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07

 授業が終わり、私は家に帰らなくてはいけない時間になった。

 昼休みのことでお父さんに会うことが気まずいが、彼自身が帰って来いと言ったんだ。帰らないという選択肢はない。

 それに家に帰らないとなるとどこに行けばいいのだろうか。よくある友達の家は、まず友達がいないから無理だ。だから、私は家にしか帰れないのである。


「ふぅ……」


 息を吐き出し、気持ちを整える。それでも、気分は向上しないのでそっと自分の唇に触れてみた。

 この唇に触れたのは間違いもなくお父さんの唇だった。私の初めてのキスを奪ったのはお父さんだ。

 こんなに胸が苦しいのも全てお父さんの所為だった。


「男は好きでもない女と寝れるのかぁ」


 学校から家までの帰り道でそんなことを呟いていることを誰から聞かれでもしたら変な目で見られる。そう分かっていても独り言を呟いてしまった。

 どうせ誰も聞いてないからいいかと思いつつ、私はもう一度だけため息を吐き出した。


 そうしている間に家の玄関まで着いてしまった。

 緊張して強張った体を奮い立たせ、玄関のドアを開ける。玄関を開けて最初に目に付いたものは二つの見知らぬ靴。一つは女性ものの靴で、もう一つは男性ものの靴だ。

 嫌な予感が頭を過る。嫌な汗が背中に流れ落ちた。

 速まった鼓動を落ち着かせるために深呼吸をするが効果はない。


 いつも聞いているお父さんの声と聞き覚えのない男性の声と聞き覚えのある女性の声が居間から聞こえる。

 そっと居間のドアから見つからないように音を立てずに中を覗く。そこにはお父さんとお父さんの恋人である女性と知らない男性がいた。


「あなたがわたしに構ってくれないから、新しい恋人が出来たの。だから、別れてくれる?」


 お父さんの恋人であった女性はその容姿に合った美しい笑みを浮かべる。女性の隣にいた知らない男性は彼女の肩を抱く。

 その甘い雰囲気に思い知らされる。優しい女性だと思っていた人はお父さんと恋人関係でありながら浮気をしていたことを。

 許せない。だけど心のどこかでそのことを嬉しいと思っている私自身に怒りが込み上げてくる。


 しばらくすると居間のドアが開く。お父さんの恋人だった女性と目が合うと彼女は「お邪魔しました」と丁寧に礼をして家を出て行った。その横を歩く男性もまた一礼してから家を出て行った。

 その場に残ったのは私とお父さんだけだ。この中で一番傷付いているのはお父さんだ。私がお父さんを励まさないで何になるというんだ。

 ソファに座って手で顔を隠しているお父さんに近付き、そっと触れようと手を伸ばす。その手は私がお父さんに触れる前に掴まれ、彼の方へ引き寄せられた。


「これでお前に手を出しても浮気とか言われなくて済むな」


 恋人が浮気していた事実に悲しんでいるのかと思っていた私はその言葉を聞いて固まった。

 お父さんは恋人が浮気していても何とも思わなかったのだろうか?

 悲しんでいいはずなのに、お父さんは笑っていた。それがバレないように顔を手で隠していたんだ。

 お父さんは恋人から浮気されていても何とも思ってなかったんだ。


「お父さんっ、なんで悲しくないのっ!」

「どうして、俺が悲しむ必要があるんだ?」


 俺もあいつと同じでお前と浮気をしていたのに。そう私の耳元で囁く声は酷く甘ったるい。

 そうだ。私はお父さんからキスをされたんだ。あれも立派な浮気だ。

 私は実の両親と同じように最低なことをしていた。それがゲームと同じだと思うと悲しくなる。

 私はゲームのヒロインみたいにはならないと決めていたのに、結局は私も同じなんだ。


「お父さんのばか、もういやだよぉおお!」


 抱き締められている腕から逃れようと必死に体を動かすが、所詮は男と女。女の私が力で男に敵うわけがない。

 私が逃げないように更に力を込めて抱き締めるのはお父さん。彼はそっと優しくソファに私を押し倒した。

 柔らかいソファに体が沈むのを感じながら、私の上に覆い被さるお父さんの艶やかな微笑みを見つめる。その笑みから目が離せなかったんだ。誘われるような甘い笑みに。


「俺の可愛い紫陽花。もうお前が心配することは何も残ってないだろ?」


 笑みと同じ甘い匂いが漂い、私の心を蝕む。それは危険な誘いだ。

 この乙女ゲームは危険なものだった。それを私は知らなかっただけ。一度ハマると抜け出せない。甘い彼から逃れられない。


「略奪愛も燃えるけど、お前を無理やり俺のモノにするのも燃えるな」


 そして、私は知らなかったのだ。私のお父さん役を演じている叔父さんは隠し攻略キャラで一番の危険人物だということを。

 それを今更になって思い知らされるなんてどうかしている。お父さん相手に心臓が高鳴っている時点で、私は彼から逃げれないというのに。

 それでも、私は自分の心を偽るために偽りの言葉を口に出す。


「私は攻略キャラなんか好きになんてならないんだもん!」


 必死に抵抗をみせる私にクスッと笑みを浮かべる。お父さんは優しい手付きで私の頬を撫で、唇の形をなぞった。


「もう遅いだろ」


 お父さんは子どもには決して見せてはいけない笑みを浮かべたまま、私のまぶたに唇を落とした。

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