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その3

 カウンターに物がぶつかる鈍い衝撃と、置かれたコーヒーカップが立てた派手な音。

 マスターと店内の客達の前で、ワイシャツ姿の優男が堂々と凶行に及んでいた。

 自分に絡んできたホストの上体を、カウンターに押さえ付ける公輔。その手際は素晴らしく、眼前で見ていたマスターですら惚れ惚れとするほどであったが、自分の店で狼藉を働くような客に勝手を許すような軟弱なマスターではない。

「何やってんだ。そこまですることないだろ!」

「いいや。そういう訳にはいかないね」

 マスターの誹りをばっさりと切り捨てる公輔。左手でホストの右手を極めたまま、その上着のポケットを手早く漁る。

 問答無用の行為に、仲間のホスト達も忘我から解放され駆け寄ってくる。

 だが、先頭にいた年嵩のホストの鼻先に突き付けられたのは、蛍光ブルーのカプセル。

「これ、なに?」

 いきなり眼前に突き付けられて面食らった公輔より年上と思しきホスト。しかし、それが何かを認識した途端、顔色を変えた。

「ん?知ってるみたいだね」

 あくまでも軽い口ぶりの公輔。その軽さが逆に不気味に感じられて怯んでしまった先輩ホストだったが、その左右にいた後輩たちは気付かずに飛び出してしまった。

「やめろっ!」

 壁がびりっと震える怒号を放ったのはマスター。二人のホストが驚きで止まる。

「ヤシロ。この人が例の政府の人だ」

 たった一言で六人のホスト全員が目を見開く。

「ん?俺ってそんなに有名人なの?マスター、あんまり言いふらさないでね」

「バカヤロウ。渋谷でも六本木でも勝手に暴れてるのはあんただろ。都内じゃ、あんたの噂だらけだ」

「え?マジで?それバレちゃったら、クビになっちゃうな」

 呑気に笑う公輔だったが、その左手は若いホストをカウンターテーブルに押し付けたままであり、年嵩のホストの眼前には毒々しいまでに青いカプセルが突き付けられている。

「突き出すのか?」

 年嵩のホスト――ヤシロが唸るように問いかけてきた。

「ん?麻薬取締部(マトリ)でも呼んだ方がいい?」

 さらりととんでもないことを言う公輔。若いホスト達が一斉に色めき立つ。

 だが、ヤシロは後輩たちを制すと深々と頭を下げた。

「なんのつもりかな?」

「そいつのことを見逃してやって欲しい」

 慌てる後輩達だったが、対照的に公輔は冷めた視線で晒された後頭部を見下ろしている。

 その沈黙を破るようにヤシロは声を張り上げた。

「マスターからあんたのことは聞いている。あんたは政府の人間だが、利益で動くと聞いた。あんたの要求を聞かせて欲しい」

「頭下げるの早いよ。こっちの要求が吊り上がっちゃうよ」

「腕っぷしじゃ敵わないことは分かっている」

「やってみなきゃ分かんなくない?」

「信頼するマスターが信用している男が、ただ者のはずがない。それに、こいつらの一人でも怪我させるわけにいかないんだ」

「苦労してんだね」

 ヤシロの言葉に感じるところがあったのか、一瞬思案する公輔。

「じゃ、こいつの入手先教えてくれないか?」

「すまん。それは分からないんだ」

 顔を上げたヤシロが申し訳なさそうに答える。不機嫌そうに顔を顰める公輔に慌てて、事情を説明する。

「店じゃそんなもの使っていない。うちの社長はヤクザやチュンと取引はしているが、色々なところと繋がりを持つことで距離を保つようにしているんだ。だから、そのての商売には手を付けていない」

 歌舞伎町の経営者には、確かにそういう手法で健全な経営を志している者もいる。ヤシロの発言には一定の信憑性があるようだ。

「つうことは、君はどこで手に入れたんだ?」

「ユウマ。大人しく答えろよ」

 組み伏せられて冷静になったのか、ヤシロの気遣うような言葉に感化されたのか、ユウマと呼ばれた若いホストは思いのほか大人しく答えた。

「……昨日、お客さんに渡されたんだ。セックスの前に一発キメとくと気持ちいいって」

「そんで、その客と楽しんだわけか。――初めて?」

 公輔の問いかけにかくかくと頷くユウマ。

「俺は麻取でも警察でもない。正直に言った方がいいぞ。昨日、初めて使ったのか?」

「ほ、ほんとだ。嘘じゃない」

 僅かに動く左手。鋭い痛みに苦悶の声が漏れる。

 それを確認してから、再び締め付けを緩め、その耳元に低く問い質す。

「本当か?嘘ならお前の命は無いぞ」

「へっ。お役人がそんなこと言っていいのかよ」

 その返しに不気味に吊り上がる公輔の口元。

「なるほど。実践が必要というわけだね。――じゃ、選んでほしいな。お仲間のうち、誰を殺したら信じてくれるかな?」

 ぽかんとする客達。突拍子の無い公輔の言葉は彼らの常識の範疇外だった。

 ただ一人、マスターだけは危機感をあらわにしていた。

「いい加減にしてくれ。これ以上無茶なことすると、警察を呼ばなきゃなんねえぞ」

「ん?俺は平気だよ。――だからさ、ユウマ。一人選んでくれないかな?」

 緊張というよりも、得体のしれない不気味な存在と接している雰囲気に満たされる店内。

「簡単だろ?いくら先輩や仲間って言ったって、一人くらいは苦手な奴や毛嫌いしている奴がいるだろ?そういう奴をかる~く片付けてあげるよ」

 滔々と語る彼の言葉は異常だった。それなのに、その本人は全くの正常に見えた。

 彼には、自身の異常な言葉にはなんの不都合も無いのだと、その姿は示していた。

 思考が追い付かなくて、曖昧な笑みを浮かべるしかなかったヤシロたちはようやくその事実に気付いたが、既に手遅れだった。

「分かった。お前たちは何も理解してはいない」

 突然の悲鳴。カウンターに拘束されていたユウマが上げた苦痛の声。

 反応したのは、ヤシロの左右にいた若い二人。半ば反射的に飛び出し、公輔に飛びかかる。

 しかし、先に飛び出たホストの眼前から公輔の姿は掻き消えてしまう。

 どうしたのかと振り返ったときには、後頭部への衝撃で意識が暗転する。

 呆然とするヤシロの眼前には、意識を失い昏倒した二人を足元に転がしたワイシャツにスラックスのビジネスマン風の男一人。

「ね、ユウマくん、分かったかな?その気になれば、君達全員簡単に()れるんだよ。正直に話した方がいいよ」

 いかなる手段か定かではない。しかし、今間違いなくこの男は二人の若者を素手で倒した。それも瞬時に、目にも留まらぬほどの速さで。

「ユウマ!」

 あまりの惨状に悲痛な叫びを上げるヤシロ。それが責めるような口ぶりになってしまったのも致し方ない。目をかけていた後輩二人が一瞬で倒され、自分の命すらも目の前の人の皮を被った猛獣の眼前にぶら下げられているのだ。

「信じてくれよヤシロさん!俺は本当に、昨日初めてだったんだよ!」

 涙を流しながら必死に声を張り上げるユウマ。その上半身がいまだにカウンターに伏せたままなのは、公輔が右腕の関節を僅かにずらしたことで、上半身の筋肉が連鎖的に固定されてしまっているからだ。

 そんな状態のユウマにとって、公輔の脅威はヤシロ以上に切実だ。生殺与奪の権利は握られ、しかも仲間があっさり二人も倒されてしまった。あまりにも呆気なかったので、本当に死んでしまったのではないかと思っていた。

「あんた!俺は本当のこと言ってるんだよ!薬をくれたお客さんのことも話すつもりだったのに、何してんだよ!」

 ぐちゃぐちゃな泣き顔だったが、その姿は公輔の中のユウマの評価を僅かながら上方修正させた。

 圧倒的な力の差を見せ付けられて、自由を奪われ、それでも噛みついて来る。恐怖を感じてはいるが、それでも逃げに走らないのは仲間のことを思っているからか。

 絡んできたのは、本当に薬の影響の残滓のせいだったのだろう。

「ユウマがこれだけ言ってるのに信じねえとか、あんたマジ信じらんねえよ。なんてことしてくれたんだ」

 ヤシロも手を出さないものの、気が引けてしまった残り二人の後輩を守るようにその気勢は凄まじい。

 ――使える人材だな。

 感心したような態度の公輔に、ボルテージをさらに上げかけた二人の間に冷や水を浴びせるような声が通り抜ける。

「お前ら、落ち着け。二人とも気絶してるだけだぞ」

「え?」

「は?」

 いつの間にか――いや、公輔は最初から気付いていたが――カウンターから出て来て倒れた二人の状態を看ていたマスターの見立て。

「ああ、問題ない。報道官さんよ。若い連中にお灸を据えるのはいいが、ほどほどしてやってくれないか」

 薬物に関わるということは、肉体的精神的な摩耗に繋がるだけではない。下手に手を出し、それを生業にするようなことになれば裏社会の干渉を受けることになる。

 公輔はいわばその予行演習を実演してみせた。より過激な方向で。

「悪いね。手間かけさせて。――ヤシロさん。あんたはなかなか筋が通った人間のようだ。後輩達が道を外さないように、きちんと面倒看てやんなよ」

「あ、ああ」

 ヤシロの返事でようやく落ち着きを取り戻した店内。

 不意に弛緩した空気を吹き飛ばすような大きな音。

 振り返った男達が見たのは、倒れたカウンターチェアと床に横たわるホステスを慌てて抱き起そうとしている男性客だった。

 どうやら、猟奇的な状況が唐突に終わりを告げた反動で気を失ってしまったらしい。

「あら……」

 呟く公輔を睨み付けるマスター。しかし、すぐに気を取り直して介抱に向かう。

 人間らしい人間を動かすって難しい。そう思いました。


 ここで2週間くらい手間取りましたね。

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