第4話:旧処方の痕跡
後宮の薬房は朝日で淡く染まり、棚に並ぶ薬罐が金色に輝く。しかし、明るさに反して、今日の私の心は暗かった。香袋の成分、夜の足音、侍女たちの微妙な挙動……匂いの断片は揃ったが、答えはまだ見えない。
「杏、そろそろ見せてもらおうか」
蔵六が静かに近づいてきた。彼は古い処方箋を手に取り、慎重に広げる。墨の匂い、紙の匂い、そして微かに残る硝子の香り――時間を経ても消えない匂いは、過去の事件の痕跡だ。
「これ……古すぎる……」
私は息を呑む。処方の文字は時代物で、現代の後宮薬とは違う手法で書かれている。成分も、現代では使われなくなったものが混じっていた。匂いでわかる、これを作れる者は限られている。
「瑠璃の香袋も、この旧処方に関係しているのか?」
「間違いない。誰かが、古い知識と後宮の材料を使って、香袋に警告を仕込んだのだろう」
蔵六は指で紙をなぞり、思案する。
私は棚から古い薬罐を取り出す。鉄の香り、甘い香り、微かな土の匂い……香袋の成分と照合すると、一つの仮説が浮かぶ。香袋は瑠璃への単なる攻撃ではない。誰かを守るため、もしくは警告するために作られたものだ。匂いの組み合わせが、意図を語っている。
午後、私は後宮内の複数の部屋を巡る。侍女たちや官吏の間に漂う微かな香りを嗅ぎ分け、情報を整理する。鉄の匂いの混じった香りは、昨夜の足音の主と一致する。花の匂いが混じる場所では、警戒心や嫉妬の気配が濃くなる。匂いは、隠された心理を如実に示す。
夕刻、瑠璃が再び薬房に現れる。顔色は少し良くなったが、まだ不安げだ。
「杏……香袋のこと、誰か知っているの?」
私は首を振る。「匂いは教えてくれる。でも、誰が置いたかは、これから推理するところ」
蔵六も立ち会い、古い処方箋をじっと見つめる。「この処方は、かつて後宮で禁じられた薬と関係している。古い記録では、同じ香りを使った警告がいくつも残っている」
「禁じられた薬……」
その言葉に、心臓が高鳴る。私の過去にも、この“禁忌の薬”と関わる痕跡がある。嗅覚は、匂いを通して過去の秘密も呼び覚ます。香袋の匂いは、私自身の記憶に微かに触れる。
夜、薬房で香袋と旧処方を並べる。鉄、甘さ、土……香りの軌跡を嗅ぎ、私は確信する。事件は単なる病や毒ではない。後宮の深い陰謀、権力争い、そして禁忌の記憶が絡む、複雑な策略だ。
「……やはり、動かねば」
私は薬罐を抱き、窓の外に目を向ける。夜風が薬房に入り、香りが微かに揺れる。匂いは、私に次の行動を告げる。誰かが警告を送った意味、それを解き明かす鍵は、香りの中にある――私の嗅覚と推理力を駆使しなければ、後宮で生き残ることはできない。
窓から見える月は明るく、しかしその光の下で、誰かの嘘と策略が静かに進行している。私は決意する。匂いに導かれ、次は必ず、真相の一部を暴く。香袋の謎は、後宮の闇を切り裂く一筋の光――そして私の新たな戦いの始まりだった。