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第五章 ぷろじぇくと・おぶ・みかど――百花繚乱



一.



「全く……。今日は散々だった……」

 晴明せいめいは小さく息を吐き、瓶子へいしを傾けた。

 並々と酒を注いだ杯を口に運び、飲み干す。

 ほう、と息を吐きつつ、空を見上げた。

 時刻は丑三つ時。

 数多に散りばめられた星が、闇の中で煌いている。

 その眩しさを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じた。

 ……結局、あの後晴明が踊った舞は保憲のそれと比べて――否、比べるまでもなく、悲惨なものとなった。

 博雅は練習をすれば必ず上手くなると励ましてくれたのだが。

何故帝みかどは、俺たち二人で納曾利なそりを舞えだなどと言い出したのだろうな……」

 保憲一人でも良かったのではないか、と思う。

 それに、納曾利は一人で舞うことも可能なのだ。態々《わざわざ》、舞が下手な晴明が踊らされる必要もないだろう。

 只、恥をかくだけだ。

「ひ~めさんっ」

「――!」

 背後から、声が聞こえた。

 即座に刀を抜き、視線を後方に這わす。

 伸びてきた腕を掴み、強い力で引っ張った。

「のわっ!?」

 腕の主がよろめき、地面に倒れ込む。

 間髪いれず、喉元に刃を突きつけた。

 ……切っ先が捕らえていたのは、群青の式であった。

 整った顔に、引きつった笑みを浮かべている。

「あ、ははは。さすが姫さん、良い刀さばきや」

「貴様こそ、良い根性をしておるな」

 降参、と両手を掲げる歪に、晴明は冷たい眼差しを向けた。

「この俺に同じ手が通用すると思うたか?」

 蜜色の目を細め、言う。

 歪は「ちぇっ」と唇を尖らした。

「胸くらい触らしてくれてもええやん」

「良い訳あるか! もし本当にそんなことをしたら――」

「――斬るぞ」

 殺気をたたえた低い声が、空気を揺らした。

 黄金色が、視界に満遍まんべんなく広がる。

 保憲やすのりが、隣に立っていた。

「貴様、何故此処に。もう夜中だぞ」

「……」

 刀を鞘に戻しつつ訊ねると、保憲は沈黙した。

 よく見ると、彼の狩衣の裾が、しっとりと濡れていた。

 恐らく、夜露で濡れている草原か何処かを、歩いたのだろう。

「……何処かに出かけていたのか?」

「!」

 瞳が、僅かに見開かれる。

 ふわり、と。

 保憲の手から、何かが落ちた。

 文であった。

 薄桃色の紙に、桜の枝が紐で括り付けてある。

「何だ、これは」

 拾おうと手を伸ばした、その時。

「――触るな」

 保憲の手が、晴明のそれを押し退けた。文を拾い上げ、隠すように懐にしまう。

 その様を訝しく思った晴明は、「誰からの文なのだ?」と聞いた。

 すると保憲は瞠目どうもくし、顔を強張らせた。

「貴様には、関係ない」

 これ以上ない程に眉根に皺を寄せ、背中を向けた。

「私はもう寝る。貴様等もあまりおそくまで起きておるでないぞ」

「……やっすんてば相変わらず分かりやすいな」

 遠ざかる姿を見つめながら、歪が苦笑した。

「あれじゃあ、何か隠してるってばればれやで」

「そんな莫迦ばかな。保憲が俺に隠し事だなどと……」

「わからへんよ? 倦怠期やしな。もしかしたら浮気かもしれへんで。この時間に男が出掛ける理由って一つしかあらへんやろ」

「歪! いい加減なことを言うな!」

 思わず、声を荒げた。だが、歪は表情を変えない。寧ろ、不可解な笑みすら浮かべている。

「じゃあ、姫さんも浮気したらどうや? 例えば、わてとか?」

「な、何言って……」

 動揺する晴明の肩を歪の手が引き寄せる。抱き合うような、姿勢となっていた。

「わてなら、姫さんを悲しませるような真似はせえへんで?」

「ひ、歪?」

「ずっと、傍にいる」

 耳元で響く優しい声に、身体が震えた。

その声が。

表情が。

あまりにも保憲に似ていたから。

「ええやろ……?」

 甘い笑みを浮かべた歪の顔が、近づいてきた。

 その途端。

「がっ!」

 背後から拳骨を喰らった歪が、声を上げて倒れた。

 痛さのあまり、涙を浮かべて悶絶もんぜつする歪を、突然現れた男が侮蔑の視線を浴びせている。

白い長髪に、異国人のような褐色の肌。一目で、人間でないことが分かった。

「若旦那の命令で歪が妙なことをしないか見張っていたが、まさか本当に手ぇ出すとはな」

「あの……、貴様は」

 おずおずと尋ねると、男は露骨ろこつに顔を顰めた。

「何だ。若旦那と恋仲の癖に俺のことを知らないのか? 呆れた女だ」

「若旦那、とは保憲のことか? 俺が女だということも知っているようだな。貴様一体、何者だ?」

「俺は」

 男が口を開いた刹那、歪が勢い良く起き上がった。

「こらあ、護白ましろ! いきなりなにすんねん、この白髪頭が!」

「……どうやら、名乗る必要はなかったみたいだな」

 護白、と呼ばれた男は小さく苦笑した。

「歪。貴様、護白とは知り合いなのか」

「ふん、知り合いも何もあらへんよ。こいつは、やっすんの新しい式やからな。姫さんも、知ってたやろ? 賀茂家の人間は、皆知ってるしな」

「な……っ」

 晴明は大きく息を呑んだ。

 今までにかような話は、全く聞いたことがなかったからだ。

 ――何故そんな大切なことを、知らせてくれなかったのだ……。

 ぎゅっ、と拳を強く握り締めた。

 思えば、以前保憲が妻を娶った時もそうだった。

 周囲の者には知れ渡っている事実も、晴明だけが知らずにいた。

 そして、今も。

 保憲は晴明に何かを隠している。

 ――奴にとって俺は、何なのだ。

 保憲が去っていった方向に目を向ける。

 其処には暗闇が広がるのみで、先程まで見えていた保憲の姿は何処にもなかった。

せぬ……!」

 晴明は低く呻き、瞼を閉じた。

 何も、分からない。

 誰よりも近くに居た筈の男のことが、今は何も……。



二.



「随分と、ご機嫌ですね。帝」

「え?」

 隣の女房の言葉に、帝は目をぱちくりと瞬かせた。

 ……卯月。

 宮中では競馬くらべうまが行われていた。

 帝たちは渡殿の上に座って、それらを見物している最中であった。

「そう、見えるか?」

「ええ。いつもの顰め面はどうしたのですって言いたくなるくらい」

 女房が、くすくすと笑い声を漏らした。

「安倍晴明の、所為でしょうか」

「っ、違えよ!」

 顔を赤く染めながら、女房から目を逸らす。

 視線の先に、納曾利を舞っている二人の貴族の姿があった。

 両者とも面を着けている為、顔が見えない。

 だが、身長差でどちらが晴明なのかが一目でわかった。

 二人とも、息を合わせて慎重に踊っている。凛とした緊張感が、周囲を包んでいた。

 保憲の舞はまさに完璧としか良いようがないが、晴明のそれも素晴らしいものであった。所作の一つ一つに、並々ならぬ色香がある。

「歪から晴明のことは訊いていたが……、心配なかったみてえだな」

 帝は静かに息を吐き、呟いた。

「――楽しそうですわね、帝」

突然聞こえた、声。

 それは蛇のように身体中を這い回り、首を強く締め付ける。

 そんな、心地がした。

「母、上」

 どうにか声を絞り出し、名を紡ぐ。

 突然現れた穏子おんしは庭園で舞っている晴明達を見遣り、ふん、と憎憎しげに鼻を鳴らした。

「あら、美しい舞だこと。何処かの鬼が、連れ去って喰らってしまいそうね」

「なんて不吉なことを! 宮、それは幾ら何でもあんまりですわ!」

 女房が、声を荒げる。

 今にも立ち上がりそうな勢いの彼女の肩を、帝の手がやんわりと掴んだ。

「良いんだ。母上はきっと疲れていらっしゃるのさ」

「でも……!」

「――帝」

 再度、名を呼ばれた。

 肩がびくりと跳ね、心臓が早鐘を打つ。

「何か?」

 平静をどうにか保ち、訊ねる。

 穏子の唇に、微かな笑みが浮かんだ。

「貴方も鬼に喰われぬよう、気をつけることね」

「……、それはどういう」

 帝の問いを聞かずに、穏子が背を向けた。

「どうしたのかしら、宮は」

「前まであんな方ではなかったのに」

「確か先帝せんていとご子息がお亡くなりになってからよね」

「帝もかわいそうに……」

 周囲でひそひそと女房達が話し始めた。

 ――居心地悪いよな、こういうの。

 帝は、ふう、とため息を吐き、立ち上がった。

「帝?」

 不思議そうに見上げてくる女房を見、小さく微笑んだ。

「悪い。ちょっと体調悪いみたいだから、抜けるわ」

「……お大事に」

 床に手を付く女房に「ああ」と返事を返し、歩き出した。

 すると、向かい側から男が此方へやってくるのが見えた。

 ……藤原忠平ふじわらのただひらであった。

「おや、如何どうか致しましたか? 顔色が悪いですが」

「何でもねえよ」

 唸るように呟き、通り抜けようとする。

 だが、腕を掴まれて引き止められた。

「宮、怒っていらしたでしょう? 何故だか分かりますか」

「いや」

 忠平はくすりと笑みを零し、耳元に口を近づけた。

「……貴方が、安倍晴明に関わろうとするからですよ」

「――!」

 信じがたい言葉に、大きく息を呑んだ。

 どうきが激しくなり、ひゅうひゅうと細い息が唇から零れる。

「何……故、母上は、晴明を……、憎むんだ? 俺だけが、苦しめば……良いんじゃ、ねえのかよ!」

「ふふ。やはり分かっておらぬようですな、貴方は」

 忠平は楽しげに笑いつつ、囁いた。

「女といういものは、独占欲が強い生き物なのですよ。欲しいものや大切なものは自分の手中に収めておかねば気が済まぬ」

「はっ、ふざけやがって。そんな下らないことで俺を縛り付けるのか。じゃあ、何か? 自分の欲望のために周囲を犠牲にしても良いってのかよ」

「ま。やりまねませぬな、宮ならば。貴方を手に入れるならどんなことでも」

「く……っ」

 帝は俯き、唇を噛み締めた。

『……帝』

晴明の笑顔が、脳裏を掠める。

 ――護ると、誓ったんだ。

 握った拳から零れ落ちた鮮血が、床に散った。

 ――何を迷う必要がある? 

 伏せていた瞼を上げ、忠平を見つめた。

 ――俺は。

『申し訳ありません……』

 最後に涙を見た時、思ったのだ。

 想いが通じぬのなら。

 共に居ることが、意味を為さぬのなら。

 涙を、流させてしまうのなら。

 ――俺は、自分を犠牲にしてもいい。……だから。

 息を吸い込み、唇を開く。

不敵な笑みを湛えて。

「忠平。母上の居る名所へ案内しろ」

御意ぎょい。どうぞこちらへ」

 忠平が、にんまりと笑みを浮かべつつ、歩き始めた。

 帝も続こうとしたが、ぴたりと足を止めた。

 まだ晴明達の舞が続いているのだろう。

 囃子はやしの音が、此方まで聞こえてくる。

「晴明」

 振り向き、呟く。

 その表情は、穏やかだが何処か悲しげであった。

「――さよならだ」

 


三.



「……って、何故俺がこんなことを。まるで盗人ぬすびとではないか」

「しゃあないやろ、事実を追求する為や。我慢してくれや」

「なれど……」

 その日の夜。

 宵闇の中で、二人の男女の話し声が響いていた。

 晴明と、歪である。

 そろりそろりと足音をしのばせて歩く様は、まさに盗人のようだ。

「護白によると、やっすんは今夜も出掛けとるらしい。舞やらなんやらで相当疲れとる筈なのにも関わらずや。こりゃあ何かあるで」

 歪が何やら考えながら、「やっぱりこれか?」と小指を立てた。

「なっ、莫迦! そんな訳あるか!」

「わからへんで、姫さん。この間の文の件もあるし」

「……う」

 歪に言い返され、晴明は閉口した。

「だ、だからといって奴の留守中に寝屋に入ったなんてばれたら……」

「ま。こっぴどく叱られるか、あるいは……」

じゅで燃やされるな」

 その光景を想像し、二人は大きく身震いをした。

「せやから急いで寝屋に入るで!」

「歪!?」

 歪が晴明を引っ張りつつ、目の前にある部屋へと足を踏み入れた。

 保憲の寝屋である。

 主が居ない為、何も見えぬ程に暗い。

 しかし、人のけはいは微塵も感じられなかった。

「誰もおらぬようだな……」

 晴明はほっ、と安堵の息を吐いた。

「おっ、姫さん! ええもんがあるで!」

 寝屋を物色していた歪が、高らかに声を弾ませた。

「何だ?」

「やっすんがいつも上で寝ているふすまや!」

「衾?」

 訝しげに眉を顰める晴明に対し、歪は目をきらきらと輝かせている。

「嫌やなあ、姫さん! 寝床っていったら男が人に見せれへんモン隠すのにうってつけの場所やで!」

「そうなのか?」

「せや! 例えばやな……」

 そこで、歪の声が途切れた。

 衾を捲り上げた状態のまま、固まっている。

 視線を、追うと――。

「何なのだ、これは……」

 呆然と、呟く。

 視界に飛び込んできたのは、衾の下に隠された大量の文であった。

 恐る恐る、広げる。

 どれも、源博雅からのものであった。

 整った手蹟しゅせきで、不器用ながら真っ直ぐな愛の言葉が書き連らねられている。

 重苦しい沈黙が、寝屋中に広がった。

「……は、はは。まさかやっすんの浮気相手が男やったとはな。さすがというか、予想外というか」

 歪の引きつった笑い声が、静かな空間に虚しく響く。

「……保憲の、阿呆」

 沈黙を破った唇から零れたのは、嗚咽おえつ交じりの小さな罵倒ばとうであった。



 ……翌日。

 陰陽寮。

「うう……」

 晴明はくまの出来た目を擦り擦り、大量の書物を抱えて簾の子を歩いていた。

 昨晩、酒をあおった所為なのだろうか。頭が割れるように痛い。

 ――全ては、奴の所為だ。

「……ふん!」

 い大きく鼻を鳴らし、怒りに任せて障子を勢い良く開いた。

 部屋の中一面に、数多の書物が収納されている。

 ……所謂、書庫だ。

「さて、と」

 晴明が部屋に一歩足を踏み入れた……刹那。

「――誰にも見られておらぬだろうな」

 奥から、声が聞こえた。

 保憲の声である。

「ああ、無論だ」

 穏やかに答えた声に、身体が固く硬直した。

 ――この声は、源博雅殿ではないか……!

 黒いどろどろした感情が、胸を渦巻く。

 そんな晴明を他所に、保憲達は会話を続けていた。

「本当なのか? このことは誰にも知られぬ訳にはいかぬのだ。特に晴明にはな」

「ああ。分かっている」

 ずくん。

 博雅の言葉に、胸が嫌な高鳴り方をした。

 ――何が、分かっているというのだ。

 気がつくと、足が自然と動いていた。

 保憲達の、元へと。

 ――俺がどんなに保憲を好いておるのか、分かっておらぬ癖に!

「保憲!」

 目に映った金髪の男の腕を掴む。

 抱えていた書物が、音をたてて床に落ちた。

「せいめ……っ!?」

 驚愕する保憲を引き寄せ、口付けた。

「ん……、んんっ」

 噛み付くように舌を吸い上げると、保憲がくぐもった声を上げた。

 肌が赤く色づき、熱を孕んでいる。

 抵抗しようと足掻あがく手を、指先で捕らえて絡ませた。

「っ、……は……ぁっ」

 漸く唇を離し、解放した。

「晴、明……?」

 保憲は胸を苦しげに上下させながら、唖然として晴明を見下ろした。

 濡れた唇から伝う雫が、彼に先程したことを強調している風に見えて、顔に熱が集中した。

「……保憲は、俺のだ」

「な、に」

 驚く保憲を無視し、博雅に顔を向けた。

 顔を赤く染め、石の如く固まっている。

「申し訳ありませぬ、博雅殿。保憲だけはどうしても譲ることが出来ませぬ。俺には、此奴こやつしかおらぬ。保憲が、俺には必要なのです……俺は、」

 そこで晴明は口を閉じ、俯いた。

 涙が、頬を伝った。

「保憲を、愛しているのです……。だから浮気なぞ、させないでください」

 泣き崩れた晴明の頭を、大きな手が撫でた。

 保憲の、手。

 余計に、涙が溢れた。

「貴様、何か勘違いしておらぬか?」

 何時になく優しい声が、耳に心地よく響く。

「私達は、別に貴様が思っているような関係ではない。……寧ろ、逆だ」

「……え? なれど、貴様の寝屋に博雅殿からの文が……」

 途端に、保憲の顔が青白く変わった。やれやれ、といったふうに右手を額に押し当てている。

「あれを見たのか、貴様」

「――どういうことだ、保憲殿」

 戸惑いを隠しきれぬ様子で、博雅が保憲に詰め寄った。

「俺の文は全て、晴明殿に渡してくれたのではなかったのか!?」

「……すまぬな、初めからその気はなかった」

「な……っ」

 しれりと悪びれもせず言い放つ保憲に、博雅は言葉も出ないようである。

 保憲は唇に仄かな笑みを浮かべ、晴明を引き寄せた。

「それに、先程此奴も言っていただろう? 晴明は私が居なければ駄目なのだ。貴様に渡す訳にはいかぬ」

 ……夏の足音が聞こえ始めた平安京。

 嵐は、もう直ぐ止みそうだ。

 


四.



 肥えた月が、綺麗な夜であった。

 晴明は、保憲の寝屋に居た。

「今日は、散々であったな」

 疲れた、とため息を吐く晴明に、保憲は小さく「すまぬ」と謝罪した。

「まさか貴様があんな勘違いをしているとは思わなかった故」

「ふん。勘違いで良かったがな」

「――晴明」

 不意に、名を呼ばれた。

 何時もとは違う。

艶を含んだ、声。

 それを耳にするのは、初めて契ったあの夜以来だ。

 胸の拍動が、増した。

「歪から全て訊いたぞ。私達が、倦怠期だと」

「そ、それは……」

「私が貴様に興味がないと本気で思い込んでいたのか」

「違うのだ、保憲……!」

 慌てて言い訳をしようとすると、保憲に口付けをされた。

 唇に。

 頬に。

 額に。

 手足に。

 身体中に口付けられ、くすぐったいやら恥ずかしいやらで、顔が赤くなった。

「……これでも、興味がないと?」

 悪戯っぽく妖笑し、顔を覗き込まれた。

 普段とは違う妖艶な雰囲気を纏う彼は、息を呑むほどに美しかった。

「否……」

 小さく首を横に振ると、保憲が首筋に顔を埋めた。

 そして、ぴたりと動きを静止する。

「何だ、これは」

 唸るように呟く保憲には、最早先ほどの色っぽさは微塵もない。

 恐る恐る、取り出した鏡を見る。

 首筋には、欝血うっけつの痕。

 保遠やすとおにつけられたものであった。

呪でも掛けていたのだろうか。一月ほど前のものなのにくっきりと残っている。

「や、保憲……?」

 震える声で、呼ぶ。

 視線の先には、「覚悟はできておるな」と満面の笑みでのたまう鬼の姿があった。


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