第4話 ささやかな幸せの旅
ホーレックの姿が消えてからの旅は、静かで穏やかだった。
孤独だったはずなのに、なぜかバイレンの心は満たされていた。まるで彼のすぐそばに、ホーレックが寄り添っているような感覚すらあった。
(きっと、あいつの“呪い”がそう感じさせてるんだろうな)
バイレンは微笑みながら、村の通りをゆっくりと歩いた。
彼が初めてこの村を訪れたとき、誰もが彼を遠巻きに眺め、目すら合わせようとしなかった。
だが今は違う。
「あ、バイレンおじちゃんだ!」
小さな少年が駆け寄ってきて、彼の手をぎゅっと握る。
バイレンは屈みこみ、少年の目線に合わせて笑った。
「今日は何かあったのかい?」
「ううん、昨日バイレンおじちゃんが井戸を直してくれたって、お母さんがすごく喜んでたの!」
「それはよかった。水がなければ生活できないからな」
「うん! ありがとう!」
無邪気な笑顔に、バイレンはかつての“王”としての誇りを思い出す。
――そうだ、自分は人々の幸せのために生きていた。
*
ある晩、バイレンは老夫婦の家に招かれた。彼が山道で倒れていた妻を助けたことがきっかけだった。
「こんなに食べ物をもらったのは久しぶりだ……」
食卓には、温かなシチューと焼きたてのパンが並んでいた。バイレンは感謝しながら箸を取り、ゆっくりと味わう。
「バイレンさん。あなたのような人が村にいてくれて、本当に心強いですよ」
老主人が言うと、妻も頷いた。
「まるで、“幸せの王様”みたいですねぇ」
その言葉に、バイレンは手を止めた。
“幸せの王様”――かつて、自分がそう呼ばれていた頃があった。
しかし今は、それとは違う意味で人々に求められている。
「……いや、俺は“呪いの王”さ。だけど――今はその“呪い”に、感謝しているよ」
老夫婦は顔を見合わせ、くすっと笑った。
「随分変わった呪いですこと。人を幸せにする呪いなんて、初めて聞きましたよ」
「ほんとですよ。どうかその呪い、うちの孫にも分けてやってくださいな」
笑い声が暖炉の火に溶けていく。
バイレンは、その温もりを胸の奥に染み込ませた。
*
日々は緩やかに過ぎた。
バイレンは鍬を持ち、畑を耕した。水桶を担いで井戸まで行き、子どもたちの遊び相手になった。
誰かが倒れれば駆けつけ、困っている人がいればそっと手を貸す。
自分の力は決して“奇跡”を起こすものではない。ただ、“寄り添うこと”しかできない。
だが、それこそが人の幸せの根源だと、バイレンは今では心から信じていた。
ある日、村の人々が相談を持ちかけてきた。
「そろそろ、村に“長”が必要だと思うんです」
「皆で話し合ったんですが、バイレンさんにお願いできませんか?」
――村長。
その響きに、バイレンはしばらく言葉を失った。
だが、やがて静かに頷いた。
「……いいのかい? 呪いの王だった俺が」
「バイレンさんは、私たちにとって“幸福の人”ですから」
その言葉に、かつての“祝福の王”としての誇りが胸の奥から蘇るのを感じた。
そうして、彼は村の“長”となった。
*
数十年の月日が流れた。
白髪はすっかり銀となり、足取りは緩やかになっていたが、バイレンのまなざしはいつまでも穏やかだった。
ある春の朝。
花が咲き乱れる庭先で、バイレンはベンチに腰かけたまま、そっと目を閉じた。
「……ホーレック。お前の呪いは……俺に、最高の幸せをくれたよ」
そのまま、彼は静かに、息を引き取った。
人々に見守られながら、涙と感謝に包まれて――
やがて、魂は白き光に導かれ、あの場所へと還っていく。