その7
推して参る!!
二〇五四年九月、中河由美は湾岸軍を退役した。
同時に東京湾ベイランドシティ警察本部の警察官を拝命した。
東京湾ベイランドシティ特別区は、東京湾横断道路アクアラインの南北に伸びる人工島都市で、様々な規制緩和が実行された一種の実験都市であり、その悪弊として日本最高の犯罪発生率が挙げられている。
様々な凶悪犯罪に対抗するため、二〇五〇年より市警本部――俗称であり、正式名称ではない――は、特殊技能警察官として、強力な打撃力を有する元兵士の採用を開始した。
彼らが属するのが、本部長直轄特殊防犯課――生体兵器たる、磯垣海司を課長とする機動防犯部隊である。
特殊防犯課――通称、特防課の中で中河由美は強行一係と呼ばれる部署に配属された。二人から四人でチームを組み、ベイランドシティ内、主に犯罪発生率の高い新本牧、西木更津、サウスの三地区内を巡回し、強盗や暴動等の事件発生時には初動での突入要員として、それ以外では犯罪者予備軍ともいえるストリートチルドレン、退役軍人、華人ネットワークの動向を探り、犯罪の芽を摘み取ることを目的としている。
しかし、それは単純な犯罪抑止ではない。
創設立案者である磯垣海司によると、犯罪が絶えない理由は、金銭と情報そして人情の欠落である。金銭を失うと人は犯罪に走り、情報が無いと人は犯罪に巻き込まれ、人の情を感じられなくなると人は罪悪感を失う。十八歳でその結論に達し、当時の市警本部長吉岡竜太に論文を提出し、創設及び運営を任されたというのだから、確かに才能ある若者と言えるだろう。
そんな特防課の強行係に所属する者達に求められるのは、実際に発生した事件をその実力をもって制圧することはもちろん、一般市民を犯罪から遠ざけるための教育や、犯罪者予備軍の更生を促しうるよき隣人、よき兄となることである。
この説明を受けたとき由美は、まるで緑の軍隊だと思ったらしいが、まさしくテロリストや軍閥を取り込んで更生させていく手法は、緑の軍隊のそれであり、磯垣が元軍人だということを鑑みれば、当然の帰結であっただろう。
しかし、二一世紀に入ってから日本の警察機構はその任務の多様化を求められ、それを達成するために細分化、単一機能化していき、結果的に組織の柔軟性を失われていった。一部機能の民間導入を促進したり、他分野との連携を深めることで組織統合や高機能化を取り戻したが、ベイランドシティのような構造的犯罪発生を抑止するには、より強力で柔軟な対応が求められていたことが、この後の磯垣の活動によって証明されていくことになる。
彼が集めたのは、緑の軍隊経験のある軍人を中心に、国外任務を数多くこなした他国の軍人、そして元テロリストと言ってもいい犯罪者側の心情を理解できる人物であった。いずれも彼自身が吟味し、高い戦闘能力、高い正義感、柔軟な発想を持った一流と呼ぶに値する者達である。
日本の警察機構ではなかなか集めることが出来ない、得難いタイプの精鋭達であった。
そんな精鋭の一人に数えられた中河由美が、着任二日目にして初の巡回任務で出逢った同僚も、まさしくそういう精鋭だった。
「敬礼は無しだぜ。俺達の中で階級なんて給料を決めるための基準でしかないし、だいたい俺はアメリカ海兵隊のしがない一等軍曹でしかなかった。元大尉殿に逆らうなんて難しいぜ」
大男というほどではないが、分厚いという印象を持つ目鼻立ちの整った金髪碧眼の白人の男は、右手を差し出しながら陽気に振る舞った。
「俺はユージーン・ロックウェル。一応、巡査長待遇だ」
「中河由美です。よろしくお願いします」
「日本連邦国防軍第一空挺団の元大尉って聞いて、どんなゴリラみたいな女が来るのかと思ったら、とんだ美人さんでびっくりしたぜ。仕事中にナンパしてるように見えちまう。これでも結婚してるんだぜ」
多少訛りはあるものの、気さくな語り口の日本語は彼の気遣いを感じさせる。それでいながら、その立ち振る舞いに隙は無い。紺色のブルゾンは防弾防刃仕様、大型拳銃を最低二挺。そして、刈り上げられた金髪を押さえ付けている額のミラーシェードのサングラスは連邦国防軍と同等かそれ以上の情報端末であり、左手には国防軍では特殊部隊にしか採用されていない手袋状の操作端末。
小銃を含めて自分の装備要求が全て認められたことにも驚いた由美だったが、彼の装備で特防課は想像以上に予算が潤沢であることに気付かされる。
「なら、浮気性なセリフはやめた方がよろしいのでは?奥さんに怒られますよ」
「だーいじょーぶ。俺は、結婚するために海兵隊を辞めた筋金入りさ」
にやりとするユージーン。
「それじゃ、お仕事を始めると……」
唐突に彼の言葉が途切れた。サングラスを目元に戻し、左手の指先を小刻みに動かす。
何かあったらしい。左手の指の動きは、端末の操作をするそれだ。
念のため、由美は周囲の安全確認をした。
ベイランドシティ新本牧。横浜市本牧の対岸に位置するベイランドシティで最大の人工島で、かつては本牧埠頭と並ぶ港湾施設として機能していたが、浦賀水道にメガフロート型半自動港湾施設、浦賀ウォーターフロントが完成してからは港湾機能が廃れ、それ以前の規制緩和の影響もあってスラム街が形成されている犯罪の多い地区だ。
由美がユージーンと待ち合わせをしたのは、市警本部のあるセントラル地区との境目――高さ八十メートルの城壁のような壁の足元にある地下鉄駅の入り口だった。
スラムと言われたが、彼女には日本のどこにでもある普通の街並みに思えた。ただ、建っている建物が不揃いで、ごちゃごちゃしている印象があり、彼女の実家のある住宅街とは趣が違う。今はなくなってしまった、東京都台東区や文京区の谷根千地域のような、下町のような風情だろう。
ただ、末期の下町のような高齢化はほとんどなく、就労世代と子供が多い。
「お仕事の時間だそうだ」
ユージーンが話しかけてきたので、由美は振り返った。
「まだ、リンクもしてないのになぁ……」
「乗車後でも出来ますか?」
「OK.No problem.Let's go」
どうやら戦闘モードに入ると英語比率が上昇するのか、促す彼に従い、二人は彼のスポーツカーに乗り込んだ。
ユージーンの運転で、滑らかに走り出す超電導モーターのスポーツカー。
その見事な運転に、由美は感心した。交通量の多さを苦にすることもなくするすると幹線を抜け、素早く脇道を縫って行く。無駄な操作は無いし、周囲の状況は全て把握している。ハンドルとアクセル、ブレーキはまるで彼と一体となっているかのようだ。
しかも、そのあいだに音声入力で車載端末に指示をしている。由美のアクセス認証手続きだ。
由美もサングラスをかけ、視界に表示される認証を開始する。左手のデータグローブを動かし、声紋登録も行なう。
「中河由美」
全ての登録が終わると、感心したようなユージーンの声。
「日本軍人はみんなその操作速いな。ほんとに全軍に配備されているのか?」
「はい。でも、一部は使ってませんよ」
海軍の護衛艦乗組員、パイロットや航空管制官等の職種では戦闘中には不要のため、配備されていないデータギア。それでも、共通規格で作られた別のコンソールを採用しているため、ほぼ全ての連邦国防軍人はデータギアの操作は同じように可能だ。
「さすがはファミコン発祥の地だぜ」
「なんですか、それ?――海兵隊では無いんですか?」
「上級下士官以上だな。全兵士に配備は出来ないね。最初は困惑したぜ。でも、五十近い元曹長殿まで使いこなしているの見て、思わず本気出しちまった」
現在でも、アメリカ軍が質量ともに世界最大であることに変わりない。しかし、八十万人にも達する人員全てに、同種の端末を配備することは難しいだろう。質はともかく、総人員二十万人の、日本連邦国防軍という比較的小ぶりな軍隊だからこそ出来ることだ。
「というか、ツッコミ無いんだな?」
「はい?」
ファミコンという言葉を知らない世代の由美だった。淡々と事件についての情報を検索する。
「状況は理解出来たか?」
ため息ひとつで戦闘モードに戻るユージーン。
「立て籠もりですね。現場は民間金融機関。証券会社ですか。犯人は銃器所持。一人と推定」
「説得は得意かい?」
「苦手です。専門は、狙撃と格闘機です」
「空挺格闘科か」
「あなたは?」
「ジーンでいいぜ。――ここでは基本的に運転手さ。乗用車、装甲車、ヘリ、高速艇。もちろん格闘機もOK」
「へええ」
平坦な相槌をしてしまう由美。海兵隊と言っていたが、実践レベルでヘリも船も操縦できるのに、特防課で採用されているということは、歩兵としても高い能力を持っているということだ。一体、どんな不正規任務に就いていたのか。それを追及することを由美は避けた。
Need to knowの原則。
「そんなに怖がるなよ。ちょっと情報局と一緒に仕事したことがあるだけさ」
HAHAHAと笑うジーン。
はははと頬が引き攣る由美。
「それはいいとして、装備を訊いても?」
「もちろんだ。トランクの中にはM4が入っている。ハンドガンはUSPタクティカルとグロック18C」
「18Cですか?フルオート?」
「Of course。あんたは?」
「今はHK45CとベレッタPx4です。あとは短刀類」
「ナイフ?」
彼女の右手が、レザージャケットの左袖から素早く黒光りするカーボンナイフを抜き出す。
口笛を鳴らすジーン。
「連邦国防陸軍が忍者を養成しているってのは本当かい?」
「そんなわけないでしょ。これは緑の軍隊仕様です」
「グリーンフォースジャケットだっけか?近接戦闘用の攻防一体の仕込みナイフ用胴衣」
「そんなものです」
ナイフを仕舞う由美。
「緑の軍隊ってどこだったんだ?」
「キルギスです」
「キルギス?……キルギス?!」
「はい。そうですが、何か?」
「まさか、あんた不死鳥か?」
思わず顔を顰める由美。
「そ、そんな風に、呼ばれた、こともあったかもしれません」
「マジかよ。あの画像は俺も見たぜ。あっちこちでワルさしていたチンクどもが、あんた一人に右往左往させられているのを見るのは、最高だったぜ」
左頬が持ち上がっているということは、ウィンクだろう。
「楯といい、フェニックスといい、人はみかけによらないな。日本人ってのはほんとに面白いな」
「見かけ?」
脳裏で、課長磯垣海司を思い出す由美。確かに彼の見た目で、生身で人類最高撃破数を誇るとは思えないだろう。まったく、他人事な由美の感想。
「ああ。練度が低いとはいえ、一個中隊規模の武装勢力を丸一日足止めしたんだ。どんな怪物かと思うだろ」
確かに話だけ聞くと大した化け物だ。
キルギス共和国が、その国家的求心力を失ったのは、二〇三〇年代のロシア連邦における大不況の影響が大きい。資源経済から脱却しきれず、そこに日本におけるバイオジェネレーターによるバイオエネルギー革命に、止めを刺されたロシア経済の影響を受け、中央アジアの多くの国が不況に突入した。立て直した国もあったが、景気悪化からの情勢不安や、民族的対立に発展した国もある。
キルギスは後者である。さらにウズベキスタンの支援を受けた、民族主義に根付く反政府活動も活発化した。
この事態に、中華人民解放軍が越境。名目は、治安維持と自国民の保護であったが、近年発見されたレアメタルの獲得を狙ったものであるとの見方が強い。
この情勢に、キルギス政府は国際連合に支援を要請。首都周辺をアメリカ軍とEU軍が守り、緑の軍隊は南部ナルイン州の治安と生活インフラの改善を実行した。
当時少尉だった由美は、国内外との通商を行なう商隊の護衛任務に就いていた。
空挺団では格闘兵だけではなく、選抜狙撃手であった彼女が、装甲機動車の上から不審な集団を見つけたことから事件は起こる。
山間の美しい草原。
羊を連れた少女。
その背後に忍び寄る、軍服を着崩した東洋系の男。その手には、カラシニコフ系統のアサルトライフル。
気付いたら、愛用の狙撃スコープ越しに男の顔に浮かぶ醜悪な笑みを、凝視していた。
「やるべきことをしただけです」
自然と固くなる声。
「なるほど、あんたの初陣だったわけか」
「そんなところです」
狙撃をしてしまった後は夢中だった。部下に付近の集落の住民保護と退去を命じ、自分はありったけの弾薬とナイフ十二本で遅滞戦闘に身を投じた。昼間は狙撃、夜間は闇に乗じての接近と物資集積所に対する破壊工作。
休みなく移動し、休みなく損害を与えていく。早朝から始まった戦闘は、真夜中に救援のCH3チルトローターを改修したガンシップが到着するまで続いた。
武装勢力は、初動の由美達全員の火力で出鼻を挫かれ、その後は延々と続く嫌がらせのような攻撃に緑の軍隊側の戦力が把握できなかった模様で、足止めを食うことになったのである。
戦闘は約十八時間に亘った。
「英雄の誕生ってわけだな」
陽気なジーンの言葉に、苦笑いの由美。
「いえ。駐屯地に戻ったら、アイリス大佐に殴られました」
「アイリス?ああ、英国王の裏切り者か」
緑の軍隊に、自国民が参加することを公式には認めていない国は多い。国王の意思はどうあれ、英国政府もそんな国のひとつであり、緑の軍隊情報本部長を務めるアイリス・オーリンズ大佐は自国から傭兵容疑をかけられているが、緑の軍隊には欠かすことのできない情報部門のトップである。
「彼女は凄い人ですよ」
「知ってるさ。だが、いきなり兵隊を百人も連れて行っちゃいけない。さすがに俺でも、急に味方がそれだけ減ったら頭に来るさ。それに、王立陸軍士官学校のエリートだったんだろ?周りの期待だって相当なものだったはずさ。あんたにも経験あるんじゃないか?」
首を傾げる由美。
――あいつは何を言っても無駄だ。だから、諦めていた。
と、由美を評したのは直属の上官だった清水中佐である。
「Oh my GOD!なんて女だ。認識を改めることにしたよ。あんたは、メジャーリーガーのバットみたいに男を振り回すタイプだ。俺には手に負えない。今、俺は固く神に誓うよ。生涯、嫁さんを大切にする。アーメン」
十字を切るジーン。自覚は由美にもある。
「やっぱりそうなんですか?」
「ん?」
「やっぱり結婚出来ないのって、そういうことなんですか?」
はっとして、左手で自分の口元を覆うジーン。
そのコミカルな仕草に、由美も吹き出す。この底の見えない、新しい仲間とはうまくやっていけそうだ。