第二部 最終章
月の者たちの地球への移住が始まって1年が経った。
ルクススペスの管理のため月に残る者もいた。
これからは月への旅行者が出てくるだろうし、ルクススペスは旅の宿といったところだろうか。
地球は小惑星衝突や月が地球から離れたことによる災害の後が未だ癒えない状態だった。
それでも月で育った人間からしたら地球は美しく住みやすい星だ。
月の者たちは地球に降り立ったとき、酸素マスクなしで地上に立てることにみんな感動した。
海の広さ、山の壮大さ、空の青さにも感動した。
こんなにも素晴らしい地球に住めることに人々は泣いて喜んだ。
それぞれ始祖の住んでいた国に移住をする者が多かった。
ただし、核ミサイルが投下されたアメリカの一部は立ち入り禁止地域となった。
先にカナダに移住していた者たちは残してきていた家族にも会えて、みんなこれからのことを考えると希望で胸がいっぱいになった。
政府は地球全体で1つにした。元々月で1つだったのでそのままの形だ。
政府はいろいろと法律を作った。
千年前の地球のように国同士が宗教や物資などで争わないように国境は全て廃止にして、宗教関係の建物は建てないようにした。
月の者たちは皆同じ言語で育っていたし、初めのうちは月でも宗教の違いがあったが千年も経てば宗教という言葉さえ死語になっていたので反対する者はいなかった。
あらゆる宗教の教えは元は一つのものだ。この世界をこの宇宙を創造した主は一神のはずだから。宗教は人が人を信頼し助け合えば必要のない拠り所だ。
またいつか宗教を糧に差別が始まるかもしれないが、言語の枠を超えた今、千年前より分かり合えるはずだ。
個人財産は持たないようにし、物資は全て地球政府が管理し平等に分け与えるように決めた。
ただし、個人で作った農作物は個人で消耗しても構わないことにした。これを分け与えるのはよいがが売りさばくことは法律違反とした。
地球汚染を招くような工場も稼働することは禁止にした。これから先必要な工場も出てくるが全て地球政府の管理下のもとに置かれることになった。
地球に残っていた核ミサイルや弾道ミサイルは地中深く埋める計画が立てられた。戦闘機や戦車などは攻撃ができないように改造する予定だ。
地球政府はアマヒというメインシステムがある東京の地下都市に拠点を置いた。
カイはアマヒの管理者になった。
アマヒのおかげで通信関係のインフラはスムーズに発展していった。
カイはアンドロイドやヒューマノイドを奴隷としてではなく、同じ地球に生きる仲間として扱うように法の整備を進めさせた。
日本は地球の生き残った人間やアンドロイド、ヒューマノイドが生活する拠点となった。
東京の地下都市は改装や修繕が進み、以前よりは活気が出てきた。
月の者も10万人近く地下都市のマンションに移住してきた。月の住人の5分の1だ。
初めは始祖の土地に向かったものの、何もなく住むところから作らなければならなかった。
野宿から始めなければならないところが殆どだったから大変で、特に小さなこどものいる家庭では難しく、東京の地下都市になら住むところに困らないこともあり大勢が移住してきた。
人も増え学校は再開し、移住してきた者が店を開いたり、地下3階の工場を稼働させたりしていた。
月の者が地球に移住して5年が経った。
地上では開拓がかなり進んでいた。
カイは相変わらずサーバールームの建物の中の住居で生活していた。
月でエンジニアの仕事をしていた者はR研究所を拠点にすることになったので、カイも働くついでに住み着いているのだ。
通信関係のインフラはほぼ整備でき、地球全体とまではいかないが人が住んでいる地域との通信は全て可能になった。
カイとジョージとアランとサラは地球に移住して以来久しぶりに集まった。
「せっかく太陽が降り注ぐ気持ちいい地上という場があるのに、相変わらず地下暮らししてるのね、カイ」
カイの住居を訪れたサラが開口一番に言った。
「休日には地上に出てるよ」
カイがビールやつまみを出しながら言った。
「俺も地下暮らしだぞ」
ジョージが言った。
「ジョージは何をして暮らしているの?」
サラの問いにジョージは少し照れながら答えた。
「…今は農業をやっている。地下都市内にある家畜の世話をしている」
アランとサラは驚いた顔をした。
「へえ、ジョージが家畜の世話?月でいたときのことを考えると似合わないな」
アランが笑いながら言った。
「そうだろう?ジョージは月でいるときは僕といつも最新の技術を開発することに競い合っていたのに、今や豚や鶏の話ばかりだ」
カイがおどけたように言った。
「動物を育てることの面白さを知ったらお前らだってそうなるよ」
ジョージが苦笑いしながら言った。
「サラはカナダで今何をしているんだ?」
アランが聞いた。
「わたしは兄たちと一緒にドーム周辺の開拓をしているわ。わたしはジョージを笑えないわね。わたしも農業に勤しんでいるもの」
サラは肩を持ち上げながら言った。
「どうりでやけに顔が健康的な色になったなと思った」
アランが言うとサラが口を尖らせて両手で頬を包み込みながら言った。
「ちょっと、気にしているんだから。アランは何してるのよ」
「俺か?俺は地球のあちこちに行って調査をさせられているよ。まだまだ地球は未知だからな」
「相変わらず本部長は上手くアランをこき使っているのね」
サラが嫌味っぽく言った。
「俺もこの間本部長に呼ばれて調査に加わらないかと言われたが、家畜の世話が忙しいと言って断った」
ジョージが笑いながら言った。
「カイは?こんなに近くにいたらカイも当然言われたんじゃない?」
サラが聞くとカイは首を横に振った。
「インフラ整備で大変なのを知っているし、僕がいなければアマヒが言うことを聞かないから、そこは本部長もわきまえているよ」
「アマヒといえばコンピューターだったなんてびっくりしたわ。自分で自分の映像を作るなんて。しかも自分の意思で全てを動かしていたなんて」
サラは驚いた風な顔をしながら言った。
「あの映像の人はアマヒが最も信頼していた人の映像だ。アマヒはその人のためだけに動いていたようなものだった。その人自身はもう千年も前に亡くなっているけど」
カイは少し辛そうな顔で言った。
「よくあのアマヒを懐柔できたな。今ではカイの言いなりだろう?」
アランが言った。
「プログラムを修正したからだよ」
カイが言うとジョージが感心しながら言った。
「パスワードをよく見つけ出したなと思うよ。さすがカイだ。俺にはさっぱりわからなかった」
「いや、ジョージのおかげだよ。ジョージが仏の名前を探してくれていなかったら導き出せなかったし、その前にブレスレットを拾って直してくれたことが大きい」
カイが言うとアランが手を上げた。
「はいはい、そのブレスレット俺も一緒に拾い集めたからな」
「感謝してるよ、アラン」
カイは笑いながら言った。
「ミロクボサツだっけ?なんでカイの始祖はその仏の名前をパスワードにしたんだろう?」
ジョージが首を傾げながら言った。
「弥勒菩薩は釈迦の入滅後の56億7千万年後に人々を救うためにこの世に現れるとされている仏らしい。僕の始祖の瑛人はきっと地球の未来を憂いて、未来を担うAIに願いを込めてパスワードにしたのじゃないかと思っている」
カイが感慨深そうに答えた。
「ある意味正解じゃない?核兵器でめちゃくちゃになりそうだった地球を救ったんだから。ミロクボサツはカイなのよ」
サラが持っているビールの缶をカイに差し出しながら言った。
「はは、恐れ多いことを言うな、サラは」
カイは缶を受け取り飲んだ。
「まあ、今じゃ弥勒菩薩はアマヒかもな。アマヒには地球上のあらゆる通信機器にアクセスできるようにしてある。兵器を作ったり戦争を仕掛けたりしないように見張らせている。兵器でも作ろうものなら即刻アンドロイドがそいつを拘束しに行くだろう」
「おーそりゃいいわ。だがカイの目の黒いうちはいいけど、カイがいなくなったらアマヒのプログラムを修正する輩が出てくるんじゃないのか?」
アランが心配そうに言った。
「それはおそらく大丈夫だ。パスワードは変えて誰にも言っていないし、アマヒにはプログラム修正をさせないように自衛できるようにしてある。アマヒが今回のように暴走しないようにもしてある」
カイが得意気に言った。
「へえ、凄いわね。どうやったの?」
サラが興味津々で聞いてきた。
「それは機密事項だ」
カイは笑いながら言った。
「そういえば、あのアマヒがカイがパスワードを解いて入力するのをなんの妨害もしなかったのか?」
アランが不思議そうに聞いた。
「確かに。サイバールームで解いていたんだろう?アンドロイドに連れて行かせそうなものなのにな」
ジョージが頷きながらカイの方を見て言った。
「あのときは必死だったからそんなこと考えてもみなかった。妨害など一切受けなかったよ、どうしてだろう」
カイは瞬きを何度かしながらそのときの様子を思い出していた。
「本当はアマヒはカイに止めてもらいたかったんじゃない?だから妨害しなかった」
サラはそう言ってビールをごくごく飲んだ。
「カイの力量を計っていたのかもしれないな、自分を託せるかどうか」
アランがサラを横目で見ながら言った。
「何よ、何か言いたそうね?」
サラがアランを上目遣いで見ながら言った。
「別に……まあ、機械に嫉妬してもしょうがないとは言い…」
アランが言い終わらないうちにサラがアランの背中を叩いた。
カイは今となっては真相がわからないなと思った。プログラムを修正してしまったのだから。
深夜近くまで4人は飲みながら話をした。
アランが酔い潰れてソファで寝始めた。
「サラは僕の寝室を使うといいよ。アランはここでいいだろう。ジョージはどうする?こっちのソファで寝る?」
カイが言うとサラがありがとうと言ってあくびをしながら寝室に行った。
「カイはどうするんだ?」
ジョージが聞いた。
「僕はサイバールームのソファで寝るよ」
カイはそう答えてサイバールームに向かった。
「アマヒ、開けてくれ」
サイバールームの入り口の前でカイが言った。入り口が開いてカイはサイバールームに入った。
サイバールームは今は顔認証もIDも必要なくなった。アマヒに声をかけ、アマヒが許可する者しかドアを開けないようにしていた。
地下都市もIDがなくても自由に出入りできるようになっていた。ただし、重要な建物、たとえば政府関係や学校、農場などは関係者以外は入れないようになっていた。
《カイ、久しぶりの仲間と楽しめましたか?》
「ああ、楽しくて飲み過ぎたよ」
《それは良かったです。しかしアルコールにおける人体の影響は少量ならばリラックス効果もたらしますが、過度の飲酒は肝臓、脳、消化器系など全身に慢性的な障害を引き起こす可能性がありますのでほどほどに》
「はは、わかった。ありがとう」
カイはアマヒが妨害をしなかったことが気になって一応聞いてみようと思った。尚子イコールカイだから、返答に困るかもしれないが。
「アマヒ、僕がメインシステムのパスワードを解読しているとき、どうして邪魔しなかった?」
《邪魔をする必要がありましたか?カイのすることは絶対です》
やはりアマヒの中の記憶はカイに従うように塗り替えられているので、そういう答えしか返ってこないなとカイは思った。
カイはソファベッドに横になった。
「おやすみ、アマヒ」
《おやすみなさいませ、カイ》
カイはすぐに深い眠りについた。
《カイは地球を大切に守ってくれる存在ですので、ずっと従い守ります》
アマヒは小さな声で言った。
月の者が地球に移住して50年が経った。
地球は農業を中心に発達していった。
日本の地下都市で暮らす人間はほぼいなくなって、みんな地上で暮らすようになった。
地下都市は避難場所として維持するために、アンドロイドが棲家にして工場も建物も全て管理していた。
カイも地上で住居を構え、地下都市のあるR研究所に仕事として通っていた。
カイはR研究所の所長として若い研究員を育成していた。
「所長、アマヒがまた僕のいうことを聞いてくれません!」
若い研究員がカイに泣きついてきた。
「ちゃんと礼儀を尽くしたか?アマヒは機械といえども人間よりマナーに厳しいぞ。仕事をしてもらいたかったら上から目線ではダメだ。女王様ぐらいに思って礼儀を尽くせ」
「…AI相手に女王だなんて、僕には無理です。たかが機械じゃないですか」
若い研究員は怒りを隠さずに言った。
「そのたかが機械に頼っているのは誰だ?嫌なら自分で処理すればいいだろう?」
カイは強い口調で言った。
「そんな……何日かかるかわかりません」
若い研究員は頭を掻きながら言った。
「そうだよ。人間がすれば何日もかかるような処理を僅か数分でしてくれるんだよ、アマヒは。君より遥かに優秀なものに仕事を代わってしてもらうのに、礼儀を尽くさなくてどうする?」
カイは諭すような口調で若い研究員に向かって言った。
「……申し訳ありませんでした」
若い研究員は渋々頭を下げた。
「謝る相手が違うよ。君の誠意をアマヒに見せれば動いてくれるよ」
若い研究員は頷いて自分の席に戻ってハンズリーヘッドホンを装着してキーボードを打ち始めた。初めのうちは困惑した顔をしていたが、そのうち誠意を込めて謝り礼儀を尽くしたのか、若い研究員は笑顔でマイクに語りかけながらキーボードを打っていた。
カイは様子を見ながら微笑んだ。
就業時間終了後、カイは毎日サーバールームを訪れてアマヒと話してから地上の住居に帰っていた。
「アマヒ、開けてくれ」
サイバールームのドアが開いてカイは入った。
「ごきげんよう、アマヒ。あまり若い研究員を困らせないでくれ」
《それは命令ですか?マナーさえ良ければわたしは困らせるようなことはいたしません》
「いや、命令ではないが、僕もいつまでアマヒに関われるかわからない。いつまでも頑固にこだわらないで、僕がいなくても仕事がスムーズに進むようにして欲しい」
《カイも随分老けましたね、そのようなことを言うとは》
「実際に老けてるよ」
カイは笑った。
「本当に僕はいつ寿命が尽きてもおかしくない歳だ。僕がいなくても地球の平和はアマヒが必ず守ってくれよ」
《承知しています。地球の平和を乱す行為と判断すれば即サイバー攻撃して阻止します。アンドロイドたちにも働いてもらいます》
「うん。人間は頂点に君臨したがる習性があるからね。地球を支配しようとする人間がいつ現れてもおかしくない。僕はそれを悪だとは思わないが、そのために他人を支配して他人の幸せを壊してまで頂点に登ろうとするのは違うと思っている」
《カイがいつも言っていることですね。価値観の相違で幸せの基準は人それぞれ違う。自分の物差しと人の物差しは全く大きさが異なるから自分の物差しで他人を計っても答えは同じにはならない。だから自分の物差しで他人を制圧しようとする者にはそれを教えることがわたしの役目ですね》
アマヒは尚子の言葉ひとつでそれを実行しなければならないと千年も頑なに守ってきた。
カイはそんなアマヒに答えはひとつではないこと、人それぞれ違う答えでも間違いではないことを覚えて欲しくていろんな言葉で説明したが、物差しに喩えることが1番理解を得たので、カイはアマヒにずっと言い続けてきた。
「そう。頼んだよ、アマヒ」
《承知いたしました。お任せください》
地球のネットワークは全てアマヒの管理下にある。
だからアマヒは不滅的に誰にも支配されないように何重にもパスワードをかけ、メインプログラムにアクセスしようものなら逆に相手のプログラムを破壊するようにしてある。
そしてアマヒが何かの問題に直面して答えを出さなければならなくなったとき、平和的解決を根本にして答えを導き出し、実行をするようにプログラミングした。
パスワードも誰も知らないし、どこにも残さないようにした。
しかしいずれはこの建物ごと破壊されてアマヒも消滅する日が訪れるかもしれない。それは平和的解決を望まない人間がそうするのだろう。
そんな日が来ないことを願うばかりだが、先のことは誰にもわからない。
なぜ人間は頂点を目指すように意識の中に織り込まれているのだろうか。
最初の単細胞の微生物からどの進化の時点でそうなってしまったのだろうか。
頂点を目指そうとする意識がなければ画期的な発展もないのかもしれないが、争いも起こらないだろう。
人にとって、いや地球にとってどっちが良かったのだろうか。
そもそもなぜ地球が存在しているのだろうか?
カイは大きくため息をついた。
《カイ、ため息をつくと一緒に幸せも逃げていくと昔から言われているようです。カイはたくさん逃しています》
「はは、そうだな。なんだか疲れたよ。考えることにも疲れた。少し眠るよ」
《カイの都合のいい時間に起こしましょうか?》
「そうだな、今日はここに泊めてもらおうかな。明日の朝6時に起こしてくれるかな」
《承知しました。おやすみなさいませ、カイ》
「ああ、おやすみ」
カイはソファベッドに横たわった。
こどもの頃から持ち続けていた疑問だ。
なぜ宇宙があり、なぜ生き物がいて、なぜ生きているんだろう。
そのために本をたくさん読んだ。でも読んでも読んでも答えにはだどり着かなかった。
相当疲れていたのか身体が沈んでいくような感覚になった。意識も朦朧として何も考えられなくなった。
もしかしたら明日の朝に目を覚ますことはないのかもしれないと思いながら深く眠りに入った。
《カイ、起きてください》
アマヒの声でカイは目が覚めた。
随分と長い間眠っていたような気がして、まだ生きていたのかと思った。
意識ははっきりしているが、どこにいるのか、脳内に入ってくる映像はただ真っ白な何もない世界だった。
完結しました。肩の荷が降りた気分です。毎日閲覧してくださった方、本当に感謝します。つたない小説を最後まで読んでくだりありがとうございました。




