第1話 追放された王
かつて、「祝福の王」と呼ばれた男がいた。
彼の名はバイレン。王冠を戴き、民に笑顔をもたらすため日々を尽くした善き王である。彼が訪れる先では作物が実り、病が癒え、争いが収まり、子どもたちは笑った。民は彼に手を振り、彼もまたその手を取って微笑んだ。
だが、それはもう過去の話だ。
――現在。
バイレンはみすぼらしい旅人の格好をして、ひとけのない山道を歩いていた。王冠などとうに手放した。もはや誰も、彼を王と呼ばない。
「うぅ……腹が、減ったな……」
革袋の中には干からびたパンの欠片が数片。水も底を尽きかけていた。
彼の姿を見た者は、口々にこう呼ぶ。
『呪いの王』と。
ある時期から、バイレンの訪れる場所で災いが起きるようになった。
火事、疫病、土砂崩れ、果ては戦争まで。彼は何もしていない。むしろ、幸福を届けようとしていただけだった。しかし、なぜか“幸福”が“災厄”へと変貌する。
民は恐れた。
「王が来ると不幸がやってくる」と噂され、やがて彼は国から追われた。
「……俺は、何かを間違えたのだろうか」
誰も答えない。空は曇り、冷たい風が吹き抜ける。
バイレンは木の陰に腰を下ろし、風を避けながら小さく息を吐いた。
少し目を閉じていると、かすかに草を踏む足音が聞こえた。
慌てて身を起こすと、そこに立っていたのは――
「……ん?」
白い。
まるで雪でできたような装束。光を反射する白銀の髪。
少年とも少女ともつかない中性的な顔立ちをした、美しい者が立っていた。彼はやわらかく微笑む。
「ようやく……会えたな、バイレン」
初対面のはずなのに、その声には妙な懐かしさがあった。
バイレンは思わず問い返す。
「お前……誰だ?」
白き青年は一歩、二歩と近づき、静かに言った。
「私の名はホーレック。死神だ」
その言葉に、空気が凍ったような気がした。
バイレンの目がわずかに見開かれる。
「……死神? 俺を殺しに来たのか?」
「いや、違う。俺は……お前に“謝りに来た”」
ホーレックはバイレンの隣に腰を下ろし、遠くを見ながら言葉を紡ぐ。
「実はな。お前が“幸福を届ける力”を持っていた頃……俺は、その力を“死”に変換してしまっていたんだ」
「……どういうことだ?」
ホーレックは静かに微笑んだ。
それはどこか、自嘲とも悲しみとも取れる表情だった。
「お前が誰かに幸せを届ける時、俺――つまり“死”がそばにいたことで、その幸福が災厄へとすり替わってしまった。故意じゃない。ただ……俺が、お前の側に居すぎたんだ」
「…………」
バイレンは長い沈黙の後、ふっと笑った。
「そうか」
「ああ。だから……本当にすまなかった。私は、お前のすべてを壊してしまった……」
バイレンはゆっくりと首を横に振る。
「違う。壊れたんじゃない。……俺は、気づいたんだ。幸福が必ずしも“見える形”とは限らないってことにな」
ホーレックの目が、わずかに揺れる。
「……許すのか? この私を……?」
「許すさ。だって、お前も不幸を望んだわけじゃないんだろ?」
バイレンは立ち上がり、片手を差し出す。
「よければ、これからの旅路……少しだけ、共に歩いてくれないか」
ホーレックは一瞬目を見張り、そして笑った。
差し出された手を、そっと握る。
「……いいだろう。呪いの王よ」