第二部 第二章 ④
尚子と正孝と祐樹はサーバールームがある建物から出てオフィスビルの応接室に移った。
しばらくすると成美がやって来て、いきなり祐樹の顔を思いっきり叩いた。
「どういうつもり⁈おかしいと思ったのよ!いつも眺めていたいからそっくりのお面を作らせてくれだなんて…よくそんな嘘言えたわね!わたしのカバンからIDカードがなくなっていたわ!あなたでしょう?……もう…どうして…こんな………」
成美は言っている途中で泣き出した。
「……すまない…」
祐樹は首をうなだれたて弱々しく言った。
「謝る前に事情を説明して!」
成美は祐樹の襟元を掴んで言った。
祐樹はうなだれたまま話し始めた。
祐樹は官僚の1人で佐伯首相の秘書官をしていた。当然小惑星衝突も衝突予定の1年前に知らされていた。
様々なエンジニアの資格を取得している祐樹は首相に、地下都市全体を管理しているメインコンピューターをいざというときと月から帰って来たときに政府管轄で独自に動かせるようにシステム改変するよう指示を受けていた。
祐樹は小惑星衝突1年前からこっそりと成美からアクセスパスワードなどの情報を盗み、マザーにアクセスし始めたが、メインシステムに入り込むことができなかった。
直接サーバールームに行ってメインプログラムを改変するしかないと考えた祐樹は、成美からIDカードと顔認証でしかサーバールームには入れないと聞いていたのを思い出し、成美そっくりの面を3Dプリンターで作った。
そして機会を狙って待った。
成美が酔い潰れて寝てしまったので、実行するのは今日だと思い、成美のカバンからIDカードを取ってR研究所に忍び込んだ。
「……どうして月が地球から離れたことを言ってくれなかったんだ…?そうすればわたしはこんなことまでしなかったのに……」
「あなたが月からみんなが戻ってくることを心待ちにしていたから、あなたがみんなが帰って来たときのためにと頑張っていたから、あなたがどれだけ努力して今の地位を掴んだか知っていたから、だから言えなかったのよ。何もかも失って生きる気力を無くしていくあなたを見たくなかったの!」
成美は祐樹にしがみついて大泣きをした。祐樹も成美を抱きしめて泣いた。
尚子と正孝はそっと応接室を出た。
「ありがとう来てくれて、助かったわ。でもどうして来たの?」
尚子は正孝に礼を述べながら、正孝の行動がよくわからなかった。
「僕は天野先輩のストーカーだって言ったらどうします?」
正孝はニヤッと笑って言った。
尚子はこれまでの正孝の言動から冗談に聞こえず、正孝から少し離れた。
「冗談ですよ。実は高槻主任から頼まれていたんです」
「高槻主任が?」
尚子はまた高槻主任がと思った。
「高槻主任が月に行った後、もしかしたら天野先輩が危険な目に遭うかもしれないからよろしく頼むと。理由を聞いても濁されたのでよくわからず先輩の行動を監視していました」
「そうだったのね」
正孝が不審者でなくて良かったと尚子はほっとした。
「今日先輩が退社していないことに気づいて探していたのですが、先輩に電話している最中にサーバールームのある建物に入る人影を見つけて、慌てて後を追ったんです」
「それであの格闘劇ね。本当にありがとう」
「先輩に何事もなくて良かったです」
正孝は心からそう言っているのがわかるくらい安堵している顔つきだった。
尚子は正孝にはマザーのことを話してもいいと思った。
尚子は正孝をサーバールームに連れて行って、瑛人のマザーへの最後の指示を伝えた。
「それでですね、納得しました。マザーは天野先輩の指示はなんでも聞くのに他の人の指示はあまり受けつけないからおかしいとは思っていたんです」
「はじめは全く受けつけようとしなかったので、プログラム変更とか危険な指示以外は聞いて欲しいと頼んだの」
尚子はマザーに向かって言った。
「マザー、わたしに何かあったとき困るから鈴木君の指示もわたしだと思って聞いて欲しいの」
《それは絶対的な指示ですか?》
「絶対的な指示よ」
《承知いたしました。今後鈴木正孝の指示を尚子の指示として認識いたします》
「マザー、よろしく」
《正孝、こちらこそよろしく》
「……なんかさ、マザー、天野先輩より僕に雑じゃない?」
《尚子はわたしを進化させた1人として尊敬しています。正孝はわたしを使っているだけの人間です》
正孝は呆気に取られたような顔をした。尚子は大笑いした。
「僕だって天野先輩と同じ時期に入社していたら進化させた1人になっていたと思うけど。ああ、10年早く生まれたかった…そしたら先輩にもっと…」
尚子のスマホが鳴った。成美からだった。
祐樹の処分は後で受けるからとりあえず家に帰るとの連絡だった。
「成美のご主人の処分て必要かな?」
尚子が心配そうに聞いた。
《被害があったわけではありません》
「うん。それにもう2度ハッカーしたり侵入したりしないだろうから。地下都市内でに逃げるところもないし」
正孝がそう言うと、尚子は頷きながらもうすでに監獄のような暮らしをしているのにこれ以上の制裁は必要ないと思った。
尚子は成美に、今日のことは何も知らないし何も起こってないから気にするなという内容のメールを送った。
成美から謝罪とお礼のメールが返ってきた。これで落ち着いたらいいなと尚子は思った。
《正孝、続きをどうぞ》
マザーが時を見計らったように突然言った。
「何を!……話すことなんてもうない」
正孝は何か焦っていた。
《そうですか。ではお帰りください。尚子は明日のためにも睡眠を取らなければなりません。明日7時に起きるとして後6時間しか睡眠が取れません》
「マザーは天野先輩の心配しかしないんだな」
正孝は少し拗ねたように言った。
《当然です。尚子は恩師であり友であり家族です》
「じゃあ僕は?」
《使用人です》
正孝は眉を寄せて口を尖らせた。
「そのうち家族になってみせるからな」
正孝はそう言ってサーバールームを出た。
「マザーは鈴木君には辛辣ね」
尚子は笑いながら言った。
《からかいがいがあります》
尚子は少し驚いた。いつの間にマザーは人間らしい言動をするようになったのだろうかと。
「マザー、鈴木君に惚れたのかしら?小学生ぐらいの子が好きな子をからかってるみたいよ」
尚子は冗談で言ってみた。
《はい。正孝は好きです。尚子と瑛人の次に好きです》
マザーの“好き”は情報から人間が好ましいと思うタイプの人間をピックアップして総合的に好きか嫌いか選別しているんだろうなと尚子は思った。
尚子はソファベッドに横になるとふと祐樹の言葉を思い出した。
政府は丸ごと月に移住した。祐樹は首相の生死について触れなかった。
尚子は心臓が鈍く大きく鳴った。
「マザー、佐伯首相は生きてるの?」
《月に移住した者の安否はわかりません》
尚子の顔は驚きと裏切られたショックで歪んだ。
あのメッセージはただのパフォーマンスだったのかと悔しくなった。
地上で亡くなった者たち、地下都市で訳もわからず何とか1年過ごしてきた者たちへの裏切りだと尚子は胸が苦しくなるほど腹が立った。
「世界の首脳陣で地球に残った人はいる?」
尚子はこれを聞けば益々腹を立てることになるかもしれないと思ったが、聞かずにはいられなかった。
《先進国の首脳陣はほとんど月に移住しました。月基地への予算投与をしなかった国は全て残っています。具体的に国名をあげますか》
「いえ、いいわ」
尚子はもし月に移住した者たちが大手を振って地球に戻ってきても、すんなり受け入れられることができるだろうかと考えた。
今の心情ではとても無理だと思った。
「マザー、わたしって心の狭い人間だと今つくづく感じたわ。月の移住者たちが戻って来ても受け入れたくないという気持ちがとても大きいの。いつかはこの気持ち消えるかしら?」
《消す必要がないと判断します》
「どうして?」
《尚子の感情は湧いて来て当然の感情だからです。それも一つの生存本能です》
「……そっか……こんな感情を持つ自分が嫌だなと思ったけど、生きるための本能なのね。ありがとうマザー、おやすみ」
《おやすみなさいませ、尚子》
マザーは室内の明かりを消した。




