08
まぶたに唇を落とした後、それだけでは足りないというように何度も顔中に唇を寄せる。どこでもキスをするのに、私の唇だけには決して触れないようにしていた。
唇に触れないことがもどかしい。昼間は勝手に唇を奪ったというのに、お父さんは唇には触れない。
「お、とう……さん」
「可愛いな、紫陽花は」
すぐ近くにあるお父さんの顔を見つめる。そうすれば、お父さんはクスッと艶やかな笑みを浮かべた。
その笑みを崩さないまま、私の頬を指でスッと撫でる。ビクッと体が素直に反応し、お父さんは満足したのか手を離した。
「他の攻略キャラなんかにお前はやらない。誰かを攻略するなら、俺を俺だけを攻略してくれ」
「お父さん……私は」
私は攻略キャラなんか攻略するつもりはない。浮気とか絶対駄目だ。
なのに、どうしてお父さんはそんな顔をするのだろうか。どうして私が誰かを攻略する前提なのか。
艶やかな微笑みの中に交じる寂しさ。それは一体誰に感じる寂しさなのだろうか。
「お父さんは恋人が浮気していたことがやっぱり悲しいんだね」
自分で言った言葉にチクリと胸が痛む。それに気付かないふりをするために、そっと手を伸ばしてお父さんの頬を包み込んだ。
一瞬だけ驚きで目が開かれたが、お父さんはすぐにさっきと同じような笑みを浮かべた。
「あぁ、寂しいな。だから、お前が俺を慰めてくれないか?」
「……慰めるって?」
「俺からあの恋人のことを忘れさせてくれよ」
お父さんの頬を包み込んでいた手が取られる。その手を絡ませるように握った。
顔を近付け、耳元でお父さんは囁く。甘く痺れるような声で囁いた。
「俺にキスして」
思考が追いつかなくなり、停止してしまう。だが、お父さんは私のことをよく知っているので思考停止したことぐらい勘付いている。
若干、呆れた顔をしてもう一度だけお父さんは口を開いた。
「俺にキスして、紫陽花。俺を慰めるために」
「なっ、それのどこが慰めですかぁぁぁ!」
「紫陽花は元気がいいな。その元気を俺に与えるためにキスしてくれって言ってんだ」
私はキスで他人を回復させる能力は断じて持ち合わせていない。そのことを分かろうよ、お父さん。
絡められた手を外そうとするが、強く手を握られて外れない。それなら、私の上からお父さんを退けようとジタバタを体を動かす。
「お前は本当に元気がいい。だけど、そんなに元気だと虐めたくなる」
「い、いじめ……ですか?」
「あぁ、虐めてぐったりとさせたい」
ジタバタしていた体はさっきまでの元気はどこにいったんだと言いたくなるぐらいピタリと何もしなくなった。
何だか寒気が襲ってくるが、少しでも動けばヤバい気がして動けない。それでも、その状態からは逃げないといけない気もする。
だけど、私にはどうしようも出来なかった。
「さっきまで元気だったのに、一体どうかしたのか?」
「お、お父さんの」
「ん?」
「お父さんの所為だから、お父さんのばかぁぁ!」
もう、どうにでもなれ。そういう気持ちで私は全力でジタバタと体を動かす。目指すはお父さんの下から脱出だ。
「もうっ、家に帰るんだからー!」
「……家はここだろ」
「うっ、だってお父さんがお父さんじゃないんだよぉぉお!」
こんな色気たっぷりな男性はお父さんじゃない。私がお父さんと慕っていたのは優しくて甘やかしてくれる男性だ。こんな鬼畜で危ない男性ではなかったはずだ。
私の否定な言葉に怒ることはしない。いいや、逆にお父さんは嬉しそうに微笑んだんだ。
「当たり前だろ。俺は本当のお前のお父さんじゃないんだから」
それはそうだ。お父さんが言っていることは当たり前だった。
お父さんはお父さん役を演じているだけの私の叔父だ。本当のお父さんにはなれない。それでも、私は彼をお父さんと慕っている。
それは紛れもない事実なのに、心のどこかで違うと叫ぶ自分がいた。
「違う、私は決めんだんだ。攻略キャラは絶対に好きにならないって」
だから、私はお父さんのことを好きになんてならない。恋人がいるお父さんなんて絶対に好きにならないんだから。浮気なんて駄目なんだ。
「あれ?」
私は心の中で決意した言葉に首を傾げる。私がお父さんを好きにならない理由は、恋人がいたから浮気なんて駄目だと思ったことだ。
今まではそれでよかったのに、お父さんは別れたんだ恋人と。だから、私がお父さんを好きにならない理由はないことになる。
「どうかしたのか?」
お父さんが不思議そうに私の顔を見つめる。それに急激に恥ずかしくなり、顔に全身の熱が集まったように熱くなった。
すぐ近くにいるお父さんは既に私の反応に気付いている。それでも気付かれまいと私は絡め取られてない方の手で顔を隠した。
「もう、いやだよぉぉおお!」
顔を隠しながら叫ぶと温かい手が頭を撫でる。優しく髪を梳くように撫でる手付きは私の好きな手だ。
「よしよし、紫陽花は可愛いなぁ」
温かくて優しい手なのに、口から出る声は子どもに囁く声じゃない。その声は酷く甘すぎて、どうにかなりそうだ。
自分で顔を隠しているから、お父さんがどんな顔でその言葉を囁いたのか分からない。それでも、私の顔に集まった熱は引くことはなかった。