べ、べじたりあ~ん?
まだ時代が、昭和の頃のお話です。
残業代の出ない残業をやり、同僚と一緒に帰宅の途に就きました。
同僚曰く、腹減ったから、何か食ってかねと言われたので、ああいいよと私は答えました。
正直、まっすぐ帰りたかったのですが、付き合いも大事だと思い、同僚に付き合うことにしました。
繁華街の中にある店を物色していましたけど、開いているのは居酒屋ぐらいでした。
当時は今と違って、24時間営業の店どころか、飲み屋以外で食事がメインの店は、あまりありませんでした。
今では珍しくない24時間営業の牛丼屋も、当時は珍しい部類でしたので。
これはもう、無理かなと思っていました。当然、コンビニも開いていませんでした。
あのセブンイレブンですら、当時は夜11時までの営業です。
開いてて良かったね、なんてCMが流れていた時代ですから。
ファーストフード店も無い、牛丼屋も無い、コンビニも開いていない。
てっ、どこだよ、そこは?東京だよ。
深夜まで働くもんじゃないなあと、そう感じました。
そんな絶望感の中、場末感たっぷりなラーメン屋を見つけました。
「おお、ここにしよう」
正直、気が進みませんでしたけど、他に選択肢が無いので、ラーメンを食べることにしました。
「いらっしゃい」
と、普通ならそう声を掛けられるはずですが、空いてる席どうぞと言われるぐらいでした。
まあ、場末のらーめん屋に何を期待しているのやら。開いているだけで、ラッキーと思わないと。
店内は半分ぐらい埋まっていて、それなりに繁盛しているようです。
私たちはカウンターの端に腰掛け、メニューを見ました。
確か、こんな感じでした。
ラーメン 500円
チャーシュー麺 700円
ワンタン 500円
ワンタン麺 600円
etc.
ラーメンブームが始まる前の頃でしたので、これで普通でした。むしろ、ちょっと高いかなあと思っていたぐらいです。
今の時代のラーメン一杯1000円なんて、当時を思い返すとあり得ないと思いました。
私と同僚は、ラーメンと餃子とライスを注文しましたが、同僚はビールも注文しました。
呑むんかい?
私も勧められましたけど、以前酔ってしまい、電車で降りる駅を乗り過ごしたので断りました。
すると、ガラガラと、扉が開く音がしました。
私はチラッと扉の方を見ましたが、そのことを少し後悔しました。
女性で、しかも外人さんでした。
どうしてか分かりませんが、店内に緊張が走ったようでした。
私はというと、何だか嫌な予感がしたので、とにかくさっさと食べて逃げよう、もとい、店を出ようと思いました。
しかし、我が親愛なる同僚は、ビールをぐびぐび飲み、あまり食事が進んでいませんでした。
おい?
とりあえず、同僚に圧をかけるべく私はラーメンをすすり、餃子をパクパク食べ、白飯を口に放り込みました。
その時です、その外人さんは何故か、私の隣に腰を落ち着かせたのです。
私は一瞬で、動きを止めてしまいました。
店内は空いていて、テーブルだって空いている。
カウンターだって混んでいる訳はなく、店員がここに座れと誘導した訳ではない。
何でだ?
どうしてだ?
言っておきますが、私はブルーカラーです。
首にタオルを巻き、そのタオルで汗を拭き拭きしながらラーメンをすする、そんな労働者です、プロレタリアで御座います。
でもまあ、店員さんが対応してくれるだろう。
その時の私は、どこか楽観的になっていました。いや、私には関係無いはず。
だって、私は客ですから。客の対応は、店の責任でしょうと。
しかし!!!
外人さんが、私に声を掛けてきた。しかも、私の肩をとんとんと叩きながら。
これでは、聞こえないふりが出来ないじゃないか!
「・・・・・へるぷ~み~」
すまんけど、ネイティブ過ぎて、何を言っているのか分からなかった。かろうじて聞こえたのが、それだった。いや、本当にそう聞こえたのか、今となってはもう分からないけど。
だが、私の対応も間違った。なにとか、どうかしましたかと日本語で返せば良かった。
「ほわっと?」
その時の私は、明らかにパニックになっていたんだと思う。
すると、外人さんは畳みこむように話しかけてきた。
私はと言うと、自分に降りかかった不幸を嘆いていた。
神さま、私は残業で頑張ったのに、あんまりです。
だいたい、店内にはホワイトカラーの人も結構居たのに、何で私なんだ?ネクタイしてないだろう?
とにかく、ここはどうにかしないといけないと思い、我が同僚にへるぷ~み~とやろうとしたところ、わが愛すべき同僚は、そっぽを向いていた。あからさまに。
おい?
仕方がなく、覚えている限りの英単語でなんとかしようと思った。
「きゃ、きゃん あい へるぷ ゆ~?」
すると、外人さんは嬉しそうに、また畳みこむように話してきた。
ダメダメ、今ので分かったでしょう。私の英語レベルは、小学生以下ですって。
とにかく、頭が真っ白になるのを何とか抑えながら、やり取りをしました。
そんな幼稚園児レベルの英語でやり取りしていたら、外人さんが気になるワードを話した。
ベジタリアンと聞こえた。
「あ、あ~ゆ~べじたりあん?」
「おー!いえー!!いえー!!!」
何だ、そのいえい!いえい!!は?私もやらないとダメなのか、いえい!いえい!って?
違った。
ああ、そうか、イエスか。
そこで私は、やっと理解した。
外人さんはどうも、当時の言い方で言う菜食主義者らしく、要は肉の入っていない食べ物を求めているらしい。
私は何故か遠くに居る店員に、肉の入っていない料理は何か無いかと訊ねると、そんなものは無いとの冷たい返答だった。
おい?
すると、他の客が話しかけてきた。さっきまでそっぽを向いていた、ホワイトカラーの人だった。
「ごはんでいいんじゃない」と。
ごはんって、おかずはどうする?サラダなんて、洒落たモノなんか無いような店だし。
すると、おお、”ごはん”と外人さんは喜んだので、店員さんはごはんをよそって外人さんに出してくれた。ついでに、おしんこも出してくれた。
スープはダシに鳥ガラを使っているのでアウトだけど、おしんこは大丈夫らしい。
外人さんは、本当に嬉しそうにしていた。
とは言え、外人さんらしく箸がうまく使えないようなので、レンゲをお願いした。
外人さんは、ごはんにお醤油をかけてもそもそと食べていた。
私はと言うと、これでやっと解放されたと思い、のびたラーメンと冷めた餃子を食べ終えて、同僚を促して店を出ることにした。
というか、同僚は二本目のビールを飲んでいた。いつの間に?
何だか、さっきまでと違って和やかな雰囲気になった店内だったけど、これ以上外人さんに話しかけられたら胃に穴が開きそうなのと、早く家に帰って休みたいと思ったので、長居は無用と思いました。
どこから出てきたのか、おばあちゃんらしき人まで外人さん話しかけていたので、私たちが出ていくことに外人さんは気が付かなかったようでした。
まあ、ごはんにおしんこでは、ちょっと申し訳ないような気持ちになったけど。
だから、外人さんに私たちが店を後にすることに、気付かれなかったことはむしろ幸いでした。
はあ~、これでやっと帰れると、心底ホッとしました。
わが愛すべき同僚は、翌日職場でこの日の出来事を面白おかしく語ってくれました。
もちろん、私を笑いのネタにして。
おい?
先輩からはもっと、英語を勉強しろよと言ってましたけど、余計なお世話と思いました。
なまじ中途半端に使えるから、こんな面倒なことに巻き込まれたんですから。
ちなみに、日本では英語が通用する国となっていますが、あのように単語を並べる事が出来るだけでオッケーなんだそうです。
ネイティブに話す必要は無く、そもそも日本に来るなら日本語ぐらい学んで来いよとなります。
何も日本人が、必死になって使えない英語を駆使する必要は、まあ無いそうですよ。
とは言え、パニックになると碌なことにはならないと、そう教訓にすべき出来事でした。
あの外人さんは、今でも元気だろうか?
と言うか、肉を食わないで本当に大丈夫か?
私には分からん。
ちなみにその場末感たっぷりなラーメン屋は、随分前に無くなっていました。
もう、行くことは無いだろうと思っていましたけど、こうして昭和がひとつ無くなったのは、ちょっと残念でしたけど。
テレビで放送される、いわゆる町中華特集を見ていたら、この日の出来事を思い出し、ここに書いてみた次第です。
皆様にも、こういったある意味で不幸な出来事が、あるんじゃないでしょうか?
そんなほのぼのとしたエッセイを、読んでみたいと思います。