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第二部 第三章 ①

 地球に小惑星が衝突してから10年が経った。


 地下都市はいろいろな壁にぶつかりながらも協力しあって乗り越えてきた。

 最初に企画された3つの計画はどんどん発展していった。


 放送局は順調に番組を増やしていた。ニュース番組は定番となり、のど自慢大会やコント漫才選手権、短編ドラマや劇など放送していった。

 病院は医学研究所が施設を一部開放して、産業医が常駐することになった。これによって住民は気兼ねなく通えるようになった。

 専門学校は今ある研究所や、企画室によって新しく設立された企業のニーズに合わせて専門的分野を学ぶ学校となった。卒業生は既存の企業や研究所に入社するものもいれば、新しく会社を立ち上げるものもいた。

 今はまだ配給制で資本金が必要としないので自由に企業を作ることができる。失敗しても何度もやり直しができるのでみんな意欲を持って取り組んでいる。

 配給制はまだなくなっていないが、毎月1ヶ月分のポイントをマイナンバーカードに付与して、コンビニエンスストアに配給品を置いて好きなときに好きな物をポイントがあるだけ貰えるようにした。

 もう少し企業も増えて店舗も増えるとお金に変わるポイント制の導入を考えていた。働き口が増えて労働する人が増えたらそれに見合う報酬が必要となってくるという意見が多く出たので模索中だった。



 R研究所は大忙しだった。新しい企業からシステムソフトウェアの開発やアプリ開発が殺到していた。


「ごめん、今日も定時で帰らせてもらうね」


 成美が申し訳なさそうに言った。


「うん、お子様たちによろしくね。また明日」


 尚子が答えると成美は手を振って帰って行った。

 成美はこどもが2人できて家庭と仕事の両立で忙しそうだ。祐樹は専門学校の講師をしながら専門学校の運営に携わっている。


 研究所にも新しい仲間が増えた。正孝がよく面倒を見てあげていた佐藤湊もその1人だ。彼は専門学校でITエンジニアのコースを学び優秀な成績でR研究所に入社した。


「天野主任、またマザーが言うことを聞いてくれないんです」


 湊はこう言ってよく尚子に泣きついてきた。尚子は主任という肩書きがついた。


「ちゃんとマザーにご機嫌伺いしたか?マザーはマナーに厳しいぞ」


 正孝が言うと尚子が笑って言った。


「鈴木君もよくマザーから叱られていたものね、マナーがなっていないって」


「すみません、後から気づいて言ったのですが、何も応えてくれなくて……」


 湊は困った顔をして言った。

 尚子がハンズフリーマイクを装着して言った。


「マザー、佐藤君がまた泣きついてきたけど、どうしたの?」


《湊は毎度挨拶を忘れています。これは2度と忘れないための処置です》


「わかったわ。今回は応えてあげて。仕事が進まないから」


《承知しました》


 湊のパソコンが作動し始めた。


「ありがとうございます、主任」


 湊が尚子に深々と頭を下げた。尚子は「いいから」と手を振った。


「もう9時がきたぞ。今日はここまでにしてまた明日だ」


 直哉が言った。直哉は今はR研究所の所長だ。


「天野先輩、夜食食べに行きませんか?」


 正孝が尚子に言った。


「そうね。新しくラーメン店ができたそうね、そこへ行く?」


 尚子が言うと湊が行きたいと言って来た。すると研究生たちも行きたいと言ってきた。


「じゃあ、みんなで行きましょう」


 尚子がそう言うと正孝は少し寂しそうな顔をした。


 配給品や農場の物を使っての店舗が増えてきた。マイナンバーカードのポイントで食べられるようになっている。


 みんなでラーメン店に行くと大勢並んでいた。何でも1時間待ちだと並んでいる人が言った。みんなインスタントラーメンに飽きているんだと尚子は思った。


「明日もあるから今日は諦めて解散にしよう」


 正孝が嬉しそうに言った。みんな元気ない返事をして帰って行った。


「天野先輩、マザーのところで宅飲みしましょう」


 みんなが帰ると正孝が尚子に笑顔で言った。

 尚子はため息をついてから首を傾げながら言った。


「仕方ないわね。わたしもビールの口になっていたから飲みましょうか」


 尚子と正孝はコンビニに寄り、ビールとおつまみを買ってサーバールームに行った。


《わたしが飲めないことをわかっていての所業ですか》


 2人がビールを取り出すとマザーが言った。


「マザーも飲みたいの?」


《アルコールにおける人体の影響は少量ならばリラックス効果もたらしますが、過度の飲酒は肝臓、脳、消化器系など全身に慢性的な障害を引き起こす可能性があります。よっていくら飲んでも酔うという症状のないわたしは過度に摂取するはずなので遠慮します》


「いやいや、マザー、飲む前に嫌なこと言わないでくれる?」


 尚子が言うと正孝が眉を上げて言った。


「気になるのはそこ?僕はマザーが飲める言い方をする方が気になるけど」


「飲んだ気になるのは上手なのよ、ねえマザー?」


《はい。ではこれよりわたしも飲んだ体で話します。ほらほら、もっと飲め飲め、わしの酒が飲めねえって言うのか?ヒック、いい根性してるじゃねえか、ヒック》


 尚子は大笑いした。


「どこから取ってきた情報だよ」


 正孝も大笑いした。


《何笑ってんだよ、正孝!ヒック、ほら飲め飲め》


「過度の飲み過ぎは全身に慢性的な障害を引き起こす可能性があるんじゃなかったんですか?」


 正孝はわざと真面目な顔をして言った。

 尚子は笑いが止まらなかった。


《何だと、ヒック、俺に逆らうのか、この意気地なしめ!ヒック。酒も飲めねえやつに俺の尚子はやれねえ。ヒック、尚子をもらいたかったらもっと飲め!ヒック》


「やだマザーったら、それ何よ。わたしの父にでもなったつもり?全くどこから引き出してきているのやら」


 尚子はますます大笑いした。

 正孝はマザーの言葉に顔を赤くして真面目な顔をしていた。


「お父さん、僕はお酒は飲めます。お父さんの晩酌に毎晩でも付き合います。なので……なので……なので尚子さんを僕にください!」


 正孝はマザーに向かって床につくほど頭を下げた。

 尚子は目を丸くして口を開けたまま正孝を見た。


《ヒック、おまえに尚子を幸せにできるのか、ヒック》


「…幸せにするとは断言できませんが、天野先輩となら楽しい家庭が築けると確信しています!」


 正孝は顔を隠すように頭を下げたまま言った。


《よーし、ヒック、よく言った。正孝、お前に尚子をくれてやろう。ヒック、その代わり泣かしたら、お前のパソコンのデータを全て消去してやるからな、覚えておけよヒック》


「いやー、それだけはご勘弁を!」


 正孝はまだ顔を上げない。


《尚子、というわけで正孝の嫁になりなさい。泣かされたらいつでも帰ってきていいから》


「え、えーと、これはいったいなんの茶番?」


 尚子は笑っていいのかどうかわからなくなった。

 正孝がやっと顔を上げて、尚子のそばに来て尚子の両手を握った。


「天野先輩、いや尚子さん、僕と結婚してください」


 正孝の顔は真剣だった。


「……冗談よね?」


 尚子は戸惑っていた。


「冗談じゃありません。この10年ずっと悩んで考えていました。マザーにも相談していました。マザーは今日、僕の背中を押してくれたんだと思います」


 正孝の声は少し震えていたが、目は真っ直ぐに尚子を見つめていた。

 尚子はこの10年、地球に残った者が少しでも楽に生きられるようにとばかり考えて過ごしてきた。結婚なんて微塵も考えたことがなかった。

 正孝の気持ちは嬉しいが、今更結婚なんて考えられないと思った。


「わたしは鈴木君より10歳も年上よ。もう45歳なのよ。こんなおばさんよりもっと若い可愛い子がいるでしょう」


 尚子は顔を背けて言った。


《尚子、ありきたりな断り方つまらないです。正孝も35歳です。若い可愛い子など寄り付きません》


「酷い言い方だな、マザー。せっかくのプロポーズが台無しだよ」


《ではムードある音楽を流しましょう》


 マザーはそう言って優しく穏やかな音楽を流した。


「プロポーズのやり直しさせてください……尚子さん、僕はこの10年間、ずっとあなたのそばであなたを見ていました。このままの関係でもいいと思ったときもありましたが、もっと短な関係で最後まで一緒に笑っていたいと思いました。どうか夫婦という形でそばにいさせください」


 尚子の目から涙が溢れてきた。こんな状況で幸せになってもいいのか尚子は悩んだ。


「わたしはもうこどもも産めないし、きっと鈴木君より仕事を優先すると思う」


「僕はこどもが欲しくて尚子さんと夫婦になりたいわけではありません。それに誰よりも人のために働く尚子さんに惚れたんです。仕事優先は僕も同じです」


 尚子は正孝の顔を見つめた。


「……わたしでよければ……」


 正孝は尚子を抱きしめた。


「…先輩がいいんです。先輩以外はダメなんです…」


 マザーがウエディングマーチに音楽を変えて、拍手の効果音を流した。


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