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その3

2014/10/9

史実の現地の状況と噛み合っていなかった箇所と、文章上の表現を修正しました。

話は基本的に変わっていません。

 緑の会議国。

 緑の軍隊が派遣されたアフガニスタン、イラク、ソマリアを中心とする緩やかな連合体である。いずれも、緑の軍隊の活動によって、豊かな実りの大地を手に入れ復興を果たした国々である。

 そして、それは食糧生産という意味だけではなく、日本が起こしたバイオジェネレーターによるエネルギー新時代においては、エネルギー資源国でもあった。

 いずれも最貧国だったり、失敗国家だったりした国々だが、今や緑の会議国全体の国内総生産(GDP)は欧州の三分の一に迫り、かつてない繁栄を迎えている。

 しかし、それらの国々にも苦難はあった。


 特に有名なのは、緑の軍隊唯一の汚点と言われる、二〇三二年五月十日に発生したバイドア事件だ。

「当時は、格闘機なんて便利な物はありませんでしたからね。私達はヘリのバックアップを受けながら、あちこち駆けずり回りました」

 五十五歳の老兵、副島康は穏やかに笑って話す。ベイランドシティ特殊防犯課強行第一係長にして、湾岸軍第三二普通科連隊の元曹長でもあった。

 彼の特筆すべき点のひとつは、緑の軍隊に五回派遣されながら、一度も昇格権を行使していないことだろう。

「私には特別な技能があるわけではありませんし、それに士官にはあまり興味はありませんでした。前線を離れるのは惜しかったです」

 そういう彼だったが、中河由美に紅上誠、そしてユージーン・ロックウェルもともに全力で否定する。

「狙撃すると避けられる。ライフルだと武器破壊される。接近すると逃げられる。私、一度もまともに勝負したことありません」

「一度、何をやっても倒せないから、副島さんから一番得意な得物を使っていいと言われたから、居合で挑んだんですけど、素手なのに地面に倒されました。あの人、なんで普通科なんですか?」

「あの防御は半端無い。何をしても誘いにも乗らないし、威嚇にも動揺しないし、自分や仲間に向かって来る攻撃だけを的確に読み取って、それだけを防いで迎え撃つんだ。まるで海軍の近接防御火器システム(CIWS)だ」

 由美、紅上、ジーンが異口同音に語るように、彼の通り名は“専守防衛”あるいは“連邦国防軍の鑑(ミスターれんぽうぐん)”。

 名誉負傷二回、模範兵士勲章二回。緑の軍隊名誉歩兵章二回。その他国連、アメリカ軍など各国の軍隊から模範的な軍人として称賛されている兵士である。

 特防課に入った直後、アメリカ陸軍士官学校から講演を熱望されたほどの、ある意味有名人である。

 尊敬する軍人。中河由美は躊躇いなくそう言い切り、実際連邦国防軍の士官には、非番には副島に対して自分から頭を下げてしまう者もいるほどだ。

「会ったことも無い中佐に、いきなり会釈された時は困りました。その時、私二曹だったんですよ」

 そんな彼が遭遇したバイドア事件。当時彼は三等軍曹であり、一個分隊を指揮する二十七歳の一兵士に過ぎなかった。

 先にも書いたが、ソマリアでも、後のミャンマー同様初期行動は過激であった。エチオピアとの国境に近い西部の都市バイドアを、空挺強襲と大規模ヘリボーン作戦で瞬く間に制圧し、空港整備の後、続々と兵器と物資を持ち込み防御を固めた。

「あの頃の先輩達や士官は、頭のネジが飛んだ人が多かったですね。自衛隊の時は出来なかったことが出来る、大手を振って意味のある戦争が出来るって皆さんやる気に満ちてました。自衛隊ってそんなに窮屈だったんですね。ただ、周辺のゲリラの反感は凄まじいものでしたけど」

 のべ一万七千名もの兵士を動員し、二〇三二年には当初の四十倍の領域にまで拡大したバイドア。人口は三百万を超す大都市圏となっていた。

「ソマリアってド田舎だと思ってたんですけど、大違いでした。富山や広島のような州都みたいに大きくて、清潔な街でした。しかも、赤道直下の明るくて、そして活気のある街でした。対照的に識別圏の外は頭のおかしな民兵がたむろしているろくでもない世界でした」

 当時のバイドアの主産業は、農産物である。水源の確保にはジュバ川の水を引き、植林を行うことで水資源の開発を行なっている。また、新兵器テストや新型航空機のテスト用地として欧米メーカーの活動拠点も存在した。

 まだまだ海外の支援に支えられている部分が大きかったが、医療や市内の治安維持は地元民の手で行なわれているなど、徐々に暮らし向きは向上していたようである。

 二十二年におよぶ緑の軍隊の成果であった。

 当時、バイドアには独自の軍隊、バイドア軍があった。今もソマリアで唯一、番号では呼ばれないバイドア軍団が存在し、軍団隷下の部隊はいずれも名にバイドアを冠することを許された精鋭部隊である。その前身である組織で、緑の軍隊によって編成訓練された地元の若者達がその任に就いていた。

 こうして自立への道を歩んでいたバイドア。

 副島達、緑の軍隊二個混成連隊千五百名は、バイドア軍三千名の教導的役割を担っていた。

 それでもちょっかいを出してくる民兵達を蹴散らすのは、彼らの第一任務であったことに変わりない。

「あの日はバイドアの防衛ラインには綻びがありました。識別圏の一部が山に接触していたんです。三ヶ月前の領域策定行動の結果でした。用地の不足からくる市当局の焦りが悪い形で出てしまったんです」

 周辺の武装勢力による襲撃の回数が減少していた、というのもその判断の理由だった。

「私達は、山岳地帯の周囲を重点的にパトロールすることで識別圏を維持していました。しかし、あの日はそれが出来なかった」

 最初の戦闘は夜明けとともに起きた。

 幹線道路に面したバイドア市正面ゲート。三ヶ月前に領域を拡大したときに新設された真新しいゲートに、一個小隊規模の民兵が襲来。五百メートルの奥行きを持つ識別圏への侵入が確認された。

 一般市民や通商の車両を避難させながら、民兵に退避を勧告。または武装解除を指示。

 その警告に従わなかった武装勢力に対し、威嚇射撃を開始する。

 それはいつも通りの行動だったが、いつもとは違うプレッシャーがあった。

「よりによって弓削中将が視察している日でした」

 弓削巧中将。緑の軍隊、第一回アフガニスタン派遣部隊司令を務め、以後連邦国防軍に戻ることなく緑の軍隊一筋にその身を捧げ、初の緑の軍隊司令官となった。

 防衛省や政治家を説得し、連邦国防軍よりも優先して個人装備を刷新される制度や、参加希望兵士の選抜課程や訓練課程の諸制度、農地復興事業地域周辺の事前事後の情報収集を行う特務部署として緑の軍隊情報部を創設するなど、後の栄光の基礎を築いた人物。

 日本国防連合クーデターの首謀者、中澤志朗と並んで日本連邦国防軍の黎明期に基礎を築いたと称される日本の誇る将軍である。

 この日、その彼がバイドアを視察していた。その動向はメディアからも注目されており、十数人の取材陣も同行していた。

 当然、副島達の射撃にも熱が入る。

「撃ち方やめ。分隊交代。副島()分隊は装具点検に入れ」

「了解。C分隊、装具点検」

 当直士官の指示に従い、彼は八人の部下をゲートの監視台から下げ、入れ替わりで他の分隊が射撃位置に付く。

 使用した弾倉と薬莢の入った薬莢受けを補給兵に渡し、新しい弾倉を手に入れる。毎度の流れ作業(ルーチンワーク)。この単純作業で兵の神経が弛緩するのを避けるのが、分隊長であり教導官である副島の任務だ。

 混成教育中隊。バイドア軍の中でも優秀な指揮官候補足りうる兵士を、緑の軍隊の兵士が教育する部隊である。

 十年近い軍歴を持つ副島は、三等軍曹ながら優秀な技能と勤務態度の良さからその分隊長に任命された。彼は、士官からの信頼も厚かったのだ。

「今のは警告だ。これ以上武器を持ったまま進めば、君達の命の保証は無い。速やかに後方に下がるか、武器を捨てろ」

 スピーカーからバイドア兵がソマリ語で警告を発しているが、すぐに号令とともに射撃が再開される。

 この調子だと、三十分後には再び副島達に射撃命令が下されると判断した副島は、部下であるバイドアの若者達に小銃の点検清掃を命じた。

 すぐに作業を進める部下達。彼は最初はアフリカ人の教育をするということに動揺したが、陽気で好奇心旺盛で呑み込みの速いこの若者達のことは気に入っていた。こらえ性が無いところは、これから色々と訓練のし甲斐があると任務に充実感を抱いていた。

「ボス。おかしくないですか?」

 そんななか、声をかけてきたのは緑のまだら模様――迷彩服と同色に塗られたボディアーマーに身を包んだ、二メートルに達する黒い肌の大男。

「伍長。何度言えば分かる。貴様は兵士だ。そんなにチンピラに戻りたいなら、身包み剥いでゲートの外に放り棄てるぞ」

 副島の口調自体は抑揚のない平坦なもの。銃の点検を淡々と行っているように見える。

 しかし、文脈に込められた彼の苛立ちを感じたのか、伍長はすぐに態度と口調を改めた。

「失礼しました、ソエジマ軍曹。意見具申よろしいでしょうか」

「その必要はない」

 ぴしゃりと言い放つ副島。何事かと首を傾げる分隊員。

 副島と伍長の関係は良好である。一年前に着任した副島を、バイドアの若者達は嘗めていた。ろくに実戦経験も無いくせに軍曹という階級だけで偉そうにしていると思っていたのだ。特に一番大柄な伍長は血の気が多く、身長百七十二センチしかない副島を軽くいたぶってやろうと考えていた。

 しかし、それはことごとく敗北した。素手だろうと、ナイフだろうと、拳銃だろうと、自動小銃だろうと、屋内戦闘(CQB)だろうと、副島はなんでも卒なくこなし、分隊員をまとめてあしらってみせたのである。

 そして、各人に何が悪く、そしてどこが良いかを、副島はそれぞれ丁寧に教えた。その公平無私な態度に部下達は深く感銘を受け、彼の指揮を受け入れた。

 厳しく接することはあれど、部下達を無碍にすることが無かったはずの副島だった。

「奴らの動きがおかしいのは分かっている。なら、貴様らがすべきことは、自らの装備を完璧にし、体力を温存し、感覚を研ぎ澄ますことだ。そうすれば、必要な時に身体も装備も必要な能力を発揮する。これを忘れれば、お前達は自身の命も仲間の命も失うことになる」

 淡々とした言葉にあるのは、確かな重み。

「申し訳ございませんでした。ライール伍長、作業に戻ります」

 副島は黙々と作業を再開する部下達を見て、かすかに頷いた。

「ライールは指揮官向きでしたから、分隊の管理は彼に任せていました。私は足りないところを補う程度でした」

 このライールは後に、緑の軍隊専属の中隊長となる。

「部下達にはこう言いましたが、私もこのときは動揺していました。いくら威嚇しても効果が無いし、どうやら民兵達は私達の“絶対射殺ライン”を知っているようでした。何かあるな、と。ただ、先輩達から教わってきたことを彼らに伝えることしか、私には出来ませんでした」

 そう苦笑する副島だが、彼らの後の活躍を見るに彼の考えは充分に彼らに伝わったのだと考えられる。

 装備の点検を終えると、副島は立ち上がった。

「ライール。付いて来い。他は待機。酒とたばこ以外は自由だ。ただし、装備は外すな」

「Sir, yes sir!」

 バイドア軍部の公用語は英語である。

 ライールを伴った副島が向かったのは、ゲートの監視塔。再び射撃は止まっていた。民兵とゲートの睨み合い。

 朝方の濃く深い群青色の空の下、見渡す限りの荒れた大地。沿岸部は高温多湿な気候だが、人の手が入らないと内陸部はすぐに荒れ果ててしまう。

 振り返れば、河川から導いた水と雨季に貯めた大きな貯水池の水を、大切に使って生み出された緑豊かな大地とその周りに発展した大都市が広がっている。

 彼らが立つゲートは、その最前線だった。二年も経てば、再び前進するのだろう。あるいは、和平が成立すればこのゲートは無用の長物と化して、この眼前に豊かな農場が広がるかもしれない。

 しかし、今は銃弾の飛び交う戦場である。

「どうした副島。まだ貴様らの出番は無いぞ」

「いえ。少し気になったので、自分のところで一番経験のある者を連れて参りました」

 当直士官の問いかけに、敬礼して応える副島。ライールも続く。

「ライール伍長であります、大尉殿」

 頷く大尉。ファーストネームしか名乗っていないようだが、ライールは孤児だったので姓はない。そんな兵士はバイドア軍にはいくらでもいたので、大尉も気にはしない。

「貴様らの意見を聞こう」

「は。このライールは既に五年の経験があります。その前は民兵の少年兵でした。技量はなかなかのものがあります。そこで、当該勢力の動きを改めて観察してもらおうと思い立ったのです。スコープか双眼鏡を貸していただけますか?」

 大尉が考えを巡らせたのは一瞬だけだった。緑の軍隊は所詮二年任期の派遣人員だ。そんな士官達が重視したのは現地での経験を持つ者だ。初期の活動ならいざ知らず、既に十年の実績を持つバイドア軍の現役兵士の意見は非常に有用だと思っている。

 このような経験を得られるのも、連邦国防軍兵士にとっての緑の軍隊の魅力なのだろう。

 権威主義に凝り固まったエリート意識の士官は、緑の軍隊では二か月ももたない。

 兵士の一人からスコープを借り、敵の様子を探り始めたライール。

「何か分かるか」

「はい、分隊長。奴ら全員長袖長ズボンですよ。少しは訓練を受けているのではないでしょうか。資金もありますね。小隊規模の割にRPGの本数が多いです」

 ライールは自身の経験に則した意見を述べた。彼自身も民兵だったときは、半そで半ズボンに裸足でカラシニコフを振り回していた。高温多湿のソマリアでは当たり前の格好だった。

 だから、バイドア軍に入って最初の訓練で戦闘服(BDU)を着させられた時は、不快で仕方なかったが、日々の訓練で戦闘服の意味を知ることになる。重い装備を担ぎ、地べたを這いずり回り、時には地面に身を投げ出す、そんな動きを仕込まれていくうちに長袖でなければ不安になるようになっていた。丈夫なBDUを着ていても、擦り傷や痣が絶えないのが軍の訓練だ。

「連中、ソ連製狙撃銃(ドラグノフ)も持っています。今はこちらが頭を抑えてるので撃てないだけですね。わお。地面に伏せてる連中、ピクリとも動きませんよ。イスラム法廷会議(ICU)でもあんなに訓練されてませんよ。まるで傭兵ですね。雇ったんでしょうか」

「アル・シャバブか?」

「確証はありません。見た目はソマリ人です。相当訓練したと思います」

 大尉は、敵が訓練されているのは当たり前だと感じていたが、ソマリアではそれ自体が異常であるという確証をライールの意見で得られた。

「ありがとう。軍曹、伍長。このことは本部に報告しよう」

「失礼します。大隊本部より通信です」

 大尉が告げるより一足先に通信兵が声を上げた。

「第三ゲートにて武装勢力の襲撃。現在、致死射撃判断線(絶対射殺ライン)上にて同勢力は停止中とのことです。第四並びに第五ゲートでは、識別圏外に複数の武装民兵を捕捉」

 同時多発的な襲撃。ソマリア緑の軍隊初期にはあった。隣国のエチオピア軍もちょっかいをかけてきたこともあったが、新鮮な作物を供給するようになるとそれも収まった。このような同時多発襲撃は少なくなってきたはずなのだが。

 だが、問題はそこではない。

「絶対射殺ライン上だと?」

 単一の勢力が、複数の部隊を繰り出す余力を持っているとは、今のソマリアでは考えにくい。それなのに、同程度の練度を持った部隊が、二か所以上で攻め込んで来ている。

「ライール伍長。アル・シャバブやソマリランド共和国が互いに連携を取るようなことはあり得るか?」

 大尉の質問に、ライールは大きく目を見開いた。連携が取れるような連中だったら、紛争はとっくに終わっていると言いたい気分だったという。

「すまん、ライール。私達は、君の率直な意見を聞きたいんだ。私達は所詮外国人だ。君達の国のことは、君達が一番よく知っている」

 それが副島の気遣いだと気付き、ライールは表情を引き締めた。

「はっきり申し上げれば、あり得ません。アル・シャバブも一つの組織ではありません。複数の部族の寄り合い所帯です。彼らは、それぞれ自分達が一番だと信じています。そういう連中です。――ですが、もし本当の一番がいたとしたら、違うと思います」

 当時のバイドアは、ソマリアのGDPの六十五パーセントを占めていた。良質な麦や野菜で隣国と通商したり、日本や欧米からも外貨を得ていた。そろそろ油田や鉱山の開発も始められるというので、多くの企業が視察にも訪れていた。

 水は様々な工夫で潤沢に保有していたし、大規模な風力発電、太陽光発電施設もあってエネルギーにも不足は無い。上下水道は完備され、衛生面も遥かに優れていた。

 それは、ソマリアでは圧倒的な富だった。

「先進国では、兵士が一人亡くなると大騒ぎになると聞いています。もし、百人くらい一度に殺せれば、緑の軍隊を撤退させられることが出来るかもしれない、と考えれば手を結ぶかもしれません」

「ということは、敵の後ろにはアル・カイーダか……」

「どうします。我が国の反緑の軍隊主義者もいたら」

「炎の杜か?奴らはそこそこ戦えるから厄介だな」

 反緑の軍隊主義者。緑の軍隊が、各国で取って来た手法に対する批判を唱える者達だ。

 緑の軍隊の第一目標は、農地の復興である。食糧が増えれば紛争解決の基礎になるはずだ、と考えているからだ。そのため、多くの農民が誕生する。

 自らを進歩的で文化的、と称する人々は遊牧民やその子孫を力尽くで農民に変えさせるのは、野蛮で全体主義的だと主張するのである。

 ありていに言えば、侵略であると。

「そんな思想、クソくらえだ」

 ライールは、いまだにそういう主張を聞くと露骨に悪態をつく。

 元々は、彼もれっきとした反緑の軍隊の尖兵である。だが、脚を撃たれて捕まった。

 最初は、どんな厳しい尋問や拷問が待っているのかと恐ろしかった。ゲリラの先輩達に、先進国の連中は悪魔だと教え込まれていたからだ。十五歳の彼は、自決することも抵抗することも出来ず、恐れ震えるしかなかった。

 ところが放り込まれたのは、自分が住んでいた部屋よりも綺麗な独居房。そこで出されたのは、信じられないくらいいい香りがするパンと肉や野菜がたっぷりのシチュー。

「香りだけで強制的に腹を鳴らされたのは、あの時が初めてだ」

 だが、まだ幼かった彼は幼さと反感で手を出さなかった。

 半日ほどすると、冷めてしまったので、新しいのを持って来る。と監視の兵に英語で言われ、なんとか意味は理解出来た。

 彼ははっとした。

「どこに持って行くんだって聞いたら、捨てると言われた。驚いた。冷めたから、という理由で捨てようと思える感覚を疑った。冷たくて噛み切るのも困難なパンしか食ったことが無い俺には、まったく理解できない考えだった」

 捨てるとはどういう意味かと、なんとか問いかけたという。

 畑の肥料か、鶏の餌だと言われた。

「そんなバカなって思った。そんな旨そうなものが鶏の餌なんてあり得なかった」

 彼は思わず手を伸ばしていた。乞食のような行動に、恥も外聞もなかった。ただ、目の前にある食べ物にあり付きたかった。

 何故か、兵士は抵抗した。

 だから、叫んだ。

「それがいいっ!」

 困惑する兵士。何かぶつぶつ言っている、もっとうまいものとかなんだとか言っていた。それが、その兵士のプライドと呼ばれるものだと分かったのは、しばらくたった後だった。

 それ以上堪えられなかったライール。兵士の持つ食器を奪い、パンに噛り付いた。ただのパンだった。何も味付けされていない。それなのに、柔らかく噛み切れて、口の中に広がる香りと、溶けていく甘み。ほんの少しの塩気。

「暴力的なまでに旨かった」

 涙がこぼれた。それは、彼にとって初めて飢えを満たされた瞬間だった。

 それからしばらく、その兵士――自称コックと色々な話をした。野菜の話、水の話、森の話。残念ながらその日本兵は英語と片言のソマリ語しか話せなかったので、ほとんど意味は分からなかった。それでも色々知ることが出来た。

 時折、街に連れて行かれた。その時に、真新しいTシャツとズボンにスニーカーも渡された。

 悪いから、と返そうとしたが。それは新しい世界に進む彼への餞別だと、軍の人達から拒否された。

 コックには、街中で色々なところに連れて行かれた。食材の溢れる市場、英語もソマリ語も話すソマリアの人達、見渡す限りの麦畑、大きな湖、鬱蒼と茂る森――初めて見る物ばかり。

 何を売っているかも分からない、張り紙がたくさんされた店。揃いの制服を着て、街を練り歩く警棒を持った人達。不動産屋と警察官を、このとき初めて知った。

 誰もがきちんと服を着て、きちんと靴を履いて、表情は色々だったけど、動いて汗を流す姿は輝いていた。

 ――これが緑の軍隊。

「これのどこが侵略なんだって思ったね。だって、信じられないくらい豊かなんだ。それを誰もが享受していた。――文化が守れないなら死んだ方がいいって言ってる奴は、二種類しかいない。貧困の極みでどん底の奴か、自分が恵まれてることに気付かないバカだ」

 だから、上官二人の前で彼は毒吐いていた。

「あんな連中、クソですよ」

 上官達がこちらを見て苦笑しているのを見て、ライールは慌てて姿勢を正した。

「上官の前で、貴様はなんて口をきくんだ」

「も、申し訳ございませんでした」

「まあ、いいよ。その気持ちは敵にぶつけてくれ」

 大尉が笑顔でとりなしてくれたことに、ライールは頭の下がる思いだった。

 その時だった、と副島は記憶している。

 例の防衛戦が薄くなっていると緑の軍隊が考えていた方向、山岳部に面した方向で巨大な爆発が起こった。

不穏な空気を感じた方々。


たぶん、正解です。

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