その5
武装にHALO降下用の酸素ボンベとパラシュートを身に付けた由美達四人が降下したのは、ブリーフィング終了の十五分後。C3の側面ドアから飛び出し、国境の街イシュカッシムから十五キロほどの位置、バズジールという集落の近くに潜伏した。
現地に到着した時点でファイザーバードの事件から既に二時間が経過していた。
すぐさま陳達三人に待ち伏せポイントの準備を指示し、続いて集落に赴き戦闘が行われることを伝え、頑丈な建物への住民の避難を要請した由美。
その後、待ち伏せポイントよりも三百メートル前進し偵察を始めた。その時点で四時間。早ければ一時間もかからずに敵を捕捉できるだろう。
ほんの数時間の作戦とはいえ、極寒の戦場、薄い大気、慣れない装備と人員。不安にならない方がおかしい状況。それでも断熱素材の目だし帽に付けたゴーグル越しに暗視装置無しで雪原を監視する由美。
広い谷底の北側、雪に埋もれた川を彼女は待ち伏せに選んだ。水の流れが谷底を削り、雪がさらに高低差を作り出している。格闘機が上空からの捜索を避けるには都合がよかった。そして、彼女達にとって絶好のポジションでもあった。
不意に背後に気配。
「作業は終わりましたか?」
前方を監視したまま問いかけた由美に、驚きを示す気配の主。
「よく分かりましたね、警部。馬です。作業は終わりそうなので呼びに来ました」
無線その他の通信を禁じた由美。馬はそれに従い雪の中進んできたのだ。
「了解。二人はCポイント?」
傍らに置いたキャリコとエクスカリバーを手に取り中腰になる由美。
「はい。指示通りです」
「ありがとう。――いろいろ面倒をかけますね」
由美に好意的な馬は、陳と王の二人を色々と宥めて彼女の指揮を補佐してくれた。
三人に命じた作業にしても、陳は不満そうな表情だったが、G1の接近を監視する役目とどちらがいいかを問われ、渋々従ったようなものだった。
「いえ。お役に立てて光栄です」
柔和な馬の笑顔に癒される由美。
「じゃ、作戦説明に戻りますか」
二人は姿勢を低くしたまま移動を開始した。その際、入念に移動の痕跡を消している由美の細かさに最初は驚いていた馬も何も言わず協力を始めた。
それぞれの部隊の特性によってその部隊員の得手不得手はあるだろう。屋内への突入作戦をメインとする部隊の者は狭い空間での迅速な攻撃は得意だが、ジャングルでは目立つことこのうえない素人同然の動きをする。
由美自身も特防課で学んだのは都市部での活動だった。尾行の技術も一つだった。一方で都市部をジャングルのように見立てて縦横無尽に動き回る技術を提供することもあった。
特殊部隊とはそういうものだ。一つのことに“特殊化”するのであって、なんでもかんでも出来るスーパーマンを作るのではない。
陳達人民解放軍チームも、どうやら都市での作戦能力を与えられているようだ。それゆえに移動の痕跡を消すことに積極的でなかったり、待ち伏せの下準備等に慣れていないところも散見されるが、馬のように無駄口を叩くことなく意を汲んでくれる能力を持っている。
そういう意味では特殊部隊というものは、一定の頭の良さを必要としている兵科である。
だからこそ、由美はこのチームを掌握できると信じていた。
「お疲れ様です。慣れない作業だったと思いますが、いい仕事でした」
陳と王がくつろいで携帯糧食を口にしていた掘ったばかりの窪みの中に戻るなり、二人を労う由美。
「えらい時間かかったと思ったら、全部見て来たのか?」
「ざっと。ーー全て問題ありません」
「連邦国防軍空挺団と比べたら見劣りするとは思うがね」
年長者である陳の言葉はずっとこんな感じだ。思わず苦笑する由美。
「我々は芸術家ではありません。作戦に充分な精度を時間内に満たすことが、軍人の仕事でしょう?」
「あんたは警察官だろう?」
「さあ?どうでしょう?日本は軍と警察の境界が曖昧ですからね」
ふんと鼻を鳴らす陳。態度は悪いが話を聞いてくれている。由美にはそれだけで充分だった。
「私は、あなた達を誰一人死なせるつもりはありません」
「俺達も死ぬつもりはねえよ。あんなロボットをどうやって撃破するのか聞かせて貰おうか」
「ええ。でも、まずはひとつ訂正します。敵はロボットではありません。格闘機を着た人間です」
「言葉の定義の問題ですか?そんなの――」
「ありますよ」
今まで黙っていた王の言葉を遮る由美。陳の表情が目に見えて険しくなる。
「ロボットは手足がもげても動きますが、人はそうはいきませんよね?」
「九ミリと閃光弾でそんなこと出来るわけないだろ?十二.七ミリでも通らねえ複合装甲も持ってる装甲車だって宣伝してんのは、あんたの国だ」
「ええ。そこに敵の油断はありますし、無理解は己を破滅に導くということをテロリストに教えてやるいい機会です」
――五分後、陳達三人は呆然と由美の美貌を凝視する羽目になった。
最初に口を開いたのは王だった。
「いいんですか?この話って機密なんじゃ……」
「構いません。連邦国防軍では常識です。ゲリラ戦部隊では対格闘機戦術は必須です。それに同盟国なんですから中国がG1を採用しても問題無いんですよ。なんでしないんですか?」
「中河さん。そりゃ日本と中国の地力の差って奴だよ。うちみたいな、いかにサボるかしか考えられない兵隊と党のお偉いさんのご機嫌を窺うことしか出来ない将校しかいない二流の軍隊じゃ、こんなじゃじゃ馬を扱えやしないよ」
「党って共産党ですか?今は政党結社が自由になったんじゃ……」
「ん十年続いていた物が、十年も経たずに変わるわけないだろ。新興政党ってのは半分は元々共産党員だった連中が作ったものだし、共産党の政権が無くなったわけじゃない。そんな連中にしてみれば、俺達なんて使い捨てのコマだ」
「私達の国も百年前は同じことをしました」
「ああ。だが、一つだけ決定的に違う」
陳のその言葉は由美には予想外だった。太平洋戦争の話をすれば中国人は嫌悪感を示すと思ったのだ。
「日本がそういうことをしたのは、負けはじめてからだ。正規軍が足りなくなってきたから使い捨てにし始めたんだ。俺達の国はずっと同じことをしている。敗北を知らないからそれでいいと思いこんでる。国の外で仕事をしていればいやでもそれが分かる。――俺達を死なせる気は無い。そう言ったのは本気か?」
「日本人は信じられませんか?」
「いや、あんたはそう問いかける覚悟がありながらここにいるんだ。それは信じるに値する」
陳は想像以上に聡明で真摯な男だった。
だから、由美もありのままに伝えた。
「私は私の部下を一人も死なせる気はありません。たった数時間の部下でも、それは私の部下です。私には全員を家族のもとへ返す義務があります」
陳の表情が初めて綻んだ。
「あんたはいい士官だ。うちには滅多にいないタイプだ」
「いいんですか?それは上官侮辱罪になるんじゃ?」
「いいんですよ。ここじゃ党の目も耳も届きませんしね」
「そうです、そうです。劉少校もこんなところに来ません」
言いたい放題の王と馬。そんななか、陳だけは真面目な調子を保っていた。
「大尉。あんたは何故軍を辞めたんだ。あんたみたいな士官だったら、部下にも上官にも恵まれたはずだ。いや、そもそもなんでこんな作戦に参加したんだ?日本には他にも人材が有り余ってるだろ?」
もしかしたら陳はずっと、由美のそこが気になっていたのかもしれない。それゆえの頑なな態度だったか。
「そうですよ。警察官であるあなたには、ここで戦うメリットは何も無いはずですよ」
どうやら王も同じだったらしい。
「メリットは、ありますよ」
由美は包み隠さず答えた。
「私が緑の軍隊のために戦った場合、それは私個人の功績となるからです」
「冗談はよしてくれ。それで前科が付いてしまったらそんなもの帳消しにされちまう」
「だからですよ」
断言した彼女に人民解放軍兵士達は揃って口を噤んでしまった。彼女の覚悟を理解したからだろう。
「それだけじゃ無いですよ」
「なんだって言うんだ。あんたがそんな覚悟を決めてまで、地球を半周して犯罪者になりに来る理由ってなんだ?」
「知り合いに可愛いカップルがいるんです」
話が読めない風の三人。構わず話を進める由美。
「一人はテロリストのせいで好きだった女の子とそれまでの記憶を奪われた男の子。もう一人は、家族全てを奪われた女の子。私は二人が幸せに生きられる世界を作りたいの」
「なんでそれが軍じゃないんだ?緑の軍隊でもないじゃないか」
「軍も緑の軍隊も切り札でしかありません。核兵器は使う物じゃない。持っていることを示す物だって言うでしょ?でも、警察はその力を行使できる。使うことを前提とした力なんです」
「だが、警察の武力には限界があります」
馬の指摘はもっともだ。
「だから言ったでしょ?軍と警察の区分が曖昧だって」
困惑顔の三人。
「自衛隊を作った当時の総理大臣は言いました。諸君らが活躍するということは危急の国難が迫っているということだ。だから、諸君らは活躍を望まれない日陰者だと」
「バカな。軍は国家を守る盾だぞ」
「ええ。でも、クーデター前の日本に求められたのは、戦争をしない国です。あなた達の国が要求したことよ」
「それは……」
「悪いことをしたなんて馬鹿げたこと言わないでくださいね」
それは皮肉でもなんでもなかったと、由美は述懐する。
「そのおかげで自衛隊は最高レベルの練度と規律を持った軍隊となり、緑の軍隊という最高の軍隊を結実しました。そして警察のレベルは世界有数の物となった」
「戦争をしない守るだけの軍隊と準軍事組織でありながら治安を維持する警察……。それが今や世界最高の軍隊とそれを支援する警察か……。俺達の先祖は本当にバカばかりだな」
何かを諦めたかのように呟く陳。
「でも、本当ですよね」
口を開いたのは王だった。
「守るだけなら民間人を傷つけないし、敵兵の恨みを買うこともない。攻め込まれたのを迎え撃っただけなのに、敵が恨んで来ても逆恨み以外のなんでもないですから。大義名分はいつも緑の軍隊にある。彼らがいつも溌剌としているのはそういうことですか?」
「そんなに張り切ってるかしら?」
「それはもう凄いですよ。アメリカ人が力なく行進している横を鼻歌交じりに走って行ってますよ」
いくらか誇張はあるが、ここアフガニスタンではそんな状況もあったと由美も聞いていた。南部の砂漠地帯の難民キャンプを中心にガーババラドゥという新しい都市を作り上げた緑の軍隊は、国内に駐留するどこの軍隊よりも活気に満ちていた。
一方、アメリカ軍を含めた多国籍軍はターリバンを含めたゲリラとの終わりの見えない戦争に辟易していた。それほどゲリラとの不正規戦闘というものは兵士達の精神を苛むものだった。
「同盟国とのいざこざはしょっちゅうでしたけどね」
テロリストだろうとゲリラの首魁だろうと、武装解除し緑の軍隊への恭順さえ示せば受け入れる緑の軍隊。多国籍軍によるその者達の身柄引き渡し要求の拒否。
立ち寄って補給を要請した多国籍軍兵士に対する武装解除要求と反発する兵士達。
同盟を結んでるはずなのに言うことを聞かないと多国籍軍の兵士達は口々に言ったが、緑の軍隊は公式に言い放った。
“日米平和協力条約を読んで出直して来い”
「あれは愉快だったな。アメリカに歯向かう日本人ってのを初めて見たときはびっくりした」
「ええ。だけど、思ったんです。自分達の仕事は基本的に汚れ仕事です。これは本当の意味で国のためになるのかなって」
王の言葉には切実な色が込められていた。
由美は陳達三人の経歴を知らない。どんな汚い仕事をしてきたのかも分からない。
強力な外交を進める中国政府は、彼らに過酷な任務を押し付けているのかもしれない。
「じゃ、緑の軍隊に入ります?アイリス准将なら大歓迎だと思いますよ」
彼女の提案に三人は瞠目した。思いがけないことだと思ったのだろう。
だが、陳はすぐに目を細めた。
「いや。俺達にも家族はいる。全部捨てて行くことは出来ないさ」
おそらくは家族の移動を制限されているのだろう。
そんな境遇を想像しつつも、由美は笑みを浮かべるのを止められなかった。
「なんだ?俺達程度の能力じゃ役者不足だっていうのか?」
陳の軽口に彼女は小さく首を振った。
「ほっとしたんです。家族をほいほい見捨てるような人に命は預けられません」
「そいつは同感だ。――中河警部。自分達の命、あなたに預けます」
「この綺麗な仕事を片付けて、全員で生きて帰りましょう。時間です。各自持ち場に付け。一帆風順」
突然由美の口から出て来た言葉に、幾度目かの驚きを顕わにする陳達。
だが、にやりと笑みを返す。
「“ご武運を”」
互いに相手の言葉で互いの武運を祈り、すぐさま散開する四人。その動きに迷いはない。




