四つ目の季節〜彼の言い分
この小説は完全なフィクションです。
また彼女が怒っている。
夜中に仕事を終えて、風呂上がり。何となくつけたテレビの前で一人晩酌をしながら、携帯電話をチェックする。彼女からの着信もメールもない。
『生理が遅れてる』というメールに、『困ったね』と返事したのは、まずかったかも知れない。しかし……
(すぐ怒るからな……)
彼女と出会って九ヶ月。夏を越えれば一年になる。その間に何度喧嘩したか。
喧嘩の原因のほとんどは、なかなか会えないということだ。
お互い、仕事を持っている。二人とも、接客業で休みも時間も不規則だ。
彼女も三十を越えて久しいが、俺はあと数年で四十だ。昔のように、睡眠時間を削ってまで遊びまわる元気もない。
なかなか会えない事など、少し考えればわかるはずだ。会って話している時は、くるくると回転する頭も、そういう事には回らないようだ。
彼女の事は好きだ。
見た目もタイプだし、食事の趣味もテレビ番組の趣味もそこそこ合う。セックスの相性もいい。性格も基本的にはしっかりしているし優しい。俺が落ち込んでいる時はたいてい、そばにいてくれる。
(違うってところが魅力的だけど……)
俺は仕事の関係でも友達を作り、遊びに行ったりするし、大勢でいる事も好きだ。彼女は公私を分けたがり、たくさんの人といるのは苦手だ。
「友達は、あんまりたくさん欲しくない」
そう言っていたのを思い出す。俺としては、やきもちをやく機会が減るし、こっちの都合に合わせてくれて、俺を最優先してくれるところはうれしい。
俺は、男は矢面に立ち、女が支えると考えている。そういう家庭で育ったからだ。彼女は違った環境で育ったようで、そうは考えていないようだ。
「古い考えだけど……」
自分の意見を言った時、彼女はきょとんとしていた。内心、
「古いし、男女差別じゃない?」
と一蹴されるんじゃないかと思っていたから、
「ふうん、わかった。私も男女で得意、不得意があるのは当たり前だと思う」
という彼女の反応には、ほっともしたし、好感を持った。
そんなふうに古いからこそ、物事の順番は守りたい。できちゃった婚なんて、以っての外だ。
結婚が先でないといけないし、その前には一緒に住んでみるべきだ。一緒に住むには、彼女の親の了承も必要だし、いろんな話し合いも必要だろう。まだその前段階である『数日間一緒に過ごす』をやっとこの前クリアしたところだ。
もちろん将来も真面目に考えている。責任逃れするつもりもない。子供だって欲しい。ただ順番は守りたい。それが『困ったね』という言葉になった。
(……それだけでもないか)
二日間一緒に過ごした。食べて、眠って、セックスして、酒を飲んでまた眠り、起きて食べたら、また抱き合って眠った。とても甘美で、怠惰で、充実した時間だった。
彼女がずっと寄り添っていたのは、少し意外だったし、可愛いと思った。彼女の汗の匂いや、熱い溜息や、終わった後に恒例のようにいう
「他の女にこんなことしないでね」という声を思い出すと、今でも腰が疼く。
ただ、寄り添っていた以外にも、彼女の意外な一面を垣間見た。
しっかりしていると思っていたが、案外ぬけている。
まず、かなりのヘビースモーカーだった。チェーンスモーカーと言っていい。点けた煙草を忘れて、新しい煙草に火を点ける、なんて事を何度もやっていた。
それから、ニュースを見ながら、パンを食べていた時。余程テレビに集中していたのか、テーブルの上空から床の上空へ、パンを口に運ぶ場所がずれる。こんがり焼けたパンくずが床に落ちても気付いていない。妹とシェアしてる彼女の部屋は男子禁制だから、訪ねた事はないが、結構散らかっていそうだ。
帰る時には、忘れ物がないか、何度も確かめていたのにもかかわらず、お土産にと渡した、俺の実家から送って来た地酒を忘れていった。これに至っては未だ忘れているようだ。人間関係だけでなく、しっかり者度合いも、公私が分かれているようだ。
(公私じゃないのかな)
基本的にはおおらかなのに、怒ると謝らない。たいていは、俺が時間を作れないからだから、仕方がない面もある。彼女が謝らないからといって、時間を作って会いに行っても、謝罪を求められるわけでもない。
(ああ、怒ってるんじゃなくて拗ねてるのか)
それでもすぐに絶交されると、調子がいい時ならいいが、そうでない時には、疲れる。
(この前の絶交は長かったな)
十日もほったらかしにすれば、拗ねて駄々をこねはじめる。二週間位が限界で、絶交が始まるが、怒りが治まった頃を見計らって食事にでも誘えば、仲直りできる。
(俺も大分わかって来た)
ニヤニヤしながら二本目のビールを取って戻って来ると、テレビのニュースに新生児が映し出されていた。
(……今回は拗ねてるんじゃなくて、怒ってるんだろうな)
(困ったな……)
まだ決定ではないが、拗ねているのではないなら、怒りが治まるまで待つともいかない。問題が問題だけに、かなり激怒しているかも知れない。
「一人でも産む」怒り狂っていれば、言い兼ねない。
(できちゃった婚より悪い……)
意地になってやり始めると、必ずやり遂げる方だ。
(すごくいいガッツなんだけど、これに関しては……)
一気に飲む意欲が失せ、ほとんど口をつけていないビールをキッチンに持って行き、明かりを消して、テレビの画面がちらちら映る布団に倒れこむ。
さて、どうやって『困ったね』の真意を説明するか。このままでは、その後どうするかの話し合いも出来ない。いつもの様に知らん顔して食事に誘うか、深刻に話をもちかけるか……
そしてもしも妊娠していたら、どうする。
彼女の親に挨拶に行くのが先か、自分の親に報告するのが先か。
籍だけ入れてしばらくは別に住んで。二人で、ゆくゆくは三人で住むには、ここは狭すぎる。しかし、いつ頃産まれるんだろう。彼女の仕事はどうするのか。出来れば辞めてもらいたい。出産の時は、確か、女性は実家に帰るものだな。俺は長男だから、最終的には実家に帰りたい。子供の将来についても話し合っておきたい。その前にまず、禁煙してもらわないと……
ふと彼女の拗ねて怒った顔を思い浮かべて
(そういえば、一緒に過ごす夏は初めてだな……)
と気付いた時、眠りに落ちた。
ニュースでは、気象予報士が、
「この前線が今年最後の梅雨前線になりそうです」
と、夏の到来を告げていた。
妊娠するのは悪い事ではないけれど……という視点で、執筆しました。彼女の言い分も、掲載中です。