第12話「地下の梯子—影金庫監査」
朝は封印、昼は供述、夜は突合。
王都南門の聴聞所は地下に半ば沈み、壁の石は冷たい。影金庫の紙束は、日光の代わりに朱で温めるしかない。私は扇を伏せ、笑顔の角度を零度にした。冷えの中で熱を出すと、嘘の湯気が立つ。
出席——闇金庫長セラドン、若い助手、教会庫管理人代理、供給者協会代表、王太子室書記、王弟側執務官リヒト、そして私。
冒頭で、私は**『影金庫監査式』の条を机に並べる。
一、帳外口座台帳の封印写し(両者立会)
二、鍵鈴の音高記録(無響室・第三者測)
三、休眠貸付の温度検査(返済流の滞り)
四、帰順減免(供述+構造図)
五、相互参照(地上の求償台帳と突合**)
六、迷ったら四十八時間(先行冷却)
リヒトが短く頷き、王太子室書記が版管理の札を立てる。
〈監査式 v1.0→1.1(音不在記録 追記)〉
「まず、鈴」
チーノが無響室の記録板を掲げる。半音下がった鈴、布で包まれた鈴、布を外し戻した鈴——三本の波形が並び、最後だけが真ん中に戻る。
私は静かに言う。
「音は嘘をつかない。助手の行為は、違反だが帰順が始まっている。番号は未熟#089:『鍵管理・音抑制』。帰順減免の対象」
次に、温度。
私は返済流の折れ線を机に広げる。
「油屋関連の貸付、半年前から返済熱が急冷。洗浄の痕は一度。隠匿の冷えが四回。地下水の温度に近い谷が、三月前」
セラドンはまばたきを一度だけした。
「詩だが、筋がある」
「筋は番号で証明しますの」
私は突合表を重ねる。『求償台帳#R-41—裏の倉』の支払い線と、闇金庫口座#S-12の受け取り線が日付一致で交差する。
「——供述を」
リヒトが促すと、若い助手が前へ出る。肩は薄いが、声は折れない。
「布で鈴を包み、半音を下げました。指示はありません。怖くて、鍵の音を消した。返済が止まった夜に」
「誰が怖い?」
「借り手の怒声。そして——上の静けさ」
上、つまり地上。私は頷き、帰順減免の欄に朱を置く。
「供述+構造図の提出で、半減から始める。鈴を戻し、構造図に線を引くこと——二割さらに減免」
セラドンがゆっくり視線を上げた。
「闇金庫は、恥と沈黙でできている。光で干すと、役目が死ぬ」
「光は全部ではない。番号は影でも読める。沈黙を構造図に変換するのが、監査式」
私は構造図を広げた。王太子室/伯爵家金庫/闇金庫#S-12/油屋。兼任顧問の線はすでに切断、求償の車輪が地上側から咬みついている。
「闇に梯子を立てる。朱は血ではなく、足場の色」
封印写しの開封に移る。
両者立会、二本鍵、鈴の音を確かめてから封蝋を割る。
中の紙は乾いて、角がわずかに上を向いていた。
私は扇を閉じ、笑顔の角度を一度だけ浅くする。
「紙は夜に乾く。——地下でも、それは同じ」
突合。
地上の求償台帳と、地下の帳外口座を番号で合わせる。偽番は緑の糸、一致は朱。
メイが糸を渡し、チーノが結び、私は余白に数字を置く。
「一致二十一。不一致四。不在三——音の不在と同じ場所で数字が消える」
セラドンが短く息を吐く。
「不在の責は貸し手が負う。帰順を受ける」
受け入れは、一語でいい。私は帰順減免の印を半分、朱で塗った。
——休憩。
地下の廊で、王太子が紙切れを持って待っていた。
「未熟ログの第二面、構造図で出した」
紙には太い線と番号。名前は黒。
「南門の闇金庫は、番号で描く。“若さ”は殴らない。“違反”は直す」
彼は静かに言い、『先行冷却プロトコル』の札を示した。
「迷ったら四十八時間——政治にも効く」
「勇気の節約は、恋と責任の交通整理ですの」
王太子は短く笑い、去った。活字の笑いは、余韻が長い。
——後半戦。
帰順供述の構造図が机に載る。助手の線、セラドンの線、油屋の線。
矢印が地下→地上へ伸び、求償の車輪と止水栓で逆流を止める図。
私は判定を置く。
「影金庫#S-12——帰順減免を四割から開始。構造図の精度に応じて二割加算、偽番発見時には停止。助手は停職四週、教育猶予の実習に算入」
セラドンは目を閉じ、開いた。
「退屈な合意だ」
「退屈は長持ち」
ラモナが後ろでメモに小さく「退屈=丈夫」と書いたのが見えた。
聴聞は夕刻、鐘が二度鳴る頃に終わった。
地上に出ると、南門の空は薄藍。鈴の音は—鳴る。半音ではない。
メイが息を吐き、三行板を取り出す。
「本日の三行、いきます」
〈本日の三行〉
・影金庫監査:封印写し・音記録・温度検査・突合を実施。
・帰順:影金庫#S-12 減免開始(4割→最大6割)。助手は停職→実習。
・止水栓:地上求償と地下口座の番号突合、逆流を遮断。
チーノが引受余力を指で弾く。
「一・五八倍。求償見込みは七割五分。地下は長期だが、橋は沈まない」
「寮費基金?」
「四杯目、五世帯。三杯半、二十」
メイが備考欄に「四杯×5」と書き、点を五つ打った。米粒の点は、統計の最小単位で、生活の最大単位だ。
——夜。
事務所に戻ると、燕の冷却箱に一通。
《“若さ”と書かれた貼紙を剥がそうとしたら、怒られた。
——“違反”を番号で直す紙を重ねたら、喧嘩にならなかった》
私は扇を閉じ、笑顔の角度を一度深くした。
「欄干が増えた」
「落ちる人が減る」
メイが湯気の立つプリンを皿に移し、チーノが仮眠条項の札を立てる。
「四十五分」
「三十分」
「また十」
「魔法ですの」
灯を落とす前、王太子室から短文。
《“未熟ログ#017”の構造図**、庶民版も出す。三行要約付き》**
ラモナからも短文。
《“退屈=丈夫”の見出しは怒られるから、本文で効かせる》
私は「承りました」と返し、『約款の約款』の第四章と第五章の間に、『影金庫監査式』のタブを挟む。
罰と得の間に地下。地下に番号。番号の先に人。
紙は夜に乾く。刃は朝に研げる。鈴は嘘をつかない。
そして、泣く人の数は、また一、数字で減る。
———次回予告———
第13話「欄干の街—庶民版構造図と退屈の丈夫」
未熟ログの庶民版が三行要約で街角に増え、欄干が連なる。供給者協会の成果割引は初月の採点へ、影金庫は実習を受け入れ、燕の箱には感謝と小言が半々。退屈=丈夫の合言葉のもと、炎上は料理に変わる。だが、蜂蜜の紙面に古い噂の種がひと粒——冷蔵庫の温度は足りるのか、氷室を開ける夜が来る。