第五話 緑の敵
2059年12月20日 午前11時
アメリカ合衆国グアム州グリーンフォースベース
「お疲れ様。C3は乗り心地悪かったでしょ?」
照り付ける陽射しで灼熱の鉄板と化したアスファルトに慌ただしく降り立った私を迎えたのは、褐色の肌とくすんだブロンドを持ちながら不思議と調和された美しさを放つ女性将校だった。左胸に多数の略綬、両肩に三つ星の階級章を付けたベージュの半袖ワイシャツに、淡緑色のスラックスを穿いた彼女は、気さくな笑みを湛え、その手に二つの麦わら帽子を持っていた。
「司令官自らにこんなことさせるなんて、申し訳ございません」
「いいのいいの。私、最近暇だし。それより東京に比べてこっちは暑いから気を付けて。はい、帽子」
サクサクと話を進める彼女は、さっさと麦わら帽子を被せると手を引いて大型輸送機から足早に離れた。
充分離れると、今まで出力を落としていたC3のエンジンが甲高いタービン音を立てながら爆音を放ち、戦術輸送機のずんぐりとした胴体がゆっくりと、しかし迅速に回頭を始める。エンジンが私達の方を向いてもジェットが襲って来なかったのは、ベクタードノズルとパイロットの気遣いのおかげだろう。
それでも鼻に纏わりつくプラズマスラスターエンジンの放つイオン臭。
昇降タラップを収納していた機付員が敬礼し、私を出迎えた中将が答礼するとハッチが閉じられ、輸送機は滑走路に向かって駆け出していく。
「慌ただしくてごめんなさいね」
「いえ。私も無理言って乗せて貰った身ですから。それに音以外は意外と快適でした」
私が乗って来たのは、東京の横田からミャンマーへと向かう緑の軍隊の輸送機だった。私はそれに便乗させてもらう形で搭乗していたのだが、無理な注文にも兵士達は快く対応してくれたことに、私も感謝せずにはいられない。
「それはよかったわ」
浮かべられた控えめな微笑は、間もなく退役する彼女の穏やかな一面を表す慈しみに満ちていた。
彼女に案内された駐機場の隅に停められていた高機動車には、驚いたことに運転手はいなかった。
「こちら緑の軍隊司令官。訪問客を迎えた。移動許可を要請する」
「管制塔了解。しばし待て」
「コンダクター了解」
「本当に自分で運転して来たんですか?」
「ん?そうよ。私は暇でも、基地は大忙しだからね」
「暇って……。ご冗談を。今や全世界が注目する軍隊の司令官が暇ってことはないでしょう」
「ひまよ。来年の再編制に私は関係無いわ。これからの将校がやるべき仕事よ。私はそのチェックだけ」
驚いたことにそれは事実だった。二〇六〇年、緑の軍隊は四つの司令部に分割される。サマーワ司令部、ガーババラドゥ司令部、バイドア司令部、そしてグアム司令部の四つである。緑の会議国三か国それぞれに師団規模の統括能力を持つ司令部が設置され、近隣の紛争地帯へと派遣される体制へと移行するのだ。グアムの指揮下にあった各地域への派遣は、来年からは各司令部独自の派遣計画に基づくことになる。
現在行われている機能移転作業は各方面の参謀部に一任されていた。
「昔はもっと楽しかったなあ……」
耳を疑うような独白。
「は?銃弾が飛び交うようなところにまだ行く気ですか?」
この中将、最後に戦闘指揮を執ったのは准将の時だった。それも平時の東京都内での銃撃戦だ。極め付きの行動派将軍である。
「あなたも楽しかった……わけないか」
表情から私の気持ちを見て取ったのか、少し慌てたように両手を振る仕草が相変わらず可愛らしくて、同じ世代の女性として羨ましい限りだ。
「ごめんごめん。そんなにうんざりしないでよ」
本当に申し訳なさそうな表情に、私はどう応えたらいいのだろう?
ちょうど管制塔から移動許可が下り、彼女は機動車を発進させた。
ここはグアム島にあるアメリカ合衆国空軍アンダーセン基地の西側に隣接する、緑の軍隊司令部を兼ねるグアム補給群。二千五百メートルの滑走路を有し、世界中に展開する緑の軍隊に人材や物資を運搬する役目を担っている。
しかし、現在はミャンマー方面以外では本部人員や将校の移動くらいの任務しかない。それだけ西太平洋地域は政治的に安定していた。今後は、イラク、アフガン、ソマリアに駐屯する緑の軍隊に西太平洋地域の兵士を運ぶ任務をおもに担うことになるだろう。
緑の会議国の緑の軍隊は撤退したが、それは存在がなくなったという意味ではなかった。
サマーワ、ガーババラドゥ、バイドアの三都市には緑の軍隊の編制教育支部が存在し、現地の志願者による部隊が世界各地に派遣されているのである。日本連邦と三か国の将兵の相互交流も進み、各国の練度も非常に高く、現在では中隊規模で日本人が一人もいないこともあるし、司令官が緑の会議国出身ということもある。
そもそも司令官がブロンドの女性というだけで、緑の軍隊はもはや日本連邦の組織ではないと言えるだろう。
「韓国もオーストラリアも、よく司令部の新設に文句を言いませんでしたね?」
「言われたよ。そもそも日本に無いじゃん、て言ったら黙ったけどね。それでもアメリカ領内にあることにはブツブツ言ってたわね」
グアム司令部は緑の軍隊創設当初から存在した。紛争地での米軍との連携強化を名目に、使っていなかった施設を日本政府が買い取ったのだ。
だが、緑の軍隊はイラクでもアフガンでも米軍との諍いが絶えなかった。テロリストの引き渡し拒否、ゲリラ討伐任務への不参加、緑の軍隊活動域内での米軍に対する武装解除要求など創設当初から謳っていた内容を完全に履行していた緑の軍隊は、米軍の現地部隊と度々衝突していた。
――別にアメリカの邪魔していたわけじゃないよ。ただ、緑の軍隊の邪魔をするなって言ってたのよ。
というのは彼女の言であり、緑の軍隊経験者が一様に頷くところであった。
それでも地域の安定に貢献していたことは確かだったので、アメリカにも不満は無かった。
ただ二十年もしたころに、アメリカ政府と国防総省は日本連邦政府にしてやられたことに気付いた。米軍の情報網を緑の軍隊の発展に利用されたのだ。
防御力一辺倒の軍隊が、世界の紛争を減らすという奇跡を演出するために。
「アメリカは?議会とかうるさいんじゃないですか?」
「とっととグアムから出て行けって遠まわしに言われたわ。太平洋軍司令に」
戦争が減り、死傷者が減った一般兵士やその家族――アメリカの一般の人達にとっては、緑の軍隊は英雄だろう。しかし優秀な将兵を奪われたり、名誉を奪われる要人達にとっては面白くない存在だ。
「でも、とっても言いにくそうだったわ。あの司令はこっちのこと高く評価してくれて、色々情報くれたからね。たぶん、ホワイトハウスにでも小言もらったんじゃない?お国の将軍は政治には逆らえないのよね。スカウトしようかしら?」
アメリカ海軍の大将を、最高階級が中将までしかない緑の軍隊にスカウトしてどうする気なのだろう。
「冗談よ」
「分かってますよ。いくらあなたでも、そんな無茶はしないでしょ」
「ひどい言い草だな……。私ってそんな無茶している?」
本気で言ってるのだろうか?
「分かった分かった。私が悪うございました。私はあちこちで色々やらかしてきました。どうもすみません」
なんと心のこもってない。
「妹さんも可哀想に……」
予想外……、ではないな。私の独り言に彼女は予定調和のように噛みついて来た。
「なんだよ。グロリアは関係無いでしょ?あの子の方が散々私をハラハラさせてきたわ」
「危ないから、前見て運転してください」
「問題無いわ。それよりもスズエ。私があの子に何したって言うのよ?」
確かに妹は英国がミャンマー紛争に絡んでいる証拠を見付けたり、機動展開軍の部隊に対しサボタージュを実行したりと大きな不安を姉に叩き付けただろう。
だが、姉は姉で世界中の紛争地域で現地調査と称してゲリラや民兵とやり合ってきたのだ。数では彼女の方が圧倒的に多い。
「もう似たもの姉妹ってことでいいじゃないですか?」
「いやいやいや。似てないでしょ」
妹もほぼ同じ反応をするのを知っている私は思わず噴き出してしまった。しかもこの姉妹、お互いのことを嫌い合ってるのではなく、自分に劣等感を抱き、お互いに憧れ、尊敬し合い、愛情を傾けているのだ。
つまり、お互いが大好きなのである。
ジト目の司令官に言ってやる。
「本当に妹さんが好きなんですね?」
「ええ。そうよ。どこに出しても恥ずかしくない子だわ」
このセリフに対する反応だけは真逆だ。いつもは堂々と振る舞う妹は照れてしどろもどろになるのに、いつもは控えめな姉は晴れ晴れとした表情で宣言するのだ。
「さすがは緑の女王」
「女王?私が?」
「ええ、そうですよ。そう呼ばれてるの知りません?」
「初めて聞いたわ」
彼女にとっては予想外の渾名だったらしい。
「半独立の軍隊ですから、そう思われるのも仕方ないのでは?」
二十か国以上の個人、企業の参画する緑地復興軍事行動。というのは渾名の表向きの理由だ。
控えめな中にしっかりとした芯を持つ彼女は、美しさに気品を漂わせている。直接指揮を執ることのない彼女だが、戦場にその姿を見るだけで兵達は否が応でも戦意を奮い立たせることになるのだ。
まさに女王だ。
そして彼女の母国もその理由だった。
王立陸軍の士官だった彼女は、ソマリアのバイドア事件で緑の軍隊の本質に触れ、そして祖国を離れることを決意する。二百名もの部下が付いて来たことは、彼女にとっても予想外だったが……。
緑の軍隊とは、国王陛下の裏切者が作り上げた王国。そういう風に見る人も多い。
「王様はこんなに安っぽくないわよ」
彼女は祖国を裏切ったわけではない。祖国がよりよい方向へ進むことを願って、新しい道を示そうとしてきたのだ。
それゆえにその言葉は、臣下の取るべき礼節に則った言葉だった。
「私は、あなたはそう呼ばれるに相応しいことをしてきたと思います」
「足りないわ。全然足りない。しかも、一番大変なところを若い人達に押し付けた。そんなお婆さんよ」
寂しそうに笑いながら、彼女は本部棟の前に高機動車を停車させた。
「それは、私もです」
「ん?ということは、今回の訪問の理由はそれ?」
「えっと……、まあ、そうです」
「私は何も話すことないわよ。直接関わったわけじゃないから」
「ですが、最も利益を得た人物です」
さすがに言い過ぎだと私も思った。日本に遊びに来るときには、我が家に招くほどの友人に対して言う言葉ではない。
しかし、ここまで言うべき理由はある。
「改正案の可決は、確かに私達の求めていたものだ。どう言い繕うとそれは変わらないし、そうなるように努力をしてきた。不正規戦だろうと情報戦だろうと手段は選ばなかった」
普段は控えめな彼女だったが、敵を認識した時の苛烈さは有名だった。敵と認識すれば、同盟国の大使だろうと次官だろうと、大統領補佐官だろうと情報と弁舌を駆使し徹底的に吊し上げ血祭りに挙げてきた。
「兵達は私の命令に従っただけだ――」
そして薄茶色の瞳で真っ直ぐ私を射抜く。この瞬間、私も彼女の敵になろうとしていた。
「潰すなら私だけにしろ」
「いいえ。アイリス。そうはなりません。連邦の政治家に、今更あなた達の所業を大っぴらにすることを容認できる人はいません。マスコミも同じです。それほどにあの事件は酷かった。むしろあなた達の行動は、非合法でも必要だった」
彼女はそれでも警戒を緩めなかった。
そんな彼女に良い報せを伝えるべきだと思った。それもとびきりの国家機密を。
「恩赦が予定されています」
ぽかんとした彼女に、私はもう一言伝えなければいけなかった。
「これは“良い報せ”になりましたか?」
彼女は日本連邦では誰が恩赦を出すのかに思い至ったのだろう。突然、私の右手を取った。
両掌で私の手を包み込むと俯き、紡がれたのは控えめな感謝の言葉。
「ありがとう。スズエ」
それは一体何に対する感謝だったのか、彼女は最後まで教えてくれなかった。
ジョン・アイリス・オーリンズ、緑の軍隊中将。元英国陸軍士官でありながら、英国と欧州の対外政策をよしとせず、裏切者の汚名や傭兵容疑にも怯むことなく、己の信念に従い緑の軍隊の発展と紛争地域の安定化に尽力した。
その穏やかで気さくな雰囲気からは想像も付かないが、彼女の経歴は常に敵との闘いだった。現地ゲリラ、活動を理解できない現地住民、口出ししてくる各国政府や企業、弱味だけをあげつらうマスメディア、そして明確な敵意を向けてくるテロ組織。
彼女はあらゆる敵との闘いを経験した、緑の軍隊でも数少ない将軍だった。
二〇五六年一月。
アイリス准将は、緑の軍隊参謀長として一つの対テロ作戦を実施するのだが、緑の軍隊の歴史の中で数度しかない対テロ作戦はいつも同じ様相を呈していた。
その全てにおいて彼女が出遭った全ての敵が一堂に会するのだ。
この記録もまた、そんな作戦の一つだった。