その3
すみません。遅くなりました。
自転車操業を早く抜け出さなければ……!!
思わぬ組織名を耳にして、小さく息を呑む由美。満足げに笑むエイデル。
「あの、退役軍人会ですか?」
「あなたが言ってるのは、どの退役軍人会かは知らないけど、私がNPOの代表理事なのは確かよ」
法律上のNPO法人であるのは確かだが、ベイランドシティ退役軍人会は警察軍関係者からは純然たる武装組織として認識されている。
ただその目的が、組織の拡大を狙う指定団体でもなければ、テロ組織でもなく、かといって軍事請負企業のような営利活動ですらない彼らは、会員相互の互助と地域の治安維持を目的としている。その活動が認められて、NPO認定を受けたのはつい最近のことだ。
しかし、負傷した者や現役をとうに退いた者も多いとはいえ、構成員千三百人を超える武装組織のトップが自分であると宣言されたことに、少なからず衝撃を受けた由美だった。
「ねえ、利鋭?」
「ん?」
「私、そんなびっくりするようなこと言った?」
「世間のイメージする退役軍人会と、やり手のキャリアウーマンに見えるあんたはなかなか結び付かないんじゃない?特にあんな感じの人達を隷下に置いてるようには見えないんでしょうよ」
ちらりとカウンター奥の大男を見やる利鋭。
ばっちり目が合ってしまった。さすがエイデルの腹心中の腹心。きっちりとこの会話をチェックしている。
「ということはやはり彼も?」
言葉を濁してはいるが、由美も同じ人物のことを指している。どう見てもカタギではないから。
「ん?うちの旦那よ。そんで元部下」
「はあ……」
あっけらかんとした物言いに、由美はいちいち反応するのを諦めていた。
「今後、お互いの情報交換もあるだろうから、彼女を紹介しようと思ったんだよ」
「なるほど。朝食のついでに、ですか?」
由美の鋭い眼光は、ソーセージとともに咀嚼して素知らぬふりの利鋭。
「ダメよ。このポンコツは、バジ……バジなんだったかしら?」
「馬耳東風?」
「そうそう。そのバジトーフー。テキトーが服着て歩いているようなものだから」
「なるほど。だから、銃器ケースをテキトーに持ち歩くんですね」
「そうよ。元特殊空挺部隊の猛者でもしないことをやるのが、利鋭クォリティよ。諦めた方がいいわ」
「いえ。お話でなんとなく私が課長に招聘された理由が分かりました」
「あらそう?」
「はい。矯正は得意分野です」
にやりと笑う由美。
悪寒に襲われ鳥肌が立つ利鋭。そろそろ知らんぷりも限界か。
特殊防犯課の練度向上も、由美が招聘された理由の一つではある。しかし、まさかそれに彼自身が巻き込まれることは無いだろう。
そんなことを思う彼の前で、由美とエイデルは実に愉しそうに利鋭矯正計画について論じ合っている。
――まさか、海司。本当にそんなつもりじゃないだろうな?
年下の上司に対する疑念が浮かぶ利鋭。
食後の紅茶に手を伸ばしながら、なんとか話を遮ることにした。主に自身の身の安全のために。
「それよりも、勇元金融について評判を聞いておきたいんだけど」
「ん?勇元?昨日事件のあった?」
「そ。その勇元金融」
「強化ガラス突き破って、立て籠もり犯が飛び降りて来た?」
現場から歩いて十五分ほどのこの店で、彼女がその事件を知らないはずがない。退役軍人会は常時新本牧全域の事件や犯罪に関する情報を収集している。
「しかも、犯人は女と一緒に落ちて来たのよね。それも犯人を始末しようと現れた警備会社の乗って来た車のボンネットの上に。あそこの会社は、李家の息がかかっているからあまり評判は良くないのよね。そいつらのまさに目と鼻の先で、公務執行妨害での逮捕を宣言したものだからイーストの連中目を白黒させていたって、うちの子達は大喜びよ。世の中には凄い婦人警官がいたものね」
無表情に聞き流す由美に向かって、片目で見事なウィンクを投げるエイデル。その婦人警官が誰か、はっきり分かっているのだろう。
勇元金融ダンクシュート事件。後にそう揶揄されることになる事件が、たんなる強盗から経済犯罪の臭いを発し始めた時、強盗事件の犯人にして、勇元金融の犯罪を立証するための重要参考人である横溝竜平を守るために実行された措置である。
その全てを実行したのは由美だった。
横溝に発砲させ、その銃弾を左胸の大型カーボンナイフで受け止め、USP45を強化ガラスに向けて全弾撃ち込むと、横溝もろとも脆くなった窓ガラスを突き破り、二階の高さから地上に飛び降りたのだ。
ちょうど到着した勇元金融と契約している警備員――という名のゴロツキ達の乗ったステーションワゴンのボンネットの上に。
衝撃で少しへこんだボンネットの上で、下敷きにした横溝を馬乗りに抑え付けた彼女は堂々と宣言した。
「公務執行妨害と殺人未遂の現行犯で貴様を逮捕する!」
もちろん、警備員達は企業の独立執行権を盾に食ってかかってきたが、由美は超然と言い放った。
「我々が撤収を命じられた時、この者が発砲してきて銃撃戦になった。抵抗されたので、抑え付けようとしたらガラスを突き破ってしまった」
結果、現行犯であり、公けの路上での逮捕になったので、企業の敷地内に限定される独立執行権は成立せず、横溝の身柄は特殊防犯課が預かることになる。
憤った警備員が思わず銃に手を伸ばしたが、階段を降りて来たジーン・ロックウェルと周囲の封鎖を行なっていた警官達が、一斉に銃口を向けたため、渋々彼らは引き下がって行った。
「勇元自体は、悪い評判は無かったわ。年金も、FXも、投信信託にしてもきちんとしていたわ。まあ、不動産は弱かったからそこは期待していなかったけど、それでも優良だと退役軍人会は認定して、会員に商品の紹介もしていたわ。まさかのイーストガードよ」
エイデル達、ベイランドシティ退役軍人会は、様々な国籍の退役軍人達に仕事の斡旋や生活の手助けとなる情報を提供する活動をしている。その中には、金融商品も含まれていたのだ。
――軍人でも資産運用に興味があるのね。
という感想を抱きつつ、当然の質問を投げかける由美。
「イーストガードって警備会社は、そんなに評判悪いんですか?」
昨日のうちにイーストガードについて調べて来た彼女だったが、個人経営の中国系警備会社であること以外の情報はたいして手に入らなかった。
「あいつらは法の網の目をくぐるからね。調べられなくても仕方ないわ」
「市警じゃ公式文書には載らない話。各部署の日誌等のアーカイブは後で教えるね」
「分かりました。是非」
珍しく業務について伝える利鋭の姿に、エイデルが目を丸くする。
「本当に統括官なのね?」
「あんた俺をなんだと思ってたの?」
「ポンコツでぼんくらのぐうたら似非中国人」
「何故だ?否定できない自分がいる……!」
わざとらしく打ちひしがれる利鋭。タイプは異なるが美女達の冷たい視線を浴びても、いつも通り彼は周利鋭だった。
「バカは放っておいて。――イーストの連中よね。独立執行権を使って民間人に暴行を加えたり、どこかの会社員がある日行方不明になって半年後に水死体で発見されたり。市警が介入しても、公的機関の力が弱いこの街では報復を怖がって誰も証言しないしね。ま、退役軍人会も、そこのポンコツ中国人が作った緑営もそういう証言者を匿うためのものだったりするんだけどね。だから、奴らは軍人会と緑営の縄張りでは悪さはしないわ」
市警本部長直属部署のナンバー2と民間武装組織の代表が呑気に語り合っているのは、そういう利害の一致からだろう。
「ありがとう、少佐殿。相変わらず丁寧なブリーフィングだ」
賛辞のつもりの利鋭の発言に返されたのは、射抜くような鋭い眼光。
「何度いえば分かるのかしら……」
エイデルの左手がすっと持ち上げられると、カウンター奥の大男が音もなくカウンターの下の何かを手にする。
へらへらした利鋭と対照的に、由美は思わず身構えてしまった。
そんな彼女に、この状況を生み出した張本人はにっこりと優しげな笑みを投げかけた。
「蜂の巣にするって言ってるでしょ?」
笑っていない碧い瞳。利鋭は両手を挙げ降参の意を示す。
「OK。軽い冗談だよ」
「そう。ならいいわ」
その左手が軽く左右に振られ、静かに降ろされる。カウンター奥の男も、手に持っていた物を置いたようだ。
呆然としてしまった由美。
にっこりと笑うエイデル。
へらへらしている利鋭。
静かなクラシックが流れる、穏やかな早朝の喫茶店は、僅か数秒前まで戦場へと変貌する寸前だった。
それに気付くことの無い周りの一般客。エイデルの不思議な挙動に首を傾げるビジネスマンが一人いるくらいだ。
そんな日常空間に、あまりにもさり気なく、まるで食卓のしょう油を手渡すような気軽さで戦闘状況を持ち込むこの連中は、非常識だと由美は認識した。
「それよりも由美さん」
「はいっ」
話を振られ慌てる由美。まなじりを下げるエイデル。
「その実用一点張りのファッションは勿体無いわ。今度、色々見繕ってあげるわ」
「え?いや、あの……」
「その綺麗な髪も大ざっぱすぎるわ。メイクも自然な感じでいいのかもしれないけど、もっとあなたの良さを引き立てた方がいいわ。どうかしら?」
「どうって言われても……」
狼狽える由美。自分の話になるととことん鈍い女性である。
「それはいいな」
ぽつりと呟く利鋭。
目を剥く由美。裏切り者を見る心境か。
逆に零下の視線を寄越すエイデル。虫でも見ているのかもしれない。
「いやらしいわね」
「違うよ。仕事の話。海司の意向だしね」
「かいちゃんの?」
「かいちゃん?」
素っ頓狂な声を上げたのは由美。
「変かしら?」
不思議そうに首を傾げるエイデル。
「いや、だって……」
言葉に出来ない由美。まさか、磯垣海司を近所の男の子みたいに呼ぶ人間が存在するとは思っていなかったのだ。
「由美覚えておけ。海司は女に弱い。特に年上のな。エイデル然り、ミサ然りだ」
――私も一応年上なんだけど……。
という由美の内心の抗議は、続くエイデルの爆弾発言で圧殺されてしまった。
「小百合ちゃんは年は下よ」
「さゆりちゃん?」
「海司の彼女。――あの子は別枠だろ。完全に最優先ポジション」
「彼女?」
「男の子だもん。彼女の一人や二人いてもおかしくないでしょ」
「一人や二人?」
「ううん。かいちゃんは一途よ。小百合ちゃん一筋。そこのポンコツと違って」
「まるで俺が手当たり次第みたいな言い方しないでくれる。ゲンジほど、いい趣味してないよ」
「ゲンジってのは、副島さんのコールサインよ。奥さんと出逢ったのは、緑の軍隊だったらしいわ。当時十一歳」
「十一歳?」
「ヤッさんを変質者みたいに言うな。――両親を失ったソマリアの女の子を実家で引き取って育てたんだけど、成長したその子に迫られ、断り切れなくて結婚したって話」
「だから、ゲンジなんですか?」
うんうんと頷く二人。
上司と先輩の実態を見せつけられ呆然とする由美。そして、漂って来る不穏な空気。
――もしかして、この人達に変な弱みを握られると、同じように暴露される?
違う意味で戦慄する由美だった。
「ん?えらく話が脱線したな。――防犯講習の話だよ」
「はあ……。なんですかそれ?」
やけに鈍い由美。暴露大会にオーバーフローでも起こしてしまったのだろうかと、心配になる利鋭。同時に、海司が彼女に重要な話を伝えていないことを察する。
「特防課の講習でしょ?そうね。確かに由美さんみたいな女の子が講師してくれるなら、人気が出ていいかもね。それに変な人が紛れてても、あなたなら見事に撃退するでしょうし」
「えっと……。本当に、なんの話ですか?」
仕方ないので、利鋭は自分のサングラス――データギア端末を取り出してテーブルに置き、左手に手袋を着けて操作する。
サングラスのレンズ裏側の投影素子が、中空に立体像を結ぶ。利鋭の操作で一つの動画ファイルが選択され、再生を始めた。
「俺達は週に一回、一般市民向けの防犯講習を無料でやってる。護身の基本的な考え方、犯罪を回避する方法、自分の身を守るための個人情報管理などなど、安全な市民生活に必要な知識の提供だよ」
映像では、講師役の副島康が集まった市民に様々な犯罪事例と、それを防げたであろうポイント、日頃から心がけておくべきポイントなどについて説明している。
市民達からも色々な質問が投げかけられ、意外な盛り上がりを見せている。
「意外と活気がありますね」
「概ね好評よ。普通は無料と言ってもこんなにはならないのだけど、SSPのウリはなんて言っても現役の犯罪者が講義内容を決めていることかしらね」
不穏すぎるウリだが、なるほど確かにそれは普通の警察でやるような講習とは一味違う。
「特殊防犯課はね、犯罪者予備軍の更生を目指すのはもちろんなんだけど、そのための土壌として犯罪を起こしづらい街づくりも進めているんだ」
自己防衛、自己の安全について思考が出来る人が増えれば、当然その人達に害をなすのは困難になる。いわば、犯罪抑止に市民の参加を促す。
交番が無い、という犯罪者を牽制する力の弱いベイランドシティならではの考え方だ。
「その講師を私が?」
「退役軍人会のアンケートでは講師の一番人気は副島さんね。分かり易く、語り口も柔らかい。どんな質問でも根気よく答えてくれるし。二番は、陽気で気さくなジーン。これは、純粋にノリと面白さ。三番目は、確かミサだったわね。彼女の場合は、情報管理分野での話は凄いんだけど、あの美声のせいで聞き惚れてしまって、講義にならないことがあるらしいわ」
「なにごとも、中庸が大事っと。――もちろん、テーマや内容については課内で吟味されるから一人に任せるようなことにはならない。ただ、講師が出来る人間は限られているからね」
「で?私ですか?」
「うん。詳しい話は、来週の水曜に実際の講習で、いいかな?」
「了解」
渋々と、しかし意外にもすんなり受け入れた由美を、利鋭は不思議に感じた。
「なんですか?」
「意外にすんなりだなって……」
「どうせ、決定事項でしょ?」
「拒否しても構わないよ。不向きな仕事させて本業に差支えが出ても困るし」
「いえ。広報活動という観点ならば、とても有意義な任務だと思います。今は特防課の中だけでやってるんでしょうか?――なら、今後は他の部署との連携も考えてみるのはいいかもしれませんね」
つらつらと防犯講習の今後の展望について語り始める由美。
「やる気、だね」
「やるからには全力です」
きっぱり言い切る由美。
思わず感心する利鋭とエイデルだった。