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ゴミスキルだと思ったらゴミスキルでした。ゴミ!!

作者: Fu

ざまぁはありません

 ゴンザは、気にしなくていいことを兎角(とかく)気にする人間だ。

 いいや、わざと気にしているのではない。勝手に気になってしまうのだ。

 あれは何。これはどうして。気に掛かったことが彼のあとをついて来て、夜寝る前などに顔を出す。


 ゴンザはだから、幼少期、子どもらしくない子どもだった。

 素直でない。かわいくない。数を数えられない頃から数え切れないほど言われたと思う。

 どうして、どうして。思ったままを口にするたび、母親は嫌そうにし、答えてはくれず、怒り出しもする。


 どうして僕は悪くないのに謝らないといけないの。どうして僕の恥ずかしい失敗の話を近所の人に教えてしまって笑うの。どうして嬉しくないのに嬉しくない顔をしたらいけないの。どうしてお出掛けに行きたくないって言ったら怒るの。


 ゴンザの記憶の水底に眠る、原初の「どうして」。

 大人の筋道でこれを言い直すなら、当時の「どうして」は疑問よりも反語に近く、その本性は憤りや反発の発露、不服の表明だっただろう。

 そんなことをしたくない、されたくない、嫌だ、やめて、悲しい。

 大人だとて年少者からの反抗的なメッセージに対して寛容な人間ばかりではないのだから、人によってはそれは閉口もするし、怒り出しもしよう。

 ただ、まだ体が小さく言葉を多く持たなかった彼は、心から「どうして」と問いかける以外の方法を知らず、ひたすらに母親の返事を求めていた。



 ゴンザは成長するにつれて、徐々に、思ったことをそのまま口に出してはいけないことを学んだ。

 本当は、余計なことを言わないよう口を(つぐ)むだけではなく、たとえば外出に連れて行ってもらったら、お礼を言うのに加えて「うれしい!」と声を弾ませるなり、とびきりの笑顔を見せるなり、はしゃぎ回るなりすることで、親の機嫌が良くなることも分かってきた。

 子どもらしい、素直というのはそういうことだったのだ。お母さんが喜んでくれたら僕も嬉しい。


 でも……


 子どものゴンザには自分を変えることは出来なかった。嘘を吐くこと自体が嫌だったわけではない。ただそうしたくなかったからそうしなかった。

 こう言うと、心の中の善意の第三者が親切心から「それは出来ないんじゃない、やろうとしていないだけだ!」と励ましてくれるのだが、彼の母親が嫌う口答えをするなら、実行可能か否かと実際にやるかどうかとその時の登場人物の心情は別々の話であって、高所から飛び降りることは可能だが、出来ない。

 幼かったゴンザは、おそらく、自分を殺したくなかったのだろう。





 ある年の母親の誕生日。彼は手伝いで貯めた小遣いを握りしめて、町の花屋を訪れた。生まれて初めての思いつきに、汗で手のひらを金臭くして。

 僕がかわいくないのは変えられないかもしれないけれど、母さんには喜んでほしい。

 ゴンザには花のことはよく分からなかったので店の壮年男性に贈り物だと伝え、母親の好む赤い色でまとめてもらった。

 喜んでくれるかな、喜んでくれるといいな……。

 胸をばくばくとさせながら家に帰り着いたゴンザは、台所にいた母親を見つけ、後ろ手に隠した花束を差し出して、「お誕生日おめでとう!」と言った。

 それを受け取るや否や、彼の母親は顔を(しか)めて「こんな愚にもつかない花」と吐き捨てた。その言葉は彼の耳の奥に残って、繰り返し繰り返し響いた。愚にもつかない、愚にもつかない、愚にもつかない……。

 その言葉の意味を彼はまだ知らなかったが、喜ばれなかったことだけは分かった。その花屋には二度と近寄らなかった。


 ゴンザは外出が苦手だ。ひとりで出掛けるのや、友人と誘い合ってする分には平気なのだが、母親の買い物の手伝いや、家族での遠出がどうにもつらい。

 とりわけ遠出は、予定や行き先を教えてもらえず、直前になってさあ行くぞと()かされて連れ出され、いつ終わるか分からない時間を過ごし、ろくに楽しめもせず、親を不機嫌にさせることがどうにも苦しかった。

 おまけに彼の母親は出先で不満があると吐き出さずにいられないのか、彼を手招きして耳元に口を寄せ、ひそひそと鬱憤を吹き込んでくる。何か大事な話かと思って近づくと、吐息混じりで繰り出される地獄。

 いっそのことゴンザだけ家に置いて行ってくれればと思い、そう伝えたことがあるが、怒られるだけ怒られただけだった。

 靴に押し込めた足の小指が痛い。合わない靴を無理矢理ずっと履いている、そんな毎日だ。



 こうした経緯もあり、ゴンザは家族に心を打ち解けることが出来ず、口数の少ない少年になった。その反面、本を読むことには夢中になった。

 本の中には訳の分からないことを言う人はいない。せっかく贈り物をしてやったのだから喜べと態度や物言いで強いておきながら、いざ自分がもらう側になるとあからさまに悪態をつく人間なんかいない。

 知らない誰かが書いたたくさんの文章を読むことで、ゴンザは言葉を覚え、知識を得、世界が広がり、どうしてと問うばかりでなく、自ら答えを探せるようになっていった。


 文字の読み書きは修道院の教室で習っている。6歳から12歳の子ども達が、読み書きと計算と、他の町の名前や、偉い人の名前や国の始まりなどを学んでいる。

 教室で教わったなかで強く心惹かれることには、世の中にはスキルというものがあるらしい。

 天から与えられるという能力で、12歳の年になったら係の人に鑑定してもらいに行き、それが将来に影響するのだとか。


 気になって気になって早速図書館に調べに向かった。

 いわく、たとえば「鍛冶」のスキルを得た者は、鍛冶仕事の技能について、筋が良く、物覚えが良く、大成する器であることを天が保証してくれることになる。

 ただ、スキルを得たからといって即座に一流の鍛冶師になれるわけではなく、腕を磨き、体で覚えるにはそれなりの積み重ねが必要だそうだ。

 向き不向きの「向いている」部分を教えてくれるのがスキル鑑定であって、それをピカピカに磨いて光らせられるかはその人次第なのかもしれない。


 どのようなスキルがあるのかは詳しく書かれていなかったが、スキルを得たからといって、必ずしもそれを活かせる仕事をしなければならないわけではないようだ。

 それというのも、農夫しかり王しかり、仕事柄によっては(むしろ古来からある仕事ほど)家や血筋や土地に深く根ざしている。

 家の存続のための後継者の選定もそうだし、家屋や畑や財産の相続のこともあり、スキルのみでは立ち行かない事柄がそれなりにある。

 家業のあるところは12歳よりもっと早いうちから仕事場に出入りする等して研鑽を積んでいるし、土地と結びついた周囲との人付き合いもある。

 そういったなかで王の子に生まれついた者が「『吟遊詩人』スキルを得たので近いうちに家を出ます!」で話が済むとは限らない。

 スキルはもちろん有用だが、スキルさえあれば万事うまくいくわけではないのだと、図書館にあった『スキルと仕事』には書いてあった。


 ゴンザは夢想する。それなりに便利な、本音を言うと何か特別なスキルを得て、どこか知らない場所で暮らすことを。

 僕を知っている人がいないところでなら、どんなふうに過ごせるだろう。

 出来れば本を読めるとよくて、この町の友人には手紙を書いて。

 物語の主人公みたいに勇敢でも心優しくもないけれど。 


 心の中の母親が吐き捨てる。「バカじゃないの。本ばっかり読んで。いつまでも甘えてないで現実を見なさい」。

 心の中の善意の第三者が優しく(さと)す。「お母さんはあなたが大事だから厳しいことを言うのよ」。

 足の小指が痛い。いつ靴がきついって言っていいのか分からない。



 やがて迎えた12歳のスキル鑑定の年。

 この日ばかりはゴンザも外出を楽しみにしていて、前の晩は目が冴えてなかなか寝付けなかったほどだ。

 一家でよそゆきの服に袖を通す。彼の家はそういう外向きのところはちゃんとしている。

 彼は思う。あまり期待してもいけないが、役に立つスキルが出たら親は喜んでくれるだろうか。「計算」なんかはどこでも引っ張りだこらしい。

 父親は商店に勤め、母親は針子をしているから、彼が継ぐような家業は無いにしても。


 外はよく晴れており、風は涼しく、何かの花だかの甘い匂いが運ばれてくる。ゴンザはあまり好きではない匂いだ。

 町役場の隣にある立派な建物に入り、人の多さに(ひる)みながらも順番を待つ。

 やがて名を呼ばれ、結果、


『ゴミ拾い』


 ゴミ拾い。ゴミ拾い?


 途端、ゴンザは自分がどこに立っているのか分からなくなって、そして、耳の奥であの言葉が騒ぎ出す。愚にもつかない……愚にもつかない……愚にもつかない……。

 鼓動が早まる。鼻の奥がツンとする。いけない。泣くな。こんなことで。

 彼は父親の顔を見、母親の顔を見る。父親は特にいつもと変わらない。関心が無いのだろうと思う。対して母親は不機嫌。落胆。失望。期待外れ。ゴンザの見慣れた顔だ。

 そうだ、今に始まったことじゃない。


 その日の夕飯の時の話し合いで、独り立ちの年齢である15歳になったらゴンザは家を出て行く約束になった。

 そうしてはじめて、将来の話をしたことが無かったな、と彼は思った。





 ゴンザは考える。家を出たあとにどうやって暮らしていくか、それが問題だ。日々の生活にどれくらいお金が掛かるのか。住む場所はどうするか。

 この町は図書館が無料で使えて良かったが、いい加減、母親から離れたほうが良い気もする。近くに住んでいたら、あの人は何かにつけて僕を呼びつけるだろう。


 この頃になると、彼の母親は事あるごとに自分の夫についての悪口を自分の息子に向かって吐き出すようになってきて、そのうち続けざまに「お前は父親にそっくりだ」とまで言い出すようになった。

 気に食わない人物に似ていると告げることで、遠回しにお前のことも気に食わないんだぞと思い知らせてやる、実に残忍なやり口だ。


 それにしても「ゴミ拾い」とは何だ。それで暮らしていけるのか。

 ゴンザは考えてみたら、捨てたゴミがどこへ行くのかを知らない。ゴンザも運ぶのを手伝っているが、家のゴミは少し歩いたところにあるゴミ捨て場に捨てに行っている。その先のことを気にしたことがなかった。

 しかしこうなってくると気になって仕方がないし、将来のためにも、調べてみる価値はあるだろう。

 彼は図書館に通いつつ、誰か物知りな大人に話を聞けたらなと思った。


 話を聞けるような大人。彼には祖母も祖父もいない。昔、葬式に出た覚えがある。

 祖父母が亡くなった後に遺産のことで揉めたとかで、他の親戚とも付き合いが無いらしい。

 ゴンザはいとこというものに会ってみたかった。お兄さんやお姉さんがほしかった。


 彼の住む家の近所の人たちは優しいが、将来のことを聞いても「おうちの人とよく話し合うのよ」で終わってしまうだろう。

 ゴンザはそんなことは聞きたくないし、よその大人に相談したことを母親に知られてしまうからだめだ。

 もっと小さい頃、近所のおじさんに育てている花をお見舞いのためにもらえないかと聞いてみたら、後から彼は母親にものすごく怒られた。

 よその人にもらうのがだめで、死んだ人に贈る花だったのがもっとだめだという話だった。非常識で、恥ずかしいのだと。その時は知らなかった。それでもだめなの?

 よその大人と話すときの彼の母親は一番機嫌が良いときの喋り方をしている。「いいお母さんね」とよく言われる。「どうも」とだけ返して話を変える。


 調べ物に進展がなく、くさくさとしてきたので同い年の友人と会って話す。なんでも彼は「解体(動物)」というスキルを得たらしい。

 もしかしたら僕のゴミと縁があるかもね、お前ゴミかよ、おい人に向かってゴミとか言うなよ、そういうことじゃねえよ等と小突き合い、スキル鑑定の係の人が修道院から来ていたことを教えてもらう。

 そういった説明は付き添いの大人にしているらしい。ぐっと気が重くなる。

 この友人は「親に聞きなよ」なんて言わないでいてくれるので安心して話せる。自分もそうでありたい、とゴンザは思う。





 数日後、ゴンザは早速修道院にやって来た。この町の修道院は教会を兼ねていて役場の近くにあり、ゴンザは最近までここで読み書きなどを習っていた。同い年の友人と出会ったのもここで、年が近そうだからと勇気を振り絞って話しかけてみたのだった。

 そういえばここでは勉強の質問にもいつも丁寧に答えてくれていたし、人生の相談も受け付けてくれるかもしれない。相談がだめでも、手掛かりがほしい。

 ゴンザはそう勢い込んでやって来たはいいものの、どうやって人に話しかけようかと外のハーブ園の前に佇んで気持ちを落ち着けていると、ちょうど見覚えのある背格好の老爺が通りかかった。


「先生!」

ゴンザが慌てて駆け寄ると、老爺がこちらを見とめて足を止める。

「おや、こんにちは。どうなさいましたかな」

彼は老爺の白いふっさりとした髭の辺りに目をやりつつ、心の中で準備しておいた内容を絞り出す。


「あのっ、その、お聞きしたいことがあって。えっと、スキルとか、生活のこととかなんですけど。そういうのって、聞いてもらえる場所ってありますか……?

 あっ、失礼しました、僕はゴンザです。以前ここで先生に読み書きを教わっていました」

準備していたのに気が逸って舌がもつれてしまい、彼の頬が熱くなる。

 それでも老爺が柔らかく相づちを打ちながら目を細めて笑んでくれたので、肩の力が抜けてホッとした。


「ははあ、ゴンザ、よくぞ足を向けて下さいましたなあ。ようこそ、ようこそ。ぜひとも、わたくしが聞きましょう。

 今からでよろしいですかな。どうぞ、こちらへ」

老爺からの願ってもない快諾に、ワッと飛びつきたい気持ちを抑えつつ、お行儀良く老爺の後ろをついて歩き、立ち入ったことのない区域にそわそわしながら、小部屋に案内される。窓が明るい。

「飲み物を持って参りますのでな。お掛けになって、しばしお待ちを」


 老爺が扉から出て行くのを見送ってからゴンザは椅子に腰を下ろし、見るともなく眼前のテーブルに掛けられたレースの編み目を見つめる。

 実のところゴンザの胸は不安でいっぱいだ。夜ベッドに横たわると、心配事が頭の中をグルグルと回り出す。

 本当は、出来ることなら、親に相談したい。話を聞いてもらって、そうかそうかと頷いて、大丈夫だって、応援するって言ってほしい。

 本の中のお父さんは、主人公の出立の朝に「お前はお前の道を行け。他の誰がお前のことを否定したって、俺は俺の息子を信じている」と言って抱きしめて少年を送り出していた。

 そんな場面を読むと、胸がじんとする。だけど、……

 あの人たちはあの人たちだ。僕だって素直でかわいいゴンザでなかったのだから。それだけだ、それだけ。


 ノックの音にハッとして居住まいを正す。


「お待たせしましたな。これは外で育てたもので。お口に合うとよろしいですが」

 淡い色の液体をカップに注いでもらって礼を言い、さてなんと切り出したものかと逡巡しながら口を開く。

「ええと、僕は今年12歳を迎えて、先日スキル鑑定を受けまして。それで15歳になったら家を出ることになって。

 だから、スキルについて知りたいのと、あと、これからどうしたらいいのか、分からなくって」

こんなことを聞いてもらって本当にいいのか、視線が下がり、段々と言葉尻が尻つぼみになってしまう。


 迷える少年のひたむきな願いを受けて、老爺は教え子の聡明さに相応の語り口で応じる。

「ははあ、これはまことにおめでたく、お祝い申し上げましょう。

 まずはスキルについてからですな。ご存知かもしれませぬが、スキル鑑定は古き成人の儀の名残りでして。

 スキルというものは、巣立つ者への天からの(はなむけ)であり、先行きの祝福と言われておるのです。ああ、諸説ありますが」


 年寄りの長話ですぞ、お耳の準備はよろしいですかな、との前置きから始められた講説いわく。


 人は誕生時に祝福を持って生まれ出る。これが第一の祝福に当たるという。

 目鼻立ちが整っているだとか声の通りが良いだとか、駆け足が早いだとか。鷲っ鼻を内心で気にしているゴンザとしては、ふうんと得心いかない話であるが、天からすると気に入った人間を贔屓(ひいき)して差を付けているわけではなく、工夫する手間を惜しんで全部同じにしたところみるみるうちに滅んでしまった苦い経験から、適宜ばらけるようにしているのだという。

 言うなれば、生まれ持った差異こそが人という種への祝福なのであって、個々の幸不幸は埒外(らちがい)なのだそうだ。


「人は一度滅んだんですか」

「そう語られておりますな。なんでも、病に弱く。

 更に『皆同じはずなのにあいつの畑のほうが実りが良いのはおかしい。俺たちに隠れてズルをしているに違いない』等という疑心から、妬み、憎み、いがみ合い、奪い合い、争いは止まず、火が燃え広がって皆死に絶えたという話ですな」

「なんとも言えない話ですね……」

なんとも言えない顔になってしまう。

 「隣の畑は実りが良い」は、今でもよく無闇に他人を羨むことへの皮肉や自戒を込めて使う言い回しで、それがこの説話に由来するという。


「これは(じじい)の与太話ですが。

 よしんば姿形や駆け足の早さが寸分違わず同一であるとしても、肉体がある以上、二人の人間が全く同じ場所に立つことは出来ませんな。家屋だとて同じ場所に建てることは出来ますまい。

 そうなると、(わず)かずつであっても見える景色は異なり、目という窓を通る日差しや風によって、心模様にも違いが出ましょう。

 形を持って生きるということは、すなわち差が付くということでしょうな」

あいにくと形のない生き物のことは分かりませぬが、と煙のような冗談を言う。


「ホッホッ。話を戻しますと、我々は第一の祝福によって、差異を持って生まれついております。

 これは、天が地を造り水を満たし、日照りを呼び嵐を起こすのと同じ道理でありまして、人の生の幸不幸は斟酌されませぬ。

 そうして様々に生まれついた赤子が成長し、成熟した段階で個々に与えられるのが、第二の祝福たるスキルなのです」

「成人のお祝いですね」

 人の生の節目に関する祝い事には、それまで無事に生きてこられたことを感謝する意味合いと、その後の前途を予祝する意味合いとがあるという。

 成人の儀といえば通過儀礼であって、鳥の巣立ち、獣でいう初めての狩りみたいなものだから、古来から後者の役割が主なのだろうという話だ。


「さようですな。狩りに出る者には弓矢やナイフをやり。旅に出る者には丈夫なマントや靴をやるようなものでしょう。

 第一の祝福とは随分と性格が異なりますゆえに、一説には、古き世では別々の神々の領分だったのではないかともいわれますほど。

 さて、準備はよろしいですかな。(じじい)の長話はいよいよ山場を迎えます」

 ゴクリ、とゴンザは息を飲む。老爺がカップを持ち上げたのにつられてカップに口をつける。

 味はいまいち分からない。緊張のせいだけではなく、飲み慣れないハーブティーのことを匂いと色のついたお湯としか思えないのだ。


「大事なことは、スキルが、天から人へ、祝意をもって与えられたということです。

 スキルを理解するには、贈り主が天で、受け取り手が人であるという物事の在り方を、よくよく考えることが肝要でしょう。

 人から人への贈り物でさえ、双方円満に、うまくいくものとは限りませぬな」

「それは本当にそう思います」

ゴンザはこれに関しては頭が取れるほど頷きたい。


「そうであるからして、鍛冶屋の息子に『鍛冶』スキルが与えられるとは限りませぬ。

 人からすると、望んだものでなく、思ってもみない贈り物が与えられる。そこに疑問を差し挟んでも致し方ないでしょう。

 しかしながら、これが無用の長物かというと、そうとも限らない。

 その齟齬(そご)が反対に、人の身に良いように働く場合もあります。自らの道を切り(ひら)くきっかけになる」

「自らの道……」

ゴンザは内心で、そうは言ってもゴミスキルだしな……と落ち着かない気持ちになってきた。

 家業のない町民の場合、ゴンザの両親もそうだが、「刺繍」や「計算」のような仕事に役立つスキルを持って働いている人が大半らしい。

 雇う方からすれば、親戚筋や有力者の紹介といった縁故と、生来の才能に恵まれた逸材を除いて、有用なスキルのない者をわざわざ雇う理由がない。

 ゴンザには伝手(つて)も目立った才能もない。現実を直視したくはないが、もしかするとゴンザは、お先真っ暗かもしれないのだ。


「いかにも。必ずそうなるとは申せませぬ。人の身で全てを知ることは不可能ですからな。

 鳥が先か、翼が先か。人がそう生きるからスキルが与えられたのか、スキルが与えられたからそう生きるのか。

 自らが望みうるものというのは、己の目の先にあるもの。想像し得ぬものを想像したことがおありですかな?」

ゴンザは話が難しくなってきて、匂いと色のついたお湯を口に運んだ。

 彼はこの老爺が無駄な話をしないのを知っているので、真剣に耳を傾ける。今は分からなくても、いつかきっと思い出す。

 今しがた聞いたことを頭の中で整理して、口を開いた。


「それは、つまり……、王様の家に生まれたけれど『吟遊詩人』スキルを得たから吟遊詩人になる、ということでしょうか?」

老爺のふさふさの眉に埋もれたつぶらな瞳がきらっと光った。

「おおっ、まさに、まさに。『スキルと仕事』ですかな、あれは良い本です。それならば話は早い。あれは人の道理で書かれたもの。

 そのようなスキルをもらっても困る、と人は思うことでしょう。てんで役に立たぬと。

 天の道理はそれとは異なるもの。描かれていない地図、まだ迎えぬ明日。遥かなる高みから、贈り物を選んでおいでなのです」

 そうは言ってもゴミスキルだしな……とゴンザは気になって仕方がない。今だ、聞こうと彼は決心した。


「あの、僕のスキル、『ゴミ拾い』って出たんです。調べても分からなくて。これって何だか、教えていただけますか……?」

「ははあ、『ゴミ拾い』ですか。初めて耳にしましたな。少々お待ちを。確かめて参ります」

老爺はヒョッとふさふさの眉毛の片方を器用に持ち上げて言い、身を翻して部屋から退出した。


 ゴンザはスキルに関して調べていて、図書館では一般的なことしか分からなかったが、それもそのはず。スキルの内容についての詳細な資料は修道院が管理していて、持ち出し不可とのこと。

 誰が何のスキルを持っているかについては、本人が他者に告げるのは自由、他者から尋ねるのは親しい間柄なら問題ないがそうでなければ失礼にあたり、強引に聞き出したり勝手に言いふらしたりするのは自らが不心得者であると表明する行為となっている。罪ではないが、非常に外聞が悪い。

 天からの贈り物なのだからと、誇らしく吹聴したり、噂が噂を呼んだりしそうなものだが、「自分が貰ったもののほうが良いものだ、己が一番愛されているに違いない」と言い合って最後には殺し合う兄弟の説話もあり、天はスキルによって不和が起こることを望まないのだという。

 今回この部屋に案内されたのも、そういった配慮からだろう。


 ノック音。老爺が戻ってきた。


「お待たせをいたしましたな。

 これまでに記録されているスキルの一覧を確かめてきましたが、載ってはおりませぬな。

 鑑定式に来た者のみですので、一切を網羅できているわけではありませぬが、あれに載っていないということは、ほとんど初出といってよいでしょう」

 これまでに先駆者がいてどういうものか判明しているスキルは、使い方などを鑑定の際に教えられるらしい。

 そしてゴンザのように初出のスキルを得た者は、強制ではないが、何か分かったら場所は問わないので教会か修道院に報告してほしいそうだ。後世の人のために。

 もしかしたら鑑定式でそういった説明を両親と共に受けたかもしれないが、ゴンザは呆然としていて鑑定後の記憶が曖昧だ。両親のことは言うまでもない。


「それじゃあ、僕のスキルでどんなことができるのかは分からないんですね……」

ゴンザはアテが外れてすっかり悄然とした。やっとスキルについての手掛かりを得られると思ったのに、分からないことが分かっただけである。

「おお、おお、そのように沈み込みなさいますな。

 ゴンザ、あなたは問うことができ、答えを探すことができる。そして答えは問いの中にある。

 この場合、ゴミとは何かではなく、何がゴミかを考えると良いでしょう。そしてそれを拾うとはどういうことか。

 よろしいですかな、これは(じじい)の独り言ですぞ。贔屓(ひいき)はよくありませぬからな。独り言です。

 他に類のないスキルであるということは、あなたを選んでなされた祝福であると、そう受け取ってもよろしいでしょう。

 手ずからあなたのために(あつら)えられた靴です。よき旅の供となることでしょう」


 僕のための靴……


 それから、老爺にこの町のゴミ収集は役場が取りまとめていること、大抵のスキルは対象となる作業に取りかかる際に自動的に効果を発揮することを教わり、また何か相談したいことができたら年寄りの茶飲み相手として気軽に来てほしいと微笑まれ、心の底からお礼を言ってゴンザはその場を後にした。

 来た時よりも足取りが随分と軽かった。





 木の葉が色づき、地面に散り落ちている。ゴンザはそれをサクサクと踏んで歩く。足の小指はじくじく痛む。


 出来るのなら、スキルを活かして暮らしたいと彼は思う。もし本当に、彼のために良い靴をくれたのだったら、履いてみて、歩いてみて、素敵なものをありがとうと伝えたい。


 ゴンザは目標を立てた。あと三年で家を出て行かなければならないのだ。三年で何がどれだけ出来るのかいまいちピンと来ないが、準備は早めにたくさんしておくのが良いだろう。塩漬けあれば冬越せるというし。

 「ゴミ拾い」でやっていけそうかどうかをなるべく早めに決めること、それ以外の仕事の候補も探してみること、三年後までにお金をたくさん貯めること、――そしてこの町を出ること。

 お金がどれくらいあれば大丈夫かとか、他の町へどうやって行くのかとか、分からないことはまとめておいて、あとで老爺に聞きに行くことにする。



 町役場にやって来て、建物に入ってすぐ目につくところにある掲示板に貼り出されている仕事の募集を見る。ゴミ収集。スキルの条件は特にないが、体力勝負らしい。ゴンザはひょろっとしていて体力自慢とは程遠い。

 誰か大人に話を聞けたらいいが、修道院の老爺とは違って声を掛けてよいものなのかどうかが彼には分からない。もしかしたら邪魔になるかもしれない、とここにきて焦り出したのを誤魔化すように、汗ばんだ手のひらをズボンに沿わせながら仕事の募集を見つめていると、背後から声が掛かった。


「こんにちは。仕事の応募ですか?」

びくっとして振り向くと、ゴンザの父親くらいの年頃の男性だ。服装がぱりっとしていて背が高く、くっきりとした眉が真っ直ぐで、真面目そうな雰囲気だ。

 ゴンザは12歳でも小柄なほうで、まだ独り立ちしていないのは一目瞭然だ。成人用の正式な仕事に応募しに来たようには見えないだろう。

 こちらが話をしやすいように声を掛けてくれたのか、遠回しの「邪魔なので退いてください」なのか、ドギマギしながらそっと横にずれてゴンザは口を開いた。

「あっ、えと、応募ではないです。僕は12歳なんですが、その、将来のためにゴミ収集がどんな仕事なのかを知りたくて」

ちゃんとした目的で来ています、遊びではありませんということが伝わるように精一杯言葉を絞り出した。


 すると男性は事も無げに告げた。

「ああ、独り立ちの準備ですか。それなら正式な仕事ではなく、手伝いや見習いの募集を見ることをお勧めします。役場が間に入りますので、何かあったら相談に乗れますよ。

 ゴミ収集は、そうですね、手早く集めて荷車に満載して運ぶ仕事ですから、手伝いにしても体力がないと持たないでしょう。

 どのようなものか知りたいということであれば、……少々、この場でお待ちを。すぐに戻ります」

見た目は近寄りづらいが親切な人だったようだ。ゴンザはホッと息を吐いた。


 ややあってから男性は戻ってきて、ゴンザに一枚の紙を差し出した。

「こちらをどうぞ」

「えっ、あっ、ありがとうございます……!」

よく分からないまま反射的に受け取ってしまったゴンザは、冒頭の文字を拾って驚愕した。

「『ゴミ収集事業について』……? あの、これ、大事なものじゃ」

それでなくても紙は高価だ。そのうえ何やら子どもが読むものではなさそうなことが書かれている。手汗で台無しにならないか、気が気ではない。

「いえ、ちょうど余っておりましたので。周知のためのもので、知られても問題ありません」

仕事上の機密ではないので構わないという主旨のようだが、ゴンザが動揺しているのはその点に対してではない。そういうことではないが、ありがたく親切を受け取ることにした。

「あっ、ありがとうございます!」

「何か参考になるとよろしいのですが。それでは」

 男性はさっと去って行った。当たり前だが暇ではないのだろう。

 手伝いの募集を見て行こうかとも思ったが、大事そうな紙をだめにしたくないのでゴンザは家に帰ることにした。

 あんなふうに通りすがりの見知らぬ他人に優しく出来る人もいるんだな、と思った。



 家に着いたゴンザは早速例の書類を読み進めた。知らない単語がいくつかあるが、それは今度にするとして、大体の中身は掴めたと思う。

 この町では、町の各所にあるゴミ捨て場にあるゴミを週に一度回収している。それを分けて、燃やすものと、他にまだ使えるものに分ける。町の各所を回ってゴミ捨て場から回収し、荷車に乗せて運ぶ仕事がゴミ収集だ。

 他の村や町では、同じではない。ゴミを地面に埋めたり、川に捨てたりしているところもある。それを人がたくさん住んでいる場所ですると、何かの理由があって良くないので、この町や人の多い他の町を中心にゴミ収集の仕事を役場がまとめる。そういう事情のようだ。理由のところは知らない単語で読めなかった。


 ゴンザは考える。ゴミを集めて運ぶ。分ける。ゴミの中にはまだ使えるものが混ざっている。ゴミって何だ……、違う、そうじゃない、先生は言っていた。ゴミとは何かじゃない、何がゴミかを考えろって。

 僕は何をゴミだと思っているか。要らないもの。捨てたもの。価値のないもの。捨てたってことは、一度持ったことがあるもの?だけど、道ばたに落ちている馬の糞はゴミだと思う。あれを拾ったことはない。

 それじゃあ、落ちてるか捨てられていて、価値がないと思って、きっと誰も拾わないもの。落ちていたのが指輪だったら、それは持ち主に返さないといけない。

 それなら、持ち主がいない、落ちていて、拾っても大丈夫なもの。それがゴミ?


 そういえば、とゴンザは思い出す。先生は、大抵のスキルはその作業をする時に勝手にどうにかなると言っていた。ゴミ拾いをしようとすれば勝手にどうにかなるってどういうこと?  


 と、思った瞬間、ゴンザはどこかから呼ばれるのを感じた。そちらに向かうと何かがあるという感覚。目的地は近い。おそらく家の中だ。部屋を出、階段を下り、そろそろと歩を進めていくと、終点にあったのは家のゴミ箱だった。


「!」


 分かった、分かったかもしれない。

 ゴンザの胸は興奮で早鐘を打った。喉の奥のつかえが取れたような、新しい素敵な言葉を知ったような、清々しい気分だ。このスキルは、ゴンザが拾得しても問題のない、落ちているか廃棄された物の在処(ありか)を教えてくれる。

 いや、でも、とゴンザは思う。家のゴミ箱ということは、すごく近くにあるものだけなのか。もっと遠くにあるものは?と考えると、家の外にいくつか反応があった。見に行ってみると、陶器の破片と、すり切れた布きれと、腐りかけの果物があった。

 落ち葉や小枝はスキルに引っ掛からない。大きさか、種類か、何か他に理由があるのかもしれない。道ばたの馬糞も対象外だった。





  明くる日、ゴンザは焼き菓子を持ってお礼と報告に老爺の元を訪れた。ゴンザの小遣いで買える素朴なものだが、老爺は喜んでくれ、ゴンザも嬉しかった。

 ハーブティーを淹れてもらい、話に興じる。ゴンザが「ゴミ拾い」スキルについて分かった事柄を伝えると、老爺は感心したように何度も深く頷き、つぶらな目を細めてにっこりと笑んだ。

「おお、おお、それはそれは。

 新しき道が(ひら)かれる瞬間に立ち会えますこと、まことに喜ばしく。長生きはするものですな」

 老爺いわく、馬の落とし物についてはこの町ではあれを集めて肥料とする仕事があるらしい。ゴンザの目にはゴミに見えても、実はそうではなく、勝手に拾得することで罪になったり咎め立てられる(たぐ)いのものはスキルの対象外のようだ。


「先生にお話を伺えたお陰です。その節は本当にありがとうございました。

 ただ……、スキルのことが分かって楽しくなってしまったはいいけれど、まだ、このスキルで暮らして行けるかどうかは判断がつかなくて。

 他の仕事をするなら、できるだけ早めに見習いになるなり弟子入りするなりして経験を積んだほうがいいのかなって……」

こんなことではいけないと思いつつも、ついつい弱音を吐いてしまう。


 老爺はふっさりとした髭を撫でながら、思案顔で口を開いた。

「……ふむ。もしも三年後のこの町を出る直前までスキルのことにかかりきりでいて判断が遅れ、その結果としてこれでは暮らして行けないと分かったとしたら、有用なスキルも経験も紹介状も持たずに見知らぬ町へ行って、そこで仕事を得られるとは思えない、ということですかな」

「そうです……」

なんとなく、己が卑怯者になった気がしてゴンザはいたたまれず、視線が下がる。


「ホッホッ、先の心配をするのは大事なことです。あなたの道を歩むのはあなただけですからな。

 さて、スキルで暮らして行ける、つまり拾得した物を金銭に換え、得られた金銭で少なくとも糊口を凌げるかどうか。

 己の力不足が誠に無念ですが、その問いに対する答えを(じじい)は持ってはおりませぬ。

 ただ、人生の選択については一つ、提案があります。両方を取るのです」

「両方を……?」

「しかり。他の仕事の経験を積みながら、スキルの可能性を探るということです」

「そんなことが? でも、もしどこかに弟子入りするとして、途中でゴミ拾いでやっていけそうだと分かったら、『やっぱりスキルを活かした仕事をしたいので辞めます』なんて、とても言えません」

町を出る予定でいるにしても、余計な禍根を残したくはない。


「ホッホッ。何も途中で辞める必要はありませぬ。

 スキルの技能を試したり、確かめたり、伸ばしたり、活かせる仕事を探すのがよいでしょう。さすれば、三年の間心穏やかにして存分にスキルに向き合え、同時に何らかの仕事の経験と紹介状を持って町を出られます」

「そんな都合の良いことが……? ですが僕、体力がなくて、役場のゴミ収集の仕事にはすぐには就けなさそうでして……」

ゴンザは半信半疑だ。なんとも煙のような話である。

「ゴミとは、既に集められた場にのみあるものではないでしょう。

 陶器の破片は、すり切れた布きれはどこにありましたかな?」

「それは、家の近所の……あ、」

「さよう。ゴミは人のいるところにある。拾われていないゴミがあなたを待っている。家々の近くを通り、町中を回る仕事はありましたかな?

 その中から、これなら出来ると思う仕事をなさるというのが、(じじい)めの提案です」

 ゴンザは目の前の霧が晴れる心地がした。ゴミ収集がだめだったから、全く関係のない仕事をするしかないと思っていたし、他の仕事をするなら、スキルのことを諦めなければならないと思っていた。


 それに、と老爺は言葉を続けた。

「これは人の道理のことであって、ここだけの内緒話ですが。内緒話ですぞ?

 世の中、万事がスキルで回っておるわけではありませぬ。


 この間は天の道理を説いておいて今度は同じ口で何を、と思われるかもしれませぬが。

 パン屋はパンを仕込んで焼いていれば良いわけではありませぬな。材料の仕入れ先を選んで付き合いを続ける。釜や道具や店を手入れする。金銭を管理して帳簿を記す。店番に立ち、また店に来てもらえるように客の相手をする。


 町のパン屋が、『パン焼き』に加えてこれら全てに『交渉(商い)』『清掃』『計算』『売り子』を雇いますかな?

 『パン焼き』以外のスキルは花屋でも肉屋でも有用です。指定のスキル持ちは待遇を良くして呼び込むもの。小さな店では雇い切れないでしょう。

 スキル持ちでない者を雇うとして、家族ぐるみで切り盛りするならば人手は足りる。それでは、ひとりで町に出てきた者が新しく開いた店は?


 人が多く住む町というのはかような機会に溢れております。誰しもがスキルに合った仕事に就けるわけではなく、また全ての働き口がそれに合うスキルを持つ者を求めているわけでもありませぬ。

 ゴンザ、あなたが15歳になって新しい町へ行き、紹介状もなく経験もなく、それからまっさらに始めるのでも何ひとつ遅くはありませぬ。人の少ない閉じた土地柄ですと難しいですがな」

一息で喋り過ぎましたわい、(じじい)の息は絶え絶えです、と肩をすくめて老爺はカップを口に運んだ。

 つられて匂いと色のついたお湯を口に含みつつ、ゴンザはホッとしている自分に気づいた。いつからかずっと胸の奥に溜め込んでいた息を、今やっと吐き出せるようだった。


 それから、町を出るには三年間働いて無駄遣いせずにお金を貯めれば充分だということを老爺に教えてもらい、「気に入ったので次もあのお菓子で」という冗談めかした次の約束の申し出に心を温め、感謝のあまり抱きつきたいのを(こら)えてお礼の言葉に込め、ゴンザは飛び跳ねるような足取りで帰路についた。



 ゴンザは落ち葉の道を歩く。そろそろ木々が裸だ。落ちた葉は今朝の雨を含んでしっとりとしている。野や森ではこれがやがて土になる。

 道すがら、彼は物思いに耽っていた。


 彼は鑑定式で「ゴミ拾い」スキルが出て、正直なところガッカリした。どうしたらいいのか分からず、お先真っ暗だと思った。

 「計算」や「取引(商い)」とまでは行かないまでも、普通のスキルを得て、それなりの仕事に就く。家業も縁故もない町の子どもにとって、将来とはそういうものだと思っていた。


 老爺に相談に乗ってもらい、実は己のスキルが素敵な贈り物なのかもしれないと思い直した。そうであってほしいという、形のない微かな願いがあった。己のための靴を履いて、ここではないどこかへ駆け出せたらと思った。スキルについてあれこれ考えて調べて、分かることが増えるのは楽しかった。


 だけれど……


 やっぱり普通のスキルを得て、それを活かして働くのが本当のことだと思っていた。己はそうではなくて、これからそうなれる方法がなくて、後ろめたかった。ちゃんとしなければならないのに、ちゃんとすることができなくて苦しい。どうして? 


 ゴンザは問うことができ、答えを探すことができる。

 ――親だ。

 ゴンザは思い至った。普通のこと。当たり前のこと。常識。彼の母親が大好きな言葉。

 「計算」スキルを持っていて商店に勤める。「刺繍」のスキルを持っていて針子をやる。ゴンザは「みんなそう」なのだと聞いていた。よくよく考えてみれば、雇う側でもないのに、同じ職場の大半の人たちのスキルを知っているはずがない。あまつさえ、よその職場のことなど言わずもがなだ。


 彼らはゴミがどんなものだか知らない。要らないものをゴミ箱に投げ入れ、決められた場所に捨てに行くだけ。

 あの役場の男性は知っている。どうしてこの町でゴミを地面に埋めたり川に捨てたりしてはいけないのかを知っている。あの日に読めなかった単語をあとで辞書で引いたら、「疫病」と病気の名前だった。

 彼の親はそんなことには興味がない。彼らにとってはわざわざそんなことを気にするほうがおかしいのだ。彼の母親は酒精(アルコール)臭い口からよく吐き出す。「お前はおかしい」「非常識だ」と。


 知らないことなどいくらでもある。何かを知っていることは偉いことではない。

 でも、でも、自分が知っていることだけを本当のことだと思って、そう信じて、そう言って、それしか見えなくなって、そうでないことを、そうでない人たちを踏みつけて、何も気づかないで当たり前の顔をして生きていくことはしたくない。


 もう、信じなくていい。喜ばせられなくてもいい。諦めていい。愛することができなくても、いい。


 ゴンザは諦めることにした。諦めることは良いことではないが、これから大人になるのだから、良くないことにも挑んでいくべきだろう。夜中にお菓子を食べるとか、母親の長い長い愚痴話を拒否するとか。

 彼は心の中の宝物部屋に仕舞い込んでいた、使いもしない玩具を手に取って、とっくりと目に焼き付け、一つずつ捨てて行くことにした。落ちた涙は拾えない。だからあれはゴミではない。





 それから。


 本格的な冬が来る前に、ゴンザは役場を介して見習いの仕事を決めた。郵便配達夫だ。こちらも荷物を持って歩き回るのに体力面が心配だったが、徐々に慣らして行けば良いとのことだ。

 これからたくさん歩くことになるのだから、いい加減、靴の問題を解決しなければならないだろう。ずっと足の小指が(こす)れて痛い。今までは「痛い」と言い出せず、我慢をして親が換えてくれるのを待っていた。

 意を決して母親に頼んでみると、「それなら早く言ってくれればよかったのに」と返ってきて、すんなりと新調してもらえた。

 「嫌だからやめて」はだめで、「痛いから換えて」なら聞いてもらえる。ふうん、とゴンザは思う。


 この頃には、この母親の言うことは大概が理不尽であること、反感を抱いても良いこと、それからこの大人が思ったことをそのまま口に出す人間であることが分かった。



 ゴンザは町中を歩く。歩いて探す。休みの日にはひとりで遠出してスキルを試す。

 近所で見た落ちた果物はスキルに引っ掛かって、町の外の落ちていた木の実はそうではない。どうして?

 町の中には人がいる。町の外には人がいない。そうだ、ゴミは人のいるところに生まれる。人が生み出す。森の中で落ちている腐りかけの果物はゴミではない。

 このスキルを使って、落ちているのを頼りに野の果物や木の実の在処(ありか)を独り占め、なんてことは出来ないようだ。残念。


 ゴンザは歩く。歩きながらスキルを試し、考える。だんだんと背も伸びてきて、体が丈夫になってきた。

 より遠くにあるゴミが感知できるようになってきて、少しずつ距離が伸びているのが分かった。落ちているものについても、人が作ったものか、自然のものなのかが感知した時点で判別できるようになった。

これで価値のあるものが分かるようになって、それを続けて拾えるようになれば、スキルで暮らして行くことができる。

価値のあるもの。どこかのお店で買い取ってもらえるもの。それか、お店では扱っていないけれど人がお金を出してでも欲しいと望むもの。


 ある時、草むらの中の銅貨を引き当て、ゴンザは「おっ!」と思った。どうやら、馬糞のときとは反対に、ゴンザがそれをゴミだと思っていなくても、スキルのルールではゴミに当たるものがあるらしい。宝探しの気分だ。

 これが金貨だったら……とゴンザは一瞬期待を膨らませたが、それはすぐにしぼんだ。もしも金貨もスキルの対象だったとして、金貨を扱うような場面で持ち主が迂闊(うかつ)に落としてそのままにするとは思えないし、落ちている金貨がゴンザが拾うまでその場で待っていてくれるとも思えない。

 実際に、その後もスキルで金貨を引き当てることはなかった。


 やがて一年が過ぎる頃には、どのようなものが落ちているのかが思い浮かぶようになった。

 何かの留め具。何かの骨。コルク栓。ガラスの破片。串。革袋。薄汚れたハンカチだったらしき布。

 革袋やハンカチは落とし物のようにも思うが、銅貨と同じルールなのだろう。持ち主が探していないか、探しているけれど見つからないか。


 たまに拾う銅貨は貯金して、鉄くずは集めて溜まったら鍛冶屋に持って行ってお小遣いにする。

 こんなふうに暮らすのも良いかもしれない、とゴンザは思う。

 別の仕事をしながら歩き回って、スキルで楽しみを見つける。

 郵便というのは他の町でも同じギルドがやっていて、しっかりと紹介状を書いてもらえるらしい。何とかなるもんだな、先生の言った通りだ、とゴンザは安堵した。



 しかし、まだ彼はスキルのことを諦めたわけではない。どこまで何が出来るのか、彼は思いつく限りのことを試してみたかった。

 もっと大きな町ならもっと色々なものが見つかるかもしれない。行ったことのない場所、見たことのない景色。

 15歳になったら、ゴンザはひとりで行くことが出来るのだ。足の小指ももう痛くない。


 ゴンザはそのために、この町の周辺で出来ることをやっておくことにした。

 仕事に慣れ、将来の不安が解消して心に余裕が生まれた彼は、住む町の候補と、移動手段を考えることにした。

 そのことを職場の人に話すと、郵便ギルドが遠方への輸送のために馬を持っていて、一般客への貸し出しもしていることを教わった。馬か……


 ゴンザは馬に乗ることが出来ない。もし遠くへゴミを探しに行くのなら、馬に乗れることは良いことだろう。馬を持つことは無理でも、馬を借りることなら出来る。

 ゴンザは職場の人づてに郵便ギルド所有の厩舎(うまや)の手伝いの仕事を紹介してもらった。スキル無しでも、掃除や飼い葉や水を運ぶ世話なら余程馬に嫌われない限りは大丈夫だとのこと。貸し出しへの慣らしとして、馬の乗り方を教えてもらえることになった。





 そうしていよいよ、ゴンザは独り立ちの年を迎えた。

 背丈がぐんと伸び、しなやかな筋肉がついた。町の中を歩き回り、体力をつけ、たまに銅貨を拾い、馬の世話をする。飼い葉や水を運んでいるうちに、腕にも力がついたようだ。

 老爺と茶を飲み、同い年の友人の片思いを応援し、図書館に通って本を読む。そうこうしているうちに、あっという間だった。


 郵便ギルドと厩舎(うまや)の人、それから同い年の友人と修道院の老爺に別れの挨拶をした。特に老爺と友人には奮発してレターセットとインクを贈り、厚かましく手紙の約束を取り付けた。二人には、この際だから込み上げる気持ちに任せてギュッと抱きついた。

 老爺は餞別にと例のハーブティーの茶葉をくれた。この三年間でゴンザの舌に馴染み、味が分かるようになった。老爺との時間を思い出させてくれる味だ。

 味が分かるようになるまでは匂いと色のついたお湯として飲んでいたが、気持ちを和らげる効果があったらしい。取り繕った顔でお湯を飲んでいるゴンザを老爺はどう見ていたのだろう。三年越しのネタ晴らしに、老爺の腹の内を想像し、つい吹き出してしまった。

 同い年の友人は旅の供にと干し肉をくれた。彼は肉屋で働いている。「俺がバラした肉だ、味わってくれ」とのこと。

 ゴンザも彼に何かスキルで気の利いた贈り物が出来ると良いけれど。恋のお守りとか。ゴミで。


 出立予定日の一週間ほど前。例のごとく機嫌の悪い母親に呼び立てられたゴンザは、もうこれで最後だからと付き合ってやることにした。父親は食事時か用事がない限り自室から出て来ない。

 母親は色の悪い唇を開く。

「あんたこの先どうすんの、そんなんでやって行けると思ってるわけ」

「大丈夫。ちゃんと来週には出て行くよ」

 ゴンザは平静を保つようにして言う。相手が返答を求めていないことは分かっている。彼女は機嫌が悪いから、それを晴らすためにゴンザを言葉で殴りたいだけだ。ゴンザももう母親の返事を求めてはいない。

「友達だか先生だか知らないけど。あんたの味方をするのなんか、たったそれだけ。

 世の中に100人いたら、99人があんたのことおかしいって言うに決まってる」

「ああ、そう。まあそれでも出て行くから。心配しないで」

 修道院の教室で習ったこと。友人と話したこと。読んだ本。星はどうして空から落ちて来ないのか。昔はとにかく聞いてほしくて、たくさん喋っていた。それがこうやってゴンザを攻撃する材料に使われると気づいてからは、全部やめた。彼女は最近のゴンザの何を知っているのだろう。

「お前は昔っからそう。ちっともかわいくない。

 性根がねじ曲がってるからゴミみたいなスキルしか貰えないんだ。

 ゴミ漁りなんか賤しいやつのやることだ。お前は賤しいんだって神様が言ってるんだよ」

 悲しくない、もうこんなことで、悲しくなんかない。



 約束の日の朝。外はよく晴れており、風は涼しく、何かの花だかの甘い匂いが運ばれてくる。ゴンザはあまり好きではない匂いだ。

「食料足りてる? お金はちゃんと持った?」

「大丈夫」 

荷造りは前日までに終わっていて、この段階でする話ではない。

 何くれとなく世話を焼く素振りを見せる母親を(かわ)し、ゴンザは来てくれた近所の人らに挨拶を交わす。

「ゴンザ君、いつの間にか立派になっちゃってー。お父さんお母さんも安心ね」

「いえいえ、どうも」

「あんのひょろっとした坊主がなー。変なもん食うなよ。都会の女には気ぃ付けろ」

「あはは。さすがにもう拾い食いはしませんって」

母親は見るからに上機嫌で、父親はよく分からない。特別嫌なことを言われたりされたりした覚えはないが、母親を止めてくれたこともない。そういう人もいるのだろう、とゴンザは気にしないことにしている。


 一通り挨拶が終わったところで、彼は大きく息を吸い込んだ。

「それじゃ、もう行きますね。お見送り、ありがとうございました」

「達者でやれよ」

「気をつけてー」

「元気でね」

「体に気をつけて」

「向こうに着いたらちゃんと連絡するのよ」

連絡は、しない。おおまかな行き先は伝えてある。偽の行き先だ。ゴンザはもう大人なので、自分のために嘘を()くことだって出来る。

 心の中の宝物部屋の、未練がましく捨てられないでいた、最後の一つ。


 さようなら。





 雑踏。声。色。におい。石畳の道を抜け、目の前に広がるのは――


「これが、海」


 青い。いっぱい。音。波。ずっと遠くまで続いている。初めて嗅ぐにおいがする。心地良いにおいではないが、これが海というもののにおいなのだろう。


 旅の荷物を背負ったままふらふらと砂浜に降り立ち、一面の砂を踏む新しい感触を楽しみ、波打ち際まで寄って行って水に手を浸す。本には塩の味がすると書いてあった。

 本当だ、しょっぱい。誰がこんなに塩を入れたんだろう。神様がスープでも作ろうとしてやめたのか。火に掛けないでくれてよかった。魚が死んでしまう。ああ、魚のスープか。そういう料理があったら食べてみたい。海の魚は食べたことがあっただろうか。

 一通り物思いをして満足し、何の気なしにスキルを使ったところ、気になるものがあった。見たところ丸みを帯びた、薄緑色の半透明の石のようだが、ゴンザのスキルでは通常、石は対象にならない。


「?」


 新しい街。新しいゴミ。幸先が良さそうだ。

 ゴンザは石もどきをポケットに突っ込み、郵便ギルドに紹介してもらった宿屋へ足を向けた。



 ゴンザがやって来たのは、出身の町と同じご領主様のお膝元の、港街だ。

 ゴンザは本の挿し絵でしか見たことがない海というものを、どうしてもこの目で見てみたかった。

 見るだけなら住むのではなく旅行でも良かったが、行き先の候補を検討した際に、図書館の無料開放が決め手となった。


 図書館の無料開放やゴミ収集事業はご領主様肝入りの施策で、ゴンザの出身町のような規模の町で試したのちに、この港街や領都に適用されるらしい。つまり、この大きな街には無料の図書館だけではなく、役場によるゴミ収集がある。


 ゴンザとしては、役場のゴミ収集を仕事にしたい気持ちは既になく、どうせなら街のあちらこちらにゴミが散乱しているほうがスキルで探し甲斐があるのにと一瞬思ったが、己がにおいが気になる性質(たち)であることに思い至り、その考えを改めた。

 ゴミ捨て場のように特定の場所で臭うなら、そこから離れれば解消されることが分かっているので耐えられるが、あれが街中だと生活するのは難しい気がする。


 それに何より、ゴミ収集は疫病が蔓延するのを防ぐために行われているのだった。ゴンザが悪臭に悩まされないで暮らせていたのはそのお陰。自分にとって当たり前の環境が、それより悪くなることを想像するのは難しい。スキルのことしか考えなかったことを反省した。


 そういうわけで、海と図書館とゴミ収集があるこの街が第一候補となり、港から様々な荷が入ってくるので目新しい品々も多くあると予想され、その分ゴミの種類も豊富であると思われ、好奇心が搔き立てられ、郵便ギルドにも頼れることからこの街に決まった。



 ゴンザは宿屋の一室で手紙を書いている。

 ペンはともかく、レターセットなんてすぐに使わないだろうから荷物に入れなかったのだが、チェックイン時に女将(おかみ)さんに宣伝された。

 何でも「遠くにいる、あの人へ」だそうで、代筆も受け付けていて、郵便局へまとめて運んでくれるらしい。この宿を紹介された所以(ゆえん)が分かった。


 ゴンザの手紙の宛先はひとまず、あの町の同い年の友人だ。女将(おかみ)さんにポケットの中から取り出した薄緑色の半透明の石もどきを見せて尋ねたところ、まれに砂浜で見つかる人魚の涙というものらしい。拾える涙もあるのだな、と彼は思った。

 ゴンザのスキルではゴミ判定なのが如何(いかん)とも言い難いが、「恋人への贈り物にどうだい? 幸運の証さ、喜ばれること請け合いだよ!」と言われたので、友人にやることにした。あいつの恋の成就を願って。

 女将(おかみ)さんが目を輝かせて「ネックレスなんかどうだい? 評判の良い細工師がいるよ!」と身を乗り出してきたのに、一瞬「それなら洒落たものを作ってくれるだろうな」と考えて迷い、友人が手先が器用なのを思い出して断った。彼ならきっと自分でやりたいだろう。「せっかくだけど、手作りで、」とまで言い掛けたところで、女将(おかみ)さんが「おっ! やるね~!」と大喜びしてしまった。何か誤解を与えてしまったかもしれない。


 海を見たこと。本当に塩辛くて変なにおいがすること。

 宿屋の夕食で出た魚の揚げたのがなかなか美味かったこと、あとから酢をかけてみるのも乙なこと。

 もらった干し肉は道中で少しずつ削って食べていたがいつの間にかなくなっていたこと。

 そして海のそばで人魚の涙と呼ばれる良いものを拾ったから同封して送る、幸運の証だと聞いた、健闘を祈る、と。


 ペンを置いてゴンザはベッドに横たわった。夢も見ないでぐっすりと眠った。





 それからというもの、ゴンザはこの大きな港街で郵便配達夫をしながら、野菜ひとつ買うにも色の洪水と人の多さに圧倒され、嗅ぎ慣れないにおいに足を止め、それでも徐々に慣れてきて魚料理も覚え、休日に馬で遠出をしている。


 あの町にいて港街を想像していた頃は、物の種類が違うのだからゴミもさぞや目新しいだろうと考えていた。

 だが実際のところ、場所が変わっても人の暮らしはそう変わらない。食べ物があり、容れ物があり、道具や身に着けるものがある。

 知らない野菜も果物も海の魚も、そこから出るのは生ゴミだ。皮は皮。布は布。鉄は鉄。珍しい容れ物やきれいな布が売られていても、それはゴミではない。


 しかし、まだ彼はスキルのことを諦めたわけではない。どこまで何が出来るのか、彼は思いつく限りのことを試してみたかった。

 それなら街を離れれば何か違うものが見つかるかもしれない。人が暮らす場所から離れたところにある、人の手から離れた人の痕跡。

 「想像し得ぬものを想像したことがおありですかな?」。老爺の声が心の中に響いてくる。


 当初、町から町へ手紙や荷物を運ぶ仕事も検討したのだが、それだと当然、道を逸れてゴミを拾いに行くことが出来ない。

 スキルでゴミを感知できる距離のほうは、遠くにあるゴミを拾いに行かなければ伸びないようで、スキルの効果がこの街の範囲を超えた時に、ゴンザは馬での遠出を始めた。

 無論、お金がかかるので休日(ごと)とはいかない。


 仕事のある日は街中を歩き回り、たまに銅貨を拾い、遠出をしない休みの日には知らない香辛料や野菜を片っ端から試す。

 香辛料単体だと首を傾げるものも、料理になると何とかなることがあり、それが面白かった。


 香辛料といえば、冬になる前に仕込む葉野菜の塩漬けが、ここではゴンザの知っているものとはひと味違っていた。久々に舌が恋しくなり、近所の飯屋で頼んでみたところ、似てはいるがゴンザの記憶とは一致しなかった。

 それでゴンザは、この街にはこの街の味があるのだなと思ったのだが、近隣一体で集まって皆で仕込む土地柄ならともかく、こういう街では作る人によって違うのだと香辛料屋の親父さんが言っていた。

 季節になるとよく故郷の味を求めるお客さんが「葉野菜の塩漬けに入れる()()香辛料を下さい」といって訪れるらしく、「()()ってどの」とは言わずに、地域差を説明して手掛かりを聞き出すのが店の人にとっての風物詩らしい。

 ゴンザは知らなかった。それなら、これから好きな味を探求しても良いだろう。

 あの家のも悪くはなかったけれど。作り方だけでも聞いてくればよかったな。


 老爺から餞別にもらった茶葉が底をつき、ハーブを育ててみようと思い立ってズボラさから頓挫し、その顛末を手紙で老爺に報告したところあの茶葉と同じものがこの港街で土産物として販売されていることを教えてもらい。

 同い年のあいつがとうとう片思いだったのあの子と良い仲になり、相手の誕生日に贈るためにあの半透明の石もどきをどう加工するか決めかねているというので、人だかりの出来ている装飾品の露店をどうにか覗き込んで目に焼き付け、下手くそな図を二、三書いて手紙を送り。


  

 ある年の春。溶け残った雪。まだ冷たい風が頬を切る。

 ゴンザは例によって野を馬で駆けていた。目指す先は銅貨である。道からはだいぶ外れている。


 こんなところに銅貨?


 言い知れぬ緊張感があった。強盗の(たぐ)いだったら落ちているのは銅貨一枚では済まないだろう。

 人が銅貨を落として、拾えない。ゴンザのものにしてしまって問題にならない状況。道中で何かの拍子に落として気付かなかっただけなら良いけれど。


 ――いた。ああ。


 倒れた男性。出血は見られず、獣に襲われたわけではなさそうだ。

 外套のポケットから飛び出したのか、そばに銅貨が一枚落ちている。こんなに近くに落ちているのに銅貨の持ち主でなくなったということは、彼は亡くなっている。

 周囲にはこの男性が摘んだらしい黄色い花が散らばっている。スキルか何かで群生地を目当てに菜摘みに来たのか。


 ゴンザは胸がばくばくしてきた。

 ゴンザではとても仕立てられないような立派そうな外套に靴。男性の荷物は彼が肩掛けした鞄の中だ。地面に落ちていないからか、ゴミ判定されていない鞄ごと持ち去るのは危険でも、鞄の中を探って中身だけ頂戴するといった真似なら可能だろう。きっとバレやしない。

 スキルで暮らす。価値のあるものを拾う。金銭。ゴミみたいなスキル。愚にもつかない……。

 彼の目の前は混乱と緊張でグルグルして来た。どうしよう、どうしよう……。


 いや、だめだ、考えろ。


 ゴンザは頭を振った。ゴンザは泥棒がしたくてここまで来たわけではない。

 人が死んだら悲しむ人がいるかもしれない。連れて帰るのが一番だが、腕に力がついたとはいえ、さすがに成人の男性ひとりを抱えて馬で帰る技術はゴンザにはない。となれば、誰かに知らせるべきだろう。この場所は、銅貨を拾わないままにしておけばあとで分かる。

 あとは、街に知らせに帰ってまたここへ戻る間に獣に荒らされてしまわないかどうか……。せめて形見となるものがあれば……。


  ゴンザは心の中で詫びて、倒れた男性の鞄を開き、身元が分かりそうなものを探した。身なりからして、貴族ではないにしても、一村人ではないだろう。

 偉い人が自分を証明するのに使うものってなんだ……本では指輪とか印章とか封蝋とか……それは貴族か、ええい何か特別そうなもの……。

 鞄からはこれというものが見当たらず、外套のポケットを探り、立ち上がって辺りをもう一度見て、それを見つけた。

 眼鏡だ。落ちているのに、ゴミ判定にならないもの。これをゴンザが拾って好きに扱ったら、問題が起こるもの。誰か探している人がいて、これを見たらそうだと分かるもの。


 ゴンザは馬に乗り、街へ向かった。

 息も切れ切れに役場に駆け込み、眼鏡を見せて亡くなった男性について出来る限りのことを説明した。

 「出掛けたまま帰ってこない」と家人に探されている男性に年の頃や髪色と眼鏡の特徴が合致するらしく、迎えに行くことになった。



 それから。


 野で亡くなっていたのは商業ギルドの前会頭だったらしく、立派な外套にも特注の眼鏡にも納得であった。春の菜摘みは前会頭の趣味だったそうで、行き先を告げずにふらっと一人で出掛けたらしい。

 ゴンザは謝礼を辞そうとしたが、「あの人がきれいな姿で帰ってきてくれて本当に嬉しいの。ちゃんとお別れが言えるわ」と上品な老婦人に涙ぐまれ、突き返すのも気が引けて受け取ってしまった。

 あの黄色い花のサラダは婦人と前会頭の共通の好物だったそうだ。


 相手がこの街で影響力のある人物ということもあって今回の出来事はちょっとした噂になり、ゴンザは行きつけの飯屋でも香辛料屋でも職場でも褒められた。人が亡くなっているから、「お手柄だ!」と明るく背中をバンバン叩かれる空気ではないが、良いことをした、見つかってよかった、なかなか出来ることじゃない、としみじみしたふうだった。

 だが、ゴンザはスキルのことを誰にも言わなかった。たまたま、あの辺りで馬を走らせていてということにした。

 あの日役場に駆け込んだ時にはそこまで頭が回らず、とにかく早く戻らねばと気が急いて、場所と倒れていた男性の特徴についてを説明しただけだったが、後々になって、それでよかったと思った。


  もし今回のことが「行方不明の人をゴンザがスキルで探し当てた」とだけ伝わってしまったら、大事な誰かを探す人らがゴンザに縋りに来るだろう。「どうかあの人を見つけて下さい」と。

 ゴンザは生きている遭難者を捜せないだろう。もし事前にゴンザのことを知っていて、銅貨を地面に落としてもらったとしても、生きているうちは持ち主と銅貨の繋がりが切れないから。

 死者を探すにしても、今回のように遺体が無事で、都合良くゴミ判定が出るものがそばに落ちたままになっているとは限らない。


 ゴンザは知っている。どんなに真摯に言葉を尽くしても、意味を成さない場合があることを。

 だからゴンザは「ゴミスキルにだってこんなに良いことが出来るんだ」とは言わないで、誰かを見返したいとも思わないで、たまにこっそりと、役場の行方不明者情報を見て、遺体を見つけたら匿名を約束してもらって報告している。

 ゴンザが下手人だと疑われても困るので、のちに担当の人にだけはスキルで出来ることと出来ないことをちゃんと伝えた。

 スキルに関わることなので、修道院との関係もあり、秘密が漏れる心配はなさそうだ。





 ゴンザは、気にしなくていいことを兎角(とかく)気にする人間だ。

 けれども、少年期に合わない靴を無理に履いていた彼の足の、小指が潰れて短く、爪が歪んだ形で生えてくることを、鷲鼻よりは気にしていない。


 ゴンザは普通のスキルでそれなりの仕事に就くことなく、かといって特別な力を発揮することもなく、問い、考え、ゴミとゴミでないものを判別し、己のスキルでどこまで何が出来るのか、答えを探しながら暮らしている。


 ゴンザは今日も大きな港街で、自分の靴を履いて歩き回り、銅貨を拾い、図書館に通い、手紙を書き、土産物のハーブティーを愛飲し、好みの葉野菜の塩漬けを探求している。

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― 新着の感想 ―
大抵の人間は特別なものも持たないで生きているし、こちらの世界にもスキルなんてない(あったら欲しい)けれど、結局受け取り方次第で不幸にも幸せにもなれるんだ、と読後思いました。 他人にとってはゴミでも、自…
狭い場所で、自分だけのものの見方や考え方が偏っていることにも気づかずに、自分以外にもそれを強いてしまう。両親のあり方について、いやだと主人公が胸のうちに強く思ったことを自分はよくしてしまう側になってる…
含蓄のある話でした。 人生は好みの葉野菜の酢漬けの味を求めるようなものなのかもなぁ…と思うような話でした。故郷のものに似てはいるけれど、同じものではないものを探す季節を繰り返すのがね…
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