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 人魚の心臓を食べると不老不死になる。


 そんな都市伝説が信じられていたのは、もはや過去の話だ。


 尊い犠牲の結果、それがデマだと知れた途端に人魚は放逐された。


 人口自体がさほどでもなく、また主な生活圏が多くの人間と重ならないこともあって、当初こそ騒がれたものの今では何の問題もない。


 わたしたちは今まで通り暮らすことができたし、釣り人の針や漁師の罠や網に対する知識や、当人たちの協力もあってかかることがなくなった。


 人魚はもはや、人間界に見つかった、人の言葉を発する新種の魚程度の認識になっていた。




「つまり、あたしたちには市民権もなければ人権もないわけ。人魚が人間と愛し合って暮らしたなんて夢物語は昔の話よ。だって、今は人間が戸籍によって管理される時代よ? 戸籍も人権もないあたしたちは人間とは結婚できないし、一緒に暮らすっていうのはただの同棲よ。法的拘束力もないんだから、浮気されたって文句言えないのよ? わかってるの?」

「わ、わかってるよ、ルトォ……でもわたしは何も、彼と結婚したいわけじゃ――」

「じゃあどういうつもりよ! その男に唆されて陸に上がったんでしょう? 陸に上がるってことは、自分の生殺与奪権を相手に与えるってことなのよ? 本当に分かってるの!?」


 あまりの剣幕にわたしは後退しながら苦笑いを浮かべてルトをなだめる。


「唆されてって……それに彼は優しい人だから大丈夫だよ。それに生殺与奪権なんて、そんな大げさな……」

「あんたがそんな、なぁんにもわかってない、ちゃらんぽらんだからあたしが友達として忠告してあげてるんでしょうが!」


 デコピンを額に受けたわたしは痛みに呻いて蹲った。


 ルトは荒い鼻息をして、腕組すると仁王立ち泳ぎになる。


「それに、どうするのよ。いくら陸の上でも、海水入りの水槽に入ってたら平気だなんて、そんなのただのペットじゃない! それにもし病気になったって、人魚を診てくれる病院なんてないわよ? それとも動物病院に連れて行ってもらうの?」


 うっ、と言葉に詰まる。


 海にいても病気と無縁ではないのだ。

 陸に上がれば陸の病気にかかることも十分に考えられることだった。

 そしてそうなった場合、人魚に詳しい医者などいないのだから、病院に行くこともできない。

 まして、人間用の病院では診察すら受けられないかもしれない。


 ルトがちらりとこちらを見て、すぐにそっぽを向いた。


「そっ、それに! あの男、最近来てないんでしょう? 大方、疲れたとか、飽きたとか、そんな理由よ。漁師以外はみんな信用ならないわ! 彼らはあたしたちにも優しい言葉をかけてくれるけど、それ以外の人間からすれば人魚なんて喋る魚類程度に思ってないんだから! そんなヤツのこと、気にするほうが愚かだわ」


 昨日は違う男に出会ってしまったのだが、ルトに言ってなかった。

 他の友達にも話してない。


 彼だけでもいい顔をしないのに、他の人間と会ったことがバレると、酷く叱られてしまうのが目に見えていたからだ。


 それに、ジャーナリストと名乗ったあの男が何をしに来たのか、さっぱりわからなかった。

 わたしは自分の歌が、実際に多くの人に聞いてもらえているということが知れて、それはそれで嬉しく思ったけど、結局握手もしてあげなかったし、軽い罪悪感を覚える。

 あの男についてわかったことは、名前がジャーナリストということだけ。

 長くても三文字までしか名前をつけない人魚たちからすれば、随分と挑戦的な名前である。


 思考が余所に向かいかけていたのを察知したルトがジト目で見ているのがわかって慌てた。


「そんなことないよ! ほ、ほら、わたしの歌を出したばかりだから、その反響の対応で忙しいとかで……」


 ルトが胡乱な目付きでこちらを見つめてきて、わたしはたまらず視線を逸らした。


「本当にそんなこと信じてるの?」


 ぐぅの音も出ない。

 何より、ルトから視線を逸らしたのが、自分の発言に自信が持ててない何よりの証拠だった。


「大体、あんたの歌が人気になるくらいなら、あたしの歌は大人気になってるわよ」


 そう言うと、ルトは声を出して喉の調子を確かめ始めた。


「わ、わかった! そうね、わたしの歌はあんまり上手くないわ。その通りだわ」


 慌ててわたしがそう言うと、ルトは若干不満そうな顔をしながらも頷いた。


 ルトが音痴なのはこの辺りでは有名だ。

 本人はそれを知らない。


 奇妙な静寂が水面を滑っていく。


 思案気に顔を伏せたルトの上を、カモメが間延びした鳴き声をあげながら旋回している。


「……ねえ、キィ。どうして陸に行くの? あたしたちが嫌いになったの?」

「そんなことない!」

「だって、陸だよ? 人間だよ? 大ばば様の話聞いたことあるなら、それがどのくらい危険なことか、わかるでしょ?」


 わたしは言葉に詰まった。


 大ばば様は世間に人魚という存在が公表された時代から生きている。


 人間が如何に私欲のため人魚を狩り、殺し、喰らい、そして捨てたか。


 それを教えてくれる数少ない人魚だった。


 わたしたちは釣り人や漁船の危険などと一緒にそれらを教えられ、なるべく人間と関わらないように心に決めて生活していく。

 そしてこれからもそうして、人と関わらずに生きていくのだと思っていた。


 だけど違った。


 人魚たちはみんながみんな人間を疎んじているわけではなく、その知恵と発明を得て生活の糧にする者もいる。


 一度甘い蜜を味わってしまえば、元の生活に戻ることは難しい。

 少なくない数の人魚が、何らかの現代社会の恩恵を受けているのは疑いようの無い事実だった。


 ルトはそのことを知らない。

 けれどそれを伝えてしまうことは憚られた。


 わたしは力なく首を振ることしかできない。


「みんなのことは好きだけど、それと同じくらい彼のこと好きなんだよ……」


 それを聞くと、項垂れていたルトがすごい勢いで顔を上げた。


「それってあたしたちより、たった一人ぽっちの人間の男を取ったってことでしょ! もういいわよ、キィなんて、人間に騙されて陸に上がって死んでしまえばいい!!」


 ルトはそう言ってざぶんと海に潜ると、すごい速さで遠ざかっていった。


 わたしは呆気にとられて、追いかけようという思考すら浮かばない。


 真っ白になった頭で、ただ呆然とルトの消えていった方向を見つめながら波間に揺れていた。




 ハッとして、わたしは懐中時計を取り出す。


 防水加工された時計を掲げて、針を確認する。


 8時27分。


 ルトに呼び止められて話をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまっていた。


 もしかしたら彼はもう桟橋に来ていて、そして帰ってしまったかもしれない。


 わたしは慌てて桟橋のほうへ泳いだ。


 でもすぐに泳ぎを止めた。

 ガヤガヤと騒がしい声がするのだ。


「なんだろ……?」


 彼に連れられて陸に上がったときにもこのような騒音を聞いた。


 人間に比べて人魚は耳がいいため、騒がしすぎると頭が痛くなってしまう。


 わたしは額に手の甲を当てながら、岩場の影から桟橋のほうを覗き見た。


 そこにたくさんの人がいた。


 思わず目を丸くするが、海水浴に来ているわけではないようだ。


 子供たちの何人かは浜辺で水遊びをしているものの、大半の人間は浜辺や丘の上から海のほうを眺めている。


 沖のほうに何かあるのかとも思ったが、振り返ってみても、海の中からでは視界に映るものにおかしなところなどないように見える。


 全くもって理解不能だった。


 しかし残念ながらわたしの頭では、その原因を考え付くことは不可能に思われた。


 そして、いくらわたしでもこの人ごみの中に出て行って「何かあったんですか?」と聞くことなどできやしない。

 珍しいものを見る好奇の視線は、やはり苦手に思う。


 仕方なく、わたしは岩陰に隠れて耳を澄ませた。

 人魚の耳の良さを利用して情報収集する作戦である。


 ざわざわとうねる嵐のような雑音が明瞭化されて耳に届いてくる。


 それらの大半は他愛もない雑談だったが、二つの単語が幾度か繰り返し聞こえる。


 「歌姫」と「人魚」という言葉。


 そこから導き出された答えは、ゆっくりと咀嚼されて頭に染み入る。

 思わず目を見開いた。


「そんな……」


 彼は確かに頷いてくれたのだ。

 わたしが「人魚であることを公表しないでほしい」と言った時に。


 自分が褒められるのも貶されるのも拘泥するつもりはないが、それが人魚たちみんなに反映されてしまうのが怖かった。

 自分のせいで人魚に対して悪い感情を持たれてしまうのが怖かった。


 人間たちの間で、人魚に対してどのような共通認識があるのかしらないのだ。


 もしかしたら、わたしという人魚が歌を発表することで「人魚如きが」と嫌悪を持つ人がいるかもしれない。

 そのような人が多ければ、昔のように多くの人魚が不幸になってしまうかもしれない。


 だから、自分のことは隠してほしいと頼んだのに。


 それなのに、この人々は明らかにわたしが人魚であることを知っている。


 先ほどのルトの言葉がよぎる。


 血の気が引く。


「騙され……」


 首を振る。


 きっと何かの間違いだ。


 わたしは知っている。

 いつまでも隠し通せるような隠し事はない。


 思いもしなかった理由で、情報が漏れざるを得なかったのかもしれない。

 わたしは歌うだけだったから、それ以外にどんな問題があったのか知らなかった。

 自分が思うより、もっともっと難しかったのだろう。


 けれど、彼を疑ってしまう自分がいることに気づいて、例えようの無い感情が湧き上がった。


 今思えば、昨日の男も自分のことを知っていた。

 昨日はあの男しか見なかったけど、きっと昨日からわたしのことは広まっていたのだろう。


 わたしの唄が人魚のものであると、もう世間に知れ渡ってしまったのだ。


 一面の人の山。


 これだけ人がいては、彼が来ているかもわからない。


 会いたい。


 とてもとても会いたい。


 ――――だけど、会いたくない。


 胸が強烈な圧迫感に満ちる。


 お腹の奥から何かがせりあがってきて、鼻の奥をツンと刺激した。


 漏れ出しそうな嗚咽を噛み締めて、わたしは海に潜り込んだ。




 それから、少しだけ泣いた。



11/8 一人称の不統一部分を訂正

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