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第15章 罪と罰

一.


「本当に、良いのか」

 目の前で、赤い髪が靡く。

「保憲らにも知れることになるぞ」

 深い闇を宿した瞳が、見つめてくる。

 かつて、いつもこちらを見上げていた丸い瞳。

「それどころか内裏で混乱が生じかねない」

「――しかたあるまい」

 忠行は低く呟き、男を見返した。

 屋敷の庭園に、二人は佇んでいた。

「なんにせよ、奴をこのまま野放しにはできぬ」

「……そうか」

 男は猫のような双眸をすっ、と細めた。

「仇討ちをするんだな、忠行」

「どちらかといえば、贖罪じゃな」

 忠行は男から目をそらし、空を見上げた。

黄金色の葉がはらはらと舞っている。

庭園に植わった桜の葉である。

「全ては、わしの所為であった。あの時わしが御主と向き合っておれば」

 忌わしい記憶の中に住み続けるその男に、忠行は縋りついた。

「さすれば御主が賀茂家を裏切ることなく、あの平穏な暮らしが続いた筈なのじゃ。父上が死ぬこともなかった……」

「忠行」

「本当に、すまない。全てはわしの所為だ」

「ったく哀れな男だな、我が主は」

 大きな手が忠行の肩を掴み、乱暴に体を引き離した。

「その賀茂家を裏切った弟弟子に見立て私を作ったのも、己に対する贖罪という訳か」

「道満」

「私は道満ではない、式神の紅だ」

「紅≪くれない≫……」

 息をのみ、見上げる。

 紅と呼ばれた男は、顔を歪めて苦笑した。

「しっかりしとくれよ、主殿。また過去に囚われていたのか」

「すまんな」

 忠行も笑みを返すと、紅から離れた。

「さて、昔話はここまでじゃ」

ぱしっ、と力強く頬を叩く。

「そろそろ行くかのう」

「ーーは」

紅が恭しく頭を下げた。

その瞬間。

黒々とした毛並みの虎に姿を変えた。

「……うわっ」

長い舌で頬を舐められ、忠行は思わず悲鳴をあげた。

「すまん」

申し訳なさそうに、尻尾が揺れた。

「変化するとつい、我慢できなくてな」

うまそうだし、とぼそりと呟かれた言葉に、忠行は戦慄した。

「御主の餌になるのはごめんじゃぞ」

「そこは弁えているさ」

鋭い牙をのぞかせて笑う。

「今はお前が主だからな」

「……行くぞ」

今は、とはなんだ。

言いかけた言葉を飲み込み、背中に跨る。

「そうだな」

紅もうなずき、地面を蹴って駆けだした。

門扉を軽々と飛び越え、屋根に飛び移りながら進んでいく。

ーーいつまでも悔やんでばかりはおれぬ。

唇をかみしめ、前を見据える。

ーーのう、道満よ。

もう、迷いはなかった。


ニ.


「おかしい」

晴明は呆然と呟いた。

内裏に侵入した晴明たちは、護白の案内で邪魔が入ることもなく帝の寝室にたどり着いた。

だが、そこはもぬけの殻であった。

人の気配すら、しない。

「ここにたどり着くまでにも、全く人がおらへんかったな」

かわいいお姫さまでも拝めるかと思ったのに、と歪が唇をとがらす。

「こんな夜更けに誰もいないなんてありえるか? 姫さん」

「……まさか」

「その、まさかでごさるな」

護白が大きくため息をつく。

「まんまとおびき寄せられたようでござる」

「……俺の夢か」

思えば、晴明が見た夢がきっかけで帝を救出することになったのだ。

その夢が、何らかの術によるものだとしたら。

「すまぬ」

かちり、と懐の刀に手をかけた。

「貴様らを巻き込んでしまった」

「いいってことよ」

歪が、晴明と背中合わせに構える。

「やっすんと姫さんの貴重な変装も拝めたしな」

「確かに、でごさるな」

歪と護白がけたけたと笑った。

その時。

ぶわりと。

禍々しい気配が、辺りに広がった。

「あら、誰かと思えば」

部屋の奥から人影が現れた。

「主上にとりいる、化け狐か」

藤原穏子であった。

美しい笑みを称えているが、声音は恐ろしく冷たい。

「ーー穏子様」

額に汗が滴る。

生唾を飲み込み、掠れた声でたずねた。

「み、帝はどこです」

「お前のような、下賎の者には関係なかろう」

忌々しい、と顔を歪めた。

「立場をわきまえよ」

禍々しい気が、更に強くなった。

「ぐっ」

のしかかるような重圧に、耐えきれずに膝をつく。

近くで、人が倒れる気配がした。

「歪……護白……」

ふたりとも、気を失っていた。

ーーばかな……、これは呪〈しゅ〉ではないか。

晴明は目の前のことが信じられずにいた。

呪は、本来は陰陽師や法師しか使えぬはずなのだ。

ふと、一人の法師が脳裏を過る。

ーー保遠。

穏子に雇われていたのであれば、何かしらの呪を教えていても不思議ではないのか。

それに、穏子は歪と護白が視えていた。

帝と同じく見鬼の才の持ち主であれば、教わった呪が使えるのもうなずける。

「あら、お付きが駄目になっちゃったわね」

穏子が、歪に近づいていく。

「ふん、賀茂保憲に似てること。こんな顔が趣味なの?」

足で顔を蹴り飛ばした。

「やめろ! そやつは関係ないだろう!」

思わず、叫ぶ。

怒りで身体が震えていた。

「ふん。やるなら己を、そういうことか」

穏子が晴明の握っていた刀を手に取った。

ーー斬られる。

晴明は目を瞑って身構えた。


三.



「ーー晴明!!」

御簾がはらりと宙をまった。

銀糸が、月に照らされて光っている。

見開かれた赤い双眼が、こちらを見下ろしていた。

「帝……」

「馬鹿野郎、何してる!」

帝はずかずかと近づき、穏子の手を取った。

「晴明には手を出さないんじゃなかったのかよ」

鋭い目で、睨みつける。

穏子は怯むことなく、返した。

「今宵はあちらから入り込んできたのよ。立場をわきまえない侵入者には、相応の罰が必要ではなくて?」

「何言ってーー」

帝はそこで口をつぐんだ。

穏子の指先が、帝の額に触れていた。

漆黒の光が帝を包み込み、やがて床に倒れ込んでしまった。

「なにを、した」

帝が低く唸る。

身体が動かないようだった。

「そこで大人しくご覧なさいな、主上」

晴明の髪を引っ張りあげ、視線を合わせた。

「さて。どうしようかしら」

刃でひたひたと頬を叩く。

「主上を拐かした、この顔」

唇の端が、にやりとつりあがった。

「ーー剥いじゃおうかしら」

刹那。

ぐさりと鈍い音が聞こえた。

「……は?」

頬に、刀が突き立てられていた。

そう認識した途端、激しい痛みが全身を貫いた。

悲鳴が唇を割る。

「やめろおおお!!」

帝の叫び声が聞こえた。

刃を頬に刺したまま横に引く。みちみちと肉が抉れていくのがわかった。

「なあ、もうやめてくれ……。わかったよ。わかったから。もう晴明とは関わらない」

帝が泣き声をあげながら、穏子の足元に縋りついた。

「お願いだ。やめてくれよ……なあ」

「邪魔よ」

足で蹴られたのか、鈍い音をたてて倒れた。

ただ、子どものようにしゃっくり上げて泣く声だけが、響く。

「穏子さ、ま……」

晴明は痛みで朦朧〈もうろう〉としながらも、声を振り絞った。

「これ以上は、帝がお可哀そうです……」

「……そう」

仕方ないわね、と笑みを浮かべた。

「じゃあ、死んでくれるかしら。主上と私のために」

「母上…!!」

帝が何やら叫んでいるのが聞こえた。

晴明は、今この痛みから開放されるならそれも良いかとぼんやり考えていた。

「あなたがいなければ、こんなことしなくて済んだのよ」

刀を頬からずるり、と引き抜く。

晴明は体を支えきれずに、床に崩れ落ちた。

「何で私だけこんな目に合うのかしら……。先帝もお上も他人にとられてばかり。あなた達さえいなければ、私だって」

馬乗りになり、刀を振り上げる。

「誰かに愛されてみたかったわ」

「ーー愚かな女やな」

ぴたり、と刀が止まる。

「何ですって」

瞬間、飛んできた青い閃光が刀を弾き飛ばした。

「あなた、誰かって何でそんなに他力本願なんや」

閃光の中、人影がゆらりと起き上がる。

……歪だった。

「己の人生やろ。幸せも不幸も自分の責任なんや。他人に押しつけんな」

「な……」

「大体、人から愛されるだけが人生やない。自分をいかに愛するかや」

お分かり?と、目配せをする。

「何なの、あなた」

呆然としている穏子を押しのけ、晴明を抱き上げた。

「ごめんな、姫さん。目覚めるのが遅かった」

「……貴様こそ、大丈夫か……」

「姫さんに比べりゃあな」

歪は更に帝と護白をかかえ、にこりと笑った。

「さて、逃げよか」




数年ぶりの投稿です。

人生は他人軸ではなく、自分軸でありたいですよね。

因みに、道満の顔のイメージは猫だったりします。


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