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第10話「見える得—正しく面倒の成果割引」

 朝は算盤、昼は湯気、夜は帳簿。

 私は扇を伏せ、供給者協会との合意書に朱を入れた。見出しは短く——

『成果割引 運用細則(供給路・三ヶ月試行)』

 一、無事故期間(三ヶ月)/二、抜き打ち照合(月二回)/三、再発防止講受講証の提出/四、鍵の二重保管。

 達成で求償額 一割減、全達成で二割減。見える得は、動機の最短距離だ。


「スタンプ、かわいいです」

 メイが封緘用の印影を覗き込む。小さな歯車と一滴の油。

「可愛すぎず、怖すぎず」

「“見える得”は飴でなくメートル。——長さで示すの」

 チーノがホワイトボードに棒グラフを描く。

達成0→0割/達成1→1割/達成3→2割

「二割で十分?」

「二割で誇りが残る。これ以上だと逃げ道に花が咲く」


 供給者協会の会議室は、昨日より空気が軽かった。

 若手が三人、首から成果割引カードを下げて入ってくる。カードにはQR魔方陣、読み込めば照合予定と受講カレンダー。

「見える得、動きます」

 彼らの目は、油面に映る初日の光みたいに澄んでいた。

 協会長は咳払いを一つ。

「抜き打ち照合は、対等で頼む」

「対等は手順の別名」

 私は扇を倒し、第三者保管の箱の鍵を二本見せる。片方を協会側に渡す。

「二重保管。——氷室の鍵は二人で回す」


 合意を貼り出して広場へ向かう途中、路地裏の代書屋〈燕〉の前で足が止まる。

 “冷却預かり箱”が、昨日よりも太った。箱の側面には、メイの細字で利用ルールが貼られている。

・怒りの手紙は箱へ。四十八時間で返事。

・代筆は同意書つき。撤回可。

・箱の中は氷室。扉は誰でも開けられる高さに。

 店主の燕が箱を叩いて笑う。

「怒りは寝かせると食べ物になる。冷やした怒りは交渉のだし」

「だしは透明がいい」

 私は箱の陰に手を入れ、溶けかけの怒りの端に触れてみる。温度は下がっている。炎上は、冷蔵庫に弱い。


 ——午前の鐘が二つ、王太子室から紙伝。

《“未熟ログ”の公開範囲について意見対立。室内で開示派と限定派が拮抗》

 未熟ログ——昨日決めた「未熟=違反」の記録台帳だ。

 私は扇を閉じ、笑顔の角度を一度浅くする。

「曝しは抑止になる。けれど羞恥が救済を削るなら、温度が下がりすぎ」

「範囲は?」

 チーノが訊く。

「番号で出す。人名は黒塗り。要件と対応、訂正履歴だけ公開」

「見える得に似てるな。見える罰は番号で」

「罰は番号、救いは橋」


 王都倉庫群の通りでは、昨日から出回っていた貼り紙——

《未熟=若さ。叩くな》

 上から庶民版・掲示用を重ね貼りする。

—“未熟”は“若さ”ではありません—

・未熟=手順違反(番号で示す)/若さ=経験不足(教育で補う)

・謝罪=感情の表明/訂正=手順の更新

 通りすがりの職人が読み、鼻で笑って言う。

「番号なら喧嘩にならねぇ」

「番号は殴れないですから」

 メイが肩で息をしながらも笑う。貼り紙は言葉の欄干だ。欄干がある橋は、人が落ちにくい。


 ——正午、相互扶助 分配会議・第3回。

 議題は二つ。

 一、成果割引に伴う回収見込みの再計算。

 二、“手の写真展”の第2弾。

 チーノが数字を並べる。

「求償見込み七割一分→七割四分。成果割引で減る分は、再発防止の期待減損で相殺。引受余力一・五二倍→一・五四倍へ」

「二杯半の世帯は?」

「八に減った。三杯半は十七に増」

 メイが写真展の新作案を広げる。

・“鍋の湯気”をすくう手(炊き出し係)

・“訂正の二重線”を引く手(王太子室書記)

・“鍵束”を二人で持つ手(協会+第三者保管)

 ラモナが見に来て、指先で二重線の写真に触れるふりをした。

「二重線、紙面映え。広告も好き」

「訂正が絵になる国は、長持ちしますわ」

「炎上は派手、訂正は丈夫」

 彼女の三語は、新聞の裏表みたいに綺麗に重なる。


 会議の最後に、オルガン(工房主)が控えめに手を挙げた。

「“美談”を断る文句を、教えてくれ」

 私は少し考えてから、紙に一行書いて渡す。

『——話は工程のあとで。皿が足りてから』

 物語は湯気、工程は火加減。湯気は香りを連れてくるが、火が消えた鍋からは出ない。


 ——午後、王太子室・未熟ログ協議。

 文官の一人が声を荒らげる。

「番号だけの公開は不誠実だ。名前がなければ誰も学ばない」

 もう一人は首を振る。

「羞恥は復讐を呼ぶ。復讐は手順を壊す」

 王太子は紙を見たまま、短く言った。

「番号で行く」

 静電気みたいな緊張がはじける。私は扇を倒し、テンプレートを配る。

《未熟ログ 公開書式》

・違反番号/要約/発生日/対応/訂正版

・関与者名は黒塗り、利害の構造図を添付

・撤回権/期限と理由

「人ではなく結び目を見える化する。恥ではなく構造で殴る」

 リヒトが頷く。

「構造図は王都史の隣に置ける」

「辞書と同じ棚に」

 言葉の置き場所が決まると、街の温度が一度下がる。


 協議を終えて廊下に出たところで、燕から魔鳥。

《“冷却預かり”に脅し文混入。氷室を試す手か》

 私は扇を閉じ、目だけ笑う。

「氷室には塩を。塩は腐敗を止める」

 脅し文は、匿名・誤字・固有名詞の乱舞。温度が高く、筋が無い。

 メイが冷却箱の前で、丁寧に受領印を押す。

《受領。四十八時間待機。照合項目:出典×/反論窓口×/指紋×》

 箱の内側に光が灯り、文の温度が少し落ちた。

「怒りは待機で蒸気が抜ける」

「蒸気は湯気に」

「湯気は香りに」

 私たちの腐心は、ただの料理の段取りに似ている。けれど段取りは、時に文明の別名だ。


 ——夕刻、王都広場・未熟ログの初掲示。

 大判の紙に番号と要約、脇に構造図。

〈例:未熟#017〉

違反:確認より公表を先行(手順3)

対応:四十八時間冷却→公開訂正1.1

構造図:王太子室/兼任顧問/伯爵家金庫(関係線)

 人垣は静かだった。名前を探す目は、やがて線を見る目になり、最後に要件を読む目になる。

 ミナが立ち尽くし、ぽつりと言った。

「怒っていいのか、わからなくなる」

「怒りは要件の隣に置くと、形が見える」

「形が見えると、三杯目が冷めない」

 私は頷く。米の比喩は、王都でいちばん説得力がある統計学だ。


 そのとき、供給者協会から若手が駆け込んだ。

「抜き打ち照合、一件不合格。——配合記録の第三者保管に偽番が混じった」

 二重偽装が供給者梯子に爪を立てた。

 私は息を浅くし、笑顔の角度を零度に戻す。

「“正しく面倒”を上げる」

 私は成果割引に但し書きを追記した。

『—偽番の発見時は、割引停止+教育猶予の延伸**。再発防止講の実地演習(鍵二人運用)を追加』**

 協会長は唸り、若手は頷く。

「面倒は正しく、長く」

「面倒の設計が秩序の骨ですわ」


 ——夜、事務所。

 メイが三行の板にチョークを走らせる。

〈本日の三行〉

・成果割引 運用開始/達成で最大二割減。

・未熟ログ 初掲示/名前でなく番号と構造図。

・冷却預かり 稼働/脅し文は塩で保存。

 チーノが引受余力の表を軽く叩く。

「一・五四倍。統計に湯気が入った。三杯半→十八世帯」

「四杯目は?」

「三」

 メイが小さくガッツポーズをする。

「備考欄に四杯、三」

 私は扇を閉じ、机の端のプリンを見る。

「冷蔵庫から出して五分」

「氷室は?」

「広告が嫌うので」

 三人で笑う。短い笑いは、抑止と分配の間の潤滑だ。


 魔鳥が窓を叩いた。ラモナからの短文。

《明朝、“未熟ログの読み方”特集。三行要約+構造図の見方**》**

 私は承りましたと返し、**『約款の約款』**の余白に一行を加える。


——“見える得”は動機、“見える罰”は抑止。二つを番号でつなぐのが、書式。


 灯を落としかけたとき、扉が二度叩かれた。

 王太子が一人で立っていた。従者はいない。

「未熟ログ、見た」

 彼は紙を胸に抱え、わずかに息を整える。

「名前がないと、守られている気がした。番号があると、逃げられない気がした」

「逃げないで済むのが、番号ですわ」

「未熟の番号を増やさない書式は、あるか」

 私は頷き、棚から薄い紙束を出す。

『先行冷却プロトコル(試案)』

・公表前の三問チェック(出典/反論/時刻印)

・兼任禁止の自己申告フォーム

・“迷ったら四十八時間”の札

 王太子は紙を受け取り、呼気で端を少し揺らした。

「迷ったら四十八時間。——良い言葉だ」

「勇気は節約できますの」

 彼は小さく笑い、踵を返す前に言った。

「寮費基金、二ヶ月ぶんの私費を追加する。撤回権つきで」

 私は頭を下げ、扇の骨をそっと鳴らした。こわやさしいの隙間に、やさこわいが一滴落ちる音がした。


 ——深夜。

 王都北門の風は、昨日より甘くない。香油が計量カップに入ったように分量を守り始めたのだろう。

 私は**『約款の約款』の第五章と第四章を開き、間に“成果割引”のタブを挟む。

 罰と得の間に橋**。橋の欄干に番号。番号の陰に人。

 その配置で世界は少しだけ、長持ちする。


 ミントを噛み、灯を落とす。仮眠条項は三十分。

「十足りない」

 チーノが笑う。

「魔法」

 メイが毛布を肩まで上げる。

 眠りに落ちる前、私は机の端の**“三行”を指でなぞった。短い三行は、眠りの見出し**。続きは朝に——刃で。


———次回予告———

第11話「四十八時間の札—先行冷却プロトコル」

 先行冷却の札が王都に配られ、未熟ログは番号で回転。供給者協会では偽番の実地演習が始まり、燕の冷却箱に感謝状が投函される。王太子室の迷ったら四十八時間は、政治の足をいったん止め、恋と責任のタイミングを合わせる。だが、油屋の供述が指す古い借金が、王都南門の闇金庫を叩く。梯子はもう一本、地下に伸びる——朱の足場は届くのか。

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