第四話 野良猫
2060年8月1日 午前8時25分
北海道札幌市
北海道という地方ほど時代の流れに翻弄され続けた土地は無いだろう。
明治の屯田兵の開拓から始まり、小樽を中心として対北方貿易で繁栄するも太平洋戦争と続く東西冷戦でそれも無くなり、今度は対共産圏の最前線となった。
冷戦終結でそんな雰囲気も収まるかと思われたが、本当の苦難はそれからだった。バブル崩壊により、それまで大規模リゾートとして栄えていた北海道経済はみるみるうちに縮小。ついには道内最大の金融機関の破綻へと至り、人口の急速な流出と、土地を離れることが出来ない高齢者だけが残る高齢社会になり、いくつもの限界集落が発生し、自治体の破綻という未曽有の事態を招いた。
二〇〇八年の日本国防連合クーデターによって連邦制に移行することが決定した日本は、府県同士の隣保同盟たる州を各地に生み出したが、北海道だけはどの州にも加わることはなかった。当時の政治家達は、地理的なものや地域特性の違いなどを理由にしてきたが、本音は誰が見ても明らかだった。
――北海道は足手纏いである。
二〇一〇年前後の北海道は過疎により農業は衰退し、工業力も無く、観光も不振状態。手を結ぶにはあまりにもメリットが無かった。あるとすれば、冷戦時代の名残とも言える強大な軍事力のみ。これですら、瞬く間に負債になることは目に見えていた。
同じ辺境である沖縄とは正反対の存在。押し付けられるように連邦政府直轄地となろうとしていた。
この状態に日本連邦政府直轄となることが決定していた東京都は、連邦政府と北海道に対して抜本的な改革を促し、それを条件にともに連邦政府直轄地となることを認めた。
連邦政府は、東京都の提言の多くを受け入れ行政機構の刷新を進めるとともに、北海道の空港と港湾の大規模再構築を開始。千歳空港は北日本国際空港へとその能力と名称を改め、根室、釧路、苫小牧の三港を次々と整備。これにより物流コストを大幅に下げ、人と物の流れを格段に向上させた。
続いて、農業の大規模集積化を国内のどの州よりも推進し、民間資金も大幅に活用した。
さらには連邦国防空軍内に第二飛行開発実験団を発足させた。これは元々岐阜にあった飛行開発実験団が中部州軍の管轄圏内にあることから、独自の実験団を保有したかった連邦政府の思惑も絡んでいたが、ここにも独自の誘致を行ない千歳は航空機開発生産の一大拠点とすることに成功したのである。航空機関連企業は北海道中に誕生し、あらたな産業を基幹にして、それを今までの産業で補完することで劇的な復活を遂げたのである。
これに人口飽和で困っていた東京都の移住政策も合わさり、二〇五〇年には人口は七百万に達し、足手纏いのイメージを完全に払拭した。
今では、札幌は国際的にも日本連邦第二の首都として国際的にも認められている。
人口二百万人の大都市、札幌の中心部――北海道庁にて一人の人物を訪ねた。
その人物は警戒心が非常に強く、毎日のように出勤ルートを変え、しかも数軒のセーフハウスを持っていることが予想され、捕まえるのは非常な困難を伴なう、そんな人物だった。
そんな人物だったからこそアポイントメントなんて取れるわけがなく――それは公職にある身としていかがなものかと思わないでもないのだが――私は一週間も浪費することになってしまった。
そして一週間もの間、受付の待合室に座る謎の人物の変装をしてようやく彼の姿を目にすることが出来た。
初日にアポを取ろうとして失敗した私は、場末のスナックのママのようなけばけばしい変装をして張り込んでいたためか、彼の警戒も緩んでいたようだ。受付のカウンターの奥、事務スペースに彼は現れた。
すらりと背が高く引き締まった体つき。丁寧に分けられた黒髪はさっぱりとしていて、知的な風貌と相まって女性のファンがいそうなそんな色男。
彼は私に気付かなかったのか、すぐそばを通り過ぎようとしていた。
「おはよう、野良猫さん」
普通は聞こえないような囁き声。それでも、彼らの鋭敏な聴覚なら届くと私は確信していた。
足を止め、ゆっくりと彼は振り向いた。その表情は驚きと、かなりの呆れを含んでいた。
「あまりにも変装が下手すぎて、絶対違うと思ってたんだが……」
「あら、そんなに下手かしら?」
事務員の間で噂になっていた謎の人物――私を改めて彼自身の手で探りを入れるために、彼は出て来たらしい。道庁に抗議する市民団体の一員、という可能性が最有力だったそうだ。
「お久しぶり、相澤さん。最後に会ったのは、あんたが追われていた時だったかな?」
場所を変え、庁舎内の会議室の一つに案内された私に、彼は嫌味ったらしく挨拶をしてきた。
「ええそうよ。あの時は大変だったわ。私を狙って三つ巴。しかも、誰も私の味方と明言することなく銃撃戦。気が狂うかと思ったわ」
「悪いね。あの時の俺達は、あんたの命は二の次だったからね。報告書がグアムの連中の手に届けば良かったんでね。悪いのは、アイリスさ。あの女、俺達のことも容赦なく撃ちやがった」
「そのアイリス中将から伝言よ。二度と私の前にそのツラを見せるな、クソネコ、だそうよ」
「記者会見のときとキャラが変わりすぎだろ」
「あなたもね、北海道庁官房長さん」
どうやら情報畑出身同士、お互い同族嫌悪のような状態のようだ。
「にしても、よく俺のこと分かったな。名前も戸籍も変わってるのに」
「ええ。大変だったわ。奥さんが尻尾を掴ませてくれた時には、小躍りしてしまったくらいよ」
「ああ、そういうことか……」
「奥さんを責めたらだめよ。何も知らない普通の女子大生を、こんな殺伐とした世界に引きずり込んだ悪い男なんだから」
「分かってるよ。どこの母ちゃんだ、あんた。んな話しにわざわざ札幌まで来たのか?」
「そんなわけないじゃない。あなた達にお願いがあったのよ」
「脅迫だろ……。で?望みはなんだ?」
「あなた達の活動の公表。プロフェッサー、コタツ、ショートヘアの正体が明るみに出てしまうから、彼らには連絡をしておいて欲しいのだけれど」
「いや、構わない。どうせ全員で雲隠れするさ。内戦に関わった全記録で構わないか?記録の回収受け渡しは、後日知らせる」
「本当に良いの?安住の地じゃないの?」
「そういう宿命だってことは覚悟しているさ、最初からな。それに俺には強力なパトロンがいる。そのおかげで野良猫は維持出来ている」
それでも度々名前を変え、身分を変え、土地を点々とする日々は辛いものがあるだろうに、彼はなんでもないことのように笑ってくれた。
「ありがとう。もう一つお願いがあるの」
「なんだ?」
「遺言の公表よ」
さすがの彼もその表情を強張らせた。
「ダメ、かしら……?」
「あれは俺達にとって聖書みたいなものだ。おいそれと外に出すもんじゃない。あんたの目的はなんだ?」
「いつも通りの職務の遂行よ」
「誰の命令だ?」
「こちらにも守秘義務はあるわよ」
「そういうわけにもいかない。これは俺達とあんたの信頼の問題だ。お互い、あの内戦を生き残れたのは信頼があってこそだったはずだ。俺達が俺達の心を晒すなら、あんたもそれに相応しいものでもって対価を示すべきだ。俺達は常にそうしてきたはずだ。違うか?」
三十四歳。年若い高級官僚は、やはりどこまでも筋を通してきた。
その姿に好感を抱いていたのは確かだ。権謀術数で塗れ、泥沼のような戦場を駆け抜けた彼は、しかし未だ若い情熱を滾らせていた。
北海道が元気になった暁には、日本全体が元気になると思うんですよねぇ、個人的に。