その9
「特殊防犯課です。銃を置きなさい」
「おっと動くなよ、伊佐山さん」
驚いたことに、犯人は由美の警告を意に介さず、別の誰かに警告を発した。
そして、銃口は一切ぶれることなく、顔だけをこちらに向ける。実直そうな、それでいて油断のならない目付き。そこそこの実戦経験がある、と彼女は踏んだ。
犯人は由美を認めると、その目をかすかに見開いた。
「こいつは驚いた。特防課の強行係にも女の人がいたんだな」
着任二日目だが、そんなことは教えてやる必要はない。
「もう一度言うわ。銃を置きなさい」
「別に俺は撃たれても平気なんでね。それに、あんたはそこらへんのギャング上がりとは質が違う。下手したら、普通科兵士よりもいい腕してるのが分かるぜ。俺を撃っても、俺が死ぬことは無さそうだ。マークスマンか?」
「それはどうかしら?新調した銃のせいで誤射するかもしれないわよ」
「無いな。あんた、緑の軍隊でも、なかなかお目にかかれないくらいに安定したフォームだ。さっきから、銃口が一定のリズムで揺れている。無駄な力みが無いんだな」
所見でそこまで見られるとは、本人の実力はともかく、経験値は相当に高いものを相手に対して感じた由美。
「それよりも、そこの人達に帰るように言ってくれないか。俺が用事あるのは一人だけだから、帰っていいって言っても聞いちゃくれないんだよ」
「銃を持って見せびらかすような人に、そんなこと言われても、平気なはずがないでしょ?新兵の時に感じなかった?」
「いや、確かに教育隊んときはそんな感じだったけど……」
なんとも気の抜けた犯人だ。
ふと視界の隅に、大柄な影を認める由美。ジーンだ。店の奥、開け放たれたドアの影からこちらを窺っている。
気の抜けたことを言っている犯人だが、銃器を持っているのは変わらない。緊張をほぐすために、一度唾を呑み込み、口調と声を平静にしてから声を発した。
「皆さん、私が保証します。ゆっくり、安全にビルの外に出てください」
由美の言葉によってようやく立ち上がり、出口に向かう人質達。
「ありがとさん」
何故か犯人に礼を言われる由美。
「は?」
「それより、あんた、どっかで見たことあるな」
男の言葉に、嫌な予感がする由美。
「あっ!」
男が声を上げたので、危うく頭を抱えそうになった。
「不死鳥の中河大尉でありますか?お疲れ様です。え?でも、特防課って……」
困惑しながらも、銃口はぶれない。きちんと訓練されたのが分かる。
だが、あまりの敵意の無さに由美は、脱力感に見舞われる。
「ええ、そうよ。昨日付で市警本部に入ったの。それで、あなたは?」
「申し遅れました。自分は、第一〇特殊機動連隊に所属していました、横溝竜平元曹長であります」
会釈する横溝。
思わず銃口を下げ、左手で顔を覆ってしました由美。
「どうしました?」
「何やってんだ、お前ら」
「うお!びっくりした!」
背後から話しかけられ、横溝が小さく跳び上がった。
「なんでもありません。ただ、ちょっと……」
「たぶん、あんたのせいだな」
事務所から現れたジーンは、自らの拳銃をしまいながら横溝を一瞥する。
「え?俺?」
なんとも緊張感の無い立てこもり事件である。
「つまり曹長は、年金基金の利息が不正に流出している可能性を追求しに来た、と?」
立て籠もり犯、横溝竜平元曹長に敵意が無いことを把握した由美とジーンは、横溝を取り調べ、そこで事件のあらましを知った。
横溝は、緑の軍隊傷痍兵年金基金の不正支出について、調査をしたのだという。五十年前のクーデターによって日本の年金制度は完全に民営化されており、行政はその監査のみを実施することになっている現在、年金基金も各金融機関が運営している。
緑の軍隊傷痍兵年金基金も、緑の軍隊本部によって外部委託されており、緑の軍隊の監査が毎年実施されているので、良好で堅実な運営がなされてるはずだ。
緑の軍隊経験者に毎年配布される、英字の情報誌にもその報告が添付されている。
ところが、ベイランドシティ在住の元兵士の一人が、その資金に不正があることを発見したという。
「それもこの勇元金融で?」
「はい、大尉。事実だとしたら問題ですから」
「おかしいわね。監査は、連邦政府基準でしょ?」
免許行政から監査行政へ。クーデター政府が目指した国家の理想像の一つである。
日本連邦政府には現在、免許交付権限がほぼ存在しない。事前の行政指導も行うことはない。それらは全て、各府県あるいは、府県の連合体である州の管轄であり、連邦政府は、それら行政、企業、各法人団体を法律に基づき監査する立場である。
監査は、全ての団体に対して毎年実施されるわけではない。しかし、予告なく抜き打ちで実施されるうえ、不合格の場合は即日公開という厳罰に処される。
制度開始以来、いくつもの企業、団体が破滅に追いやられたことで、法令違反を繰り返したり、不健全な経営を放置することは少ない。
そのような厳しい基準は、当然、勇元金融にも適用されている。
特に年金関連事業者は、公共性の高い事業として減税されて優遇されているのだからなおさらだ。
「そ、そうだ。うちは毎年きちんと決算報告してるぞ」
捲し立てたのは、横溝によって唯一拘束されていた伊佐山元気氏。勇元金融の執行取締役で、代表取締役である伊佐山悠輝の長男だという。
「おまえら、警察だろ。そいつを捕まえろよ。それが仕事だろ」
二十代の青年だったが、どこか尊大な態度に由美は眉を顰めた。
「伊佐山さん。こう言っちゃなんですが、彼は我々に大人しく従っている状態なんです。ので、実質拘束していることになるんです。分かりますかね?」
何故か、ジーンはやたらと伊佐山氏を威圧している。
ひとつだけ彼の言葉を訂正すると、二人は横溝の武装解除をしていない。由美がしようとしたところ、ジーンが、企業犯罪絡みの場合、最悪彼が自分の身を守る必要が出てくるかもしれないからと言って、今も横溝は拳銃をホルスターに仕舞ったままだ。
「ほら、あんな調子なんですよ、ずっと。カチンときちゃって……」
「それで?銃を抜いたの?」
由美に睨まれて、竦み上がる横溝。ライオンに睨まれた気分だった、とは横溝の言である。
「ま、まさか最初は肩を掴んだぐらいですよ。でも、払い除けられて、奥に逃げようとして、揉み合ってたら……」
「揉み合ってたら?」
由美の声が、酷く冷たくなっていることに気付いたジーン。
何故か、嫌な予感がして慌てて横溝を制止しようとしたが、間に合わなかったという。
「強盗だって叫び始めたから、つい……」
「つい……?」
その瞬間のことを、十年近くたった今でも忘れられない二人。
紅い髪が光を孕み、まるで炎が彼女の背に立ち上っているようだった。つまり、それほど恐ろしかったと。
「貴様は、さかりのついた猫か!」
さすがは荒くれ者揃いの第一空挺団の元小隊長。下品な罵声に、大の男三人が揃って背筋をぴんと伸ばしてしまった。うち二人は、実戦経験豊かな元軍人のはずだったが、一番背の低い由美が、三人を完全に支配していた。
「申し訳ございません!」
直立する横溝。それを下からねめつける由美。
「貴様は、いったい何を謝ってる?こんな事件を起こしたことか?それとも、私のこの手を煩わせたことか?」
「申し訳ございません!」
必死の横溝の謝罪。
「んん?分からんのか?貴様は、そんなことも分からんのか?」
「申し訳ございません!大尉殿の真意が理解できません!」
恐怖のあまり震え始める横溝。体格差は圧倒的に横溝に分がある。
しかし、その小さな身体で数多くの敵を薙ぎ払ってきた、天才兵士の持つ圧倒的なまでの存在感は、本能的な恐怖となって彼を押しつぶそうとしている。まるで、プールの底に無理矢理沈められているかのような気分。
「ほぉ。貴様は自らの無能を曝け出すか?貴様の原隊も、貴様のようなクスが積もった肥溜めか何かか?」
ムッとした横溝。退役したとはいえ、彼は戦い抜き負傷して去っただけだ。自分が曹長になるまで、長い時間苦楽を共にした仲間達への侮辱を、たとえ英雄だからと言って許せるわけがない。
「お言葉ですが、大尉」
「ほぉ」
由美が微かに嗤ったのを、ジーンは見逃さなかった。あれは、本物の悪魔だ。決して逆らってはいけない存在だ。
そう固く誓った元海兵隊員である。
「我が隊は精鋭であります。シベリア紛争でも、楯の叛乱でも最前線で戦い続け、生き残って来た精鋭であります。たとえ、高名な大尉といえど……」
「貴様は、ほんとに、なにも、わかっていない」
何故か、区切り区切り放たれた呟きに、しんと静まり返る店内。冷房の微かな唸り声だけが、いやに耳にこびりつく。
「私のことなどどうでもいい。今、重要なのは貴様が何をしたか、だ」
「申し訳ございません。このような事件を起こして……!」
「だから、それが何も分かってないと言っているんだ!」
鋭い罵声は、決して大きくはない。だが、その凛とした響きはよく通り、その表情は虫けらを眺めるかのように冷酷。
「貴様の最大の罪は、罪の無い一般市民を巻き込んだことだ!違うか?」
「いえ!その通りであります!」
「交戦規程を甚だしく逸脱した行為だ!違うか?」
「その通りであります!」
「貴様の隊もそんなクズどもの寄せ集めか?」
「違います!自分一人の罪であります!」
「なら、貴様のケツは貴様自身で拭け!そして、隊の仲間たちに被せた泥も全て貴様の責任だ!違うか?」
「その通りであります!」
「しかも、その理由が、つい、だと?まるでメス犬のケツを追い掛け回す駄犬のような言い草だな?そんな糞みたいなもんを発散するなら、風俗にでも行って、性病にでも罹ってしまえ!街中で撒き散らすな!」
「はっ!申し訳ございませんでした!」
「貴様の誇りは何だ!」
「はっ!輝ける湾岸軍旗であります!」
「貴様の揺らがぬ信念とはなんだ?」
「はっ!国民の負託に応え、戦い抜くことであります!」
「貴様は何ものだ?」
「連邦国防軍湾岸軍兵士であります!」
そこでようやく頷く由美。直立したまま、内心ほっとする横溝。
だが、元大尉の止めは容赦ない。
「今度、さっきみたいな軽口を叩いてみろ。貴様を、子供の作れない身体にしてやる」
極低温の声音は、ジーンすらも竦み上がらせた。
――なぜ、海兵隊式なんだ……?
という疑問も過ぎったが、他国の部隊との合同作戦もあり、緑の軍隊では他国の兵士を直接指揮することもある日本連邦国防軍の実戦部隊の士官は、どうもこういう傾向になるらしい。
ただ、由美がなまじ整った容姿をしているために、その精神的打撃は相当なものだというのが、彼女の指揮に服した全員の見解でもある。
だが、いったん慣れると、逆に戦意向上するというから、軍人というのは頭のネジがどこか緩んでるか、そもそもどこかに置き忘れているに違いない。
「じゃ、取り敢えず、護送すればいいのかしら?」
「ん?ああ、まあ、そういうことになるな」
瞬時に切り替えた由美に、呆けた反応のジーン。
僅かばかりそんな相棒を気にした由美だったが、骨伝導スピーカー越しに届いた声に、身を硬くする。
「ストライク、クワドリガ。こちら、シールド。悪い報せだ。勇元金融が被害届を取り下げた」
舌打ちするジーン。意味が分からず、固まる由美。
通信は課長である磯垣からのもの。いくら被害届を取り下げても、既に警察が介入した事件だ。なぜ、それが悪い報せとなるのか。
「ロードより全移動に達する。当該事件に対する全行動を中止し、通常態勢に移行せよ。繰り返す、全行動を中止せよ」
「現在、勇元金融と繋がりのある警備会社の車両が、独立執行権を盾に封鎖線を突破しようとしています。特殊防犯課員は、速やかに現場を放棄せよ」
警備会社が、民間軍事企業を意味することを彼女も理解していた。
だが、独立執行権とは……。
その語彙から類推を素早く組み立てる。
横溝は、未だ由美の叱責から立ち直っていなかった。しかし、由美の凝視に気付いて何ごとかと顔を上げる。
既視感。
自分に迫る危機に気付かず、展望は明るいという普通の人間の顔。それが、あの羊を連れた少女と同じだと気付いてしまった。
ベレッタPx4を、腰の後ろに仕舞う由美。
怪訝な表情を浮かべる横溝。彼女の仕草に異様な緊張を感じた。
「つまり、横溝曹長の身柄を警備会社に引き渡す、ということですね?」
沈黙。ジーンも、横溝も、無線のあらゆる通信も、痛いほどの静寂に侵される。
最初に沈黙を破ったのは、横溝。素早く銃を抜いて由美に向ける。
「Shit!」
「やめなさい!」
「ふざけるなっ!」
ともに四五口径の銃を構え、横溝と対峙する由美とジーン。
先ほどまでの友好的な空気が、まるで幻だったかのような由美達の対応に、驚愕し、失望し、激昂する横溝。二人の銃口から逃げるように、カウンターから離れる。
「落ち着け。銃を下ろせ。これ以上は、君のためにならない」
諭すような口調のジーン。
「落ち着けるわけねえだろ。俺はそこのくそ野郎にむざむざ殺されろってのか?」
一瞬、横溝の注意がジーンを向いたとき、由美は素早くカウンターを乗り越え、横溝を窓際へと追い詰める。そのせいで、伊佐山は横溝の視界から完全に隠れてしまった。
「くそっ!」
「あなたのためにならないわ。銃を置きなさい」
内心毒づきまくっていた、ジーン。横溝が暴挙に出ようとしたのは、由美が迂闊にも通信に平文で口走ったからだ。
――なのに、なんでそんなに冷静でいやがるっ!
そう。この時の彼女は、傍目には信じがたいほどに冷静だった。
「さあ、言うことを聞きなさい」
「そんなことしたら、全部終わりじゃないか。あんた達が全部諦めたら、俺達はどうするって言うんだ?」
「どうもしなくていい」
「中河っ!しゃべるなっ!」
ジーンは思わず叫んでいた。これ以上、彼女の独断を許すわけにはいかない。場合によっては横溝を射殺しなければならない。勇元金融の思惑通りになるのは癪だが、特防課を失う訳にはいかない。この街はそういうことが起こりうる街なのだ。
だが、すうっと彼の前に翳される由美の右手。いつの間にかUSP45を左手に持ち直した、彼女の無言の制止。
――訳分かんねえ。
混乱するジーン。
「間もなく警備会社が現着します」
無線から襲ってくる焦り。時間が無い。これでは最悪、警備会社との戦闘もありうる。
地域、企業、行政様々な団体との調整を行って治安を回復してきた特防課の存在意義は、健全な企業と戦闘したとなれば脆くも崩れ去ってしまうだろう。ただでさえ重武装に過ぎる特殊防犯課は、影で悪事を働きたい地元政治家や企業から睨まれているのだ。
「……そ……そんな。俺達に死ねって言うのか?」
勇元金融の被害届取り下げは、彼らの犯罪の傍証となるだろう。そして、横溝と犯罪の証拠に気付いた元兵士は処分される。
それが分かっていても、特防課は介入できない。
それが、ベイランドシティ。急激な規制緩和で作り出した、企業が行政を上回る歪な社会。
さっさと彼を護送すべきだった。しかし、警備システムが沈黙していたことで、勇元金融に横溝の目的は知られないだろうと油断していた。これは先任であるジーンの失態だった。
そんななか、由美は左手で撃鉄を起こす。右手でジーンを制したまま。
――一体、何をするつもりだ?
問いかけを視線に込めても、彼女の紅い髪しか見えない。
「ふざけるな、ふざけるな!」
かぶりを振り、叫ぶ横溝。既に正常な精神状態ではない。
「あんたは分かってくれると思ったのに!あんただけは他の連中とは違うと思ったのに!」
部隊は違えど、尊敬できる上官。彼女の行なった数々の偉業は、確かに一兵士としては誉められたものではないものも多い。しかし、そこには確固たる信念があった。
だからこそ横溝は、彼女に従うと決めた。
その全てを、今否定し、奈落に突き落とそうとしているのは、他ならぬ中河由美本人。
驚き、戸惑い、怒り、そして瞬く間に憎しみへと変貌していく。
「俺達は、あのジャングルでなんのために泥まみれになったんだ!目の前で鉈で切りかかって来た女を、俺はなんのために斬り殺したんだ!なんで、この手に刃が肉に食い込む感触を覚えているんだ!噴き出した血を顔面からかぶったんだ!女の子供の声が耳から離れないんだ!答えろ!このクソ英雄!」
ゆっくり引かれるUSP45の引き金。
横溝の右手が引き金を引く。その銃弾が撃発される直前。
「ごめんなさい。私、ただの兵士なの」
銃声。
左胸を襲う衝撃。苦痛に顔を歪める由美。
しかし、その右手はいまだジーンを制止し、前方を見据える。
ぽかんとした表情のまま凍り付いた横溝。
引き金を引き切る由美。
咄嗟にうずくまる横溝。
構わず由美は、窓際に近寄り立て続けに45ACPの強装弾を撃ちまくる。
そして、蹲る横溝を蹴り起こすと、彼もろとも強化ガラスを突き破った。
これにて、第一話完了。
たった一話でこんだけ長いって、予定では、これがあと20本以上……。
エライことを始めてしまったもんだ……。
2014/10/26
修正しました。
防弾ガラスは突き破れないことが判明。