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◆短編/完結済み◆

それって、あなたの感想ですよね?

作者: 雲井咲穂


 シェリン・ティアーズが招待されたその日のティーパーティーは、ルイーズ男爵夫人が主催する華やかな集まりであった。



 サロンはまるで豪華な美術館のようで、真紅の絨毯が敷き詰められた床には、象嵌細工が施されたテーブルが鎮座し、そこに並べられた磁器は全て一級品。


 輝く銀器のティーポットからは上質な茶葉の香りが漂い、テーブルには宝石のように輝くケーキやペストリーがずらりと並べられていた。


 まるでその豪華さを誇示するかのように、ルイーズ夫人は派手な薔薇色のドレスに身を包み、その中心で威厳たっぷりに微笑んでいた。


 シェリンが席に着くや否や、ルイーズは口角を上げて微笑んだ。


「シェリン。今日はよく来てくださったわ。わたくしたち、あなたが()()()()()来てくれないのではないかととても心配していたの」


 くすくすと、とても心配しているとは思えないような微かな笑い声がルイーズ夫人の両隣から聞こえてくる。彼女の両隣には特別な「お友達」たちが鎮座し、シェリンの一挙手一投足を値踏みするように冷たく鋭い視線を投げていた。


「あなたの事業、とても素晴らしいそうね。けれど、大変だったでしょう?」


 その声には、明らかに嘲笑が混じっていた。


 シェリンは冷静に紅茶を一口含み、ゆったりと微笑み返した。


「ええ、とても充実しています。挑戦には困難も伴いますが、それ以上の喜びがありますもの」


「まあ、でも一体どうやって事業の資金を用意したの?失礼だけれど、ティアーズ家には新事業を立ち上げるほどの体力はないと()も心配していたのよ」


 夫も、と言いながら左隣にいるマスケィナル夫人の方をちらりと見やる。夫人は困ったように眉根を寄せて、ルイーズに促されるようにして一つ頷いた。


「ずいぶんと無理をなさったのでは?一昨年の品評会では、随分と辛らつな意見もあったと聞くわ。資金提供をしてくださる方もなかなか見つからなかったのではなくて?」


「女性があまり背伸びをすると、どうしても面白くないという殿方はいらっしゃるものですからね」


 ルイーズの声色は甘く、それでいて明らかに侮蔑を含んでいた。周囲の視線が一斉に射抜くようにシェリンに集まる。


 けれど彼女は穏やかな微笑みを崩さず、静かに答えた。


「おっしゃる通り、背伸びをするのは大変です。足に合わないものを、ただ見てくれの良さだけで履いているだけでは靴擦れを起こしてしまいますから。とはいえ、その苦労のおかげで今の私がありますから、価値のある努力だったと感じています」


 なにやら含みのあるシェリンの穏やかな言葉にルイーズは少しだけ表情を曇らせた。


 しかし、すぐに微笑みを取り繕い、続けた。


「でも、あなたのように結婚をせず事業を持つ女性はとても珍しいですもの。家庭を持たないと、やはり寂しくありませんこと?」


「随分お仕事がお忙しいと伺っているけれど、休日もやはりそちらにかかりきりなのかしら?」


 独り身であることを揶揄して、夫も子供も家庭も全てがそろっている自分たちこそが正しいとでも言わんばかりの態度に、シェリンはわずかに小首を傾げてふわりと笑みで返す。


「仕事を通して、様々な方と出会い、これまで経験したことがないことを、自らの責任において取り組むというのは確かに骨が折れることです。けれど、その時間が私自身の楽しみでもあるのですから、寂しいと感じる暇もありません」


 シェリンは手元のカップに描かれた精緻な花の模様を静かに見下ろした。


 カップ半分に残る薄茶色の水面が、小波のように揺れていた。


「けれど、旦那様がいない方は、自分だけで生活を成り立たせていかなければならないのですもの。お辛いこともあるのではなくて?」


「頼ることができる方が隣にいらっしゃらないと心細くありませんか?事業を一人でされているとはいっても、女性だけでは侮られることも多いと聞きますもの」


 主賓であるルイーズの神経が尖ったことを察した()()()()()()()()()が、上ずった口調で矢継ぎ早に言葉を発する。


 浴びせかけられる言葉に反論する気力もないのか。


 シェリンが少しばかり驚いたように目を見張り、唇を軽く閉じたのを見やり、ルイーズは気を良くしてさらに口を開いた。


「けれどシェリン。結局のところ、女性は誰かの庇護の下でこそ輝けるものではなくて?夫や家庭という支えがあってこそ、社会的な地位や成功も評価されるものだと思いません?」


 ルイーズは心配だとわざとらしくため息をつきながら、お友達たちを見渡し、同意を求めるような笑みを浮かべた。


「あなたの事業も素晴らしいけれど、結局はそれを認めてくれる家族がいないと、寂しさや虚しさに押しつぶされてしまうんじゃなくて?」


 くすくすと悪意を隠そうともせずに歪んだ笑みを浮かべる彼女たちに、シェリンは小さくため息をついた。


 音もなく、カップをソーサーの上に置くと、姿勢を正してルイーズを見据える


「それは、あなたの感想ですよね?」


 シェリンの声は穏やかだったが、その一言が場の空気を一変させた。


 ルイーズを含むその場の全員が息を飲むのがわかった。シェリンの声は静かでありながら、鋼のように硬質だった。


 ルイーズの目が見開かれる。


「ええと…、どういう意味かしら?」


「いいえ。ただ、自分の経験や価値観()()で他人を評価するのはもったいないことではないかな、と思っただけですわ」


 ティーカップの取っ手をゆるやかに持ち上げ、ゆらゆらと斜めに動かす。


 小波が躍るように光を反射する。


「私はただ、()()()な…」


 侮辱されたと感じたのだろう。


 ルイーズの頬が微かに紅潮し、眦が鋭く吊り上がる。


 けれどシェリンは一向に動じる様子もなく、柔らかく笑いかけさえしながらゆっくりと口を開いた。


()()()、と仰いましたが、それもまた個人の感覚によるものですよね?」


「なん…」


 まさかシェリンが正面から反論してくるとは予想もしていなかったのだろう。


 ガタ、と席を立ちかけたルイーズはマナーに反した行為だということに気づき、慌てて椅子に座り直す。


 彼女が席に座るのをじっくり見つめながら、シェリンはさらに続けた。


「そもそも、『一般的』という考え方そのものが、非常に主観的です。人が持つ価値観や常識は、その方が育った環境や社会的な立場、接してきた文化によって変わります。つまり、一般的と呼ばれるものは、決して普遍的な真理ではなく、ある特定の社会や階層に属する人々が共有している一時的な合意に過ぎないのです」


 周囲の貴婦人たちが顔を見合わせた。彼女たちの間に、微妙なざわめきが広がる。


 シェリンは視線をルイーズに戻し、穏やかな口調のまま結論を述べた。


「『一般的』という言葉を盾にして他人の生き方を測ろうとするのは、非常に危険ですし、誤解を生む原因にもなります。―――人によって考え方も、物の尺度も違う。一人一人が違う物差しを持っているのですもの。全ての事柄を同じようにとらえ、考え、判断するのは難しいのではないかと、思っています」


 あなた方にどのように思われたとしても、私には関係がないことです、とは続けなかったが、シェリンの言葉の真意がわからないほど、彼女たちは社交に不慣れではなかった。


 それでも何とかシェリンをやり込めてやろうと思ったのだろう。


 ルイーズは明らかに侮蔑を込めた表情を浮かべ、唇を弓のようにしならせて、冷ややかな声で言った。


「でも、女性が家庭を持たずに働くなんて、社交界では珍しいことですわ」


 ルイーズはその一言が失言だったと気づいていなかった。


 あ、とルイーズの傍らの女性が口を押えたのと同時に、シェリンは深く頷きまっすぐ答える。


「確かに―――。けれど、珍しいことが必ずしも悪いことだとは限りませんよね?男爵夫人のそのお召し物ですが、それもとても珍しく個性的なお品ですわ。この場にいる誰よりも際立っていらっしゃる」


 夫人がこの日の為に用意したのであろう、珍しいカットのさざ波を思わせるようなドレープがあしらわれた華やかなドレスは、ティーパーティーにはやや不釣り合いではあったが品を損なうというほどのものではなかった。


 ただ珍しく、ただありきたりの埋没してしまう平凡の塊のようなドレスではなかった、というだけである。


 引き合いに出されるとは思ってもおらず、意外な反撃にルイーズは口をつぐむ。


「それに…、社交界でも名高いメルフェルバ女侯爵が、自らデザインされたドレスを作らせている洋裁店を経営なさっていることは、当然ご存じでしょう?」


 シェリンの言葉は静かな強さを持ち、ルイーズの言葉が明らかな失言だったことをさりげなく指摘していた。


「わ、わたくしは、珍しいと言っただけで、別に」


 女侯爵のことを言ったのではないとルイーズは主張しようとするが、それを遮るようにシェリンはさらに言葉を重ねる。


「もちろん、珍しいことがすべて否定されるべきだとは思いません。女()()()()()、私の事業など取るに足らないものですから」


 ぽつり、と零された一言に空気がさらに凍り付く。


 誰しも視線を合わせようとせず、口をつぐみながら、新しい会話の切り口など見出せないほど困惑しているようだった。


 シェリンは、小さく息を吐くと少しだけ瞳を伏せ、ゆるゆると開いた。


 その双眸は獲物を捕らえた猛禽類のように鋭く、紡がれる声は氷のように冷ややかだった。


「夫の財力を笠に着て、自分は何もせず贅沢をしながら、他人を区別し、判断し、見下すことほど愚かなことはありません。それは、真の価値や人間らしさを見失っている証拠です。自分が何一つ努力せずに、他者を軽んじることで満足するのは、どれほど哀れなことでしょうか…」


 お前たちの目は節穴だと、隠そうともせず冷淡に紡ぐ言葉の数々に、もはや反論する気力は残っていないようだった。


 シェリンは一つ嘆息し、これ以上は時間の無駄だとルイーズの使用人にそっと目配せをし、椅子を引いてもらう。


 優雅に立ち上がり、悠然と微笑みながら言葉を続けた。


「人生にはいろいろな選択肢があります。大事なのは、自分の選択に誇りを持ち、他者の選択も尊重することではないでしょうか?」


 それでは、私用につき、これで失礼致します。


 けれど、ルイーズたちの品位のなさを前にすれば、それはむしろ些細な問題に過ぎなかった。




**************




 清々しい笑顔を浮かべながら、退屈なお茶会を中座したシェリンは、ゆっくりと玄関へ向かった。扉を開けると、外には冷たい空気とともに晴れ渡る空が広がっていた。


 足元の石畳が歩く度に心地よいリズムを刻む。


 軽やかな足取りで外に出ると、すぐに迎えの車が停まっているのが目に入った。運転手によって車のドアが開かれ、「彼」の姿が目に飛び込んできた。


「シェリン、もう終わったのかい?」


「婚約者」であるノヴァは車から降りると、優雅に手を差し伸べた。シェリンはその手を受け、軽やかな動作でエスコートを受けながら、颯爽と車に乗り込んだ。


 車は静かに走り出す。


 隣に座ったノヴァがいつにも増して上機嫌な様子のシェリンに興味深そうに尋ねてくる。


「何か良い事でもあったの?」


 シェリンは開け放たれた窓の外の風を感じながら、朗らかに笑いながら答えた。


「同調圧力を感じている人が少しでも減ればいいわね」


 その言葉は、軽やかに空気に溶けて消えた。


ざまぁ展開をメインにしましたら、恋愛要素が吹っ飛んでしまい申し訳ございません。

けれど、同じような抑圧を感じている方の心が、少しでも軽くなりますように。

他人と違う、自分だけの良い意味での価値観や、他人に引きずられ過ぎない「自分らしさ」を一人一人が大切にして行ける、そんな世の中であってほしいなぁと思うばかりです。


拙い文章ではございますが、

お読みいただき、ありがとうございました。


メリークリスマス!

よいお年をお迎えください!


2025年が物語を書く全ての方々にとって

「自分らしさ」や「楽しさ」や「描き出す喜び」に満ち溢れる

素晴らしい一年となりますように!


くもいさほ

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