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第2話:香袋の秘密

夜が深くなると、後宮の空気は一層静まり返る。

私は小さな薬罐を手に、瑠璃の部屋を訪れた。まだ微かに香袋の匂いが残っている。甘く、そして鉄のような金属臭――ただの薬や香料ではない、何か混じった“意図”がある香りだ。


「……杏?」

かすれた声で瑠璃が目を開ける。薄い布団に身を包みながら、彼女は微笑もうとしていた。しかしその目は虚ろで、疲労と不安で揺れている。


「少し匂いを嗅がせてもらうわ」

私はそっと香袋を取り、鼻先に近づける。目を閉じて深く嗅ぐと、脳裏にさまざまな情報が浮かんだ。これは普通の薬ではない。使われた成分の順序、古い処方の痕跡、そして何より――使用者の心理まで匂いとして残っている。


「……これは……」

思わず声が漏れる。甘い香りの中に、確かに鉄のような金属臭が混じっている。金属の匂いは血液や傷薬によく似ているが、ここでは“意図的”なものだ。誰かがこの香袋を使って、瑠璃を苦しめようとした――いや、場合によっては“示す”ために置いたのかもしれない。


「杏……どうしてわかるの?」

瑠璃の声は震えていた。私の嗅覚は、薬の成分だけでなく、人の心も読むことができる。嘘は匂いとなって現れるのだ。


「匂いは、嘘をつかないの」

私は軽く微笑んだ。彼女を安心させるつもりだったが、自分でも不安が胸をよぎる。後宮の事件は、単純な病や毒では済まないことが多い。誰かが意図的に、香りを使って私たちにメッセージを送っている――それが今回の事件の本質かもしれない。


部屋の中に立ち込める香りを、もう一度確かめる。まず、甘い香りは古い薬の成分だ。次に混じる金属臭は、血液の匂い……だが、この混じり方が不自然だ。単なる偶然ではない。


私は蔵六のもとへ戻る決心をした。師匠なら、この処方の意図を読み解けるはずだ。廊下を歩くと、深夜にもかかわらず、侍女たちの足音がかすかに響く。後宮の静けさの中で、人々の秘密は香りとなって漂っているのだ。


「杏……また香りで何か見つけたのか?」

蔵六は薬棚の前で、私を待っていた。いつも穏やかな表情だが、今夜は微かに眉を寄せている。


「はい、香袋の匂いに、普通ではない痕跡が混じっていました」

私は香袋を差し出す。蔵六はそれを手に取り、慎重に嗅ぐ。目を閉じ、指先で香袋を軽く触れると、何かを思い出すように眉をひそめた。


「……なるほど。これは古い処方だが、混ぜ方が妙だ。通常はあり得ない順序で成分が配置されている」

蔵六の声が低くなる。まるで警告のようだ。


「誰かが意図的に……?」

「そうだ。薬の知識がある者、そして後宮に詳しい者でなければ、これは作れない」

蔵六は静かに続ける。「この香袋は、瑠璃に何かを示すために置かれたものかもしれない。単なる毒ではなく“警告”だ」


私は考える。警告……。後宮の秘密、皇后の陰謀、そして誰かの策略。単純な事件ではない。香りに隠されたメッセージを解読すれば、瑠璃を守る手がかりになるはずだ。


翌朝、私は瑠璃のもとに戻ると、薬の調合を始めた。症状を緩和する薬を作るだけでなく、香りの組み合わせを慎重に調整する。後宮で生き延びるには、薬と香りの両方を武器にする必要がある。瑠璃は薬を口にしながら、ほっと息をついた。


「杏……ありがとう」

その言葉に、私は小さく微笑む。しかし、心の奥では、これが序章に過ぎないことを知っていた。香りの秘密、後宮の陰謀、そして私の知らない“禁忌の記憶”――すべてが絡み合い、次の事件へと私を誘う。


昼下がり、後宮の庭を歩くと、侍女たちの話し声が微かに聞こえた。「あの香袋……どうして瑠璃様の枕元にあったのかしら」

その声に私は耳を澄ませる。匂いは人を裏切らない。次に進むべき道は、すでに香りの中にあるのだ。


夜、再び薬房で処方箋を広げる。古い文字が微かに揺れるように見える。墨の匂い、紙の匂い、そして硝子の匂い――それは、私がまだ知らない過去と、後宮の暗闇を示していた。


「……次は、誰の嘘を嗅ぎ分けることになるのだろう」

薬罐の間に立ち、私は静かに呟く。嗅覚に導かれ、私の足は、さらなる謎の核心へと向かっていた。

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