第11話「四十八時間の札—先行冷却プロトコル」
朝は札、昼は演習、夜は地下。
王都の掲示板と役所と商店の戸口に、同じ一枚が並んだ。
《迷ったら四十八時間》
—出典2以上/反論機会/時刻印—
私は扇を伏せ、札の角を指で押さえる。角は立って、そして寝る。寝た角は、街の体温を一度下げる。
「配布、千二百八十六枚。王太子室、書記隊が二列で回っています」
メイが記録板を抱えて駆け込む。頬は上気、字は真っ直ぐ。
「“迷ったら四十八時間”、言いやすい」
「勇気の節約は、声調が肝心ですの」
チーノは白墨で小さな三角を三つ描いて、下に数字を置いた。
先行冷却:提出→待機→照合→公表
遅延損失=先走り損−誤報回避益
「益が損を越えた。式が街を歩き始めたよ」
広場の一角では、供給者協会が偽番見抜き演習。
若手が配合記録の第三者保管箱を前に「鍵二人運用!」と声を合わせ、協会長がわざと偽番を混ぜ、第三者が鈴の音高で指摘する。
ラモナがメモを取りながら笑った。
「炎上の代わりに、演習が絵になる。広告は、こういう退屈を愛する日もあるのね」
「退屈は文明のごちそうですわ」
昼、燕の冷却預かり箱に、今日はいじらしい紙が一枚。
《ありがとう。怒りを入れて寝かせたら、明日は手順で話せました》
メイが箱の縁を撫でる。
「感謝は塩に似てる。腐りにくくなる」
「塩は広告も嫌わない」
私たちは短く笑い、扇を閉じた。
そのとき、リヒトが扉を押した。外套は乾き、目は濡れていない。
「油屋の供述に、古い借金が出た。——南門の闇金庫」
空気の温度が半度落ちる。
「地上の梯子は三本。地下にもう一本、降ろす」
「朱が足りるか?」
「濃い朱を。影金庫監査式を立ち上げる」
——南門外、闇金庫街。
陽の当たらない短い路地、扉は低く、鈴は鳴らない。匂いは薄く、足音は厚い。
私は扇を閉じ、笑顔の角度を零度にした。
木口に焼印。『保管は記憶、貸付は忘却』。悪趣味な標語ほど、本音に近い。
応接に現れたのは、白髪を平らに撫でた老人。闇金庫長・セラドンと名乗る。声は柔らかいが、音程が動かない。
「朱の紙を、ここに持ち込むのかね」
「紙は光の代わりですの」
私は新しい束を扇の下から出す。
『影金庫監査式(試案)』
一、帳外口座台帳の封印写し/二、鍵鈴の音高記録/三、休眠貸付の温度検査(返済流の滞り)/四、帰順減免(供述+構造図提出)
「温度検査?」
「通貨にも温度がありますの。洗浄は熱を上げる。隠匿は熱を奪う。返済が止まった冷えは、地下水の温度に似る」
セラドンは目を細めた。
「君は詩を話す」
「手順にする前段として」
リヒトが短く挟む。
「王弟殿下の聴聞を四十八時間後。先行冷却の札を渡す」
セラドンは札を受け、笑わなかった。
「迷いは四十八時間で消えぬ」
「迷いが四十八時間で言葉に変われば十分」
闇金庫の鈴は、ほんとうに鳴らない。代わりに、扉の鋲が低い震えを返す。
チーノが手帳に書く。
「金属の声、ゼロ。——音の不在を記録する欄がいる」
「影の温度は、不在で測る」
私は**『鑑識の台帳』に七番**を追記した。
七、音の不在(無響・減衰)
セラドンの視線が、紙に落ちる。目は鋭いが、手は静かだ。手が静かな相手は、手順で戦える。
——夕、王太子室。
未熟ログの第二面が刷り上がり、構造図は太い線になった。
王太子は札束のように先行冷却プロトコルを机端に積み、指で軽く整える。
「南門の件、王太子室から**“迷ったら四十八時間”を出す。公庫との协调も、番号で」
「番号は、影にも強い」
私は頷き、影金庫監査式の条を一つ増やす。
五、影口座の相互参照(地上の求償台帳と突合)**
「地上と地下の番号を止水栓で繋ぐ。逆流を止める」
そこへ、燕から魔鳥。
《“冷却預かり”に一通**。闇金庫の裏扉の鈴を半音下げているのは、若い助手》**
鈴の半音。私たちの楽譜は、音符が増えるほど読みやすい。
「助手の手当は?」
メイが即座に問う。
「橋を先に。帰順の細道を開く」
——夜、闇金庫裏手。
石段を降りると湿りが上がる。音は少ない。息は多い。
半開きの扉の向こうで、若い助手が鈴を布で包んでいる。音を消す技術。
私は扇を閉じ、零度の声で言う。
「四十八時間。——鍵に触れないで。供述すれば、帰順減免」
助手は驚き、そして、諦めずに考える顔をした。
「誰が傷つかない?」
「番号だけが晒される。人名は黒。構造図で責任を差し出せば、減免」
彼は頷き、布から鈴を外した。音が一音、上がる。
「鈴は嘘をつかない」
「鈴は勇気の節約を助ける」
短い会話で地下に梯子が一本、降りた。
戻ると、王都の空に薄い月。
私は事務所で**『影金庫監査式』を清書し、朱を濃く置く。
・封印写しは両者立会/音不在記録は第三者測/帰順減免は供述+構造図/相互参照は番号突合——迷ったら四十八時間。**
メイが庶民版の掲示も作る。
〈闇金庫に関わったら読む紙〉
・“若さ”を殴らない。“違反”は番号で直す。
・鈴を弱らせない。音が下がったら止まる。
・迷ったら四十八時間。
ラモナが遅れて現れ、肩をすくめる。
「退屈が増えていく音ね」
「退屈は寝具。炎上は花火。——睡眠が勝つ」
「三行、今夜は?」
メイがチョークを持ち、板へ。
〈本日の三行〉
・先行冷却:札配布1286/“迷ったら四十八時間”。
・影金庫:監査式(試案)作成/音の不在を記録。
・帰順:助手が鈴を戻す/聴聞は48h後。
チーノが引受余力を指で弾く。
「一・五七倍。求償見込みは七割四分据え置き。地下は長期戦。寮費基金、“四杯目”は四世帯へ」
「備考欄に四杯、四」
私は扇を閉じ、ミントを噛む。苦味は、地下にも効く。
灯を落とす前、王太子から短文。
《南門の件、構造図で出す。名前は黒、番号は太字》
私は「承りました」と返し、笑顔の角度を一度深くした。
紙は夜に乾く。刃は朝に研げる。梯子は地下にも立つ。
そして、鈴は嘘をつかない。
———次回予告———
第12話「地下の梯子—影金庫監査」
聴聞は四十八時間後。影金庫の封印写しと音の不在記録が並び、帰順減免の供述が構造図に差し込まれる。若さではなく違反、恥ではなく番号。王都南門の闇に、朱の足場が届くか。三行は今夜も睡眠を護り、四杯目は五へ。