第二話 緑の旗のもとに
どうしてこうなった……。
取り敢えず、今週分の更新開始です。
2060年4月14日 午後2時
千葉県若葉区千葉刑務所
古い赤煉瓦の管理棟の応接室に案内されたことで、先日の栃木刑務所でのことを思い出す。どうやら、ここにいる人物も相当な評価を受けているらしい。
「おはようございます。お久しぶりですね」
退出する刑務官から挙手の敬礼を受け、苦笑いしながらソファに座ったのは、真っ白な頭髪の穏やかでありながら、どこか芯の通った精悍な男。その服装は緑色の囚人服。
その足取りは、しっかりしていて決して上背があるわけでも、太い訳でもないのに、みっしりと詰まった硬い木のような存在感は大きな木のようだ。
「あの……敬礼、されてるんですか?」
驚きのあまり、私は挨拶を忘れて問いかけてしまった。
彼は気恥ずかしそうに頭を掻く。
「お恥ずかしい。やめてくれ、と言ってるんですが、新任の人は私を見るとまず敬礼するんですよね」
「緑の軍隊の英雄、だからですか?」
「英雄だったことなんて、一度も無いと思うんですけど……」
謙遜ではなく、無自覚だと、彼を知る人間はみな揃って言う。
“連邦国防軍の鑑”や”専守防衛”などという異名を持つ男は、日本国内を探しても見つかりはしないだろう。
それほどに彼は、有能で、そして何よりも誠実だった。
愚直と言われるほどの、しかしそれは結果的には常に最高の実を結び続けてきた。
だからこそ、百八十年あまりの刑期を宣告されても、彼は異業種の人々からも敬意を払われるのだろう。
「ご自宅の勲章の数々を見せられて、そんなこと言われると嫌味ですよ」
「相変わらず、相沢さんは手厳しい。――家族は元気にしてましたか?」
「ええ。奥様もご両親もお元気そうでした。それにしても、噂には聞いてましたけど、奥様本当にお若いんですね」
途端、彼は噎せて咳き込みはじめた。どうやら、話題にされたくない話らしい。
この今年五十五歳になった男の妻は、三十八歳だった。しかも、日本人ではなくすらりと背の高い黒人の女性である。
そんな女性との馴れ初めも気になるが、この完璧と謳われた老兵にも人間らしい一面があったことに、私は少し喜んでしまった。
「あの、今日はそんな話をしにいらっしゃったんですか?」
「違いますよ。今のはただの世間話です。でも、副島さんがあんな若い外国の方と知り合いになった経緯はぜひ知りたいですね」
「もう、知ってるんじゃないんですか?」
「いえいえ。そんなことはありません」
しらばっくれてみたが、副島は淡々としていた。
「彼女が話さないはずがありません。そのせいで、今までどれだけ弄られたことか……」
所属が変わるたびに、奥様との馴れ初めが話題になり、彼本人は黙秘するのだが、彼女は全部ばらしてしまうらしい。
「いいえ。素敵なことだと思いますよ。お二人が、とてもいい家族だというお話ですから。あ、それとも惚気ですか?」
「こいつは一本取られたな。ほんとに凄い人だ、あなたは」
少し嬉しそうに言った彼は、素敵な父親、そして夫の表情だった。
「これも仕事のうちですから」
「ほほぉ。なるほどね……」
笑みを浮かべる副島。
「それで……」
「今回はずいぶん、やんごとないお仕事のようですね?」
自分の頬が引き攣ってしまったのを、私は覚えている。
この調査をしていて、どうしても困ったことがある。それは良いことと表裏一体なのだが、相手が有能な人物ばかりであることだろう。
この緑の軍隊名誉歩兵章所持者にして、元ベイランドシティ警察特殊防犯課強行係長も、こちらの意図を早々に理解してくれるのはいいが、時々ペースを持っていかれるのは困る。
「私に出来ることは、ありのままを伝えるだけでしょうが……」
そう言って自嘲気味に笑う。
「それで、私は何を話せばいいのでしょうか。事件のことですか?特防課のこと?楯のこと?」
「いいえ」
私はきっぱりと否定した。そんな話は、既に多くの人が調べている。
私が知りたいのはそんなことではない。
「緑の軍隊のことです」
彼の眼が細められた。
「大前提を固める、ということですか?でも私はただの下士官です。戦闘の上位指揮権者でもなければ、法律家でもない。意味がありますか?」
「五回の緑の軍隊派遣に参加し、常に最前線にいた兵士の言葉には別の意味があると思います」
「そんな人はいくらでもいますよ。緑の軍隊専属部隊なんて、年がら年中派遣されてるじゃないですか」
「そうですね。でも、あなたは士官になることを拒み、そして任務としてではなく志願して参加し続けている。これは稀有なことです」
「おや、ずいぶん持ち上げてくれますね」
そう言った彼の笑顔は、恐ろしく冷たいものだった。
「私は、ひとつの公式文書に興味があってあなたに会いに来ました」
「ほぉ」
「緑の軍隊、最大の汚点。そして、謎の軍曹」
しばらく、私達は見つめ合っていた。いや、表面上は穏やかだった彼だが、睨み合っているという方が正しかった。
おそらくその胸中は想像を絶するほど渦巻いていたに違いない。私は、彼にとってのパンドラの箱を開けようとしていたのだから。
十数秒もそうしていただろうか、彼は細く長い溜息を漏らした。まるで、今まで溜め込んでいたものを、全て吐き出すような長い長い溜息だった。
緑の軍隊。The Force for GREEN。
それは、二〇六〇年現在、世界に唯一存在する常設の多国籍軍である。
そして、西太平洋機構という大国の意志が通りにくい共同体が指揮権を持つ、あらゆる国家の国権からほぼ独立した唯一の軍隊である。
この軍隊がこの独立を勝ち取るまでには数々の試練があり、それを乗り越えた栄光と挫折があり、そしてたゆまぬ努力があった。
この報告書において、その歴史は欠くべからず重大事項である。