03
この世界の人々の名前は漢字の人もいればカタカナの人もいる。私とお父さんは漢字の名前だが、恐怖の乙女ゲームの攻略キャラはカタカナ名である。
「グラジオラス」
学校の渡り廊下で私の目の前まで来た人物の名前を呟いてしまった。
不可抗力だ。どうして私はこの渡り廊下を使ってしまったんだ。
これはどっからどう見てもイベントじゃないか!
「貴方は私の名前を知っているかな?」
柔らかい声色に甘い顔立ちの男性は不思議そうに私を見る。
ギクッと体を硬直させるがすぐに頭を思いっきり振る。私は知らないのだと、名前なんか知らないのだと。
というか、なんでお前は学校にいるんだよ!とかツッコミたいが彼はこの学校の理事長なので仕方がない。いても仕方がないが、理事長の子どもさんとは話すらしたことないぞ。だって避けてるからな!
「だけど確かに貴方は私の名前を……」
「き、聞き間違いじゃないんですかね!」
「そうかな?」
「そうですよぉおお」
私と同じ年の子どもがいるというのにそう見えないのは乙女ゲームの力か。これだと子持ちだと分からずに惚れる人がいるんじゃないかな。もちろん、私以外で。
「貴方は一年生かな。私の子どもも貴方と同じ学年でね」
「あぁ、そうなんですか。ですが、私は用事があるので帰りますね!」
理事長のお話を遮って私はダッシュでその場を逃げた。そうしないと長々と続く話を聞かされ、勝手に好感度が上がるのだから。
だから、その後の理事長が何をしたかなんて私は知らなかった。
「貴方が大切に育てている花はちゃんと逃げてるみたいだよ、月下香」
そんな言葉が後ろから聞こえた気がしたが、私は振り返ることもせずに教室に戻り、帰りの支度をして愛しの家に帰ったのだった。
家に帰るが、まだお父さんは仕事をしていて帰ってきてない。この嫌な気持ちを抑えるために私は無心になれる料理を作り始めた。
思うがまま料理を作っていると玄関のドアが開く音が聞こえた。お父さんが帰ってきたのだと思い、玄関に急いで行く。
「おとうさーん!」
「ただいま、紫陽花。どうかしたのか?」
「お父さん、うぅ……攻略キャラに会ってしまったよぉぉお。会うはずじゃなかったのにぃぃ!」
「またゲームの話か。まぁ、泣き止め」
ゲームの話じゃなくて現実なのだがお父さんがそれを知るはずはない。それでも、こうやってよしよしと頭を撫でてくれるお父さんは優しい。優しすぎて困る。
「お父さん優しいすぎる。もっと甘えたくなるだろうがっ!」
「甘えてもいいぞ。俺限定でお前が甘えてくれるならいくらでも」
「うぁぁぁ、その言葉は恋人に言った方がいいって!」
お父さんは本当に言う人を間違えている。その言葉を恋人に言うと甘くていい雰囲気が生まれるというのに、勿体ない。
「俺はお前にしかこの言葉を言わないが?」
「いやいや、娘じゃなくて恋人に言ってくださいよ!」
「なら、お前が俺の恋人になるか?」
一体誰に向かって言っているのだろうか。私は自分の後ろを振り向いてみるが、そこには当たり前のことだが誰もいない。
もう一度だけお父さんを見た後に、お父さんが見ている方はやっぱり私だ。だから私はまた後ろを振り返る。それでも後ろには誰もいなかった。
「紫陽花、お前に言っているんだけど?」
「それはないでしょぉぉぉお!」
現にお父さんは恋人がいるはずだ。だから私とは恋人なんかになれない。
そして、私は思い出すのだった。この乙女ゲームの特徴を。
「浮気なんか駄目なんだからねぇぇぇ!」
お父さんから数歩距離を取って、逃げる準備をする。いつでも自分の部屋に戻って籠城出来る準備をしているのだ。
私の反応を見たお父さんはにっこりと微笑む。その笑みは私を安心させるためにいつも浮かべる笑みである。
その笑みを見た私は強張っていた体から力が抜けた。
「冗談なら冗談って言ってよね!」
「あぁ、冗談ならちゃんと冗談って言う。言わないから、これは冗談じゃないって分かるか?」
「え、えっ……」
「略奪愛は確かに燃えるけど、俺はもう我慢の限界なんだよ。こんなゲーム通りに進めてたら面白くないだろ?」
いつものお父さんらしくない低くて色気のある声でその言葉を言った瞬間に私は回れ右をしてダッシュした。目指す先は自分自身の部屋で籠城をするんだ。
「この俺がお前を逃がすわけないだろ」
パシッと腕を掴まれ、そのまま引っ張られる。ポスッとお父さんの腕の中に抱き込まれた。
私は籠城する前に捕まってしまいました。
それよりもお父さんはゲームのことを知っていたのですか。私と同じように知っていたのですか。
「俺の親友であるグラジオラスがゲームのことを知っていてな。俺はそれを教えて貰ったんだ」
グラジオラスって誰だっけ?とか思ってしまうのは、きっと名前が覚え辛いからで今がパニクってる所為じゃない。
考えること数秒後にグラジオラスを思い出し、今日会ったこともついでに思い出した。
そうかそれで私はお父さんに泣きついたのか。そんなことを考えて私はやっと気付いたのだった。
「えっ、じゃあ、お父さんはゲームのことを知ってて私の話を聞いてとぼけていたってこと?」
「あぁ、お前が悩む姿がおかしくて、可愛くて放置していた」
「じゃあ、グラジオラスもゲームのことを知っているから私は別に避けなくても大丈夫ってこと?」
「あぁ、そうなるな。今のあいつは奥さんラブだからな。だけど、それでも俺はお前に男を近付けたくないなぁ」
あぁ、そうなんですか。そういうことですか。
私のあの時に逃げた苦労はなくてよかったのですね。
というより、お父さん。なんかキャラ変わってないですか?私の気のせいですかね。
「だけど、他の攻略キャラはどうなのか知らないから気を付けろよ」
「マジでか、それを早く言ってよねぇぇぇ!」
私はまだまだ攻略キャラと攻略キャラの子どもから逃げないといけないらしい。
私はお父さんに迷惑をかけないようにしなくてはいけない。攻略キャラを攻略しないようにしなければ。
「私、攻略キャラを攻略しないんだからね!」
「もう遅いだろ」
「えっ、なんで?」
「だって、俺って隠し攻略キャラらしいしな」
その言葉を聞いた私は叫ぶことも忘れ、ただお父さんを凝視していたのだった。