自分は二階『ホサナ組』の勤務。日勤開始である朝9時少し前に、一階の楽園入り口を入った所でタイムカードを打刻。そうして階段を登る。(エレベーターが使えないではなかったが、運動するつもりで登った。)



よく同じ時間に打刻して、一階『シャローム組』に入ってゆく青年。



日勤が終了した夕方6時、一階へ降りれば、また打刻している青年。それがヤスダ君だった。



マヨとつくりが違うヤスダ君は、顔が良くない。俳優の不破万作にそっくり、と書くとしたら、不破氏の面貌を軽んずる一方で、ヤスダ君にはちょっぴり得をさせる結果になるだろうか。とにかく、高校の三年間を万作万作と言われ通した。(大学の入学式直後にマヨがよこした写メを見ると、女優の島田陽子を思わせるけれども、現在はイチノジョウを思わせるらしい、と書かなければ島田氏に良くないだろうか。)



万作時代よりも前から分厚いレンズを入れたメガネをかけていた。これで十日も二十日も無精してヒゲを剃らずにいてみよ。ちょいと凄みさえ帯びる。慣れないうち、『シャローム組』ではまた何が来たのかと怯える高齢者がいたという。



如何にもごもっともな待遇だったというのは、顔は仕方のないこととして、きゃつの仕草がいちいちいけない。斜に構えてアゴを突き出し睨んだ様子は、何のことはない、伊丹十三映画のチンピラ役に扮した不破氏そのものと言ってよかろう。全体どこでそんな芸を覚えたのかと、いぶかしまないではいられぬ。



「マジっすかー!ユキエさんのトイレ介助っすかー。俺ウンコ付けられんの嫌っすよー。ユキエさんにウンコ付けられたら先輩に責任とってもらっていいっすかー」といった言葉づかいが、すでに二年目となったこんにちでも直せないでいる。



本人にしてみれば冗談めかすつもりが、その「っすか」「っすよ」口調と、人相の悪さと、伸びたひげがダラシない等のために、冗談が冗談の効能を持たないのだろう。



マヨの為には、しかし、チンピラの迫力が役立った。ある晩、ホテルでベッドに腰をおろしながら、ヤスダ君に悩みを打ち明けた:仕事でみんなにヤマちゃんママちゃんと呼ばれるのが苦痛だ、マヨちゃんにして欲しいのに、と。すると、



「あのっすね!郷山さんは、マヨって言うんすよ。ヤマって何すか。本人メッチャ嫌がってますよ」



とこんな風に『シャローム組』のお爺さん達お婆さん達に告げてくれたのみならず、一階と二階にいる職員全員、はては井澤ホーム長をもその都度諭して歩いてくれたお陰で、今や「マヨちゃん」がすっかり定着した。



したがって、言うほど悪人でもなければ、変わってばかりいるわけでもなさそうだ。たしかに優しい一面をも併せ持つヤスダ君なのではある。



実は、白状すると、そういうヤスダ君のかっこいい両面性に、マヨは惹かれた。実に、胸がきゅんとした。



これはまだ二人がデートするずっと前の、ごく馴れ初め談をするのだけれども、ある日のこと、例によってマヨは勤務を終えた。階段を降りて一階の打刻機でガチャン、楽園をあとにしようとした時だった。



シャローム組の扉が開きしな、人が出てくるようだった。マヨが振り返って



「お先に失礼します」



と言いおわらぬうち、



「ちょっと」



と呼び止めるヤスダ君。出て来たのは例の青年だった。



「なんかついてますよ」



気づくべくもなかったが、マヨの背中に赤いしみがべっとり。



ホサナ組に、マヨを見ると抱きつく事を覚えたボケ老人がいる。尾籠な話、個室を訪ねたりすれば、物陰に潜んで、ズボンをおろした格好で待ちかまえている。飛びかかるが早いか、部位をなすりなすり、「お前どにに行ってたんだよ。ここんとこ顔を見ないから寂しかったじゃないか。用事はもういいの?」とやる癖がある。



個室ならまだ良いのだけれども、マヨがお風呂の当番で勘違いされた日には偉い騒ぎになる。



さっき、二階の出口で外履きに替えていたら、晩の食事を始めていたその老人が、口に食べ物を含んだまま寄ってきながら、背中の上に倒れこむような形でおんぶした。



「俺を置いてどこに行く気だ!お前、どうして冷たくするんだ?俺がイヤになったか?」



メインディッシュに出たオムレツ。かけてあったケチャップがマヨの後ろへと移されたのに違いない。



ぎょっとするマヨに歩み寄って思いきり鼻孔を近づけ、ヤスダ君らしい不躾さで女性の背中を嗅いだ。



「ええ、いやだあ。なに?」



「どうしたんすかあ、これ」とそこを撫でる。



「これやばいっすよ。うち近いんすかあ」



自分の尻尾を追いかけてグルグル回る犬ででもあるかのように回ろうとするマヨ。その背面へ執拗に鼻をこすりつけたまま二人同時に回転しだした。ヤスダ君が不破万作と著しく異なる点は、180以上もあろうかという大男。



「ちょっと、やめて。何するの。失礼でしょ?」



「だってこれどうすんすかあ。ケチャップっすよ」背中を嗅がせた大男に鼻をひくひくされた。



「ええ?どうしよう。目立つ?」



「目立つどこじゃないっすよ。どうすんすか?これ。まじやばいっすよ」



「ええ?着替えなんか持ってないし。どうしよう。洗って帰るわけにも行かないし」



「こっからうち近いんすかあ。歩いて帰れるんすかあ」



「ん、ん?電車で」



「そらやばいっすね!」何と思ったか、背負っているリュックを下ろすと、羽織ったジャンパーを脱いでいるヤスダ君。



「こうやって隠せばいいじゃないっすかあ。これで帰ってください」と掛けてくれるではないかあ。



「返す時はちゃんと洗濯して返してください」



「あ、もちろん。いいの?今日寒いのに」



「自分は大丈夫っす。明日返してください」



「ん、分かった。ありがとう。お名前は?」



「名前なんかいいじゃないっすかあ。それより明日洗濯して返してください。自分もそれしかないんで」



「ここの職員さんですか?」



「職員に決まってるじゃないっすかあ。じゃなかったらこんな所にいないっすよ」



「明日は何時からの勤務なんですか?なに番ですか?」



「自分はあした早番す。じゃ、もう帰っていいすかあ。急ぐんで」



必要事項のみ言いおいたら脇をすり抜けて、あとは振り返りもしないで行ってしまった。



慧眼な読者諸君であってみれば、上の瞬間をおりに我らが主人公であるマヨが恋の疫病神にとりつかれるようになったのは言うをまたないであろう。



であるから、それについては後述するものとして、今少しこの女主人公の、この時の心理状態を察してみようと思う。



さっき背中を嗅がせた際、さも当惑げな表情を示したのには、マヨはマヨなりで笑えない事情があった。



それというのが秋城。二人で出勤途上、信号を待つ横断歩道のところでちょっと触れたおばさん職員だ。一階シャローム組専属の。



この秋城が、「秋城スマイル」と評判をとる人なつこさにも似合わず、これがまた楽園一の毒舌おんななので。



腕をもみもみされながら指摘をうけたことに、本当は、あれ以外にもまだあった。



「ヤマちゃん、」(と呼びかけたのだったか、それともママちゃんだったか、それはともかく)「あのね、あなた脂がたまりすぎて浮いて来てるでしょ?分かる?顔がテカテカしてるじゃない。髪の毛のギトギトだって何それ。ビンツケ油?って思っちゃう。おまけに汗の臭いったらないよ?利用者さんに失礼でしょ?ほんともったいない。痩せないのは自虐行為だし迷惑行為じゃない?」



秋城に叱られてからというもの、脂症と体臭を怖がるあまり、朝な夕な思い出しては自己ケアを施す毎日を過ごしている次第だった。



そこへいきなり彼の鼻が来たのだから、凍りついたマヨの心の内に、諸君も共感を覚えないではいなかっただろう。



言われなくたって、洗濯機にかけもしないままジャンパーを渡す自分であるものか。二度三度と念を押されたのには、まったく、がっかりしてしまった。ケアの甲斐がなかった証拠だ。



さして面識があるわけでもないのに、ああクンクン嗅いで、彼は何と思ったろうか。人に失礼を与えぬばかりの汗の香を、今ごろ家に帰りながら笑っていはしまいか。



それとも ......... こう考えるのは心配し過ぎか。日頃の消臭努力が功を奏していないなどあるだろうか。洗濯を求めたのに他意があったのではなく、ケチャップのついたジャンパーを返却してくれるなよ、と単純にそういう意味だった可能性がないだろうか。(後日お茶デート中、会話の文脈によって、正にそういう意味だったと知ったときは、それこそ安堵の胸をなでおろしたマヨだった。)



(帰宅してすぐにコインランドリーへ行った。翌朝に間にあうようジャンパーを乾かすには乾燥機がいるけれど、家にない。ランドリーが出来上がるのを待つあいだも、臭いの心配で頭が一杯 .........


が、過ぎたことはこれくらいにしよう。)



何にしても、ドライな男子だ。ああいう親切を、つっけんどんなまでに、恰もそれが口に出すほどの行為ではないかのように、サラッとやってのけた。女性のハートをわしづかみにする憎い方法ではないか。



時がたつにつれて、心配よりも恋心のほうが育ちはじめた .........



マヨを知る者にすれば、これを微笑ましいニュースとばかりには聞けない。



ヤスダ君と現在のような関係におちいる前にも、身をこがす恋の経験を幾度かした。自身が痛みを味わうくらいならまだしも、マヨの愛は、相手にさえヤケドを負わせる威力をもつ。



これは大学三年生の時分、アルバイト先であるラーメン屋の店長に熱を上げた。当時店長は46歳でバツイチ。はじめこそルンルンして面白かったけれども、会いたい時に会ってくれないのが不満になり、朝まだきラーメン屋に無断出勤した。誰もいないのを幸いと、うちでしたためてきた書をカウンターに遺し、睡眠薬を飲んで店の床の上でごろんとなった。



あとから出てきた副店長が呼んだ救急車で運ばれたので、命に別状はなかった。今どき睡眠薬を飲んだり舌を噛んだりしたくらいで死ねるものではなく、その程度の知識なら中学生だって持っていよう。となると、店長をおどかす芝居を打ったのだと考えられなくもない。自殺するにしてからが店の床でやることはなかった。



以後、店長は再び顔を見せることもなく、薬が効きすぎたのか実家のある広島へ帰ってしまい、店は一遍に従業員二人を失った。



マヨに実家の所在地を知らせてなかった店長は運に恵まれていた。追いかけられたろうから。そうして当て付けに自殺未遂を繰りかえす「自殺屋ストーカー」に変身されたろうから。



憶測ではない。新しい人を見つけるたびに、どんどんマヨの恋は大袈裟になる。



店長を皮切りに、相手の数は四人五人にも及んだろうか。その夜限りのともは勘定に入れない。それだと、まず10人15人では済まないだろう。



四人五人全部がひどい目にあったと言って差し支えないと思う。



朝だろうが夜だろうが、仕事中だろうがなかろうが、家族を連れてディズニーリゾート中だろうがあるまいが、応対を求められる。電話、メール、ライン、メッセンジャー、ハングアウト、直接訪問、と、手段は尽きない。



うっかり住所を教えた日には、よくあさ電柱の陰から家の様子を探っている。そうしてラインチャット:5分以内に角のファミマまで来てくれますか?



ラインのありがたくない機能は、こちらの「既読」を先方へばらすのだ。使い方を知らない始めの頃、筆者もマヨが送りつけてきたラインを読んでしまった苦い経験を持つ。(メッセンジャーとハングアウトにも似たような落とし穴が備わっているそうな。Google Play へ行けば既読を隠すアプリがあるやらないやら、そのへんの事実は、筆者よりもスマホの用法に詳しいお友達に聞いて欲しい。)



さて、5分以内の呼び出しに応じないでいると、すぐに次のラインが着信する:これから京王線が人身事故の影響で止まると思いますから今日のお出かけを見合わせてはいかがでしょうか、と。



で、喜んでファミマへ飛んで来るという寸法だ。



さっき、愛する人を脅かす芝居であるかのように、マヨの行ないについて印象を与えたかもしれない。しかし、「芝居」の一言で片付けるには、いささか芸が細かいように思えなくもない。



せんしゅう階段から落ちてみたらこんな感じになりました、と松葉杖をついている。



今日は7針縫って来ましたと二の腕をまくり上げる。(人の気も知らないで秋城がもみもみしたおり、ちょうど5針縫ったあとだったから痛かった。)



そういうのは毎度のことだ。



だからといってまた、マヨの捧げるものが真実の愛でない、一方的に要求するほかに知らない自己愛だ、とするのも間違いだろう。むしろ、これと決めた男に対しては、とことん捧げる。



例えば、しばしばファミマで落ち合ったという、京王線ぞいにいた彼。大きな製薬会社で課長のくせに、「でぶ専クラブ」とやらの高給アルバイトをして稼いだ金を巻きあげていた。巻きあげた課長も課長だけれども、入れあげたマヨもマヨで自らすすんで見ついだ。



金を横取りしたり呼び出しをくったりと、奇妙な浮気が分かって、課長は一家を離れ胃のために漢方を服用しながら西武線ぞいのアパートで独身暮らしを始めたが、気が向けばマヨが手料理をさげて見舞いにいく。なんらかの関係は続いているらしいものの、ヤスダ君という思い人が出来た以上、そうしょっちゅう泊まらないし、大金もやらない。



ところで、ヤスダ君は四人五人の仲間に含まれない。10人15人超の内にすらカウントされないのである。



ガスト、あるいは、今では両人が行きつけているサイゼリヤで十数たびデートする既成事実を積み上げた、確か、去年の十月になったころ、暮色に染まる池袋北口の街を彷徨したついでに、思い切ってヤスダ君の袖を引っぱった。



「ねえ、ちょっと休んで行く?」



デート、といって、それはマヨがデート、と解釈しているものだから、筆者もデート、と書いた。ヤスダ君は、年上の人とメシ、と考えていたようだ。



しかしヤスダ君も変なやつで、「休んでいく?」と聞かれて、



「いいっすよ」



と答えたという。



で、部屋に入ったは良いが、期待通りに事が運ばない。並んで掛けているのに、彼からはしゃべることもしない。前を向いたまんまぼんやりしている、首をかしげ顎を突き出した格好で。例のあのチンピラ気取りで。



「何か飲む? → いらないっす」 (沈黙) 「のどが乾かない? → 乾かないっす」 (沈黙) 「何かする? → いや、いいっす」 (沈黙) 「シャワーどうする? → 大丈夫っす」 (沈黙) 「汗かいてない? → かいてないっす」



こんな一問一答をいつまでも続けている。ゴーグルのような眼鏡をかけた横顔は、その見ている方に焦点があっているのかいないのかも分からない。



十五分もすると、さしものマヨもいたたまれなくてか、覚悟を決めた。いきなり彼の首っ玉へしがみつくように挑みかかった。



100キロを超える女とは言え、向こうも柔道で鍛えたという大きなガタイ。そこはそれ男の力ではねのけられてしまった。



「なんすかあ」と、やっとこっちを向く。怒った様子はない。無表情に近い。



マヨとしても初めてのケースに面くらった。何か言って取りつくろうのだけれども、



「ヤスダ君聞いてくれる?」



と日頃の悩みを聞いてもらうていで場をしのいだ。おばあちゃんの介護が大変になりつつあること、ここのところずっと兄貴と口を利いていないこと、自分には友達といえる友達がいないこと、楽園でヤマちゃんと呼ばれるのが心外なこと、など。



そうして、たいして成果のないまま再び池袋北口の街角に姿をあらわした。以来、怖気づいてヤスダ君とは手をつなぐ行為さえ試せないでいる。純然たるプラトニック交際を誇る二人なのだ。



これに関連しては、マヨ自身にさえも簡単に説明のつかない話がある。



今だって、彼を待って既に二時間以上、雨がぱらつく駅のホーム、待合室に入ることもしないで、冷たいベンチ上でつくねんとしている。



普通、ありえない。



とっくに爆発している自分だと思う。



なで斬りにしてきた男ども。いや、相手が男だろうと女だろうと関係ない。おかしいくらい怒りにブレーキがかからなくなる。怒れば怒るほど、さらに怒りがこみ上げて、爆発しないではいられなくなる。普通だったら。



でも、ヤスダ君の場合、それがない。怒りがないのか、というと、怒りはある。怒りが抑えられるから不思議だ。



もしかして、まだHも何もしていないせいではないか。



そうではなくて、彼が精神障害だからだろうか。犯罪者だからだろうか。多くの男とHしたけれども、刑務所の生活を知っているのは彼一人ではあるまいか。別段それを理由に恐れてはいないと思うが。



出所したあとでも悪い縁が断てないで、押入れの奥深くに注射器が隠してあったのを、一度アパートに上がり込んだ時に見せてくれた。



もっとも、旧友と会うのはやむを得ない場合だ。向こうがヤスダ君に助けを求めてくる。しかも、外でしか会わない。決してアパートを教えることはしない。



助けを求めるわりには敵もさるものにて、そっとカバンの中に注射器を滑りこませるから非常に迷惑だ。たまに負けそうになる。そんな弱音をはいていたっけ。



ムショ帰りの身をかばってくれた大恩人 ......... 牧師様と、それから井澤ホーム長。牧師様とホーム長にも言わない秘密を、そうやって自分だけには言ってくれるのは、やっぱりただの同僚以上、友達以上と見ているからと考えていいのだろうか。



だったら、ドタキャンなんてことはしないはずなのに。せめて連絡ぐらいはくれて良さそうなものだのに。彼のドタキャンは無断キャンというか、事後キャンというか、ひどい。次の日になってから知らせてくることがある。



事情を聞けば、まあ、のみこめないでもないけれど。



クリスマスの日に三時間待たせの「悪い、今日行かねえ」の電話は、牧師様の教会からかかってきた。



ヤスダ君が入っているアパートの近所に大きな公園がある。仕事帰り、公園を通り抜けて帰宅していたのが、またどんなハプニングがあったのか、そこで暮らすホームレスの中年男と口を利くようになったのが去年の12月で、25日の日、夕方から牧師様の教会でクリスマス会をやっているところへ二人で現れ、仲間に入れてくれろと言った。



折からパーティー中だった牧師様も、教会員も、その子供らも、そのまたお友達らも、みな鼻をおおった。そっとヤスダ君を脇へ呼んだ牧師様が、



「ダメだよ、あんな人連れて来ちゃ!うちは慈善院とは違うんだから」



これを腹に据えかねたヤスダ君が、ヤクザ屋さんまがいの言語を用い始めたので、それで一悶着あったらしい。



何がむかついたかと言うと、教会の看板には、「重荷を背負って疲れた人は休ませて上げます。どなたでもご自由にお入りください」、とそんなふうにデカデカと書いてあるではないか。夜はネオンで飾ったりなにかして、いけしゃあしゃあとそんな宣伝をしている。



それなのに、何だあの言い草は。



自分はまだいい。いちおう教会員にはしてもらっているのだし。まあ、これについては母親のコネがあったと言いながら。



母親のオバちゃん友達に教会の熱心な ─ ほとんど気違い的といっていい ─ 信者さんがいて、恵美子さんというそのオバちゃんは、自分がムショに入っていた時、見ず知らずの人間に何通も何通も手紙をよこして励ましてくれた。あなたが出てこられるのをお母さんと共に心待ちにしています、是非その時はウチでお祝いの食事会をさせてもらいますからね、と。



それで俺は教会員になったようなものだ。肝腎の恵美子さんが鼻をおおうとは、どういう考えだ。



アガペの楽園に就職するよう計らってくれた際、社長である牧師様は井澤ホーム長を前にしながら紹介して言ってくれたものだった:「この彼は既に介護の心を持っていると私は見抜いているんです。彼には社会的弱者の身になって考えることが出来る。彼もやる気があるようだから、こうなったら石にかじりついてでも頑張って更生して、楽園で働きながら介護福祉士をとってもらいましょう。いずれケアマネに受かったら、行く末はホーム長候補ですよ。これは神様の為にも良い宣伝でしょう。シャブで捕まった刑務所帰りが、今じゃキリストの愛の力で立派な介護士になっているとね」



(言わでものことだが、上のようなイキサツを他者に順序立てて説明する能力が、ヤスダ君にあるのではないっす。マヨが井澤に聞いた話を、筆者がまた彼女に聞いたものだからネットに書くまでで。井澤もヤスダ君と同じ教会員らしいっすが、マヨにしろ筆者にしろそういった宗教ごっこには特に興味ないっす。)



「ヤスダ君、これからも弱い人の味方になって下さい。それはあなたが神の子として生きてゆくのに一番大事なことですよ?」と、面と向かって言ったのは牧師様ではないか。



言う通りにしたら、「あんな人」と来た。



こんな理不尽があるか。公園暮らしのおじさんが「あんな人」なら、裏へ回っちゃ俺を指しても「あんなヤツ」と言っているのか。



この教会連中、いつもは誰に向かっても親身らしいことを言っている。どこかの国で難民が出たなんて寄付を募っている。そのくせてめえの近所に難民がいるのは知らんぷりってわけか。



こいつらわざとらしい笑い顔を作りあがって。「ヤスダ兄弟、感謝しまあす」なんてべらぼうめかした言葉を使いあがって。何が感謝しまあす、だ。



この俺をシャブ中かなにかと間違って、凶状持ちだからって、バカにして剰え恥をかかす気だ。



うそっぱちばかり言いあがって。親切ばかり言いあがって。間に受けちまったじゃねえか。



だから「大丈夫っすよ。みんないい人っすよ」と遠慮するおじさんを無理に引っぱってきたんじゃないか .........



こうやって分析すると、どうしてヤスダ君も道理の分かった男ではないか。



必ずしも論理的に腹を立てたのではあるまいけれども、クリスマスの日には久しぶりにイカった。



ヤスダ君がイカると手を焼くのは、チンピラの地金が丸出しになる。ふだん信者さんが「アーメン」など囁く、十字架を頂いた上品なお堂。クリスマスを感謝しようとしている清きかの夜、声をあらげて、



「25日は友達たくさん連れて来いって言ったじゃねえか!言ったのはテメエらじゃねえか!」



と始まったものだから、一斉にしらけてしまい、公園のおじさんも含めて皆ぞろぞろ帰りだした。



慌てた牧師様と恵美子さんが彼を別室へ招き、その日の当番が終わって遅れてやって来た母親 ─ ヤスダ君の母親も特別養護老人ホームに勤めているのだが ─ 三人でなだめている間、マヨはサイゼリヤで待ちぼうけをくっていたわけである。



ほんとうは、ヤスダ君の予定では、サイゼリヤへ迎えに行くつもりでいた。そうして、マヨと公園のおじさんと、三人でクリスマス会に出たかった。



それにしても、クリスマス会につまずいてからだ、デートをすっぽかすいけない癖がついたのは。以前は約束を守るヤスダ君だったはずだ。



何しろ路上でする生活に目覚めたらしい。関心が駅の地下通路だとか橋のたもとへ向きがちである。



彼にはアパートという住みかがあるのに、わざわざ寝具を背負って歩いている。厚手の寝袋に、十日か二十日分の新聞紙。寝袋はスポーツ店で買った。新聞紙は楽園で分けてもらう。帰りにスーパーで食料を仕入れる。廃棄ダンボールも持てるだけスーパーで仕入れて帰る。



帰るのは公園だったり地下道だったり橋の下だったり。食料と余った新聞紙・ダンボールを配る。近ごろホームレスの間で顔を売っているようなのだ。だから彼とデートできる日も減ってしまった。



たまさかのデート中だろうと、例えば神田川にそって歩けば、水辺で暮らすそういうダンボールおじさんの一人や二人は見かけるものだ。すると、こっちにはお構いなく ─ 断りもなく ─ 置き去りにされる。すうっとおじさんに近寄って、飲み物かなにか差し出しながら立ち話を始める。



このやり方が世間で非常識的とされるのは言うを待たない。相手を見下した上から目線の典型でなかろうか。ヘルパー二級をとる時、N学館の先生に言われ、実習した先でもさんざん注意された。必ず利用者様よりも目の高さを低くなさい、その為には利用者様のそばでしゃがむのがベストです、と。



しかし、くたびれるからと、ヤスダ君は突っ立っている。それどころか、あのチンピラポーズ ─ ちょっと角度に構えてアゴを突き出し睨みおろす恰好 ─ あのポーズは、何も楽園のお爺さんお婆さん専用というわけではなく、橋の下で地べたへ新聞紙を敷いた利用者様に対しても使っている。



例えばこうだ。バックパックの中へ手を突っ込んで蓄えの缶ビールを取り出す。差し出しながら、



「ん。飲みますか」



初対面の相手にぶっきら棒なもので、それでももらうから面白い。「なんだこのお兄ちゃんは」と眠たそうな髭面を上げて、ほとんどは無言で手を出す。



おもむろに二本目を取り出す。プシュ! 相手が開けていようといまいと、ヤスダ君はヤスダ君で立ち飲みする。こんなふうにして始まり、同じようにして終わる。



一本飲み終わると、



「じゃ」



ひとこと言いおいて、振り返ることもしないで立ち去る。



仮にそこへしゃがむなり腰をおろすなり、目の高さを同じにするとする。その場合、二人きりのデートはそこで打ち切りとなる。ヤスダ君は一泊するのだ。マヨは付き合って話し込んで行くも良し、泊まって行くも良し。もっとも、まだ泊まったことはない。帰る時間まで、決まってマヨは使い走りだ。



そのへんのスーパーで夕方の安売りが始まるのを待って、惣菜を買いにやらされる。



ヤスダ君は日本酒が嫌いだ。ビール専門である。本物は高くつくというんで、発泡酒を500ml×6本のパックで買う。



カップ麺・カップスープの類はうまい具合にお湯を注いでないと食べられない。三人分として、それだけでもコンビニとの間を数往復する。



マヨがあちこち動き回っているあいだ、おじさん相手に話している。奇妙な話し方があったもので、池袋北口の黄昏時を思い出す。ちょうどあんな感じだ。特に口を利くでもない。はたからすれば、並んで座っているだけにも見える。



おじさん達の特徴は、とかく無口なことで。あまりおしゃべりなダンボールおじさんをもてなした記憶がない。ヤスダ君はむら気な性格だから、しゃべる時はいいが、しゃべらないとなると「ん」「じゃ」ぐらいしか言わなくなる。そんなだから、使い走りに走ったあとは、自分が話しかけて気まずい雰囲気を何とかしている。



そんなデートをして何が楽しいかと言われるけれど、まあ、一概に楽しくないとも言えない。楽園で幅をきかしている失敬職員の秋城おばさんは、彼と同じシャローム組だけに、二人の仲を嗅ぎつけている。



「ねえ。マヨちゃんがそんなで、彼さめない?」



お風呂当番の日に更衣室で着替えていたとき、物をとりに入ってきた秋城が腰に手をあててジイっと見ていたと思ったら、出し抜けにそう聞いてきた。先月の話だ。



「何かどんどん巨大化してない?」



ヤスダ君も別に聞かれた。料理好きなお婆さんに指図されながら昼食の支度をしていると ─ ちなみに、グループホームという所は、特別養護老人ホームなどと違って、職員と入所者が一緒になって食事を作る場合が多いのだけれども ─ このあいだヤスダ君がお昼ごはんを作っていると、



「ヤスダ君。あなたってデブ専?どうやってするの?ちゃんと届く?」



質問の意味を、ヤスダ君は理解したろうか。ついおとといだ、また秋城につかまって、



「ねえマヨちゃん。やっぱり変わってるよねえ、彼。聞いて振り向きもしないし。どうやってしてるの、届くの、って言ったら無視だよ?無視。。。で?どうやってしてるの?ねえ、どうやって?」



と、秋城スマイルを今度はこっちにぶつけられた。



けれど、二人はそんなんでない。そこがいいのかもしれないけれど。よく自分でも分からないけれど、なんかいい。このところ腕を切っていないし、そういえば製薬会社の課長さんのことがあまり意識にのぼらない。たまに食事を届けに行くくらいかな。



ダンボールおじさんのせいで二人きりのデートがおじゃんになったとしても、スーパーへ走ったり、コンビニのお湯を汲んできたりするのが好きだ。



だからいつなんどき声がかかろうと応じられるように、自分もリュックを背負って出勤するようにした。ヤスダ君が以前はリュックだった。外泊する趣味が出来てからというもの、大きなバックパックに変わっている。寝袋だダンボールだ食料品だと、そんな物をいっぱいに詰めたバックパックを背負って、毎朝彼は出勤している。



スーパーで捨てるような食品があったら分けて欲しい、店長の力で横に流せる物はないか、とお母さんにねだったら、「あんた今そんな事してるの?」と呆れられた。店長だからって商売物を横領出来るわけがない、と。



おとといは変にしつこかったから、秋城に本当のことを言ってやった。「ふうん」なんて聞いていたと思ったら、どういう風の吹き回しか、昨日、帰り際、「これ使って」と、ヤスダ君に5千円分の商品券をくれた。



牧師様には宜しく思われていない。慈善の素人のくせに、抜けがけにそんな事をと不愉快なのだ。マヨも叱られた。ホームレスの人にアルコールを飲ませていい事はないでしょう、もう少し考えたらどうですか、と。



アガペの楽園はキリスト教だけあって、毎週日曜日、午後の二時から礼拝式を執り行う。主として入所者を対象にしたものだが、もし手があいているようだったら職員も参加するように促される。グループホームの社長であらせられる牧師様が、直々に説教しにお出ましになるのだ。



これも先月、礼拝式が終わると、「郷山さん、少しお話を聞かせてください」と牧師様にホーム長室へ連れて行った。



「何か近ごろヤスダ君と二人でやっているそうで。ヤスダ君に聞いても中々話してくれないんだが、いったいどういう事なんですか」



どうも橋の下にいるところを、通りがかった教会員に目撃されたようで、教会員には尋ねられるままにヤスダ君がした話を、牧師様が伝え聞いたのらしい。



「そういうのは国がやることでしょう。郷山さんがすることではありません。



ヤスダ君はうちの教会員です。お母さんだって立派な信者です。婦人コーラスのリーダーになってもらっています。実に祈り深いお母さんですよ。



それをヤスダ君が一人で勝手にホームレスを教会に連れて来たり、教会としても困りますよ。教会員同士の和が乱される。



あなたはホームレスの人に親切にして気分がいいかもしれない。しかしそれは逆効果というものです。相手には極めて不親切です。



ああいう人がああなったのは生き方に問題があるんでしょう?その生き方を続けさせることですよ、あなた方のしていることは。



食べ物をやったりお金を与えたりするのは良くない。私は与えない。



外国に行くと乞食がたくさんいます。外国人旅行者と見れば、お金をくれ、お金をくれ、と手を出しながら近寄って来る。



乞食の半分は子供ですよ。いわゆるストリート・チルドレンです。子供たちが学校にも行かないで、外国旅行者を追い掛け回して一日を無駄に過ごしている。



私は絶対にお金を与えないことにしています。もっと生産性のあるやり方でないと。彼らが社会に貢献できるように導いてあげるのが本当の愛です」



そんな事を小一時間言われ続けた。しまいには、「あなたがうちのヤスダ君と交際するのに私は不同意です」と。



井澤ホーム長も同席していた。日曜日は仕事が休みなのだけれども、礼拝式には出席しに午後のそのあいだだけ顔を見せる。牧師様にゴマをする井澤が、



「マヨちゃんだって楽しいの?ヤスダ君とそんな事して。無理して彼に付きあう事なんかないんだよ?」



偉い人二人に嫌味を言われたので、駅の地下通路みたいな目立つ場所で酒盛りは気が引けるものがあるのだけれども、ヤスダ君は所構わず、好きに立ち止まって缶ビールを出す。最近のデートといったら、ホームレスを求めてのデートコース、誰か適当なおじさんが見つかるまで街をぶらつく、たいそう気まぐれなものになっている。



待ち合わせをして時間に現れないのも道理、道々声をかけながら来るのだから。



それにしても今日はどうしたことか。夕べも又どこぞに泊まるというのでラインをくれたのが、自分はおばあちゃんの介護で忙しくしている20時すぎだった。今日は珍しく二人揃って非番だものだから、デートを楽しみにしていた。13時の約束が16時になろうとしているのに現れる兆しがない。



こっちから送るラインには一応「既読」の印がつく。それが返してよこさないし、さっきから何遍呼び出しているか分からない。通話にも応じようとしない。



いい加減お尻が冷えてきたけれども、待合室ではなくこのベンチで待っていたい。雨に打たれるソメイヨシノを眺めながら。



「マヨちゃん?悪いんだけど、これからちょっと来られる?」



今朝9時、計ったかのように、毎朝出勤するその時刻に合わせて、楽園からかかってきた電話の向こうは、井澤ホーム長の声。



「こういった相談、せっかくの休みに呼び出しておいて、私としても悩んだんだよ?」



ホーム長室に入って腰をおろすやいなや、切りだされた。そうして、インスタント・コーヒーを入れてくれながら言うのに、『シオン中野』といって、バスに乗って30分の所に小さな特別養護老人ホームがある。住宅街の中にあるその『シオン中野』は、三十名そこそこのお年寄りが入る規模の大きくないホームで、『アガペの楽園』とは入所者同士・職員同士の交流など、古くから姉妹施設のような関係にある。



そこで雇っていた若い女ケアマネが、どうした事か、認知症を患った入所者に悪さをした。我慢できなくなると、ライターの火を押し当てたり、縫い針を突き刺したり、睡眠薬を飲ませたりと、鬱憤を晴らしていた。部屋でお婆さんの顔に連続ビンタを加えていたのを、たまたまある新人職員が失敬してそこのトイレを使わせてもらっていたのも知らないで全部聞かれてしまい、結局、施設長と事務長の前で二年ものあいだ続けていたストレス発散歴を白状させられたのが先週だ。



その場で辞表を書かせ、口外無用の約束で希望退職させたのは良いとして、さてケアマネがいないとなると、『シオン中野』でも困った。昔からシオンの内情を知り、かつケアマネの資格を持つ井澤に、ピンチヒッターの要請があったわけである。なんと、『楽園』の一階『シャローム組』にいる、あの秋城おばさんが、井澤の後釜にすわるのだという。秋城も介護支援専門員 ─ つまりケアマネのできる資格者だった。もっとも、秋城は差し当たりケアマネをやるのみの、ホーム長には『シャローム組』の男性主任である西山さんが昇格することまでが、ここ三日四日でバタバタ決まった話。それにつけて、



「郷山さんの面倒は最後まで私が見ますって、マヨちゃんが入る時に先生にはそう言ったんだよ?だから今度のことでも郷山さんは私が一緒に連れて行きますって、先生には言ってあるの」






つづく(近々更新)


少女マンガ風深刻掌編『愛される道理』 http://ncode.syosetu.com/n6870cp/ の一括掲載

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