その9
鳥肌が立った。
その青年を見たとき、そのあまりにも自然体の態度と言葉を感じたとき、この青年は圧倒的に強者なのだと一瞬で分からされてしまった。
「どうやら自律要撃機能を切ったようだな。正しい選択だが、今更お前らを全滅させる必要なんてあるのかな?すくなくとも、この作戦の失敗で緑営は瓦解するだろうに」
それがまるで何でもないことのように淡々と話す言葉。
だが、そこには聞き捨てならない言葉があった。
「緑営はまだ終わってない」
衝動的にM4を構える。作戦は失敗し、むしろ打撃を受けた利鋭達。このままでは緑営は地元の支持を失うだろう。
そもそも財政面でも装備を調達するコネの面でも、緑営は防衛に特化せざるを得なかった。そんな組織が、攻勢に出たところで金も装備も人員も上の敵が守勢に回れば、跳ね返されることは明白だった。
彼はそれが分かっていた。そのために入念な準備をしていた。多少の犠牲は致し方なかった。それでも目的が達成できれば、敵に打撃を与えられると思っていた。
だが、力というものを民衆は度々勘違いする。緑営を支援する人達は、緑営の無敵を願っていた。それがあり得ないことだと理解しようとは思っていない。
多くの善なる武装組織が崩壊したのは、そうした支持者たちの無理解だ。
青年は乾いた軽薄な笑みを浮かべた。それは利鋭を嘲笑うためだけに作られた表情。
「お前は分かってるだろ?敵は、このままこの街を蹂躙する」
「そんなことは俺がさせない」
「どうやって?支持を失ったお前たちは、ただの木偶だ。自分達を守ってくれって縋って来た連中が掌を返すようにお前達を敵に差し出すようになるんだ。自分達の命を守るためにな。それが、腐った民主主義だ。お前もよく知ってるだろ?暗殺官」
ぶわっと胸の奥底から沸きあがってくるもの。自分の行動を支持していた連中が、自分達の首を絞めていたことに気付いた途端に掌を返して罵倒してきたあのとき。自らが愛し、守ろうと誓った女性が死んだと知ったとき。
「やあ、初めまして。中国共産党の見込んだ暗殺官くん」
失意の彼に投げかけられた、あの反吐が出るような甘ったるく馴れ馴れしい口調。
――殺してやる!
引き金に力がこもった瞬間、青年の姿が消えた。
気付いたら、既にM4の銃身は捻って抑え込まれ、身体には長大なライフルの銃身が抑え付けられていた。
「悪くない殺気だ。周飛宙」
耳に届いたのは、不思議と喜ぶような声色。
「鋭利で美しい刃物を彷彿とさせる。それに免じて、ここは俺が片付けてやろう」
言い放つなり、青年は利鋭を放し、無造作に通りに足を踏み出した。
途端、見えない銃弾の嵐が吹き荒れ、コンクリートやアスファルトを削り飛ばしていく。
その真っ只中に、足を踏み出した青年は、一瞬で姿を消した。
一瞬の掃射で粉々に粉砕されたのか?
違う。
利鋭は見た。青年は爆発的な蹴り足で飛び出し、まるで瞬間移動のように通りの反対に建つ倉庫の壁に足を付けて制動をかけていた。
掃射は虚しく何も無い場所を引き裂いただけだった。
壁に足を付けたまま、無造作に構えられる長大なライフル。
しかし、そのライフルはそんな適当に構えるべき代物ではない。しかも、生身の人間の場合は寝そべって射撃する伏射以外認められていないはず。
対戦車ライフルATR-4。商品名ブラックスタンピード。黒い暴走と名付けられた、複合装甲を備えた現代戦車に一撃を与えることが出来る、史上初の歩兵用電磁投射銃。
一際唸りが強くなったと思うと、次の瞬間空気が爆ぜた。
衝撃波で空気が撓み、音が消え失せる。衝撃波に弾き飛ばされ、無様に転がった利鋭はしかし、その目ではっきりと目撃した。
射線上のあらゆる存在を薙ぎ払った一撃が、接触していないアスファルトさえ削り取りながら、標的を正確に貫くのを。
「まるでロボコップだな……」
ようやく音が戻って来たとき、聞こえたのは青年の呟き。
今一度貫かれた敵を見たとき、彼はその意味を理解した。
倒れ伏した二本足の大型機械。人民解放軍が近年採用した自律警備ロボット鉄騎四八式。諸外国に売り込みをかけているが、柔軟な運用が可能な高い汎用性が売りの日本製格闘機とは溝を開けられたうえ、緑の軍隊の活動により無人兵器の運用が紛争を悪化させることが露呈した現在では、その販売は思うように進んでいない。
両腕にそれぞれ一挺ずつM134が搭載されていた。
その時は、対戦車ライフルで自律ロボットを撃破した自分のことを揶揄していたのかと思っていた利鋭だったが、二年たった今なら理解できる。
自分が何者か分からず、しかし己の正義だけは必死に守って闘った男が、ボロボロになりながら立ち上がり、一度は敗れた相手を撃破する。そして、企業に専横された都市で巨大な敵に立ち向かう姿。
青年――磯垣海司はそれを思い浮かべていたのだろう。
あの頃も、今も海司は迷い続けている。それでも歩みを止めるわけにはいかないのだ。
「中河から西倉氏の証拠が提出された。検事立会いの下、ミサが解析をしている」
「そか。感触は?」
「クロだそうだ」
勇元金融の手口は至って単純だ。年金資金のうち、金利計算時の小数点以下の書類に現れない金額を、集めてプールし、定期的に横流しする。一円単位での手続きが求められる金融機関だが、小数点以下はさすがに露見しないので一見すると健全な経営に見える。
だが、その処理が複数年にわたって続くと次第に差異は大きくなる。単年での決算に目を光らせる連邦金融庁の監査の隙を突いた形だ。
この十年、急にその差異が大きくなったと西倉慈千は気付き、退役軍人仲間からデータを貰いさらに計算をしたところで、確信したのだという。
「イーストガードへは通常の警備委託とは思えない金額が流れていた。それ以降は追えなくなったがな」
「あの女の仕業か?」
「あの女達、と言った方が正しい。ジーン達が踏み込んだ時にはイーストガードの社屋は血の海だったそうだ」
「あんなのが複数いるの?マジで?」
問いかけた利鋭だったが返答は無い。
思わず頬が緩む利鋭。
「ダメだぞ、海司。最近ポーカーフェイスが板について来たと思っていたけど、まだまだだね」
「必要な嘘だったらいくらでも口に出来る」
珍しい。いつもならだんまりを決め込むはずなのに、口ごたえしてきた。
「だが、これは必要なのか?」
「どうしたんだ?」
「俺はあいつらに抗議したからな!二度とこんなことは無いはずだ。もしあったら、全員血祭りに上げてやるから、すぐ報告するように。分かったか」
いきなり捲し立てられて、目を白黒させる利鋭。はい、意味分かりません。と思ったそうだ。
「あの女、李門の金の流れを操作して横流ししていたらしい。その証拠隠滅だと。だが、利鋭達と交戦したことをなんて報告してきたと思う?“ごめんねえ、予想以上に強くて間違えて殺しちゃうところだった”だぞ?信じられるか?俺が、危うくあのクソネコを殺しちゃうところだったぞ!」
その口真似がどこのだれかは知らないが、堅物で淡白な海司の口から飛び出すにしては恐ろしく軽薄な女の口調だった。
「間違っても殺すなよ。てか、あいつらのこと知ってんの?」
小さく頷く海司。
「をいをい、由美の言った通りかよ」
「由美?」
「あの女は楯だ。あいつが言ったんだよ」
今度は海司が息を呑む。表情はほとんど変わらない。変わらない時ほど驚いているのが、この年下の上司の癖だ。どうやら図星らしい。
「まさか、海司と翔平さん以外に楯がねえ」
二〇五四年現在、日本連邦政府ならびに湾岸州首長会議、通称湾岸会議が公式に認めている現存する楯は二名。磯垣海司、そして特殊潜行暗殺部隊楯の元行動隊長小野澤翔平。この二人だけである。
他の個体は戦死あるいは、研究途上で破棄されたとされている。
「正確には違う」
「ん?」
「S-GENE4のテストベッドだった連中だ。制式採用ナンバーじゃない」
楯には製造時期によって四種類の遺伝子パターンが存在する。最初の楯、ガーディアン1小野澤翔平のS-GENE1から始まり、体毛色の異常などを改善したS-GENE2、量産効率を高めたS-GENE3、そして一体だけが製造された海司のS-GENE4。
人類の遺伝子を基礎とし人工進化的な発想で生み出された前三者と、S-GENE4ではその発想は根本的に異なっていた。人類との遺伝子配列上の共通点は二割に満たない。
その結果、他の楯個体に対し一回りも細身でありながら、同等以上の膂力を備え、同量の食糧でありながら単純な連続行動時間では七割も延長され、膨大で精確な記憶容量とそれを人類の千倍という速度で処理する頭脳を誇り、どんな疾病にも負けない免疫を持つ。
――完全生命体。
楯の存在が公になって後、多くの学者が口にしたのはそんな言葉だった。
だが、それが実現するまでには多くの失敗があったことは想像に難くない。
「対機甲戦闘には向かないが、人類には出来ない技能を持つ俺を含めた十七体が計画を補完するために活動している」
「あんなのが十七人も?プログラムに関係しているの?」
「連邦政府や政財界に食い込んでいる奴もいる。もちろん、機動展開軍や防衛省にも。その情報は今後俺達の任務を決定していくことになるはずだ」
「スパイやりながら戦闘もする?ジェームス・ボンドは好みじゃないんだけどな」
「いや、大丈夫。戦闘タイプは六人だ。残りのうち二人は戦闘員ですらない」
「じゃ、お前の言う普通レベルはどれくらいなんだよ」
「AIWSでなら倒せるレベル。中河のSSAP50だったら確実だな」
それは生身同士の戦いでは、人類は相手にならないということだ。
「つまり、海司を含めた六人はAIWS41でも相手にならず、九人は凄腕の特殊部隊の動員が必要なレベル、ということだな。大戦力じゃん。それがテストだって言うんだから、楯ってどんだけチートなの?」
利鋭もこの世界に身を投じ者の嗜みとして、楯に関する政府公式発表である楯報告書には目を通している。
二〇四五年のシベリア紛争では猛吹雪の中、シベリアを縦断し一個連隊規模の反乱軍司令部を壊滅させたうえに日本連邦の勢力拡大を懸念したアメリカ軍特殊機甲部隊を殲滅し、二〇四七年の自身の叛乱では二千名もの湾岸軍兵士を道連れにした。それを行なったのは、たった二十名の若者達だった。
数字では理解していたが、肌で感じたものはまるで違った。あの由美が死にかけたのだ。
統括官として当然の懸念が湧いて来る。
「そいつらは裏切らないのか?」
「それはあり得ない。俺と翔平は吉岡元帥に付いていたが、奴らが従うのはもっと凄い人物だ」
「は?」
凄い人物なんていい加減な海司の言葉に、首を傾げる利鋭。
「奴らが敬愛し、服従するのはこの国を作った“父親”のみだ」
「んなバカな。あの人は十年以上前に死んでるぞ」
「ああ。奴らはあの人の言葉、遺言で戦っている。異能と呼ばれ、人間の世界では住み辛かった彼らに生きる場所を与え、そして世界で一番の大きな目標を与えたあの人に報いるため、奴らは闘っている」
「言いたいことは分かる。だけど、そんな拘束の無い連中が……」
「信じられないか?」
遮る海司の声音はいつも通り淡々としていた。
だがその表情を見たとき、自分の過ちに舌打ちしそうになった利鋭だった。
薄く笑みを浮かべ、海の向こうの街を眺める海司。それは彼が心情をこぼしたときのみに浮かべる表情。この男は、自分の感情が溢れ出てしまったときだけ笑うのだ。喜びではなく、悲しいときに。
「すまん」
危険な生命体が、ただ恩に報いたいという一心だけで裏切らないという保証は無いと、常識的な観点から口にした利鋭。それは間違いではない。
だが、この場合は違う。海司にとって彼らは同族なのだ。この地上に存在する唯一の同族。
そんな彼らが望んだのは、人間の世界での生きる場所。安住の地。ヒトの世界で生きることを望んだ海司と同じように、彼らは生きているのだ。手に入れた安住の地を守るために。
海司が利鋭の言葉に感じたのは、同族を非難する感情だったのだろう。
利鋭の謝罪を、海司は無表情に無言で受け取った。
「ちなみに、そいつらはなんて呼べばいいんだ?」
「野良猫」
思わず噴き出しそうになってしまった。
「可愛らしいネーミングだな。じゃ、お前のコードネームはパンサーか?」
「まあな。安直だろ?」
「安直だけど、元々そうだったじゃん」
「そうだけどな」
普段の海司はまさに猫だ。表情にはほとんど出さないが、まどろんだり、きょろきょろと辺りを見回して動揺する猫。
しかし、ひとたび敵と認めれば迷うことなく跳び出し、三次元を駆使して敵を追い詰め、その鋭い牙で一撃で狩り獲る。
戦闘豹。楯時代の二つ名は、あまりにもしっくりとくる。
「それにしても、どうしてそのことを話そうと思ったんだ?」
何気ない問いかけだったが、何故か海司は一瞬言葉に詰まった。
「……だって!」
――だって、だって?
目を剥く利鋭。ようやく海司から飛び出してきたのは、子供のような駄々。
「だって、利鋭やライト、リン、ホワイト、ヤン、全員死ぬかもしれないって気が気じゃなかったんだからな」
爆弾発言。しかし、それは爆笑という意味でのもの。
笑いを堪えるのに必死の利鋭。笑ってはいけない。海司は真剣なのだ。その証拠に、両こぶしが握りしめられて震えている。でも、真剣すぎて笑いを止められない。顔中の筋肉がひくひく痙攣を起こして、今にも決壊しそうだった。
「笑うな」
そこに天然の一撃。笑いのダムを見事に粉砕させる反跳爆弾。
爆笑する利鋭。あまりにも笑いすぎて背中の具合を忘れていた。
「いたたたたたたた」
「ざま見ろ。笑うなと言ったのに笑うからだ」
もうわざとやってるとしか思えない。ツボだ。まさにツボを突いて来る海司。
本人は至って真面目だ。本気で利鋭達の心配をし、本気で野良猫に苛立っている。
そう。特防課にいるのは海司が選んだ者だけ。その能力だけではなく、人格までも彼は選考基準にしている。それは、いわば彼好みの人達といっていい。
「安心しろ。俺達はそう簡単にくたばりやしない」
ニヤニヤしながらも、利鋭ははっきりと伝えた。創設初期には色々と問題があった。しかし、今の特防課は利鋭の管理の元、課員の質はさらに向上していた。そう簡単に仲間を死なせたりしない。
表情を変えはしなかったが、海司はそっぽを向いてしまった。どうやら恥ずかしいらしい。
純真な少年らしさを、利鋭も課員たちも気に入っていた。おそらく、配属されたばかりの由美もだろう。
「ありがとう。海司」
ほとんど聞こえないくらいの呟きだったが、鋭敏な海司の聴覚は捕まえてしまっただろう。返事は無かった。
「じゃ、俺行くね」
立ち去ろうとした利鋭の背に、海司が声をかけた。
「野良猫から利鋭個人への情報提供だ」
「俺個人?」
「王志袂」
凍り付いた。耳にこびり付いたあのぬるぬるした声音。自分を嘲笑う軽薄な笑み。そうして今も忘れられない、身体の中が空っぽになってしまうかのような喪失感。
「二年前から李門の戦術顧問をしている。あの鉄騎は奴が持ち込んだものだ。今は、みなとみらいとサウスを拠点に政治工作をしているようだ」
空っぽになった胸の奥に溢れ出すのは、どす黒く熱く滾った殺意。殺された仲間、殺された無辜の人達、殺された彼女。
――殺しても殺しても飽き足らない!
「利鋭。先走るなよ」
「分かってるよ」
思わず声を荒げてしまった。
「安心しろ。俺達が、必ずヤツを追い詰める」
「俺達?」
それは野良猫が王を追い詰めるという風に受け取った利鋭。
だが、違った。
「ああ。特殊防犯課はお前の手足だ。康さんもジーンもいる。中河も手伝ってくれるはずだ。もちろん、俺もだ。お前は、独りじゃない」
はっとして、そして自分を恥じた。王のことになるとつい冷静でいられなくなってしまう利鋭。
北京ではまともな戦力も情報力も無かった。緑営では組織そのものが非力だった。
だが、特防課は違う。トップから末端まで最高の人材、最高の装備、最高の権限、最高の情報が与えられている。あとは冷静で最高の管理と、最高の指揮官があればマフィアを滅ぼすのに手間はかからない。
物理的に、あるいは法的にいくらでも可能となる。ただの憎しみによる復讐ではない。誇り高い正義を執行するチャンスがそこにあるのだ。
思わず目元が熱くなる。
そして、気付く。
「仕返しかよ」
声は震えなかったはずだ。
「当然だ。やられたら、いかなる手段でもやり返すのが楯だ」
それは暗に自分も嬉しかったのだと告げていることに、海司自身は気付いていたのだろうか。
「んな矜持さっさと捨てろ」
「無理だ。俺の生き方だからな」
「ばーか」
子供のような悪態をついて、利鋭は今度こそ立ち去った。
二〇五四年九月。勇元金融は湾岸検察庁から背任容疑で告発された。ここ十年で二十億円以上の不正経理があると判断された。金利計算上の差異は同社の経営規模に比して異常ともいえる数字だったのだ。
連邦金融庁は、全監査官を動員する五年ぶりとなる特別監査を実施、同様の差異が経営規模にかかわらず平均五億円程度であることを発表。しかし、それぞれの経営規模でみれば、十分計算上の誤差の範囲内であるとして注意勧告ならびに定期的な計算の公表を要請するにとどめた。
しかし、経営規模に比して巨額の差異を発生させていた企業十五社は実名公表され、数年以内に市場からその姿を消すことになる。
翌年ベイランドシティ特別区議会は、企業独立執行法の破棄を決定。治安回復へ向けた大きな一歩を踏み出すことになる。
今週はこれで打ち止めです。
来週、更新できるのか……?